わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

平和の感受性を育てる:PeaceMOMOワークショップの二日間

2017年夏にソウルで出会って以来、これが日本で受けられたらな…というより、日本で友人たちを誘って一緒に受けたいぞ!と夢見ていたワークショップが、ついに日本開催!(主催してくれたSVPおよび関係者のみなさまを拝み倒したい!)

本来4日間あるファシリテーター養成講座のエッセンスをむぎゅっと凝縮して2日間。…十分堪能した!という感想も真実なら、物足りない~4日間ってなにするの~!という飢餓感が残ったのもまた真実。参加してくれた友人も、私がなぜこれまで「ピースモモがぁ」とうるさかったのか、実感していただけたはず…(それが幸せ!)
その辺に関してはこちらで ↓

韓国教育視察ツアー4 - わったり☆がったり

f:id:jihyang_tomo:20240402125921j:image

自己表現カードもわざわざ今回用に日本語!なんというホスピタリティ…

2日間の流れは以下の通り

D1
1.学びの共同体形成
2.平和の感受性の形成①
3.平和の感受性の形成②
4.学びあいのファシリテーション

D2
1.PeaceペタゴジーとDOERSモデル
2.平和教育を企画する
3.平和コモンズと平和教育

それぞれのワークの詳細は省きますが、私が感じたことを私自身のファシリテーター修行(?)のために書き留めます。いやホント、修行(練習)せねば…。

 

学びあう共同体づくり/Community Building

発見…だったのは、「傾聴」と「Active listening」の違い(というか、MOMOのワークでは「傾聴」という表現はなく…これまでを思い返しても出てきたことがない気がする)

相手の話に集中して、積極的に聴きましょう!ってことなのだけど(Active listening)、私はこれを「傾聴のワーク」だと思っていた…けど違う!と明確に意識させられました、今回。

二人一組になって、相手の話に関心を持って集中して積極的に聴く(1分ずつ)から始めるわけですが、そこで「アイコンタクト」「うなずき」「(声に出しての)合槌」「体の向きや動作」…と細かく自分の反応に注意を払って意識したとき、ハタと気づいたのが、私自身が「黙ってうなずく」ことと「なるほど~等と声に出して合槌を入れる」こととをあまり区別せずに「あいづち」という表現でまるっと考えていたな…ということ。

それに気づいて、2回目の「聴き役」のとき、意識的に「あぁ、そうなんですね」「なるほど」「たしかに!」等としっかり声に出すことを意識したら、明らかに相手に対する集中力が高まって、よりしっかり聴けている!と実感しました。そしてふりかえりのときにそう伝えたら、相手役の方が「確かに!一度目より声出てました!」とフィードバックをくださったので、これは大事だわ…と確信。

逆に言えば、いままで私のやってた「傾聴」ワークってば…(穴があったら入りたい)

でも、そんなふりかえりを話していたら、「言われてみれば『傾聴』を技術として求められるのはカウンセリングや相談の場で、そこでは聴く側と話す側が明瞭で入れ替わりもないからでは? ここでやった練習は双方向ですよね!」と指摘してもらい、ほんまや! それや! と腑に落ちまくる…。「傾聴」に関して「あなたの話を傾聴しますよという空気感をバシバシに出してくる人苦手…」と感じる現象が起きるのも、そういうことだろうな…。要は「お互いに話をたくさんしよう!」モードで積極的に聴く/話すをしたいのに、相手が一方的に「話を聴きますよ」モードで来たらモヤって当然だ…。

今回、このActiveに聴く、話すのワークを最初に70分ぐらいやったのですが、あとのレクチャーで「場の参加者の関係性によって、どれぐらいここに時間をかけるのかは変わる。必要な分だけ時間をかけないと、学びあう関係性が耕されないので、ここは重要な箇所です」という話があって、なるほどなるほど…でした。メモメモ。

ちなみにMOMOのワークの約束、話し合うときはこちら!
*좋아좋아(いいね!いいね!)
*많이많이(もっともっと/どんどんプラスして!)
*서로서로(おたがい、おたがい/同じぐらい聴こう、話そう)

韓国語だと4音ずつで響きよく、呪文のように唱えられるから、「ちょあちょあ、まにまに、そろそろ…」とこれから何かにつけて唱えようと思うのでした。

それから、ワークのふりかえりで「エンパワーされたのは?」「ディスパワーされたのは?」どんな出来事や態度だったか…と常に問いかけられ続けたことで、自分自身が力づけられるのはどんなときなのか、逆につらくなったり話したくなくなったりするのはどんなときなのかを何度も考えることになり、またそれをシェアしあうことで場としてのエネルギー/人に力を与えるコミュニティなのか、力を奪うコミュニティなのか、それはなぜ? といったことを一緒に考える経験の積み重ねが大切なんだなと実感しました(Community Building!)

「ちがい」…から何を学ぶ?

みんな一人ひとり、同じ顔の人がいないように、考えることも体験もみんな「ちがう」

そんなことはわかっているし、だから「ちがい」を差別に結び付けちゃいけないんでしょ? は、たいていの人が既にわかりきっていることでもある。でも現実には差別がある社会のなかで、「ちがい」が差別に結びつくことはままあることで。

そこを体感的に、オープンマインドで考えるためには仕掛けがいる…と思うから、これまでもさまざまなワークショップが開発されてきて、私もいろんなものを試したり、自分で少し改良を試みたりしてきたわけですが…

今回初めて体験したワーク2つ(「3つの島」と「センターとコーナー」)は、シンプルなのに見事な仕掛け!うわぁ、すごいすごい~と興奮してしまいました。と同時にここで発揮される最初のCommunity Buildingの力! 十分耕された土台があるからこそ成立する突っ込んだ話し合い…実り多いぞ…(これまた自分の仕事の雑さをふりかえって穴があったら入りたい)

「文化」というと踊りとか言語とか食べ物とか、明示的でわかりやすいものに目が向きがちだけれど、実際は説明しづらい習慣的なもの、考え方や気性といったかなり接近して交流しないとわからないことはたくさんあり、衝突やトラブルってその段階で起きるんですよね。「異文化理解」はいい感じで距離をとれているならそれなりに耐えられるし簡単な気がするけれど、自分が慣れ親しんでいて意識もしていない「そういうもんだからね」に侵入されると激しいフラストレーションが起きるから。

そういう状況を疑似的につくり、そこで「自分に何が起きたか?」身体の反応や感情の動きを丁寧に考えてみる……ここでも「どんなことが起きましたか?」「そのとき、力を弱められた人はいますか? あなた自身はどうですか?」「弱まった力をエンパワーすることはできそうですか? どうやって元気づけますか?」と体験と感覚で、全身で考えることをうながされる問いの数々…(普段の頭でっかちさが…。問いって大事だ…)

「ちがい」は個性で、違って当然で、優劣なんてないと言いつつ…
でも「ちがう」とはいえ、私たちには共通点もあるわけで、だから私にとって「この人とはここが同じだ、この人とはここが違うな」という人の集合体が世界。それはどれも正解で間違いはない。なのに、
× 〇〇と〇〇の考え/感じ方は違うね? どっちが正しいかな?…と対立させたり
× この感じ方が絶対だ!と権力者が力を利用して正誤を決めてしまったり
× 中心(正・主流)と 端(誤・傍流)とに人をより分けたり  ……する

特に二分法で分けて、そこに価値づけ/序列化することでヒエラルキーをつくると、分断を加速させてしまう…

わかりみが深かった…

「分ける」ことが必要なこともあるし、そもそも「ちがい」はあるわけで、そこでの区別は(というか特徴を認識する、ぐらいのことは)、世界を認識するために日々必要なことでもある。

でも、必要があって「分ける」とき、その必要って支援の有無だったり、特別な配慮の有無だったりするので、どうしても「支援の要らない/自分でできる〇〇」と「支援の必要な/自分でできない〇〇」という評価と結びつき、自由競争と能力主義の社会のなかで、それはどうしても序列に結びつきやすい……。じゃあどうすれば!は難しいけれど、この「二分法の罠」があることを意識して、あきらめずに抗い続けることが「平和を創る人」になることなんだろうなと。意識もせず、知ったところで「だってしょうがなくね?」と考えるのをあきらめて現状追認すれば、分断は深まるばかり…ですもんね…。

MOMOがいう「平和の感受性」とは、センシティブであることという意味だけでなく、全身を通して「空洞/分断」に気づき、お互いを観察して感じ、感情を読み取り共鳴する、知覚的な力としての感受性なのだと説明されました。だからそれは学ぶだけではだめで、学んだことを実践して「感受性」に落とし込んでいくこと、そのために学びと実践が相互作用的に反復することを狙ってワークショップも組み立てている…とのこと。

「お互いに学びあう」のも、お互いを解放する、自分自身を自由にする「実践」なのだということでした。…そんなワークショップをがっつり受けたら、みんなすごく温かくていい雰囲気になってしまうの、当然ですよね…(これを「仲良くなる」と表現するの、ことばがあってない気がして難しい。別に仲良くはないんだよなぁ…2日程度でわかりあえるわけもないし。でも「平和を創る人になろう」という点でここにいる人たちは仲間で同志で信頼できる!ということは間違いない、そんな空気感です!)

