わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「差別」とは何か

いきなり引用。

「差別してはいけない」という点に反対する人はほとんどいないであろう。しかし、何をもって差別と規定するのか、具体的にどのような現象を差別と見なし、どのような行動を差別として処罰したり規制したりするべきなのか、明らかではない場合がほとんどである。

 

「差別」とは、雇用・教育・住宅・融資・政治などのさまざまな分野で、個人や集団がもっている現実もしくは架空の特徴に基づいて、不公正に人への処遇を違えることをさしている。この場合のポイントは「不公正」という点にある。処遇を違える方が公正だという場合には、同じ処遇にすることが逆に差別になる。

          ーー『人権教育への招待』解放出版社42pより

 

大学で人権に関する講義を担当させてもらうようになって10年が過ぎ…。

毎年、毎期、考えさせられるのが、学生さんたちの最終レポートを読むことになるこの時期。なぜ考えさせられるかって、授業のキモが一向に伝わっていない現実に打ちひしがれるからです(苦笑…まぁ、半年やそこらで全受講生に劇的に伝わるんなら、差別撤廃なんてもうとっくにできているはず? なので、伝わる人には伝わる、伝わらない人には伝わらない、ただ、いま明確に伝わってなくても何らかの引っ掛かりを心に残すことで、いつかどこかで「あ、こういうことか」となってくれたらいいなぁと思っています。それはそれとして)

「差別をしない」のは「やさしい」からか?

学生さんもそうですが、小中学校現場の若い先生たちと接していて思うのが、「やさしい」人がずいぶん多いなぁということです(私の接している範囲が偏っているのかもしれませんが)。そして往々にして「差別をしてはいけません」が、「人を傷つけてはいけません」とイコールでつながっている思考回路があります。

「その何がいけないの?」と思われるかもしれません。私も「いけない」とは思っていませんが、危ういなと思うのです。・・・この思考回路から出てくる「差別」の定義は「人の心を傷つけること」ということになってしまうからです。

もちろん、傷つける目的で故意に攻撃的な言動をぶつけるのはよくないことですが、人が傷つくのは「故意」によらない場合だってある。だから「故意」、つまり「悪意」の有無に注目しすぎていると、ある差別発言に傷ついた人が「それは差別だよ」と指摘したときに「そんなつもり(故意)ではなかった」という言い訳が成り立ってしまいます。

「やさしい」人たちは、思いもよらないところで傷つける発言をしてしまった自分に気づき、「無知の罪」を恥じ、知らないうちに差別してしまう怖さを実感し、「もっと差別や人権について勉強しよう」というモチベーションを持ってくれることもあります。それはもちろん有難いし、学ぶモチベーションはどんなものでもよいと思うのです。

ただ、一方で「こっちには悪意がないんだから、それを責められると辛い」という感情から、「うかつにものを言うと責められる」「なんでも差別だといえば勝てると思ってるマイノリティがうざい」…等々、明後日の方向に行ってしまう人もいます。個人的には「責められると辛い」という感情に向き合ってくれたらいいのになぁとは思いますが、多くの場合、そういう人は自分自身の感情に向き合う前に「責めるあなたが悪い」という思考回路になってしまいがち。そこで「やさしい」人がいくら「でもあの人は傷ついているんだから、そこは考えないと」と情緒的に攻めても、「どうせ私はやさしくありません」と開き直ったり、「私にはやさしさが足りない/人間的に劣るのか」と自己肯定感を損ねる方向にいってしまったりするだけです。

 

やさしさで差別問題は解決しない。要は道徳/心の持ちようをいくら説いても(無駄とまでは言いませんが)、ハマらない人には永遠にハマらない。まずそこに気づいて、「やさしさ」は「差別をしない」ための必要条件かもしれないけれど十分条件ではないと考えるところから、人権学習を組み立てなければいけないのだと思います。

なぜ「悪意」の有無にこだわるのか

実は日本語表現の問題が大きくかかわっていて、私としては「差別」をどうとらえるか、考えるかに関わる日本語表現の整理と使い方を人権教育/啓発に関わる人たちの間で統一、徹底したいなぁという野望があるのですが。・・・それはさておき

故意かどうか、悪意があるかどうかにこだわってしまうのは、前述した通り、「差別とは人の心を傷つけること」という共通理解(?)が社会にあるからだろうと私は考えています。つまり「差別はよくないこと」だとみんなわかっている・・・ようでいて、実はそれが意味しているのは「人が傷つくようなことを言ってはいけない」「人を不快にさせるのはよくない」という、多分に情緒的なものでしかありません。そして、そう考えているときの「差別」は、だれかとだれかの間に個人的に生じるトラブルでしかありません。もちろん、加害者・被害者が明確な差別事件もたくさんありますが、それは「差別」のごく一面でしかありません。

英語では「差別」の心理面は「Bias」「~ism」等と表現し、行為面は「Discrimination」と表現します。日本語でも「差別行為」「差別発言」「偏見」「差別意識」のように分けて表現することもできますが、一般的な用法を見ていると「差別」という一語で両方をふわっとカバーしてしまう場合が、とにかく多い。いま書いたものも「差別〇〇」と「差別」の下位概念としてこう分けられますよという複合名詞の形。唯一「偏見」は違いますが、これも「偏った見方」という意味で、特に差別的なものを指さない使い方も広く行われています。「バイアスがかかる」「ステレオタイプ」等々は英語をカタカナに置き換えただけ・・・日本語には「差別」を説明するための語彙が決定的に足りず、かつ、ふだんの用法として心理面に偏った用いられ方をしている。だから「差別」を問題にするとき、「差別しようという意図があったかどうか」「相手を傷つけようという悪意があったかどうか」、意図や悪意といった内心の問題にすぐに関心がいってしまうのではないでしょうか。

内心はどうでもいい・・・極論かもしれませんが。

日本も批准済みの人種差別撤廃条約女子差別撤廃条約などで禁止している「差別」は「Discrimination」つまり明確に外部に表現された行為なり発言なりの「事象」、あるいはデータとして観察可能な格差等の「実態」を指します。

なぜなら、事象なり実態なり、とにかく外部から観察可能な形でない限り「わからない」からです。内心でどう思ってたかとか考えていたかとか、要するに意図も悪意も、行為の際に宣言しないかぎり「わからない」。わからないものは規制しようがないのだから、立法しようがないわけです(それを立法化すると「内心の自由」を国家権力が侵害することになり、そもそも世界人権宣言から出発した国際人権条約の出発点が揺らいでしまいます)

内心は、表明されない限りわからない・・・だから、最初に宣言されていない限り、私たちは「なぜあんなことを言ったの?/したの?」と後付けで確認するしかありません。「あれは差別だよ」と指摘された「差別はよくないこと(社会的に批判されること)」と知っている人が「差別しようと思ってました」「私には偏見があります」なんて正直に言うわけがないでしょう(正直に言うとしたら、それはかなり確信的な差別者なので、「知らないがゆえに足を踏んでしまった」タイプの人とは分けて考えなければなりません)。多くの場合「そんなつもりじゃなかったのに・・・」と戸惑い、「何がダメなの?」と考えることがそこからスタートするはずです。行為者に悪意がなくても、差別が起きることがある。なぜなら私たちが「差別がある」社会に生きていて、社会からの影響を絶えず受け続けているから。そしてそういう仕組みを知らずに、自然と差別を容認し肯定する言動を再生産してしまっているから。「いまのは差別じゃない?」という問いかけによって、その仕組みに気づき、再生産に加担しない生き方を具体的に模索していくことを考えるーーこれが人権教育の意義だと思います。

 

ちなみに、実は善意に関しても同じことが言えるんですよね。たとえば、電車で「席を譲ろう、譲りたいと思う」内心の動きは表現されない限りわからないし、表現された行為は「こちらにどうぞ」だったり「座りますか?」だったりのシンプルな声掛けでしかありません。その動機が「いい人だと思われたい」なのか「替わるのが当然と思っている」なのか、そんなことをいちいち宣言しません。だから「わからない」。なのに「偽善者ぶってる」等と難癖をつける人がいます。偽善だろうが何だろうが、その行為で助かる人がいるならそれでいいんじゃないでしょうか。なぜそこで「善意」の有無、個人の内心について審査したがるのだろう・・・と思います。

私は内心差別的な考え方をしていたとしても、それが「正しい」かのように堂々と表現されることがないのであれば(表現してはいけないことだと理解して抑えているのなら)、それでよいと思っています。・・・というより、表現されない以上、どうこう言いようがありません。内心には介入できないし、するべきでもない。

一方で、「内心から変わってほしい」と願う気持ちもあります・・・内心で差別的な考えを抱えて表出しない人たちが、いつ「抑え」を外してくるかわからない不安が嫌だと思うから。でも、「内心から変わる」という「根本的な解決」にこだわっている間に、垂れ流されるヘイトスピーチによって傷つく人の救済が後回しになることを避けるためにも、「行為」と「意識(動機)」は分けて、とりあえず行為を止めることを優先するという考え方が大切だと考えるようになりました。ここでも「法律などで強制的に行為を排除しても内心が変わらなければ根本的な解決にならない(から意味がない)」という類の主張には根強いものがあって、気持ちはすこしわかるけれど。でも「内心」を変えることができるのはその人自身であって、外側から強制的に変えることはできないし、変わったかどうかを確かめるすべもありません。その人の行動を長期間観察し続けることで初めて「あぁ、考え方が変わったのかな」と感じ取れるのが関の山です。

だから、内心の変容にこだわり過ぎるのは危うい。だから、極論かもしれないけれど、内心はどうでもいいのです。

コトバにこだわりたい

ことばが社会をつくる。ということを、最近とみに考えるようになりました。

差別を考えるとき、人権について学んでいるとき、そこでのことば遣いに「差別に苦しむ人のことを考えてあげなければ」や「問題をわかってもらうために」といった「あげもらい」表現が自然と忍び込んでいるとき、そこには「私は問題を考えてあげる立場/被差別者は周りに理解を求めて考えてもらう立場」という上下意識が潜んでいます(「当事者」ということばの使われ方にも。差別は社会問題であり、社会を構成するのは私たち一人ひとりなのだから、本来差別問題の当事者はこの社会の構成員全員であるはずなのに被差別者の意味で「当事者」を使うことの、なんと多いことか!)

エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。/両者の違いは子どもや英語学習中の外国人が重点的に教わるポイントだが(中略)つまり、シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」なのである。前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、後者はどうやらそうではなさそうである。(中略)

つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。

     ーー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
           ブレイディみかこ(新潮社)75p

思うに、日本の人権教育・人権学習は「寄り添う」「共感する」といったことばで、「シンパシー」を求めてきたのではないでしょうか。

シンパシーもエンパシーもごちゃまぜに「共感」「同情」といったことばで表現されてこなかったか。だから差別や人権侵害の被害を訴える人が、同情に値する人物かどうか(自然と共感を呼び、一緒に考えたくなる人柄かどうか)が過剰に問題視されてしまうのではないのか。・・・反省すべきところはたくさんあると思います。

人権はだれもにある権利だから、私がとても共感できない、大嫌いな相手であっても人権はあるし、尊重されなければならない。同情できる相手、共感できる相手だけを大切にするのは、人権の尊重ではありません。だからシンパシーではなく、エンパシーという概念が必要になるわけです。でも、そこを意識して使い分けるということを、日本語はまだできていないと思います。

「差別」を訴えるときに、マイノリティからの指摘、怒りの声は重要ですが、その声でしか語れないのは問題です。その差別を受けない側のマジョリティが、マイノリティのことばにタダ乗りすることなく、自分自身のことばで問題を指摘し、自分自身のコトバで怒りを表明する文化を育てることが、反差別の社会をつくるということではないでしょうか。どんな問題にも言えますが「当事者に寄り添う」と言いながら、怒りのことばを勝手に借りていくような運動のしかたが多かった気もします。

マイノリティが声をあげやすい環境をつくるためにも、マジョリティ側から「差別に対して怒ることば(表現)」を豊かにしていく、「人権を大切にすることばや行為」を豊かにしていく、ということを、もっと意識していきたいです。

 

おそらく、そういった文化が社会に醸成されていくことで、内心に差別的な考えを抱えている人たちも、何気ない会話や日常生活のなかでモヤモヤと葛藤させられることが増えていくのではないでしょうか。内心は表明されない限り「わからない」とはいえ、言動の端々に思想は現れるものです。人権文化が広がることで「いまのそれはどうなの?」と引っかかる人が増えていけば、その人が考えざるを得なくなる場面が増えていく。「内心には介入できない」けれど、社会的に人権の文化が構築されて、その人をとりまく人たちの考え方に「反差別が多め」になっていけば、変化を促されるはずだと思います(そう信じてないと、こんな地道な教育の仕事はやってられません 笑)

 

「これは差別では?」という事象、事態に出くわしたとき、まず何をすべきかという優先順位、短期的な戦術(差別言動をまず止める)と長期的な戦略(差別事象が起きにくい条件整備を考え、実行する)、並行して何をするのか(差別を見抜く力、問題が生じる構造を解析し解決策を導く力を育てる教育)という判断・・・等々を考える、その基礎力を培うことが、大学で行う人権教育のキモかなぁと考えます。

だって大学は高等教育機関ですから。小中高校では「エンパシー」の能力を育てることがキモでしょうか。「わからない」から学ぶ。「他人の靴を履いてみる」

そんなことを考える2月です。

 

 

 

DIE(演劇を教育に!)

放置すると忘れそうなので…。

先日、京都府八幡市立美濃山小学校の公開授業研にお邪魔しました。

授業づくりに「演劇的手法」を取り入れるということを続けてこられて3年目
(当初は府の研究指定を受けていたそうですが、それが切れた後も「自分たちで勝手にやってればいいんじゃない?」って、続けているそうです。その点ひとつとっても良い職場だと思います)

この記事も胸に響く・・・

「見える」ようになって見えなくなること。 - いわせんの仕事部屋

 

DIEは、私が勝手に名付けました。「NIE(Newspaper in Education)」という教育運動がありますので、それを真似て(ちなみに美濃山小ではNIEの実践もやっておられました)。6月に実践が書籍化されるようなので、詳しくはそちらを待ってください(笑)

ここでは、私が見てきて感じたことを備忘的に。

 

演劇的手法のキモ:2次元の描写を身体で3次元に再現する

これも私が勝手に「キモ」だと思っただけで、美濃山小のみなさんの見解ではないので、そこは念のため。

私自身が演劇をやっていて(私の場合、部活からの部活指導)、演劇したいと集まってくる高校生を見ていて感じていたのが、年々「2次元情報を3次元化する」力が落ちているということでした。台本は文字なので2次元。その文字情報から場の設定、人物同士の距離感や、その人物の風貌、表情、動作を考えて、自分の身体を使って舞台に立つ/舞台をつくるのが演劇。なのに、それが苦手なのは致命的なわけで、なんでだろうか???と年々悩んでいたわけです…。

読書量が足りない。といえば一言で済まされてしまいますが、ではなぜ、そうなっているのか? 人間には物語が必要で、だからドラマや映画、漫画、RPG等々のコンテンツはガンガン増えている(小説も)。にもかかわらず?