構造的暴力を考える

MOMOのワークショップは根っこに「平和学(byヨハン・ガルトゥング)」があるので、構造を考えるためのワークがいくつかあり、そこが私のお気に入りなのですが、今回も大好きなワークをまた受けました!同じワークなのに、毎回新鮮…すごい。
(ワークショップって、そういう意味で一期一会の生ものなんですよね……楽しい)

過去受けたことがあるワークをふたつ(「マリオネット」「トライアングル」)したのですが、今回はその二つを「比較する」というふりかえり時間があったのが初体験。

「マリオネット」は文字通り操る側と操られる側が役割として明示されるので、序列と権力関係が非常にわかりやすい。そしてボスがいて部下がいて…という「こんな組織あるある!」もある意味わかりやすいのですが、性質の違う「トライアングル」構造を対置することで、権力関係が不明瞭でいっけん個々の自立性が高いように思える構造であっても、やはりある構造が成立して固定的になるとそこで発生する人間疎外、抑圧ってあるんだな……ということがみえてきて、衝撃的でした(詳細は説明しようがないのですが)

「トライアングル」は2017年に体験して2回目でしたが、1回目のときは「そうか、人間が3人以上集まれば社会ができるってこういうことか!」という程度の気づきでしたが(その当時は「それが体感的にわかるなんて!」と感動したのですが)、命令する/されるより、自分で選べるほうがいいよね……とはいえ、自分で選んでいるようで実際には守るべきルールに従ってもいるわけだよな、とか、とはいえそのルールすらなかったらぐちゃぐちゃになってしまうもんな、とか……うまいことバランスが取れて安定してしまうと、今度はそれを守ろうとする心理が必ず出てくるな…という気付きに至って、ちょっと震撼としてしまいました……。

ずっと昔に、ある恩師から「人は一人で生きづらいから自分を守るために組織を作るんだけど、組織ができると組織を守るために個人が疎外され始めるんだよな」と聞かされて以来、なるほど…と心の片隅にいつも置いてあったのだけれど、まさにそれだぁ…

人間は社会的動物で、社会と無関係に生きられない。どんな社会問題とも、私はつながっている。だからどうする? がMOMOが発信し続けている問いなんだなぁと思いました。

構造的暴力といえばこちらですよね。
最後にこの図で「では、平和とは何か?」という話をしてもらったのですが、

ガルトゥングのいう「積極的平和」と「消極的平和」のこのモデル自体は知っていて、納得もしているつもりだったのですが、それを「プラス平和」「マイナス平和」と言い換える説明でさらに腑に落ちたと言いましょうか…

f:id:jihyang_tomo:20240402125949j:image

消極的平和とは、「戦争や武力紛争がない状態」という意味で、いわば「暴力を取り除いたら平和になった」、何かをマイナスすることで成立する平和ということになると。もちろん暴力は取り除くべきだけれど、たとえば「異論をマイナス(排除)すれば言い合いにならなくて平穏だから」とか「この町の常識を知らない部外者をマイナス(排除)すれば町の平穏は保たれるから」とかいったふうに、何かをマイナスしてマイナスして…いった先で、平和な社会は広がるだろうか?と考えると、小さなコミュニティの平和は(いっけん)守られるかもしれないけれど、常に排他的、排除的に内向きに縮んでいくばかりでは? と(まさに消極的平和…)。

そこで積極的平和のほうを「プラス平和」と定義して、何かをプラスしていく…「新しい仲間をプラスして(出迎えて)、新しいつきあい方を創造する(プラスする)」「自分から遠いところで起きている問題について知識をプラスして思いを馳せ、自分にできることを考える時間を増やす(プラスする)」といったふうに考える、プラスしていくことによって、人権が守られ、コミュニケーションの豊かな社会を創造していこう…と考えている、と説明されて、よりいっそう深く腑に落ちたという……。

例にも出されていたれど、いまならパレスチナの人たちのことを「知る・考える」時間をプラスすること、こうしてワークショップに参加して経験を増やすこと、知らない人と知り合って、対話を通して異なる考え方やアイデアを自分になかにプラスしていくこと……と、平和のために具体的に何をプラスしていこうかと考えていくことができるなぁと思いました。そして逆に、表面的な「平和」を守るために「この人さえいなければ」のマイナス志向に陥りそうなとき、「いかん、これではマイナス平和だ!」と気づくためにも有効な気がします(マイナス志向の罠…も、あるある)

PeaceペタゴジーとDOERSモデル

Peace ペタゴジーというのは、MOMOの教育哲学で
Participatory:参与的
Exchange:対話的
Artistic-Cultyral:文化芸術的
Critical-Creative:批判創造的
Estranging:慣れずに行うこと

DOERSモデルは、そんなMOMOがプログラム作りをする際の要素
Do:活動
Observe:観察
Exchange:対話
Reflect:省察
Synthesis:総合的省察

2日間、私たちはDOERSを何度も繰り返したんだなと、やったからこそ腑に落ちる解説。ちなみに、Exchangeって「交換」という訳語が私は先に出てくるので、「対話だったらDialogじゃないのかな?と思ったんですが」と質問したら、英語の原義でいくと「logos(論理)」を交わすということで、合理的論理的な意見交換みたいなイメージなるので、そうじゃなく感じたことや考えたことを合理性やら論理的かどうかやらにこだわらずに交流したいイメージだったから、Exchangeにしたんだ…というお話…なるほど。ことばって大事です(ちなみに私の浅い知識と体験ですが、韓国語で「대화(対話)」は日本語の会話・雑談までまるっと包摂して使われている感じがします。日本語だと「会話」のほうでカバーしている範囲を、韓国語では「対話(대화)」でカバーしているイメージ)

「文化芸術的であること」…は、「遊びをせんとや生まれけむ」な人間だから、楽しくなければダメ!という(笑) 実際、ファシリテーターのアヨンさんは終始いたずらっ子な雰囲気で、「わぁ!」「わお!」「それでそれで?」と全身で場にいる人たち全員に、場で起きることすべてに好奇心全開でワクワクしている、まさにEstrangingでした…。

 

これは偶然だけれど、この3月30日がJ-hopeのアルバム「HOPE on The Street」発売日で、タイトル曲が「NEURON」神経細胞

NEURON, it responds to my mind
NEURON, it responds to my life
New Run, 다시 나를 위한 time
내 신경을 곤두세워, 그때의 나처럼 dive
내 몸은 자유형, still freestyle
세월 넘는 나의 영혼, a whole new type
So 뿌리 깊은 나무, 샘이 깊은 물
그 의미가 바로, 날 깨웠던 세포니깐
I’ll tell you again We’ll never ever give up, forever
I’ll say it again We’ll always be alive to move us

・・・・

주어진 수십 가지 motivation
세포와 세포 사이에 이어진 연결고리에서
사는 이유와 의미를 촘촘히 조립해서
세상에 번개 딜리버리 공의 비거리가
짧든지 길든지는 그들이 선택할 몫
이제는 폭탄을 품지 않아
크루에게 공을 돌리고
주말엔 닮은 꼴 아들과 캐치볼

・・・・

J-hope with Gaeko yoonmirae 

全身からダンスと音楽を生み出すホビらしい曲! 上で抜き出した部分の訳…

ニューロン、それは僕の人生に答える
新しい走り、ふたたび僕のための時間
神経をとがらせ、あの時の僕のように飛び込むんだ
僕の体は自由な形、依然として自由だ
歳月を超える僕の魂魄、まったく新しい型
だから根の深い木のように、深い泉の水のように
その意味がまさに、僕を目覚めさせた細胞だから
もう一度言おう
僕らは決してあきらめない、永遠に
もう一度言うよ
僕らはずっと動き続ける
・・・・
与えられた数多くのモチベーション
細胞と細胞の間に張り巡らされたつながりから
生きる理由と意味を緻密に組み立てて
世界へ稲妻デリバリー、ボールの飛距離が
短いか長いかは彼らの選択にゆだねられて
もう爆弾は抱え込まないよ
クルーにボールを回して
週末には似た者同士の息子とキャッチボール

・・・・

 

私も自分自身のニューロンをしっかり伸ばして、世界の人たちとつながって、ずっと動き続けていたいな(多動なだけ?)

偶然だけど、なんか今の気分にぴったりなものを届けてもらった気がして、沼はさらに深まってしまうのでした。はははは(「稲妻」出てきたわ!と参加した人にだけわかるかと思いますが、偶然ってすごいな 笑)

f:id:jihyang_tomo:20240402130006j:image

밥 먹었어?(ご飯食べた?)

『Eye Love You』というドラマが人気のようで、我が家でも「癒し~」と言いながら家人ともども喜んで視聴している。

そのドラマの中で、韓国人留学生役の子が誰かれなく「ご飯食べましたか?」とあいさつしていて、「私の食生活を心配(?)or 御飯に誘ってくれている(?)」とドキドキしていた主人公が「あれ?みんなに言うの?」とネット検索したら

「韓国の人の『ご飯食べた?』は、ただの、あ・い・さ・つ! ですからー!」

と出てきて「ガーン!(私だけ特別なわけじゃないの!)」となる場面があって。

 

隣で観ていたパートナーが、クスッと笑って「ムラん中と一緒やん…」と言い、2人で「だよねぇ」とほくほくした気持ちでの思い出話がひとしきり続き…

 

もう20年近く前、唐突に職を辞した私は友人の勧めもあって韓国語の教室に通うことにしたのだけど、そのときの先生がこの「ご飯食べた?」について、

「韓国人って、なんでこれがあいさつなのかなーって。日本人はそんなあいさつしないから、やっぱり貧しかったからかなぁって、恥ずかしくなる」

とおっしゃったことがあって(私より一回りは若い先生だった)

私は「いや、日本でも言うし、恥ずかしいことじゃないと思いますよ」と言い、他の受講生からも「なんか情が厚い感じしますよね」ということばが出て、終わったんだったなぁと思い出した。

 

私が「日本でも…」と言ったのは、パートナー同様、学生時代からこちら、しょっちゅう出入りしているムラ(同和地区)の、特におばちゃんたちから「ご飯食べたんか?」と顔を合わせればあいさつされ、あいさつに留まらずご飯をお呼ばれしたりもしてきた、そんな日常があることに基づいている。特に学生だったころは「若い人がお腹を空かせたらダメ!」という信念?なのか、「食い詰めたらここに来ればなんとかなるな…」という妙な安心感と帰属感を持ってしまうぐらい、なんやかんや食べさせてもらった。

 

日本も韓国と同じ東アジアの国で、「身体は口から入るものでできている」という考え方はあったはずだけれど、21世紀の現時点で、いまだにそれが色濃く文化として根付いている韓国に比べると、ずいぶん淡泊というか、無関心というか…だなと思う。

「情の濃さ」という部分でも、韓国の人たちの情の濃さには驚かされることが多い。とはいえそれは、日本に全然ないということではなくて、私が子どもの頃の町内/下町の人間関係もそんな感じだった(私的にはどっちかというと苦手というかメンドクサイ(笑)そんなに構ってくれなくても大丈夫です!みたいな。これまた韓国語の若い女性の先生が「日本にいるとみんなクールで寂しいなーって思ってるくせに、実家/済州島に戻ると3日で「もう!私のことはほっといて!って言いたくなっちゃう(笑)」と言って「わかるー!」と、ご飯食べながら大笑いになった。子どもの頃の下町が懐かしいけど、あんなにも構われたらウザい…というないものねだり 苦笑)

 

1日に何度食べるかは、そんなに問題じゃないけど、
「ちゃんと食べてるかな?」というのは、友人にせよ家族にせよ、心配して気にかけるときの根幹だよなぁと思う。関係性があるから、そこが心配になる。どうでもいい人のご飯の心配はしない(笑)

 

ご飯を食べながら話すこと。

美味しいなぁ…とほっこりすること。

そのための安全な生活が確保されていること。

「ご飯食べた?」「食べたよ~」と気楽に言い合える仲間がいて、

「まだだから、いまからどっか行く?」と誘い合える相手がいて、

そんな世界が誰にでも保障されてほしいなと思います。

「文化の盗用」とか「搾取」とか…ぐるぐるする日々

ちょっと脳ミソの中を出してみよう…と思いはしたものの、ここへきたら

「ん? タイトル…(もにょ)」と、そこで2分ぐらい考え込んでしまうというww

 

ぐるぐるしているきっかけ(?)は、最近公開になった『ゴールデンカムイ』実写映画を巡るあれこれ。

私も「わぁ、なんだこれ!」と、途中まではワクワクしながら読んでいたのだけど、土方歳三が出てきた辺りから「?」が増えてきて、最終回はドン引きしてしまったので、実写映画化の話が出始めた頃から「やめてくれーい」気分が勝っていたのだけど

『ゴールデンカムイ』野田サトル、実写化に歓喜したキャラとは 完結を迎えた現在の思い【原作者インタビュー】|シネマトゥデイ

そんな賛否両論のなかでこのインタビューを読んで「アカンやん…」の思いの方が強くなった(と言いながら、怖いもの見たさじゃないけど、ダメさ加減を考えるために観るべきか?とは思っている。いまのところ…)

アカンやん…と思ったのは、端的にここ。

もちろんアイヌルーツの方にはいろんなイデオロギーの方がいらっしゃいますのでいろんな反応、意見を目にすると思いますが、恥ずかしいものは描いていないのでどうか原作を信じて欲しいと…

要は、批判的意見については「イデオロギー」の問題にすり替えて「自分は間違ってない」と言ってるわけで。それも、アイヌ当事者からの違和感、批判をそういうふうにぶった切ってしまっている。和人として、それはないだろう…と思う。

課題は北原先生が整理してくださっているので、こちらをどうぞ。前後編ともに読まれてほしい。

crea.bunshun.

最近は授業でアイヌのことを扱えていないのだけど、一時期扱っていた頃に、それこそ北海道出身の学生から「アイヌに会ったことがない」「北海道の人はむしろ、内地で差別されて北海道開拓で苦労した人たちだから差別なんかしないはず」という発言が確かにあった。かつ、他府県の人間は「アイヌは北海道の問題」と他人事だった。これは大阪で生まれ育って「在日コリアンに会ったことがない」と言う人や、「関西には部落問題があるんでしょ」と言う関ヶ原より東側の人たちや、の問題と同じ構図で、

「そんなわけなかろうよ…」

としか言いようがないものだ。そしてそういう実態があるからこそ、ドラマや映画、漫画で題材になって、それで興味をもって学び始める人が出るのは「いいこと」と評価され、作品は称賛される。上記の原作者の方の発言を読んでいると、まさにその「いいこと」という評価に安住することでそこを考えることを避け「エンタメに徹しました」と無邪気に胸を張れる特権があなたにはあるってことだよ? と思う。

もちろん、悪いのは差別を放置してきた社会全体だ。そこに「いるのにいないことにする」暴力がはびこり過ぎてあたりまえになり過ぎているせいで「問題を知るきっかけ」が過大評価されてしまうのだから。もちろん、きっかけはたくさんあった方がいいし、ゴーカムもないよりあった方がいいとは思う。でも「いいきっかけになったんだから」と多少の不満は我慢しろよと当事者が抑圧されるのはおかしい。「あの描き方はフェアじゃないだろ」と物申したアイヌの人たちを「あの人たちはイデオロギーが」と切り捨てるのは暴力ではないのか?

思えば、昨年のドラマ『Silent』での手話やろう者コミュニティの描写を巡る賛否両論の展開も、似たような感じだった。…と思って、当時読んで「なるほど」「わかりみ」と思った記事を探そうとしたら、時間がかかってしまった。絶賛記事がやたらにあふれてて上位に来るから(涙)

silentと日本手話|rhetorico

ドラマ『silent』への批判的考察 - しゃべる図書館

そうは言っても、ではどうすることができるのだろう? と思っていたら、年末にNHKがやってくれました。『デフ・ヴォイス』!

www3.nhk.or.jp

原作がそもそも素晴らしいのだけど、いいドラマでした。そして、『Silent』に1ミリも共感できなかった(3話ぐらいで観るのやめてしまった)理由もなんとなく腑に落ちた。ろう者が全然リアルじゃなかったからだな、と。手話が上手かどうかということではなく。

この、当事者が制作過程や現場にどれぐらいコミットするかという問題でいうと、在日コリアンの場合は、監督や脚本、その他スタッフにあたる人材も、キャスティングに関しても、比較的多様な人たちがいて、秀作もけっこうあるな…と一瞬思ったけど、それも90年代以降かもしれない(作品的には『月はどっちに出ている』が大きかったような気がする。プロデューサーも監督も在日コリアンだったよね)

そういえば、去年観た『エブエブ』や『エレメント』もアジア系移民の話で、これもアメリカの映画業界に作り手としてアジア系が増えたから出てきた作品かもね、と友だちと話したのを思い出した。

作り手に当事者が入ればいいという単純な話ではないけれど。

前提として「無知・無理解な社会(観客)」を前提に、必要最低限の情報を物語を損なわないように補完しつつ、コミュニティ内の多様さや人間のリアルをどこまで「理解可能なもの」として提供するか、というのがエンタメには求められるわけで、その難しい舵取りのためには、やはり問題を体感的に理解している当事者の評価や感覚は大事されるべきだと思う。少なくとも「あなたは私と主義主張が違うから」と勝手に線を引いて、自分に都合のいい意見しか聞かないなんて姿勢ではダメだと思う。だって、そこにリスペクトがないから。

マジョリティも勉強して考えることはできるから、制作にかかわるなとか、マイノリティを軸にする作品はマイノリティに任せればいいとも思わない。観客は圧倒的にマジョリティが多いわけだから、そこに受容されなければ大衆娯楽として成立しない。ただ、だからといって大衆受けのために、ついてはいけない嘘をつくのはダメだし、マイノリティ像を都合よく歪めるなんてもってのほかだ。

要は、制作チーム内で、マジョリティとマイノリティが公正・対等に力を分かち合えているか、が鍵なのかな…。

そんなことをグルグル考えているところに、こちらがきて。

youtu.be

この曲に関しては、当初『Love Wins』というタイトルに対して批判が起き(「Love Wins」がクィア差別に抗議するスローガンの文言と同じなので、それを一般的な意味に解消するように使うのはどうなの?と)、それを受けて『Love Wins ALL』と変更したという経緯も先にあったのだけど、MVが公開されたら、今度は「これは障害者差別では?」という批判があったらしい……。

news.yahoo.co.jp

最初の経緯については、私はそのスローガンの存在を知らなかったので、最初何のことかわからず、説明されてやっと「そういうことか」と納得し、そして対応したIUは誠実だなと嬉しかった(私のなかでIUの株爆上がり)。経緯は こちら

そしてMVについては、私はまったく2人の描かれ方を「障害者」とは認知しなかったので、これも「?」だった。そして、監督が映像の解説を公開したことで、批判は収束したらしい…からもういいのか? と思ったり、いやでも確かに視覚障害者が「見えないことをメタファーに利用するな」と苛立ったての批判だとしたら、それはあり得るよな…とも思ったりで、またもぐるぐる…。 

私が「障害者だと思わなかった」のもまさにメタファーだと思ったからなので…。

(この辺は別稿で書こうかな…長くなるから)

難しいなと少し思うのは、戦争や環境破壊によって人の身体が損壊させられる≒障害を負わされるのは許せないし、良くないことだという怒りも正当なら、人が「障害」を理由に差別されることも許せないし良くないことなのも当然、正当だというところだ。

いや、何も難しくないでしょ? 両立できる怒りでしょ?とも思うけれど、たとえば、戦争や環境破壊(公害)に反対するために「こんな目に遭わせやがって!」と傷ついた身体を抗議の表象として「利用する」ことは、その障害のある当事者の人びとにとって好ましいことなのか?非障害者が主義主張のために他者の身体を利用しているだけだろ、 と言われたら「そうじゃない」と言い切れるのか? と考えていくと、そうすっぱり切り分けて「問題ないですよ」と言い切れない何かは、やはり残るような気がする…。そして、こう考えていったときに、私自身がこういう受け止め方をされたら許せないなと強く思うのが、「身体を傷つけられて障害者になった人がかわいそうで気の毒だから、そんな不幸な人を生み出す戦争/環境破壊には反対だ!」というロジックだ。

(だからモヤモヤぐるぐるしてしまう…)

本来は、シンプルに「殺すな」って話で、人が穏やかに安全に暮らす権利を損なうなっていう話でしかないはずなんだけれど、やはり障害者差別が「ある」社会だから、「障害者を作り出す戦争は悪だ」と言う、その人に「障害者≒負の存在」ニュアンスとイメージはゼロか?という疑いは、持つなと言っても無理がある。なぜなら、私たちは障害者を厄介者扱いし、そこにいない人扱いし、権利を奪う社会に生きているから。その現実を追認せず、「どんな命も奪うな、損なうな」と言うために考えるべきこと、尽くさねばならない配慮や表現を考えると、気が遠くなる。

とはいえ「それ、何か足りないよね」「マイノリティの憂慮や傷つきを軽視してない?」という声を黙殺してはいけない、とも思う。

そして、何の批判も受けずに済むような作品を生み出すことは、本当に難しいのだろうなとも思う。完璧をめざしていたら、それこそ何も作れないかもしれない。

 