それは、人間がそもそも怠惰(笑)で、楽な方に流れる性質があるからなんだろうなと思うわけです。文字から情報を取り込んで、そこから映像を想像するのにかかる労力と、映像で一度に情報を取り込む労力を比べれば、後者の方が楽。わかりやすい。そして、90年代ぐらいから学校も社会も消費者サービスモードが強まって「わかりやすさが神」みたいになっている。大学生でも、スライドも映像もなく、ハンドアウトの資料だけでしゃべっている授業だと全然ついてこない--こういうのこそ、学力低下だろうと思うけれど、学業成績自体は私の現役のころよりずっとよいようなので、なんだかなぁと思うわけです(蛇足)

今回見せていただいた授業では、文学教材の描写にそって、「両手を伸ばす」「空を見上げる」といった動作を児童に実際にやらせる、ということをしたり、伝記を読みこんでその人物になりきってインタビューに答えるというロールプレイをしていたり、といったことをしていました。それらは演劇的手法のごく一部なのですが、ありがちな「読解⇒表現」ではなく、「読解⇔表現」の双方向になっていることがキモなんですよね。身体を通して「読む」。読んだことを「身体化」する。「やってみる」ことで「理解」する。こうかな?と読み取ったことを「やってみる」。その反復。

あぁ、こんなふうに「読む」経験が圧倒的に不足しているから、台本を舞台に上げる力が弱まっていくんだなぁ…と再認識させられました。

美濃山小でも、国語・道徳の授業改革からスタートはしているのですが、今は全教科に広げていこうとされています。実際、理科なら実験の手順を読んでそれを再現できるかという話だし、社会ならその説明から「実際」をイメージできるかという話なので、文字情報を立体的に理解する力はとても大切(つまりは国語科はそういったすべての教科を支える言語スキル教科なのだけど、そこが忘れられてやいませんか? ということを「日本語指導を要する児童生徒のーうんちゃら」の話のたびに思うこととも通底する…私的に)

「文字が読める」ことで「読めた気になる」のが危うい。

大人のみなさんも、「身体で読む」こと、できてますか? と問いたい。

 

職員室が演劇的

世の先生方の「授業研」に対する実感を聞いてみましょう…(笑)

私は授業研が大好きで、現場にいるときも「やります!」とはりきる派だったのですが、そういう人は少数派だということも思い知ったのでした。

いま、現場から引いて、授業研にお邪魔することもときどきあるのですが、7割ぐらいは「授業研担当の先生が頑張っている」「当たったから仕方なくやってる感見え見え」です(悩ましい…)。現場が多忙だからしょうがないという気持ちもありつつ、でも学校の基本は授業なのに、そこにすらやる気が出せないぐらい多忙だとしたらもう末期的ですよ、ヘル日本。と言いたくなるのをこらえて頑張っている先生をねぎらうのですが。

美濃山小で驚いたのは、教員全体が授業研をつくっている、「All for One」だったこと。みんなが前のめり。しかも若い先生からベテラン勢まで同じテンション。

(そんなんあるわけない…と思う方は、機会があればぜひ行ってみましょう)

そもそも、授業づくりのサイクルも「演劇的手法」を取り入れていて、

イデア→模擬検討(手法を教職員みんなで試してみる/授業を受ける児童の気持ちになって)→授業→ふりかえり(授業内容・手法を教員で再現して、そこから検討会)→次のアイデア と、「文書とミーティング」だけの検討ではなく、ロールプレイ等々を自分達でもやってみることで、身体を通して検討するサイクルを定着させているそうです(その流れを「再現劇」で見せてくださって、それも超おもしろかったのです)

これはよくある演劇ワークショップの流れと似ていて、

課題(テーマや設定のみ与えられる)→表現のアイデア出し→実際にやってみる→ふりかえって調整→やってみる→調整・検討→(てな具合で反復)→小品として発表

これをやると、相手にダメだしするコミュニケーションではなく、作品を作り上げるためにポジティブな、協力的なコミュニケーションをするようになるのです(そうしないと作品が完成しない。文句ばっかり言って、人のせいにしても何の得もないから)。

おそらくはその繰り返しで、このチームワークが育ったのだろうなぁと思いました。

感嘆。

演劇はよい。

 

自分も演劇してたのに、こういうことはできなかったなぁと反省もしました。
(自分の授業とか、同じ科目を担当する小さなチーム内ではやってみたこともあったけど、国語科チーム内に広げることもできなかったし、まして学校全体なんて。そこまでやろうという意識もなかったもんな…)

 

イエナプランだの、インターナショナルバカロレア認証だの、「日本の学校の従来のありかた」とは違う教育思潮が一部でもてはやされつつある?感のある昨今ですが、現行の公立学校でも、できることはまだまだたくさんある。そんな元気もいただきました。

 

6月に出る本が楽しみ。

 

 

 

先生が「自分語り」を、もっと。

先日、とある研究団体(公立小中学校の先生たち/多文化共生教育)が新人育成の場として運営しているセミナーの講師に呼んでいただきました。事務局が旧知のみなさん(というより、ふだん遊んでもらっているお仲間)なので、かなりぶっちゃけた打ち合わせをして、その結果、私自身の話をネタに、グループトークの呼び水にしよう…ということになって。

参加者のみなさんが生まれる遥か前の70年代あたりから、私自身の育った環境とそこでの出会いや当時の実感、それを大学生になり現場に出て「在日朝鮮人/外国人教育」「人権教育」の学びを通して改めてふりかえったときの気づきとのギャップ…という軸での「自分語り」を40分ほどさせてもらいました。(ホントは30分の予定が超過。申し訳ない)

すると、そこからの化学変化で、参加者のみなさんから様々な語りが展開して(それは、自分の生い立ちのふりかえりであったり、現場で保護者や子どもと出会って考えている、悩んでいることであったり、いずれにしても「わたし」を主語にした語り)、ああ、こういうのいいなぁ。こういうのが私が「人権教育」の世界に魅力を感じた入り口だったよなぁと思い出していました。

「同じ空間にいただけ」では、共生にならない

そんなんあたりまえやん…かもしれませんが。

私の話を聴いていた在日コリアンの先生が「あたりまえにいっしょに育った、というだけでは見えないこともあるんですね」としみじみ呟かれたのでした。まさに。以下、「見ているのに見えていなかった」ことを少し。

 

私は大阪・ミナミの生まれ育ちで、10歳前後に2年弱、閑静な新興住宅地で暮らした経験があるために、地域によって「あたりまえ」とされる価値観はかなり異なる(私の経験が両極端な地域によるものだからかもしれないけれど)ということを体感していました。

ミナミの小中学校には、コリア系、台湾/中国系…の子たちもいたし、老舗料亭のぼんもいれば、シングルマザー(も自分で小料理屋を経営しているような起業家タイプ、ホステスさん、ワケアリ「お父さん」がいるタイプ…と多様)もいれば…という具合で、エスニシティも親の仕事も家族の形態も、「いろんな人がいてあたりまえ」。唯一いなかったのが「一部上場企業勤めのお父さんがいる核家族」的な人。そして大阪市だったので、いまでいう特別支援学級に在籍しつつ、当該学年のクラスの授業にも参加するといった児童も「あたりまえ」。逆に閑静な新興住宅地では、そういう人がほとんど。衝撃が強くてはっきり覚えているのはシングルマザー(離別)への陰口、その子どもに対するからかい、けなし…「え、なにそれ?」とショックを受けているのはどうやら私だけらしいと感じたことも衝撃。おそらくそういう明確な衝撃として記憶していないだけで違和感が強かったのだろうと思います。その2年間はしんどかった(笑)