とまぁ、けっきょくぐるぐるしてるだけの文章になったけど、リンク一覧できたということで、備忘として。このまえ、鍼灸の先生に「脳ミソ使い過ぎでは?(頭がごちごちに凝ってたらしく、頭に鍼を打たれた)」と注意されたけど、こればっかりは止まらないので仕方がないよー。ははは。

人生は続く。

「寂しさ」に向き合う:平田オリザ『但馬日記』読後のメモ②

感性を磨くことは重要です。それはとても重要です。

しかし、感性だけでは、矛盾に満ちた世界と戦うことはできない。

みなさんの感性。たとえば皆さんが差別を憎む正しい心が折れそうになるとき、本学で培った理性がかろうじてそれを支えてくれることを願います。芸術を愛する美しい心、世界中からの観光客をもてなしたいと思う優しい気持ちがくじけそうになるとき、本学で学んだ知性がそれをかろうじて救ってくれることを願います。

(132p:芸術文化観光専門職大学2021年4月入学式式辞の一節)

引き続き平田オリザ本です…(ファンかよw)

でもまさに、私が授業や研修の仕事で願っている究極はこれなんだよな…と共感。

以前、Twitterで「知識のない子どもがすぐれた人権感覚を持っていることだってあるのに、幼い/知識がないと未熟扱いするのはエイジズムだろ」とエアリプされちゃったことがあるのだけど、感性として公正感覚の強い人というのは確かにいて、私なんかはよく言えばエンパシー派で(シンパシー力が弱め)、知識をもとにして考えてやっとこさな人なので、考えなくても感性で動ける人には憧れるけれど、でも一方で、感性だけでは限界があるとも思っていて。その人とその人の周辺の人間関係において公正で優しい人間関係を作り出す力は確かにあるんだろうけれど(そしてそれは言うまでもなく大事なことだけど)、ではなぜそれが大事なのか、その関係に亀裂を入れるような出来事や干渉に出くわしたとき「それは困る」と防御や反撃をするために説明するためには理性と知性がいる。感性だけでは戦えない。

そしてもう一つ、「感性を磨く」というのも、相当にぼんやりした表現だよな…と思う。よくいわれる「人権感覚を磨こう」みたいなのって、何をどうすることが「磨く」ことで、磨かれていないそれと、磨き上げられたそれは、何がどう違っているんだろう? どういうイメージですか? って聞き返したくなることがある(聞き返さないけど)。自分も演劇をしていたから思うに、けっきょく感性を磨くために必要なのも理性や知性だろ? と。セリフの意味を考えるために、舞台の時代背景を知ったり、心理学や社会学の本を読んだり(平田オリザさん自身、高校生の質問に対して「1本脚本を書くために軽く200冊は読みますかね…」と答えている。高校生が「マジか…」ってなったのを横目に「確かにそれぐらいは読むな…」と呟いて尊敬されたw)、知識も増やさず、対話や討論を通して思考を巡らすこともせずに感性を磨けたりはしない。

 

この本は、先ほど引用した式辞の大学を豊岡市につくり、演劇祭を豊岡市で開催し…といった一連の実践の記録本なのだけど、ちょうどその時期に青年団にかかわる演出家のハラスメント事象が明るみに出たこともあって、ハラスメントに関して書かれた箇所がある。そこでのキーワードが「寂しさ」という感情なのだけど、これがすごく考えさせられた。

スポーツの世界がタテ社会で権力関係がはっきりしていてハラスメントが発生しやすい…みたいな話はよく言われるけれど、実は芸術の世界もそうだ。演劇なんて、高校の部活動からして体育会系そのもの。自分が部員として過ごした時間も、顧問・コーチとして過ごした時間も、振りかえってみたらハラスメントの温床もいいとこだったと思う(ホントに心から反省している…)。高校で顧問をしていたときに、偶然大阪府の高校生の取り組みに平田オリザさんが助言者で来られたことがあって(まだ30代だったんじゃないかな。私も20代だった)、その的確なアドバイスと偉そぶらない立ち居振る舞いが目から鱗過ぎて、「フェアな組織づくり」のイメージが唐突に腹落ちしたのが衝撃だった(それ以来、平田オリザさんには絶大な信頼…)。

けっきょく、理に適ったことばで的確に指示を出せない未熟な演出が「怒鳴る」「苛立つ」というふるまいをやってしまうんだなと。そして当然ながら、それではどう改善していいものかわからないから、役者はあれこれ試行錯誤してみるしかないんだけど、演出が苛立っていたら委縮して「あれこれ」思いつくのが難しくなる。スタッフもそうだ。明確にイメージを説明してもらえれば「だったらこういうのは?」と提案もしやすいけれど。そして、監督、演出や舞台監督といった役職は権限が持たされる側なので、そうでない役者やスタッフはその権限に従わざるを得ない面もある。その権力性を重々承知し、自らコントロールして傍若無人にならない振る舞いを考えることが必要なのに、そう思ってない人がかつては多すぎた(私も。そしてこの間の芸能界のあれこれをみるに、未だにそうなんだろうなと思う)。

 

20代の頃、私は従来型の「劇団」という組織になじめず、これをどうにかして、もっと緩やかな共同体にできないかと考えた。演劇は省力化の難しい分野で、どうしてもマンパワーに頼らざるを得ない部分が多い。諦めているわけではないが、貧乏がつきまとうのも宿命のようになっている。

欧米では、演劇をつくる主体は多くの場合、劇場なのだが、日本はこれを民間劇団が担ってきた。公的支援も少ない我が国では、経済的には、なかなか採算を取るのが難しい。劇団がある種の政治的理念で集まる結社のような時代ならば、それも仕方のないことだった。(略)

そのような強制力の強い集団を維持していくためには、何か架空、仮想のイデオロギーが必要だ。劇団においてのそれは「かけがえのない役」という幻想だというのが、その頃の私の分析だった。当時、多くの劇団において、それがどんなに小さな役であっても、かけがえのない役であり、俳優一人ひとりは劇団にとってかけがえのない存在だとされていた。(略)いま思えば、その当時はそんな言葉さえなかった「やりがい搾取」について私は考え、語っていたのだと思う。私たちの劇団は、劇団員の数を増やし、作品の再演を続ける課程で、俳優が代替わりしていくシステムを構築した。そしてそのことが図らずも、劇団員が安心して出産し、子育てが落ち着いたら、また現場に戻ってくる環境の整備につながった。(略)

交換不能な仕事などないし、交換不可能な役などない。企業も劇団も、それを前提にして人事を進めなければならない時代が来ている。そしてその方が最終的に生産性も向上する。

(121-122pp)

いま、学校が抱えている問題がまさにこれで、人事が必要最低限しか配置されない(ばかりか最低限さえ確保できていない現場が出てきている状態)から、必然的に「かけがえのない先生」になってしまう。だから休めない。先日も若手の先生と話したときに「いま、私が産休入るわけにはいかない…」と言うから「そんなこと言ってたら産むタイミングなんて来ないぞ!」と真面目に話したけど、理屈ではわかっても、実際に産休の代替教員が確保できない現実を目の当たりにして、そのことで激務に陥ってもいるその人からしたら、「そうは言っても…」になって当然だ。そんなギリギリの状態で仕事をしていたら、摩耗するし、実際に病休者や退職者も増えている。相当にマズい。

そして、そういう状況を打破するためなのか、「教師ってこんなにやりがいのある仕事ですよ!」とアピールし始めたり(#教師のバトン…てそういえばどうなった?)、教員養成系大学にやたら「即戦力」要請だか何だか知らないけどハウツー系の授業ばかり増えたりしている。でもそれはけっきょくのところ「かけがえのない優秀な教員をめざそうぜ!」みたいな話になってしまうから、「交換可能なひとりの教員になろう」という組織作りとは(観念的に)逆行する。

 

すべての役は交換可能だ、すべての仕事は交換可能だという前提で私たちは劇団運営を進めてきた。しかしそうなると今度は、承認欲求の発露としてハラスメントを起こす人間が一定数現れた。要するに人は「自分だけはかけがえのない存在だ」と認めてほしいのだ。だから要職に就いている人間ほど、自分がかけがえのない存在だということを周囲に認めさせたくて暴言を吐いたり、ハラスメントを起こしたりする。

(122p)

「20年、30年かけて、国を開く寂しさを受け止め、それを乗り越え、少しずつ異文化を受け入れられる国を創っていくことは、決して非現実的な話ではないでしょう。それを、いまからすぐに始められるのならば。しかし、きっと何より難しいのは、三つ目の寂しさに耐えることです。(中略_引用注:「」内は2015年Webサイト・ポリタスへの寄稿の引用。「三つ目の寂しさ」は日本が「アジア唯一の先進国ではなくなった」寂しさを指す)この寂しさに耐えられずヘイトスピーチを繰り返す人々や、ネトウヨと呼ばれる極端に心の弱い方々をもどうやって包摂していくのか、これもまた時間のかかる問題です」

翌2016年、当初は泡沫候補と見られていたドナルド・トランプが、アメリカ合衆国の大統領選挙を勝ち上がる。トランプ氏に投票したのは、例えばラストベルトと呼ばれる五大湖周辺の工業地帯の人びとだった。(略)この人々の「取り残された感覚」まさに「寂しさ」がトランプを大統領に押し上げた。

(157-158pp)

言ってみれば、役職だのなんだの関係なく、人は生きているだけで一人ひとりがかけがえのないたった一人のその人なのであって、「余人をもって代えがたい…」的な「かけがえのなさ」に囚われて焦ったりする必要はないはずなのだ。でも、多くの人はそう思えていない、と思う。

なぜなら私たちの生きるハイパー資本主義のクソ社会は、生産性≒仕事ができる人かどうかというものさしで、人を測るから。そういう社会でサバイブせねばならないから、人は自分の「能力」を磨く。それはあるときは「子どもの適性を伸ばす」ということばでお稽古ごとに邁進させ、「いい学校に進学できるように」と受験学力を伸ばすための叱咤激励になる。そして就活で有利になるように「かけがえのない」役職、働きをした経験をアピールせねばならず、だからアルバイトやサークル活動やボランティアや…と課外活動もがんばらねばならない。そんなふうにして「勝ち得た」職場の椅子で、「いや、あなたは交換可能だよ」と言われたら、そりゃ納得いかないよね……。

ラストベルトのおじさんたちの「寂しさ」は他人事ではなく、誰しもが抱えさせられる類のものだと思う。私は「承認欲求」ということばが嫌いで(得体がしれない感じがあるから)あまり自分では使わないのだけど、本文(引用した122pの箇所)を読んで、「かけがえのない私」でありたいという願望、という意味でとらえてみたら、なるほどなと納得した。

私自身、妊娠がわかって産休に入るまで、この「交換可能性」をつきつけられて、すごく悶々としたことを思い出した。産休代替…だけでなく、病休や介護休暇などで休まざるを得ない教員がいたら、代替をきちんと配置できる、そういう職場でなければみんな安心して休めない。業務を滞らせない、学校を止めないために、それは必要な条件整備だ。それは重々わかっていても、「あぁ、私がいなくても代わりの誰かがいるんだな」というのは、「余人をもって代えがたい」私ではないのだという意味でもあって、それは私の価値とは関係ないと頭でわかっても、寂しかった。まさに「寂しさ」に苛まれたのだ。

担任業務もだったけど、その当時、顧問だった演劇部が前年に地区大会で好成績を出したばかりで、当然次を狙っていたのにコンクール前に産休に入らねばならず、それももどかしかった。とはいえ、文化祭から練ってきた演目でもあったので、最後の最後に私がいない程度のことでポシャることもなく、それなりに好成績を残したこと、そしてその翌年は私が不在の元で(いちおう脚本は書いて、部長と連絡を取り合いながら、たまにこっそり練習を見に行ったりもしつつ)、それでも同様の成績をしっかりゲットしてきた部員たちのおかげで、私は前述の「寂しさ」を乗り越えることができた。

乗り越えるというのもちょっと違うかな。

代替可能でいいんだな、と素直に思えたのだ。「先生がいないと困る」と言われたら、そりゃ嬉しいけれど、その嬉しさは自分だけに留まる嬉しさだ。私がいなくても、いないならその穴埋めをしようとがんばれる人がいて、代わりを担うことで、その人も成長するし、組織が強くなる。いわば「余人をもって代えがたい人」が複数いる状態になるということ。私が不在のコンクールで「2位でした!」と電話してきた部長が、電話口で泣きながら「先生おらんからどうしようと思ってたけど、うちら、ちゃんとやれましたよねぇ…」と言った声を今も覚えている。私が私の「かけがえのなさ」にこだわって居座り続けていたら、この成長はなかったってことだよな…とそのとき思い知って、この嬉しさに比べたら、「寂しさ」なんてどうってことないな、と思えたのだった。

(そういえば平田オリザさんに初めて会ったのも、この部員たちが在学していた時期だった。育休明けて復帰したものの、部活指導に以前ほど時間が割けないから、他校とのジョイント公演など、外の企画にどんどん送り出していた、その流れだ…)

 

でも、そんなこと言いながら、その後も「かけがえのなさ」の居心地よさに執着して、代替可能の「寂しさ」に向き合えず、ハラスメントまがいの言動のやらかしはけっこうあるよな…と思い当たるから、この「寂しさ」の厄介さを痛切に感じる(各方面?に謝り倒したい気もちになるけど、それは置いて…)

 

平田さんはハラスメントだけでなく、ヘイトスピーチやトランプ現象も、この「寂しさ」を鍵に読み解いていて、100%賛同はできないけれど、「感情に向き合う」という視点で考えてみるのも有りだな、と。

100%賛同できないというのは、私はネトウヨを「極端に心が弱い人」だとは思えないという点と、ここをあまり強調しすぎると、差別はする奴が悪いという人間性の問題に回収されて終わっちゃわないかと危惧するからだ。平田オリザさん自身は、ハラスメントは環境とシステムで防げると考えている人だけれど、日本社会では一般的に差別もハラスメントも心情と人間性に回収させて終了、になりやすい。具体的に加害に及んだ人に対して、なぜそうなったのかを掘り下げてもらって、その人自身の課題を分析するのは大事だけれど(いわば「差別をする人の研究」は必要)、それだって目的は再発防止であって、その人の人間性の欠陥を暴きたいからではない。認知の歪みは正してもらいたいし、やらかしたことは謝罪してほしいけれど、その人にだって人間として間違う権利も学ぶ権利も、成長する権利もある。「寂しさ」に向き合えない心の弱い人、だから私とは違うとか、精神的に強くならねばとか(何をどうすれば精神的に強くなれるのか謎すぎる)には帰着してしまったら、何の意味もない(現に私もやらかしたことはあるし、差別はダメだ、人権が大事だと活動している組織内でも問題を起こす人はいる…残念ながら珍しくもない)

いくら環境整備をしてハラスメントが起きにくい構造をつくっても、なおかつハラスメントをしでかす人が一定数出るという事実から発した分析だから、一考の価値がある、と思う。

立てられる問いとしては、こういうことだろうか。

*私は「代替可能な私」をつきつけられた「寂しさ」にどう向き合っているのか?
*まず、その「寂しさ」をしっかり「私のもの」として感じているか?

考えてみれば、DVなんかも同じかもしれない。家族だって代替可能だ。そもそも夫婦は他人なのだし、お互いがお互いを必要だと思えるから偶々つながっただけの話で、その思いが冷めれば、そして他の人に向かえば、入れ替え可能だ(そもそも結婚は2人の「合意」だけに基づくものなのだ)。相手にとっての自分が「かけがえのない相手」でなくなる「寂しさ」に向き合えず、自分をそんな思いにさせる奴が悪いという思考回路になったときに、暴力が発動するんだろうな。暴力では関係は修復できないし、「寂しさ」も解消しないだろうに。

 

アドラー心理学に「勇気づけ(encouragement)」という概念があって、それが「いっぱい褒めましょう~」と誤用されていることがあるのだけれど
(「褒める」というのも「かけがえのない私」を強化する行為だな、といま思った)

本来は、特に誰からも称賛されないし、「余人をもって代えがたい」非凡さは自分にはないし、平凡に淡々と毎日を生きているだけですよ…という生き方が実は大変なことだから、そこを生き抜くために「勇気」が必要で、「勇気づけ」が大切だという話なのだ…と、私は教わった。「代替可能な平凡な私」の「寂しさ」に向き合うために必要なのは「勇気」!

ひとりとして同じ人はいない、唯一無二の「個」の「わたし」というかけがえのなさは、何があっても揺るがないのだということ。それを繰り返し、自分に言い聞かせ、周りの人たちに言い続けることが、たぶん「勇気づけ」なのだろうな。

仕事にせよ何にせよ、人がする「活動」は誰がやっても良くて、だから「代替可能」になるだけ。もちろん、同じ活動もやる人が違えば微妙に差異が出て「その人らしさ/かけがえのなさ」は立ち上ってくるだろう。そのことを素直に受け止めて喜びながら、この活動を別の人がやっても、全然いい、別の人がやればまた違う雰囲気になっておもしろそう!とふだんから考える習慣をつけていくことが大事なのかな、と思う。

 

仕事に代表される「活動」の実績や「役職」「役割」だけで人を測る文化が蔓延しすぎて、それを取り上げられたら自分に価値がなくなるような錯覚を起こす。その錯覚が「寂しさ」という感情に現れるのだとしたら、まずはその感情に向き合って味わって、自分はその感情をどうすればいいのだろう? と自分で自分の機嫌を取れるような人にならないといけないんだろう。

「感情に向き合う」は人権教育の最初の一歩なんだな、と改めて思う。

どんな感情も、私自身のもの。だから大切に感じて味わうこと。

あぁ、私は寂しいんだな。それは自分がこの仕事が好きで一生懸命にやってきたから、あるいは、この組織やそこにいる人たちが好きだから、必要とされていないような気がしてしまうと、寂しくもなるよね…。でも、その仕事を手放しても、私は私で、役割に関係なく友だちで居続けることはできるよね… じゃあいったい、何が寂しいのだろう? ……

そんなふうに、じっくり考えて、その「寂しさ」とのつきあい方をみつけて、つきあっていく力のある人が、「ちゃんとした大人(≒人権感覚のある人)」なのかもしれない。だとしたら、その力を育てていくことが人権教育の仕事だろう。その感覚、感性を育て、守るために、どんな知性と理性を育てていくのか。

 

けっきょく、人権教育を考えている(笑)というメモでした。

 

それにしても、そう考えると、いまの社会はその「寂しさ」を脅迫材料にして、「もっと頑張れ!自分の価値を上げろ!」と鞭をふるい続けているような社会だなと思う。そしてみんな、お尻を叩かれながら素直に走っている。そんな痛いのは嫌だ!とか、そんなに走れねーよ!とか言わない。追いたてる方は、その路線を外れたら、もう人生が終わってしまうかのように言うけれど、実際には終わったりしない。外れて生きている人たちも実はたくさんいる(目立ってないだけ)。本来は、そんな競争から外れたって、そこそこぼちぼち、それなりにみんな生きていける社会が、生きやすい、いい社会のはず。

「寂しいよぉ!構ってよぉ!」と素直に言えば、そんな人たちが「そうなの~?」と寄ってきて、別の世界を教えてくれるかもしれない(違うか、「構ってほしいなら、こっち来て一緒に遊べばいいやんw」ってなるのかも)。

その「別の世界」を創造して構想して、つくっていくのも、人権教育の役割。

がんばろ。

 

持続可能な共同体づくりとは:平田オリザ『但馬日記』読後のメモ①

年末年始、「ほしい本リスト」から選んで購入した本と、積読されていた本をコツコツ読み進めていた(元日早々の震災で、家でぬくぬく読書していていいんだろうかという後ろめたさもありつつ)。

www.iwanami.co

こちら、平田オリザさんが豊岡市で何かやり始めたで…の最初から気になっていたことでもあり、まとまった本になって有難し…と即買い。

で、なぜ読み終わって10日以上経ってパソコンに向かったかというと、

震災が起きて、例のごとく差別的なデマが出回るからSNSに注意を払っていたのだけど、今回、能登地域。最近地震被害は折々出ていたし、原発もあるし、揺れは大きかったし…の割には報道が遅い? 政府の初動が遅い? と戸惑うことが多かった。元日だったという要因もあるにせよ…。ここでは震災のことを考えたいわけではないので、これ以上はやめますが、そういうごたつきのなかで、こんな書き込みをみてしまった。

「どうせ過疎地の限界集落なんだから被災者全員、移住させればいい」

は?