 

私の小学校入学は1973年。その前年の1972年に大阪市立長橋小学校で在日コリアンの児童・保護者の要望から民族学級が創設されます。それ以前から民族学級はありましたが(1948年、阪神教育闘争時に交わされた知事との覚書によって設置されたもの)、反差別・同和教育の取り組みから、少数派の教育権として新たに認められた民族学級は初めてでした(その後、同じ潮流から生まれた民族学級を「長橋型」と呼び、「覚書」をルーツとする民族学級と区別して論じることもあります)。そういった潮流もあって、大阪市の学校現場では「本名を呼び名のる」取り組みがすすめられていました(学校教育指針のなかでも言及)。ちょうどそういう時期だったので、小学校の卒業式前に(今思えば)外国籍の子たちだけ呼ばれて、卒業証書の名まえの表記と、元号表記を西暦に変えるかどうか、といったことの確認が「あたりまえ」に行われていました。ただ、そばでそれを見聞きするだけの私は「私も昭和より西暦がいいなぁ…」などと呑気にうらやましく思っていただけで、なぜそういう手順が踏まれているのかはわからなかったし、だれも教えてはくれなかった(けれど、それが不満というほどでもなく、先生に「なんで?」と聞くこともなく、「ええなー」「ええやろー」というやりとりだけで、すぐに忘れてしまったのですね)

大学生になって、「本名を呼び名のる」運動の経緯や理念を学んだとき、唐突に「あぁ、あれはそういうことか」と思い出しました。そうして思い出して考え始めると、そういえば中国系の子たちは民族姓を日本語読みしていたけれど、コリア系の子たちはみんな日本名だった。どちらの友だちも「日本人ではない」と知っていて、でも日常でそれを意識することはほとんどなく、なぜ日本式の名まえとそうでない名まえに分かれるんだろうかと疑問に思ったことも全くなかった…なぜ疑問に思わなかったのだろう? と自分でも不思議でたまらなくなりました。今でもこの不思議は解けていません。

 

その後も、中学校、高校と、常に在日コリアンのクラスメイトがおり、仲が良かった友だちも複数いて、いろいろな言動を見聞きしていくのですが、その一つひとつが意味を持ってつながって見えたのは、上記と同じく大学生になってからでした。知識がなかったのだからしょうがない…と言われればそれまでですが、「なんで?」と小さく引っかかったことは何度もあったのに、そこを掘り下げようとは思えなかったのはなぜなのだろう? …これは一生の問いで、この問いがあるから、私は人権教育にこだわるのだろうなぁと思います。

 

差別や人権教育について話していると、よく「子どものころ、外国人の同級生がいたけれど、みんな仲良くしてたし差別もなかった。子どもの純粋さを保てればいいのにね」といった反応が返ってきます。が、私は自分の経験から「純粋さ」≒無知で、たまたま平穏に過ごせていただけで、問題がなかったわけではないはずだ、と確信しています。

「平穏でよかった」と思うのは問題が見えていない者の思い込みに過ぎません。

思い返せば、多様な同級生がいて、人にはそれぞれ事情があって「あたりまえ」で、その事情を知りもせずに勝手な評価を下すのは失礼なことだという感覚は、その環境から自然に身についていたように思いますが、「よく知らないのだから評価すべきでない」という感覚ゆえに「なんだかよくわからないけど、何かあるんだろうなぁ」でお茶を濁してスルーしてしまう鈍感さも、私には根深く染みついているようにも思います。

だから、学びを通して、自分の経験をふりかえる、掘り下げる作業は大切。

 

そして、海外につながる子どもが増加して、存在が「あたりまえ」になっているからこそ、「気にすることができない」でスルーされてしまう、という状況は避けたい。そのために人権教育が必要だと思います。

私の子ども時代は、多様な友だちがいてとても豊かだったけれど、その豊かさをほんとうにはわかっていなかったし、やっぱり一つひとつの意味をきちんと教えてもらいたかった。そうすればただ「一緒に育った」だけではない、「共生」を深く経験できたのではないか、と思うのです。

「自分語り」を、もっと。

在日外国人教育に限らず、人権学習として「当事者の話を聴く」企画がよく立てられます。そこで期待されているのは、当事者の被差別経験の語りを聴くことで差別の実態を知り、課題を考えることにつなげたいということだと思います。

ですが、大学生はじめ様々な大人と話していると「人権教育≒差別の体験談を聞くこと」「差別を乗り越えてがんばった人の話に感動した」といった受け身の記憶しか出てこず、一体、その企画は何のために、だれがどういう目的でその人に語らせたんだろうか…とモヤモヤしてしまうのです。そもそも、その企画を立てた人はなぜ当事者に語らせたかったのか。その人自身が語りを聴いて何を考え、感じたのか。

また、「在日外国人」といっても、そもそも「外国人」とはだれなのか。差別のターゲットに選ばれてしまう人たちは国籍でも言語でも容姿でも民族でも、そのつど恣意的に線引きをされてしまう…そんな日本社会を鑑みて「外国にルーツがある」「海外ルーツいった表現を使いますが、その「ルーツ(根っこ)」ということばに引きずられて、該当する子どもや保護者の「ルーツ」を一生懸命たどる(たどらせる?)作業に躍起になってしまう実践も少なくないのですが、他者に自分や家族をふりかえらせる作業をさせるのであれば、まず自分自身もふりかえる作業をすべきではないのかなぁと思います。

 

「当事者」の語りを聴く。自分がその同じ時代にどんな風景を見ていたのか。その違いと共通性。あるいは、同じ年齢のときに、どんなことを考えていたのか。その違いと共通性。そうやって考えながら聴くのであれば、そこで考えたことをふりかえりとして自分自身でも整理しておくべきでしょう。なぜなら差別は社会に存在する「構造」だから。いま語っている人が差別を体験し、あるいは見聞きして煩悶していた裏側で、その差別が見えず、思いが至らないまま暮らしていた「わたし」の存在をセットで考えなければ、構造は見えてこないのです。

 

そして、差別がある社会のなかで暮らしている以上、一人ひとりが何らかの抑圧や理不尽を体験もしているはずで、それがどういう社会情勢やその時々の「大人の都合」を反映したものだったのかを考えることも、人権教育の仕事ではないかと思います。「差別されてかわいそう、気の毒」な人がいる社会は、知らず知らず差別に加担する人をつくり出し、差別ではない人権侵害も起こしているはずです。他人事のように同情して済ませる話ではない。そのことを明示するためにも、まず教師(人権教育をしようとする人)自身が、自分を開いて語ることを、もっと追求しないといけないだろうなと思います。そしてだれもが、自分を形作っているストーリーを語れる、それがあたりまえの社会をめざしたい。

 

いまは、自分語りどころではない、教師にそんなことをさせたくないから多忙にしているのではないかと思うほど、現場は大変だけれど。だからこそ「わたし」を大切にする時間や場をつくり出し、守っていこうとする若い人たちに勇気づけられてもいるのでした(某セミナーのみなさん、これからも、ともに!)