それが一人や二人ではなく、「元々人口減で鉄道や学校も縮小していってるところをどう復興するのか」などと経済?を慇懃無礼に説いてくるものから、「地震が来なくてもいずれ消滅するのに」といった乱暴なものまで、複数目に入ってきて、眩暈がしそうだった。(こういう人たちは「そんな危険な土地にしがみつかずに、他所の土地に行けばいい」とパレスチナの人たちにも言うんだろうな―と想像してゾッとした)

その一連の書き込みをみたとき、そういえばこの本で平田さんが東井義雄の「村を捨てる学力、村を育てる学力」に言及していたなと思い出したのだ。

1912年、出石郡合橋村(現在の豊岡市但東町)の寺の長男として生まれた東井は、昭和30年代に「村を捨てる学力、村を育てる学力」という概念を提唱した。このまま従来型の「知識・学力」偏重の教育を続けていても、優秀な子ほど都会に出て行ってしまい、村は廃れていくだけではないか。自らの共同体を守り、育てていくような教育に、その質を変えていくべきではないかと東井は主張した。(略)

豊岡市の教育改革は、何も目新しいことをやろうとしているのではない。東井先生が目指したものを、現代社会にあったやり方で形にしていこうとしているのだ。

私は、いま財界の要請によって進められている「グローバル教育」なるものは「国を捨てる学力」だと思っている。私はこれを、「40人学級の中で、1人のユニクロシンガポール支店長を育てるような教育」と評してきた。効率も悪いし獲得目標も低い。(中略)おそらく犠牲になった39人は英語が嫌いになり、他国の文化も嫌いになり偏狭なナショナリストになるだろう。せっかく目標を達成したユニクロシンガポール支店長も、より激しい国際間の競争にさらされて、半分はメンタルをやられるだろう。いったい、どんな子どもを育てたいのか?

(23-24pp 本文は縦書きで数字は漢数字だが、横書きに合わせて変更した)

そもそも、日本の各地で少子高齢化とともに人口流出によって過疎化がすすみ、「限界集落」と呼ばれる状態がでてきたのも、「村を捨てる学力」のせいだろう。そしてその学力に支配されている思考回路の人が、「そんな僻地で不便で、震災被害も受けた場所にしがみつく方がおかしい」「集団で移住させた方が(現地の)復興より効率的」等と思いつけるのだろうな。

私自身は都会の育ちだが、いまは縁があっていわゆる都市郊外の「地方都市」と呼ばれる地域での活動にかかわっている。そこでも人口流出と少子化は止まらず、このままこれが進行したらマズいな…と人口動態統計を眺めながら考えているところだったので、平田さんの実践と、そこにある考え方は(予想以上に!)すごく勉強になった。勉強になったなーと本を閉じて、別の本を読みはじめたり仕事が始まってしまったりしていたのだけど、上記した書き込みをみて、日本全国が相当にマズいのでは…と背筋が寒くなった。村を捨てるどころか、日本を捨てるよね。これじゃ。勉強して優秀になって、その思考回路で「自分が能力を発揮できるところへ移動すればいい」としか考えない。自分で環境を作り出す能力は育たず、ただ自分に何が与えてもらえるかだけを考え、既存のものから選択し続けるだけ。たまたま選択し続ける力を得た人が成功(?)したかのように錯覚しているけれど、実際には「ここはダメだ」と判断した「環境」は踏み荒らすだけ踏み荒らして捨てていくわけだから、地域はどんどんボロボロになっていく。

(その不便な僻地で育ててもらった人を都会が引き寄せて成果だけ受け取ってる/子育てコストを地方に押し付けて労働力は都会がいただいている、という言い方だってできるよね?)

もしかしたら、今回の震災で「初動が遅い」みたいになっているのも、そんな要因で「地域共同体を支える知恵と胆力」がやせ細ってしまっていたからか? 阪神淡路大震災でも東日本大震災でも、「未曽有の大災害」を前にとにかくもがいて動いて支え合ってきた人たちがいて、それを「ボランティア」とひとくくりに呼んできたけれど、市井に暮らす人たちの「なんとかしなくっちゃ」という反射神経と自助共助の知恵は、いわば「村を育てる学力」だったんじゃないか。そして、阪神淡路大震災のときは手探りでめちゃくちゃだったものを、その経験を整理し教訓化していたことで、東日本大震災の初動は早かった(あのとき、首相が市民運動出身の菅直人さんだったことも無関係ではないと思う。辻元清美さんが災害ボランティア担当の首相補佐官になり、NPONGO経験者を含むボランティア連携室が内閣府に設置されたし)。それから13年。もしかして、「村を育てる学力」のある人たち≒不便な地域で支え合いながら暮らしを守り、里山環境を守ってきたような人たちが高齢化して、「村を捨てる学力」でしかものを考えられない人たちが政治や行政の中心に増えてしまったせいで、この体たらくなのだとしたら?

 

まだ復興どうのと言える段階ではないけれど、「みなさんも防災への備えを…」と自助ばかり促す政府やメディアに流されず、防災も含めて「どういう地域コミュニティを育てていくのか」を自分事として考えようと思う人を増やさないと、日本は終わってしまうんじゃないか……。自然災害だけみても、日本に安全な場所なんて少ないし、みんなが受け身的・消費的に「便利さを享受できるところ」「自分に都合のいい地域」ばかり選択して、地域を使い潰すことしかできない生き方を続けたら、地域の持続可能性はないと思う(気候変動の影響を受けやすいのも「僻地」だ。グローバルに考えても「中央」の罪は深い)

 

平田オリザさんとタッグを組んでの豊岡市の取り組みは、一言でまとめれば、「演劇」という要素をネタにして、地域資源(箱ものの公共施設、城崎・神鍋といった観光地施設…そして何より地域の人たち)を掘り起こして活用し、持続可能な豊岡市をつくりたいということだ。地方交付税ふるさと納税の仕組みや各種助成金を組み合わせながら予算を捻出して豊岡市本体の財政が痛まないように、かつメリットが住民に還元されるように(たとえば「演劇祭」の開催に絡めた観光客誘致、大学設置による若者人口増などによって地域での消費活動が活性化して「地域経済が回る」等)…とはいえ、そのメリットは短期的にわかりやすいものばかりではないし、いわば「よそ者の移住者」も増えることだから、ハレーションも起きる。(そのハレーションの一つが、豊岡市長選で「演劇の町なんていらない!」とぶち上げる候補者が出てきて現職を破ってしまうという事態。このニュースに私は「マジか!?大丈夫か!?」と思ったけど、その後、演劇祭も大学も変わりなさそうなのでなんでだろ?と思ってた。ここら辺の顛末は、日ごろ、どうすればうちの地域は持続可能になるだろうと心を砕いている行政職員のみなさんが読むと膝打ちじゃないかな…)

しかし「よそ者」移住者が増える・定着するということは、その地域が「暮らしやすい」ということだし、暮らしやすい地域で子育てしやすければ、ここで子どもを産み育てようと思う人も増えていくだろう。長期的に考えれば、一時的なハレーションにたじろいでいる場合ではなく、「よそ者」ウエルカム!でなければならない。

従来の行政は、基本的に、いま現在税金を払っている人、あるいは選挙権を持っている人のためのサービスを旨としてきた。

しかし、この新しい問いかけ(引用注:「異なる価値観を異なったままに、新しい共同体をつくる」という問いかけ)は、明日の住民の権利、いや権利と言わないまでも、明日の住民の感性や価値観を認めていこうということなのだ。さらには、新しい住民、最初は少数派となるだろう新住民がもたらす新しい価値観を、積極的に共同体の中に取り込んでいこうということなのだ。

これがしかし、従来の行政の住民サービスの在り方の枠組みからは外れることになる。(略)

自治体の未来は、明日の住民をいかに受け入れていくかにかかっている。

しかしながら、おそらく逆の判断を選択する自治体も、なかには出てくるだろう。

「いや、うちはもう、従来の価値観に従ってもらえない人は、外からは入ってこなくていいです。今いる住民へのサービスだけで手一杯です」
と精神的な鎖国を宣言することもできるだろう。

(153-154pp 『芸術立国論』2001からの採録部分)

日々丁寧に、地域で暮らしてきた人たちの生活の知恵や意見は、「よそ者」にとって教科書だ。一方で、人口流出しているということは、その教科書の中に古びた価値観、誰得なのかわからない(多くは女性のケア労働をあてにしたような)慣習も残っているのだろう。そして、人の問題だけでなく経済効率だけを考えて赤字路線を廃止したためにズタズタになってしまった公共交通インフラやといった、物理的バリアもあるだろう。次の世代のために、いまの世代が変わらなければならないことを考えるのも「村を育てる学力」のはずだ。対話し、次の方向性を見いだしていくことができずにいたら、移動できる資本のある人は「村を捨てる」。現状維持していたら持続可能ではないのだということを、年長者ほど考える義務があるのではないか。

 

安部政権以降に顕著だとは思うけれど、それ以前から少しずつ、日本は「遠い未来を見据えて現在を考える」ことをしない政治に蝕まれている気がする(それを支えているのは住民だけど)。短期的な利益にばかり頭を使って、自分の子どもの世代、孫の世代に、よりよい環境をどう残すかを考えない、自分のいまさえ充足していればいいという発言が珍しくない。私が子どもの頃の大人、メディアに出るような人たちは(プライベートでどうだったかはわからないけど)、目の前の利益しか考えないような発言や態度は「下品なこと」だと弁えて話していた気がする。現在の積み重ねが未来なのだから、現在を食いつぶせば未来がなくなるのは当然なのに、なぜこうも刹那的な言動を恥じることなく巻き散らす人が増えてしまったんだろう(政治家だけでなく、そこに阿る著名人も)。そして自分だけはさっさと海外に移住したりしてさ…。

 

平田オリザさんは、一貫して「対話」の重要性を主張していて、そこを私は信頼してきたんだけど、やっぱりけっきょく、共同体の肝も対話なんだな。対話の文化をどうつくり、育てるか。自分の足元から、何をしていこうか。

私は人権の文化をつくりたい、です。

 

光を描くこと ーテート美術館展

1週間前、とうとう、残る4人の兵役履行手続き開始のお知らせが来て。
その「お知らせ」がスマホに届いたのをみて、出先から大阪中之島美術館に行ってしまう私(本来在宅ワークで為すべき仕事が翌日に回ってドタバタしたことは言うまでもない……)


テート美術館展。行こうとは思ってたんです。
(合せて長澤蘆雪展も行った。そういえばその前に学美:在日朝鮮学生美術展にも行ったんだったけど、今日はテート展のことを書きます)

 

光を描くのは難しい。と思う。

こちらはハマスホイ「室内、床に映る陽光」
f:id:jihyang_tomo:20231129132258j:image

私たちが光をとらえるのって、こんなふうに暗いところに差し込んでくる光だったりしますよね…。影があって、初めて光に気づく。

この絵が好きだなぁ…と私が思うのも、高校生の頃に講堂で部活しているときに窓から差し込んでくる太陽光に埃がキラキラして見えたり、こんなふうに床に映る光の中に座ると温かいからそこにうずくまっていたり、そんな何気ない光景を思い出すからなんだけれど

こちらはターナーの習作「監獄の内部」。遠近法×光の描写で奥行きをどう見せるか、その技術がよくわかりますよね。看守が提げているカンテラの光が壁や天井に反射して、道を照らす。その光が届かない壁の裏側は影が深くなる。

f:id:jihyang_tomo:20231129132338j:image

(…とか書いてたら流しっぱなしのEPIK HIGHが「빈차」になった。エモい…)

でも「光」というテーマから思い浮かべるのは、だいたいこういう絵ではないかなと思う。私もこういう風景画は好きです。水も描くのが難しい題材ですよね。
ブレッド「ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡f:id:jihyang_tomo:20231129132409j:image

中央からやや右寄りに、船に乗った人がいたりして。寄りで撮ってみました。
f:id:jihyang_tomo:20231129132430j:image

ターナーの描くイギリスの海が好きで、一時期そればかり探して眺めてたことがあるのだけれど、水が冷たそうですよね…。そこに降り注ぐ陽射しは温かい。ここでもやはり、水と雲の影があることで光がわかる。水面に反射する光は、海の深さを示す深く濃いブルーとの対比で鮮やかに姿を現す。

 

ちょうど1年前ぐらいのインタビューで(スペインの媒体だったか)、RMが「光が強いと影も深くなる」と話していたな、と思い出す。

BTSはスーパースターになって、それこそ強烈な光を浴びっぱなしに浴びてきたからこそ、周辺にさまざまな影が現れてきたし、かれら自身が光源のようになってしまうことで、見えづらい影も増えたに違いない…なんて。

 

そんなこと考えていると現れたリヒター。アブストラクトペインティング。

何重にも絵の具が重ねられていくことで、最初の色が隠れていく。でもそれは消え失せたわけではなく、ペインティングナイフで抉れば姿を現す。その多層性。

そして、この人の出す「赤」の鮮烈さ。好きすぎる…。

f:id:jihyang_tomo:20231129132510j:image

やはりアブストラクトペインティングは実物を観ないと、です。この筆致。f:id:jihyang_tomo:20231129132529j:image

去年、JINさんの入営で、思わず名古屋(豊田)までリヒター展を観に行ったけど、行って良かったと改めて実感しました。画家の肉体が感じられて、生々しい。その感触を再び味わえて幸せでした。

 

現代アートの展示も多く、おもしろかったのですが、私が足を留めてしばし眺めてしまった作品の多くが撮影不可で、ここで紹介できないのでした。
(カブーアの「イシ―の光」、草間彌生「去ってゆく冬」が特にお気に入り)

 

バチェラー「ブリックレインのスペクトル」(左手前)と
「私が愛する/私を愛するキングズクロス駅(右奥)

f:id:jihyang_tomo:20231129132552j:image

電気のおかげで光を自由自在に(?)使えるようになって、こういう表現が可能になってきたわけだよなぁ…と思いながら、でも、私的にはこの光のブロックが床に映っているこの影の方が、より重要というのか…心惹かれたりするわけです。f:id:jihyang_tomo:20231129132608j:image

この写真を撮った位置から、ボーっとしばらく「影」の方を眺めてました。影といいながら、カラフルに光っているように思える「影」。本体ではないという意味での「影」。でも、それは偽物か? といえば、そうではないですよね。床に映ることで別の何かが生まれてくるような(急に哲学的)

私たちは鏡やカメラという道具を手に入れることで、自分の姿を見ることができるわけだけれど、そこに映っている「本体ではない自分」と生身の自分自身との間にある差異についてなんて、ふだんそう考えない。そして、少なくとも「偽物」だとは思っていないんじゃないか……。「自分探し」とか「本当の自分」とか、それって自分自身に対して「納得のいかない何か」があるから出てくるんだと思うけれど、けっきょくそれは「肉眼で自分の姿をとらえることは永遠にできない」ことへの納得のいかなさみたいなものではないのかな、と思う。いくらがんばっても見えるのは「影」だから。だから自分を肯定する(Lovemyself)っていうのは、そんな「影」たちのことも自分の一部として認めることなのかな、とか。

 

最後に登場したエリアソン「星くずの素粒子

球体に仕込まれた鏡が起こす乱反射
f:id:jihyang_tomo:20231129132639j:image


f:id:jihyang_tomo:20231129132718j:image

こんなの、いつまでも観てられるじゃん…です。
それこそ、天井にも壁にも床にも、さまざまな光と影が現れていき、観覧者がさまざまな角度からそれを眺めている姿も含めて一つの作品になっていく(人が動き回るの込みで長時間露光で写真を撮ったらおもしろそう…とか思いました)

 

別にBTSのことばっかり考えているわけではないのだけれど、

ウクライナ/ロシアといい、パレスチナイスラエルといい、なぜ人間は暴力を手放せないのだろうかと暗澹としてしまう日々のなかで、このタイミングでかれらが兵役に就くことになった巡り合わせが、やはり恨めしいと思ってしまう。ほんの数年前、板門店でにこやかに手をつないで38度線を越えてみせた2人の指導者の姿を思い出すと、あれは何だったのだと怒りすら覚える。そして同時に、いまこのタイミングで18歳以上の韓国の青年たちとその家族が、この世界情勢をどう感じどう思っているんだろうかと想像すると苦しい。韓国の人たちにとって、そんな期待と落胆は過去何度も繰り返されてきたことで、いまさら?って感じなのかもしれない。それでも。

軍隊は決して平和を連れてこない。

問題解決を暴力に頼らない、ということが、こんなにも難しい。世の大人がこぞって、まったくそれができずにいるのに、子どもに向かって対話の重要さを説くことが虚しくなる。対話できてないのは誰なんだよ。アメリカを筆頭に、民主主義国家だと胸を張ってきた西欧諸国が、反ユダヤ主義イスラエル批判を切り分けられない混沌に絡めとられて、イスラエルの虐殺を止められないだらしなさにも呆然とする。イスラエル批判をユダヤ人差別の理由にすることは間違っている、ただそれだけの話なのに。かつてユダヤ人はホロコーストの犠牲になったけれど、いまイスラエルがやっていることはまさにホロコーストの再現ではないか。差別も虐殺も〇〇人だという属性によってなされるのではない。自分たちの正当性を説くために自分たち以外の、異なる宗教や心情をもつ人びと、言語や文化を異にする人びとをカテゴライズし、見下し侮蔑することから虐殺は始まる。その歴史的記憶を共有するユダヤ人コミュニティの人たちが、イスラエル批判に立ち上がっていることは希望だけれど、そこへの連帯が全然足りない。

繊細なかれらが、こういったことをどうでもいいと突き放せる人のようには思えないけれど、一方で、いまは切り離して考えまいとする努力をしないと、軍隊に適応なんてできないだろうなとも想像する。だからといって差別や人権に無頓着になってほしくはないけれど、かれらがかれら自身の心を守ることを優先してほしいとも思う。その分、ARMYががんばるよ!とかれらの分まで戦争を止める努力をしたい。

 

……つくづく、かれらは「時代の子」だ。なぜそんなにも背負わされてしまうんだろう。でも考えてみたら、不甲斐ない大人たちのせいで割を食っている子どもや若者で世界は埋め尽くされているような気もする(そういう「苦しさ」が投影できるからこそ、かれらはあんなに世界中から愛されるんだろうな…。ファンの人たちにその自覚があるかどうかは別として) 

 

ダービー「トスカーナの海岸の灯台と月光」

f:id:jihyang_tomo:20231129132816j:image
灯台の強い光の足元は暗いけれど、月明かりがあるから真っ暗闇ではない。

灯台に目が奪われがちだけれど、月の光が照らすまわりの風景にも目を凝らしながら生きていきたいなと思うのでした。

 

 

メッセージの正しさと、それが伝わっていくプロセスとは異なる、ということ

ジョングクさんのアルバム、リリースされましたね…。
相変わらずモヤッてはおりますが、私的にはもう腹をくくって何年でも待つよ。というモードになりつつあります。なんというか、息子を見守る母の気持ち。

公開されたシュチタでの、グク&ユンギの会話からはこの収録時点(おそらく8月末-9月頭)では何も気づいてなかったことが明白で、リリース後にこんなハレーション起こすともまったく考えていない感じが伝わってくると同時に、ARMYのために上手に歌いたい、良いパフォーマンスを見せたいという情熱と向上心の化け物たるジョングクさんの、あまりにも変わらないジョングクさんらしさを目の当たりにしたので、こりゃ気づいて考えるプロセスを待つしかなかろうよ…という気もち。

ただ、この間ずっと考えていて、眺めてると「もう聞けない」「ペン卒する」という人たちも少なからず目に入り、そこまでがっかりはしてないというのか(曲を聴く気にあまりならない状態が続いてはいるけど)、嫌いにはならないし、過去のかれらの作品について「噓だったのかよ!」みたいには思わないんですよね。かれらはその都度正直だったと、いま聴き直してもやっぱりそう思う。私はその点で揺らいでない。

 

とはいえ、揺らがない私は正しいんだろうか? とふと考えたりもして。

 