日本語教育のその前に(覚書)

私の専攻は「国語科教育学」だった。

「国語科」というのは、日本語ネイティブの子ども向けの「ことばの時間」として設計された教科目の名称。だから当然のこととして、学習指導要領も教科書も、学習者である児童生徒が日本語ネイティブであることを前提にしています。

さて。

2019年4月の出入国管理法改正で、これまで国境管理のことしか考えていなかった入管局が「出入国管理庁」に格上げされて、生活支援に関しても取り組むのだ! と言い始めました。これが本気の「移民統合政策」になるのなら歓迎ですが、正直、期待はまったくなし。現時点でも入管の収容所は不当な長期収容という人権侵害が常態化したまま、一向に改善の気配がないのに、期待しろというほうが無理ってものです。
そして、そんな法改正に伴って、文科省の「外国人児童生徒受入れの手引き」も改訂。

※PDFで章ごとにダウンロードなので面倒ですが、無料→ 外国人児童生徒受入れの手引き:文部科学省

90年代、急激に外国からの転入生/日本語ネイティブではない子どもたちが増加しても「それは日本の学校の仕事じゃねーよ」と言わんばかりに放置していたころと比べると、隔世の感があるぐらいに良くなってはいます。が、相変わらず人権感覚はゼロ。朝鮮高校を「無償化」の枠組みから外し、今度は幼稚園まで「無償化」から除外する文科省(日本政府)が「外国人の子どもにも就学の権利があります」と明記したところで、どの口が? と聞き返したいですよね…。はさておき、ともかくも「日本語ネイティブではない子どもたちが学校にいる」という現状認識はしてくれて、かつ「その子どもたちに学校の責任で日本語指導をすべし」と決めて、そのための仕組み(日本語指導加配教員や「特別の指導過程」等)をつくったことは大きいので、そこを利用して私たちがやりたいことをやればいいとも思うわけです。

ーーということで、漠然と考えていることを言語化するのが今日の目標。

日本語ネイティブの「読解力」問題×ノンネイティブへの「日本語指導」問題

そもそもが国語科教育の人間で、かつ日本語ノンネイティブの子どもに対する日本語指導の歴史(植民地での「国語教育」)を研究していた立場でもある私は、「国語科」と「日本語指導」が切り離されていることに常にモヤモヤしてきました。いや、切り離されているという意識は現場にはないのかも。でも、だいたいの学校で「日本語指導を要する子ども」は「国語」の時間には別室で日本語の授業を受けてますよね。要は日本語ネイティブが受講することばの授業は上級者向けだから、日本語初級のあなたはついていけないよね、という発想だと思うのです。

それが間違っているというつもりはないのですが、一方で、小学校の「国語」の時間は1年生から6年生に向かって、初級から上級へ発展していくカリキュラムではないのか? それならば、初級授業を工夫する、さらにいえば言語としての日本語を学ぶカリキュラムとして整備しなおすことで、日本語に入門したての子どもが途中から接続しやすい道筋をつくることもできるのではないか、という気がするわけです……。

気がするだけではダメでしょうよ。と自分で思いますが。

そこへ、例のPISAOECDの15歳対象学習到達度調査)の結果。「日本の読解力急落!」大騒ぎがきました。ほらほら、「国語科」考え直す時期なんじゃないの?

ゲームやSNSのせいにする論も見ましたが、要は「国語科」の使命である、自分から、本を読みたい!読書楽しい!ことばでのコミュニケーション楽しい! と思う子どもを育てられてないから、ゲームやSNSに負けてんじゃん。と、私の国語教師アイデンティティ面がガガガとせりあがってきて叫ぶ(笑)

そこにこんな記事を読みました。(有料記事ですが)

www.asahi.co

一部引用「…青少年がSNSに耽溺するのは、先進国共通の悩みで合って、日本固有の問題ではない。/私が今回注目をしたのは、アメリカの順位だった。13位。20年前の調査開始以来、初めて日本はアメリカ以下に落ちたということだ。移民大国アメリカには、両親が英語母語話者ではない、という生徒も多い。経済格差・地域格差も激しい。ただ、だからこそ、だろう。アメリカには「英語は母語なのだから、自然に身につく」という先入観がない。多様な背景の生徒に対して、学習に必要となる英語を体系的・段階的に身につけさせるカリキュラムの研究が盛んだ。加えて、そのカリキュラムの実践や教員の養成にいして、多くの予算が投じられてきた。一方、日本は、移民が少ないことや、「一億総中流」といわれるくらい同質性が高かったことから、学習スキルとして国語を身につけさせる体系的カリキュラムを編む発想が極めて乏しかった」

いや、国語科教育を専攻した人間はそんなことねーよ! と国語教師の弁護はしておきたいけれど、国語科教育学をガチでしっかり学んで現場にいる小学校教員の割合なんて知れているので、多くの教員の認識としては新井さんの指摘通りだと思う。だからこそ、日本語指導を要する子どもたちの転入を「面倒」「仕事が増える」「日本語ができるようになってから来てほしい」等とプロ意識はどこに?と思うような発言を平気でする人たちが後を絶たないんだろうな…と妙な納得感もある(前述した「手引き」は、そういう無責任発言の歯止めにはなると思う)

ではどうすれば?

言語教育はスキルの教育

早期教育のあおりで「絵本の読み聞かせ」をしない親はダメだとレッテルを張られそうな昨今ですが、別に親「だけ」がする必要もないし、単に読めばいいわけでもなくて、「絵本の読み聞かせ」も含めた乳幼児期の言語的コミュニケーションを通してどんなスキルが育っているのか、なぜ育つのか、そこを明らかにして、小学校の教員ならだれでもそれを再現できるようにしておくことが重要ではないかと思います。

そもそも幼児教育は義務ではないのだから、さまざまな言語環境の子どもがいて、いえば日本語リテラシーが著しく低い子どもも入学してくるはず、というところからカリキュラムがつくられていなければおかしい。「絵本の読み聞かせ」を十分してもらって、家庭で日本語のコミュニケーションが十分育まれていることを前提に1年生と向き合うなんて、義務教育の責任放棄です。そういう自覚、あるのかな? 文科省

絵本になっている(大人から見れば)簡単な物語であっても、物語の基本構造(主人公を中心にした人間関係と、起きる事件のつながりというフレームがあること)を知らなければ楽しめない。読み方がわからないわけです。そういう子どもには読み方を教えないといけない。子どもは何がわからないのか、なぜわからないのか、おもしろくないのかなんてわからないから、そこを大人が気づかないと話にならない。そしてそこに気づく力は、日本語がわからない子どもが「わかった?」と聞かれたら「わかった」と答えてしまうことに「いやいや、そんなはずないやん」と注意深く観察しなおす力でもあるはず。いろんなことを問いかけてみて「あ、ここがつまづきか!」と気づく力。それは教師にとって、そんなに特殊な力ではないはず(現に、文科省が放置していたころ、手探りで日本語指導をしていた先生たちの話を聴いていると、ふだんから子どもたちの様子をよく見ている、「わからない」子どもに気づいて授業内容を調整するのが上手な先生なんだなと感じることが多かったです)

言語だけでなく、どんなことでもそうですが、人間は努力した自覚がなく身についていることは「フツーできるやろ」と思いこみがちです。が、自覚がないだけで、そこにトライ&エラーはあるのです。それを解析して再現するのが教師の専門性ってやつかと。そしてネイティブが無自覚に身につけていく道筋を知っておくことは、日本語がわからない子どもたちに日本語を教えるときにきっと役に立つ。だとすれば、「日本語教育」技術を現行の教師教育や学校現場に付け足す発想ではなく、それを組み込みながら再構成するという発想が必要でしょう。そしてそれは、日本語教育以外にも、やれコミュニケーションだ、英語だ、プログラミングだと、付け足すばかりで肥大化していった学校のありかたを見直すことにもつながってくのではないかな…

覚書なので、ちょい気になった記事もつけたし。

kotaenonai.org

この辺のことも、今後の国語/日本語教育を考える上では重要ですよね。そこでやり取りされるのは「ことば」なのだから。どんな授業であっても、言語表現と理解の指導/支援はつきまとうわけで。その辺もまた考えたいです。

 

『アイデンティティが人を殺す』アミン・マアルーフ(ちくま学芸文庫)

帯に「帰属先はひとつではない。人間の多様性と尊厳を希求した名エッセイ、ついに邦訳」と書いてありました。原著は1998年。…20年前か

 

自分とは何者か。

何者かでありたい自分。

何者かでなければならないのか?

自分が何者なのか、それを決めるのはなんなのか。

 

そういう問いは、思春期ごろからぼこぼこ湧いてきて、ひところ流行った「自分探し」の迷宮が続く…ような、何かそういうものとして漠然と「アイデンティティ」ということばもとらえられているような気がします。

かくいう私も、若いころは「確とした私」といったものが自分の奥深くにあるような気がして、一生懸命掘ってみたものですが(苦笑)、掘っても掘っても私は私だし、掘っている間に変化もするし、内に向かってる場合ではないのだなと気づいたのはいつのことだっただろう…考えてみてもよくわかりません。

 

アイデンティティというのは抽象概念で、個々一人ひとりの存在は具体的。

 

30年近く前に大阪で「在日朝鮮人教育」に取り組む教員や地域子ども会のみなさんと出会い、それが私の「人権」を考え始める契機になるのですが

その当時は、「本名宣言:コリアルーツの子どもがルーツを明らかにする/民族名を名のる」実践が王道(?)のようになっていた時期(この辺は稿を改めてまた書きたい…ですが、かいつまむと入試でも学校生活でも厳しい差別が横行していた70年代に「差別するほうが間違ってるやろ!」とコリア名で立ち上がる/周囲の日本人がそれを支えるというのが根っこになった実践。それが定着し王道化していた80年代、根っこを見失い形骸化した「本名宣言:子どもが民族名を名のって実践のゴール!」みたいな似非実践も跋扈していたころ)でした。

同和教育でも「立場宣言:被差別部落出身であることを明らかにし、差別と闘う姿勢を見せる」実践が、中心的だった時代。

いずれにせよ、それはアイデンティティのありかたを考えさせる、考えざるを得ない取り組みだったので、私も実践報告を読んだり、小中学生のころに「本名宣言」した経験のある同世代の話を聞いたりしながら、では、対する私は? ということをぐるぐる考えていました(19歳~20代初め)。

 

いま思うと。そのとき考えていた「アイデンティティ」は「差別に対してどういうスタンスを取るか」という面に限定されたもので、一個の「わたし」全体をまるっと表すアイデンティティを考えていたわけではなかったなぁと、いまさら思います。

もちろん、差別に対してどういうスタンスを取るかという問いは重要で、その面を抜きに私のアイデンティティはないけれど、でもその面以外のいろいろな「わたし」も同時にあって、その一つひとつの面はどれが重要でどれが些末、といったものでもない。そういうふうに考えることが抜けていたなぁという気がするのです。

 

主要な帰属はたったひとつしかない、と考える人々が何時の時代にもいました。それはどんな状況にあっても他の帰属に優越しているので、「アイデンティティ」と呼んでよいのはその帰属だけだというのです。ある者たちにとってはそれは民族(ナシオン)であり、他の者たちにとっては宗教や階級であったりするわけです。しかし世界中で生じているさまざまな紛争に目を向ければ、絶対的に他に優越する帰属などないことがわかるはずです。自分の信仰がおびやかされていると感じるとき、人はアイデンティティとは宗教的な帰属に他ならないと考えがちです。しかし自分の母語エスニック集団がおびやかされれば、宗教を同じくする者たちとでも激しく争うのです。(中略)各人のアイデンティティを構成する諸要素のあいだには常にある種の上下関係が存在します。しかしそれは不変ではなく、時とともに変化し、人のふるまいを根底から変えるのです。/しかも私たち一人ひとりの生活において重要な帰属は必ずしもつねに、主要なものとされる帰属、つまり言語、国籍、階級、宗教といった帰属ではありません。(中略)人が主張するアイデンティティは往々にして、敵のアイデンティティを―ネガとして―写し取ったものです。カトリックアイルランド男性は、まずイギリス人との宗教的な違いを強調します。しかし君主制支持者に対しては、自分は共和制支持者だと言うのです。そしてゲール語を十分に知らない場合でも、少なくともゲール語っぽく英語を喋るわけです。カトリックの指導者がオックスフォード訛りで喋ろうものなら背教者扱いされかねません。21-23pp

 「本名宣言」も「立場宣言」も、要は差別がなければする必要がない…とわかっていたつもりでした。ただ、そう考えたときにいつも引っかかっていたのが、では差別がなければ自分につながるさまざまなもの(家族のルーツであったり、生まれ育った土地の文化や来歴であったり)はアイデンティティ足りえないのか? という疑問でした。差別があるから、意識されてしまうアイデンティティ。では差別がなくなればそのアイデンティティも消えるのか? と考えてしまっていたんだなと思います。

そうではなく、引用個所にもあるように、「わたし」のアイデンティティの一部としてそれが失われるなんてことはない。差別という「敵のネガ」としてクローズアップされる状態にあるのか、クローズアップされず光景に退く状態にあるのかという上下関係の変化が起きるだけの話なのだなと。

 

フランス人であるという事実を、私は他の六千万の人々と共有しています。一方、レバノン人であるという事実を、ディアスポラの人たちも含めれば、私は八百万から一千万の人々と共有していることになります。しかし、フランス人であると同時にレバノン人でもあるという事実 を、私はいったいどれだけの人々と共有しているでしょうか? せいぜい数千かそこらでしょう。/私の帰属のそれぞれが、そのつど私を数多くの人々に結びつけ直すのです。とはいえ、考慮に入れる帰属の数が増えれば増えるほど、私のアイデンティティはそれだけ特殊なものになるわけです。26p

 ここで筆者が「特殊」というのは、多様な面が組み合わされていくことによって「ほかの誰でもないわたし」というユニークな個性が生まれるのだ、という意味合いです。

 

確かにそのとおりで…。
思えば、本名宣言にも立場宣言にもーそんな大仰に構えたものではない、小さな自己開示もー人とつながるためにする、というところに大切な意味合いがあったのです。「差別と闘う姿勢」というのも嘘ではないけれど、そのためには「一緒に考えていく、行動する仲間とつながっていく」ことが大切で、宣言するのは「つながろう」という呼びかけの意味があるのに、なにか「被差別者が闘うと意思表明する儀式」みたいなとらえ方にずれてしまったために、「宣言がゴール」であるかのような妙な実践を生み出してしまったのではないか…。ほんとうはスタートに立っただけだったのに。

 

現在は「本名宣言」「立場宣言」にフォーカスした実践は減っています。在日朝鮮人・外国人教育の現場でいうと「本名≒民族名」ではない、ミックスルーツや重国籍の子どもたちが増えてきたという事情もあります。そして80年代の形骸化した実践に対する反省も。ただ、その反省を深めて、ではどんな実践が必要なのか? というところの整理、理論化といったことが、まだ足りていないのではないかということを思います。

 