タイトルに書いたのは、この夏だったか、私が尊敬する年下の友人(アクティビストでARMYでもある)が、何かの折にふと言ったこと。聞いた瞬間、「おお、確かにそうだね」と腑に落ちたのに、聞くまで意識できていなかった自分に気づいて、ちょっと衝撃的だった。そしてそのことばを、この一連の過程の中で考えている。

 

折り悪く…と言っていいのか、パレスチナで起きているジェノサイドと、それに対する世界の反応をみていると、こんなにシンプルに「悪いに決まってるだろ」なことが公然と行われ、そしてイスラエルの行為をあれこれ正当化しようとする人たちや国家が思いのほか多いことを、改めて思い知らされて愕然としている。イスラエルユダヤ人至上主義のアパルトヘイト国家で、まさにパレスチナに対して差別意識丸出しで弾圧していることを黙認し続けてきた西欧諸国。アメリカも、アメリカべったりの日本も含めて、G7だと威張っている国々の責任は重い。そしてそんな情勢のなかで兵役履行中であり遠からず履行するであろうBTSの7人。

3Dの一件だけでなく、いまは言いたいことが言えないんだろう…と思う。
迂闊なことを言うわけにいかない。

 

「正しいことを言う」のは簡単なことではないけれど、

それがどう伝わり、受容されていくかという後の問題を考えれば、ある意味簡単だ。

なぜなら、「言う」だけなら自分の問題だから。

自分自身の考えを整理して、どう表現すればいいかを考え、ことばにしてみる。それは自分自身で自分の課題として引き受けられる。

けれど、それが発せられた瞬間、それは自分だけの課題ではなく、そのことばを受け取る人との間の問題として、別のプロセスで動き出すのだ。

…この「ズレ」の問題を、繰り返し歌っていたのが防弾少年団だった。と改めて思う。

 

さっき、
言われてみればすぐに腑に落ちるのに、言われるまで気づけなかった…と書いたけれど、私は「ちゃんと伝えられない自分が悪い」と「正しいことを言う」言い方や伝え方に、要は自分自身に過剰に責任を引き受けがちだった(というより、コントロールできない他人に期待するよりコントロールできる自分で引き受ける方が気楽だからなんだと思う)。でも、一度表現されてしまえば、それは自分だけのものではない。受け取る相手と自分とのコミュニケーションの問題であり、受け取る相手の理解と想像力の問題になっていく。

仕事柄、できるかぎり伝えたい内容が伝えたいように伝わるように、資料を準備し、ことばを選び、準備をするのが日常だけれど、どんなに周到に綿密に準備したところで、やはり受け取る側の知識や経験、態度のいかんによって、伝わり具合はさまざまだ。それなのにその多様さを引き受けられずに過剰にガッカリし、自分の「伝える力」不足を嘆いて、自分を責めて胃が痛かった。

BTSが爆発的なヒットとともに世界に受容され、そのメッセージが伝播していくさまをみて、こんなに真っ直ぐでまっとうな正義感がポップに届いてしまう世界線があるのか!と衝撃だった。もちろん、かれらだけの力ではなく、ナムジュンも言ったように、そのメッセージをまっすぐ受け取った多くのマイノリティが、そのメッセージに勇気づけられて拳をあげ、声をあげ、それが楽曲と共鳴し合うというプロセスとして、それは起きた(そしてBTS&ARMYは社会現象になった)

でもかれら自身は「僕らは自分のことを歌っただけ」だと言い、まさかそんなプロセスが起きるなんて予想外だと、これまた素直に困惑してみせ、その困惑と葛藤が、成長途上の青年という生身の人間らしさとして魅力的に映る…という好循環が、BTSの起こした奇跡だったのかもしれない(ゆえに、「3D」からの混乱はその好循環の流れをぐちゃぐちゃにしてしまったようにも思う。そして循環である以上、BTSの責任はもちろん、ファンダム側の問題でもあると思う)

 

私の日常は、人権という普遍的価値について、自分自身の尊厳を守るために基本的人権という概念が役立つこと、そして過去も現在も、尊厳を踏みにじられ差別されてきたマイノリティのサバイバルの知恵や社会に対する闘いがあり、その勝ち取ってきたものに守られて生きていること、だからそれを守り続ける責任がある…等などといったことを、あの手この手で伝えることが仕事で。

でも往々にして「偏ってる」だの「偽善者」だの、伝える前からブロックされるような拒否反応に出くわし、「人権なんてきれいごとだ」「資本主義社会なんだから差がつくのはしょうがない」という諦めモードに阻まれ、「きれいごと言うな」とーーーまさに「メッセージの正しさ」だけが成立して、そこから先へ行けない/その後のプロセスが続かないような状況にジリジリ、ジタバタしてばかりいる。

それでも、BTSに出会って、そのプロセスの問題を前よりは考えるようになった気がしている。うまく言えないけれど、以前は自分の伝え方の問題ばかり注目していたけれど、ある程度まで考えて努力して「これでいこう」と決めて発した後は、受け止める相手の問題だと思って手放す勇気をもとうと努められるようになった。

「手放す」というのは、どう受け取られてもいいということではなくて、伝わることも伝わらないこともあるだろうし、私の伝え方の問題として反省すべき点もあるにせよ、受ける相手のコンディションや能力をすべて掌握して対応することはできないんだと自覚しよう、ということ。いまはわからなくても、別のことを学んだり、何かを体験したりする中で、不意に「あぁ、あれはこういうことか!」と腑に落ちることはいくらでもある。いま伝わらなかったことが、他の要素と絡まって、いつか伝わっていく、そういうことだってある。その、未来に起きるかもしれないプロセスの可能性を、もう少し信じてみよう……。

そんなふうに考えるようになってから、受け取る側のさまざまな反応に対して、少し自分がオープンマインドになったような気がしている。オープンマインドというか、あまり肩ひじ張らずに「おぉ、そういう受け止めもありか!」とリラックスした状態でキャッチできることが増えた。今日も今から仕事なんだけど(こんなこと書いてる場合か 笑)、オープンマインドでがんばってくるよ…。

 

そんなことをつらつら考え、またかれらがいま置かれている状況を考えると、性急に答えを求めるわけにはいかないんじゃないか…と。いま、たとえ「正しいこと」であっても発しにくいメッセージがある。それを発してくれと望むことを、私はできない。米韓軍事同盟とウクライナパレスチナの問題。世界が暴力を止めきれない情勢下で軍隊に所属するということの意味。それとミソジニーは関係ないだろ、と言われるかもしれないけど、韓国社会のミソジニー、家父長制の根っこにあるのは軍隊であり分断国家であることだ。おそらくはパレスチナの側にシンパシーがあるはずの小さな国なのに、米韓軍事同盟に縛られているという立ち位置にある社会の緊張感を、日本にいる日本人の自分がどこまで正確に掴めているかも心許ない。

 

そんなこんなのせいで、私は「見守る」「待つ」モードになっていて、ペン卒という発想は全然出てこないんだろうな。

かつて何かを学んだから、2度と差別しないで生きていける!なんて無理なんだし、学んで反省して考える姿をこれからもみせてくれるだろうと信じたい。

 

というまとまりのない日記でした。行ってまいります。

 

 

*11月16日追記
こんなこと書いたちょうど1週間後に、Wライブでナムジュニが「3D」を「お気に入り」だと言い、麦茶のペットボトル片手に熱唱するという事案が発生…。

おいおい(涙)

とはいえ、いま読み返してみて、私の気持ちは上のとおりだな、と再確認。

もちろん、夜遅く(でもないか)たまたまライブに気づいて、そこにリアタイしてしまったときはちょっと頭がグラグラして、反射的に画面を閉じた。そしてちょっとイラつきながら寝たら夢のなかでナムジュニを弩詰めに説教してて、苦笑…(ちなみに夢のなかで、ナムジュニはずっとぶうたれてて、途中から泣いてました。あまりに号泣されて目が覚めた。どういう夢なの…)

ずっと頭の片隅で考え続けてしまっている(脳ミソ多動)

ちょっと既視感があるというのか、これまでも「人権」のために活動しているはずのさまざまな団体やグループのなかで、こと女性差別に関しては鈍い男連中は見慣れていて「アンタもかーい!」と内心毒づきながら「えっとですね…」と自ら話をしてみたり、他の人に告げ口して「なんとかしてくれ」とお願いしたり、あるいはそっと離れたり、を私はしてきたんだよな…と(ナムジュニにはそうなってほしくなかったという気持ちは、もちろんあるけども)

同情するとか許すとかいうことではまったくないけれど、この社会のなかで気楽に生きられる位置にいるドマジョリティ男子にとって、下手にフェミニズムを知って自分の挙動を逐一考えるというのは、なかなかしんどい道のりなのだろうとは想像する。敵は強大だし巧妙なので、ちょっと油断するとすぐに足元すくわれてしまうわけで、そこを踏ん張って耐え抜くには1人では無理だ。だからこそ、ARMYはクリティカルフレンドでなければならなかったし、メンバー同士の「良い影響」が必要だったのだろうと、改めて思う。

だから私は、クリティカルフレンドとしてのARMYを辞めるつもりはまだ「ない」です。

それは、ドマジョリティ日本人である私が、在日コリアンのコミュニティと市民運動体に若い頃に出会って、それこそナムジュニの人生より長い期間、ときとして「やらかす」私を見守って諫めてくれたコミュニティの人たちや、一緒に考えてきた仲間への義理があるから。学んで変わっていく可能性があると思える人たちには、つきあう義務がある(徒労になること必至のレイシストと対話することは申し訳ないけれどこの数年スルーさせてもらっている(通報等はしてますが)。時間が惜しいから)。

 

直接会って、話せたらいいのにな。

もっと韓国語が流暢になって、ビッヒに人権研修講師に呼んでもらえるぐらいの私になれたら、超絶張り切って仕事するよ!という夢妄想を胸に、私は私で日々やらねばならないことをするだけ(笑…こんなこといつまでも言ってて、人生何年生きるつもりなんだろうな、私)

 

そして、落ち着いてゆっくり学び直して考える時間の未来のためにも、極東アジアの平和、世界の平和を守らねばと。世界がこんなにも暴力で覆われていて、無力感を覚えない方が無理、みたいになってるけど、そこで諦めるのが一番カッコ悪いんだぞ。

(聞いてる? ジュナ…)私は諦めないよ!