この本の後半は、筆者にとって身近なヨーロッパと中東地域の歴史や現状をふまえた叙述になっていくので、日本だとどうだろうかを考えながら読む必要がありますが、非常に示唆に富むものでした。しばらく手離せない1冊になるような気がします。

モヤモヤすること

開かれた対話、だいじだと思う。

意見の多様性、当然、あると思う。ないと困る。

自分と異なる意見にも耳を傾けたい…と思う。

 

が、しかし。

 

差別的な意見には耳を傾けたくない。とりあえず「黙れ」と思ってしまう。

相手が納得するかどうかは別として、とりあえずコテンパンに論破して、「どうもこの考えは一度持ち帰った方がいいようだ」と思わせたい。そのために口を開きたい、と考えてしまう私。

 

考えてみたら、昔から意見が対立すると私はそんな感じのやつだった。

口が立つ方だったし、「言い負かす」モードのスイッチがすぐ入る。

歴史修正主義レイシズムなご意見に対してはそれでいいとも思うのだけど、言い負かせるのか? と考えると、絶対に負けを認めない相手に対して、そのモードでいくら頑張っても、差別的なご意見を次から次へと呼び出してしまうだけで、逆効果ではないか…ということをつらつら考えて、絶賛モヤモヤ中。

 

前に見た映画『否定と肯定』を思い出す

miyearnzzlabo.com

「彼はこれで裁判に勝つか負けるかよりも、あなたを貶めようとしているんです」と。傍聴席とかにマスコミとかが来ているじゃないですか。日本と違って裁判はかなり向こうはオープンですからね。で、「アーヴィングという男はディベートがめちゃくちゃ得意な男なのでみんなの前であなたを問い詰めて、あなたがしどろもどろになっているところで『ほら、やっぱりホロコーストはなかった! この女は嘘つきだ!』みたいなことで、あなたを貶めようとしているんだ。あなたはそれにはまっては絶対にいけないんです」って弁護団から言われるんです。

 「うわぁ、そうなのか…」いや、確かにそうだよな。でもリップシュタットは反論したい。だって、正しくないことを言ってるのに!…という彼女の気持ちもわかるし、弁護士が言うことももっともだし、うぁぁぁぁと映画観ながらモヤモヤしまくったんだったわ…進歩のないヤツ。

 

いまモヤモヤしているのは、朝鮮学校をめぐるご意見のあれこれ。

私も、朝鮮学校の教育が素晴らしいと絶賛するつもりはない。学校は学校であって、日本の学校にもさまざまないいところも悪いところもあるのと同じで、朝鮮学校の教育方針や授業のやり方にしても、「おお!」と感動ものな授業もあれば、それほどでもない授業もある。私自身が言語を扱う教員だったから、朝鮮語イマ―ジョン教育は興味深いし、日本語の授業も朝鮮語の授業も興味深く見学させてもらうけど、実のところ「言語」に民族的アイデンティティを過大に乗っけ過ぎではないかとおもうことがある。教育方針の説明を聞いているときに感じてしまうことが多い:語り方、語る人のトーンによるところも大きいけれど、この話を日本の公立学校育ちで朝鮮語ぜんぜんできないコリアンの子たちが聞いたらモヤモヤするだろうなぁと、私はつい考え始めてしまうことが多い(私の親しい友人たちがほとんど日本学校育ちだからだとは思う)。言語だけが核じゃないと思うし…うまくいえないけど「民族≒言語」はわかりやすいから、ついそこが強調されてしまうのではないのかなぁとか。そんなこと考えながら、ふと周りを見たときに、見学者の日本人が「うんうん!」と感慨深げだったりするとモヤモヤする私は、ちょっとめんどくさいかもしれない。

それにしても、すさまじい偏見とバッシングのなかで、あえて危険をおかしてでも公開授業をやっている、学校や保護者、子どもたちの負担を考えたら、偏見持ちの人たちに「自分の目で確かめろよ!」と見学を案内することも、モヤモヤする。もちろん、学校は「そういう人たちにこそ知ってほしいから」とおっしゃるだろうし、まさにそんな人たちがいるから学校は開かれる。でも、なんなのこの不均衡。自ら学ぶこともせず、日本のメディアの無責任な言説に洗脳されているのは自分たちなのに、そこは棚に上げて、「朝鮮学校の教育内容って偏ってるんでしょ?」と大っぴらにものを言い、「では来て見てください」と招いてもらえる存在。そのために費やされる労力。怒りしか出てこない。そういうことを考え始めたら、前述の私のめんどくさいモヤモヤの方は、いまはどうでもいいと思ったりする。いまは、そこを考えていられる余裕がないというか…

本当はそんなことも含めて、民主的な学校とは、授業とは、といったことを朝鮮学校の先生方とオープンに話せたら、楽しいだろうなぁと思っている。なんといっても、「外国につながる子どもたちの教育」「継承語イマ―ジョン教育」を何十年もやってきた先達なのだ。なのに、その知恵を語り合うまえに、しょうむない偏見を糾すためのステップを置かざるを得ない。それが差別で、差別は社会を毀損するというのはその通りだと思う。なんでこんなに不自由なんだ。腹立つ…。

で、偏見持ちの人に偏見を糾してほしいという良心的な気持ちもあるんだろうけれど、朝鮮学校の見学後、「子どもたちがかわいくて素直で」「先生方が愛情深くて熱心で」といった賛辞が語られ、それが新聞に載ったりするのも、モヤモヤする(←とことんめんどくさいヤツ)。それもこれも、差別から守るためにそうなってしまっているわけで、ほめている場合なのか…。私は子どもたちが可愛ければ可愛いほど、先生方や保護者のみなさんの愛情を感じれば感じるほど、申し訳なくて身が縮む。だから実をいうと見学会に行くのはあまり好きではない(でも人を誘いたいから行く…)。行くと、楽しいけれど、楽しさのあとの辛さが半端なくしんどい。

 

…という辛さにさいなまれているところに、SNSで頓珍漢な偏見まみれのご意見を読んでしまい、そのモヤモヤをもう3日ぐらい引きずっていて、とりあえず吐き出してみたのでした。あー。モヤモヤする!

 

 

 

 

 

優しいパターナリズム

昨日も講師を頼まれてのお仕事。

小中学校の先生方、それも人権教育やりたい!という意欲のある人たちが、ただ学ぶというより実際に学校で取り組むことを前提にコアな活動をしている人たちの集まる場だったので、ウヨな人が紛れ込んでいることを想定して揚げ足取られないように微に入り細に入りしゃべる内容を考え抜いてやる仕事に比べれば、はるかに気楽なお仕事。

…だったわけですが、アクティビティやった後のふりかえり(意見交流)あたりから、どうにもモヤモヤが止まらず、この違和感は何だろうなぁとずっと考えていた。

で、朝起きて。

昨日、友人の何人かがFBでシェアしていたこの記事を布団のなかで読んで、あぁ、これかもしれないなーと思ったのが「優しいパターナリズム」というキーワード。

gendai.ismedia.jp

大西さんの本、買わねば。は ひとりごと(笑)

パターナリズムってなに?

ここはウイキペディアさんから引用。

パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている[要出典]。日本語では家族主義、温情主義、父権主義、家父長制、中国語では家長式領導、溫情主義などと訳される。語源はパトロンの語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。

ポイントは「本人の意志は問わずに」「よかれと思って」というところ。

要は「大きなお世話」ってやつ(笑)

と、こう説明されると、少なくとも人権教育が大事だと思う人は「これはアカン」と理解する人の方が多い(はず)と思う。でも一方で「だって子どもは判断力が未熟なんだからある程度は大人がやってあげないとダメじゃん?」とか「でも患者は医療の専門知識がないし、最善の治療を判断できるのはやっぱりドクターじゃん?」とかいう意見もあり、それも間違ってはいないと思う。そこで大事なのが「本人の意志」という点で、医療現場でインフォームドコンセントだのセカンドオピニオンの保障だのという考え方が生まれてきたのも、圧倒的に専門知の差がある医者と患者の力関係から生じがちなパターナリズム問題に「患者の意志決定」という歯止めをかけるため。

では子どもと大人では? 先に紹介したような「要支援者と支援者」という関係性では? ここに、医療の世界でいうインフォームドコンセントのような仕組みをうまく作れていない(作ろうと努めている人たちも少なくないけど)し、そもそもパターナリズムに気づかず「よかれと思って」善意の塊でがんばってしまっている人が教育や福祉の界隈には多い(それがアカンと気づいている人も少なくない…個人的には、この両者の溝がいろんな問題の背後にあるような気がしている)

「子どもために」というマジックワード

昨今、日本の教員の異常な働き蜂っぷり(このたとえも、実際の蜂に失礼ですが)がバレてきて、「働き方改革」という旗がしきりに振られている…なかで「仕事を取捨選択すればいい」というのは簡単ですが「これをやれ、あれもやれ」と強制力が働く中で取捨選択すると、けっきょく「どれが大事か」と自律的に判断することはできなくて、「やっとかんと後で怒られるかも」「やっとかんと評価下がるかも」という他律的な取捨選択が起こる。いまの現場でいえば「全国学力調査」がらみの仕事とか「いじめの調査」とか、文科省や教育行政から降りてくる指令は有無を言わさず優先される、つまりは強制力が働く。そうすると、強制力の弱い部分、子どもとなんでもない雑談をする時間とか、保護者の不安や困りごとに耳を傾ける時間とか、そういう「どこに位置づくかが説明しづらい仕事」の優先順位が低くなって零れ落ちていってしまう。

昨日も「まじめな若い先生ほど『やれと言われること』『やらなければいけないこと』でいっぱいいっぱいになって、人権が後回しにされる」という話が出ていた。要は人権教育は強制力が弱い。いじめの有無を確認して取り締まることには熱心でも、いじめの起きにくい教室をどうつくるかということには不熱心だから(というより、そこを人権教育ではなく道徳でやりたいというのが文科省、もとい日本政府の方針)。

そこで何が起きているかといえば、優先順位の低い人権教育をあえてがんばる先生は「働きすぎ」になって、あなた自身の人権はどうなってんの? という事態…なんだけど、なぜかそこになると「子どものために」というマジックワードが出てきて「働きすぎって言われても、子どものためを思ったら省けませんよね」というところで収まってしまう人が多い。なぜそこで人権教育の優先順位を上げさせる、優先順位を根本から整理しなおす提起をする、といった労働運動のステージに上がらないんだ! と思うけど、実際に現場にいたこともある私自身も(組合もやってたけど)、日常があまりにも忙しいと「こんな無駄なことするぐらいなら生徒と面談したい」と思う「無駄なこと」をストライキして後からごちゃごちゃ怒られて余計に時間が取られる面倒さやら、運動組むための議論の時間が取れないことやらの実務的に「無理だよ!」のなかで、けっきょく面談の時間を捻出するために残業増やす、ということを繰り返していたから、難しいことも重々わかる。

それでもやはり「子どもために」をマジックワードにすることを思い切ってやめないとダメなんじゃないか、と思う。やめる、というより、そこに潜むパターナリズムの誘惑(?)に自覚的になった方がいい、という感じかな。

「子どものために」のなかみは?

昨日も意見交流のなかで、「子どものために」に類似するワードが何度も出てきていたような気がする(モヤモヤしながら聞いていたから、正確に覚えてない…あ、誤解のないように今更ですが言っておくと、モヤモヤするのはたぶん私の側の課題意識の問題で、モヤモヤのきっかけとなった発言の発言者がおかしいとかそういう問題ではないんです。念のため)

でも、「子どものため」ということばで表されているなかみが、みんな実は微妙にずれているのではないかな、ということ。

ある課題を抱えている人がいたとして、その人を支援者が望む(社会の在り方として望む)形での課題解決に向かわせることは、一見、正しいようで、支援と引き換えに「特定の在り方を強制させる」ことでもあります。

というのは先ほどの記事のなかにある大西蓮さんの発言。

「子どものために」というときに自分が何をどうイメージしているか。

そのイメージは「子どもはこうあるべき」「子どものために教員はこうあるべき」という「特定の在り方」・・・それも、現在の矛盾だらけの世の中に適合的な「在り方」だったり、自分自身の「こうあってほしい」欲望に沿った「在り方」になってしまってはいないか。その子どもの「意志」はどこまで尊重されているのか。そもそも「意志を尊重する」とはどうすることなのか・・・

ほんとうは、その部分のすり合わせをしなければいけないのに、あまりにも「自明のこと」として、みんなが自分と同じような意味となかみで「子どものために」を使っている信じ切っている? そんな危うさが人権教育に熱心で、しかも長年取り組んできた人ほど、あるのかもしれない(これは支援教育だとか地域の日本語教育にかかわってくださるボランティアさんだとかにも共通するかもしれない)。

私のモヤモヤは、「なんか危ういぞ」という直感だった。

私の直感を支えるもの

そこらへんは、けっこう今までも書いてるな(苦笑)

たとえば、これとか。

日本語教育と母語保障と・・・バイリンガル人材? - わったり☆がったり

8月中、この記事の後半に紹介した史料を再び引っ張り出しての、自分の過去の研究のまとめ的な原稿を2本抱えていて、〆切が迫るとタイムリープして8月31日が何時までも終わりません…状態に陥っていたから、「子どものため」ということに過敏に反応したのだと思う。

植民地期の史料で、特に人びとの「肉声」に近いものを読むと、ほんとうにいろいろな人がいて、日本人の私は「差別しない優しい日本人」エピソードにホッとしたりもしがちだけど、その優しさもけっきょくパターナリズムでしかないと気づくことも、同じぐらい多い。ことほどさように、社会的にはっきりと強者と弱者に分けられている状況のなかで強者が弱者の権利や意志に意識的になって、「よかれと思って」行動を先走らせないことは難しい…と痛切に思う。痛い。

最近の日韓関係…というより、外交上の諸々をきっかけに噴出している日本語言説の数々(政治家やメディアから個人の発言まで) に、植民地時代の「上から目線」がまったく正されずに生き残っていたことを思い知らされて、軽く絶望しそうになる。え、この人も?と思うようなこともたびたびで、そういうタイプの人がまさに「優しいパターナリズム」だったということ。痛い。と同時に、そこらへんの自覚のしづらさ、だからこその歯止めをかける仕組みづくりをすることが、真の意味での植民地主義清算なんだろうなと思う。

植民地主義引きずったまま、いくら国際理解だの多文化共生だのいっても、パターナリズムに陥るだけだろうと思う。なんといっても大日本帝国天皇を父とする家父長制イデオロギー国家だったのだから、パターナリズムと親和性が高いんだよ。その枠組みのなかで「優しいいい人」をめざしたら、そりゃ家父長制的温情主義(パターナリズム)になるよ…ということ。

清算されないまま社会の底流に流れ続けた植民地主義から、まだ全然自由になっていない日本社会で、私もあなたも生きている。まず敵を知って、そこから自由にならなければ。