わったり☆がったり

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識字から

第4回 識字・日本語学習研究集会 よみかきことば・つながるための学習を支援する

・・・に参加した日曜日。

「識字」とは。

「よみかき」・・・だけど、大阪の、解放運動の「識字学級」はそれだけじゃない。

 

識字運動で大切にされてきたのは、学習機会を奪われてきた人たちが、「なぜ自分がそのような人生を強いられてきたのかをふりかえり、そこから改めて輝く人生と公正な社会を切り拓く主体となっていく」ことです。
(集会パンフレット巻頭言より) 

 そやねん! ここ! ここ!

「識字のおばちゃん」たちの、たくましさ、やさしさ、ユーモア。
けど、ちょっとめんどくさいとこ(笑)の話。

「子どもが部落差別勉強して来て『おかあちゃん、部落って何や』って聞かれたけど答えられへんかったから」と識字学級に来たおばちゃんが、30年経って「いまは自分が差別せんように勉強してんねん」と言い、学校に行けずにうろうろしている中学生を気にかける姿。

身売りされた少女の頃、つらいエピソードを一つひとつ思い出し直し、綴り、読み、また綴り、「とにかくつらかった、二度と思い出したくなかった」「でも書いてよかったと思うねん。若い子らに伝えていかなアカンと思ってん」と言い切る姿。それを学習パートナーとして支えた人の「書くことがエネルギーに変わる瞬間に立ち会った」という体験が「厳しい現実の中を生きる子どもたちは宝。そのエネルギーが社会を変えていく」という教育哲学に昇華していった話。

「よみかき」から引き離され、孤独に生きてきた若者が、「競争主義」「自己責任論」の陰でどんどん見えなくなっている現実。「できない人」を簡単に切り捨てる風潮に、わたしたちは抗えているのか。そこに抗ってきたのが「識字」ではないのか・・・。

わたし自身が、「識字のおばちゃん」たちに出会った20歳そこそこの頃を思い出す。

わたしは、学校が嫌いな子どもだった。

 

学校に行けなくて、文字に拒絶されて、悔しい思いをしてきた人たちの通う「学校」は、わたしが知らない「学校」の世界だった。

わたしは、文字の世界/本の物語のなかに逃げ込むことで、心を支えられてきた子どもだったから、「文字が敵に見える」世界があるなんて、思いもよらないことだった。その人たちが、文字を知り、覚え、綴っていく。そして「文字が敵でなくなる」のだ。なんてすごい世界なんだろう。・・・それまでわたしが逃げ込んできた物語の世界が、ちっぽけに思えて、わたしもおばちゃんたちにハマった。

全体会で、そんなことを思い出していたら、隣に座っていた学習者さんとおぼしきおばちゃんが「これも作文に書けるな。こんど書くわ」と学習パートナーさんと思しき人に話しかけていて、胸がいっぱいになってしまったのだった。

いま、競争に勝つこと至上主義で、負けることはみっともなくて、ダメなこと、価値のないことと切り捨てていく空気が蔓延している。「よみかき」の権利から引き離される人がいることにも気づかず、競争の階段の上ばかり見上げて暮らしていないか--そこを問い続けることが、教育にかかわる者の矜持でなければならない、と思う。

識字のおばちゃんたちが、人生をかけて綴ったような、そんな「綴り方」の経験を持たないで育つ人の方が多いだろう。自分に向き合い、自分を肯定し、思いを伝えるエネルギーに転換していく。そのエネルギーが切り拓く「公正な社会」をともに思い描けたら。

識字は教育の原点だ、と改めて思った日だった。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』鴻上尚史

「9回出撃して9回帰ってきた」佐々木友次さんという特攻兵のことを、鴻上さんが調べ、インタビューし、書かれたもの。

bookclub.kodansha.co.jp

私も新聞の書評で「9回出撃して9回帰ってきた」というところに俄然興味を引かれて買ったのだけれど、想像以上だった。当然、「特攻とはなにか」という問題にも触れられるのだろうとは思っていたけれど、これはリーダー論、日本論としてもすぐれた1冊。

鴻上尚史さんは第三舞台を率いていた演出家・劇作家だ。平田オリザさんもそうだけど、鴻上さんも演劇に関する書籍やワークショップなどで「どうすればうまく動けるか」とか「どうすれば構成が作れるか」とかいったことを、高校生初心者でもわかるように説明するのが巧い。高校で演劇部の指導をするようになって彼らの著作を読んで、「なぜ自分が高校生のときにこういう人がいなかったのか・・・」と思ったものだ。何を言ってるかわからない、情念だ、情熱だ、身体性だ・・・??? わけもわからずに右往左往していた高校生の頃の時間返せ! と思ったり(笑)

けれど、「精神」を語るのは、リーダーとして一番安易な道です。/職場の上司も、学校の先生も、スポーツのコーチも、演劇の演出家も、ダメな人ほど、「心構え」しか語りません。心構え、気迫、やる気は、もちろん大切ですが、それしか語れないということはリーダーとして中身がないのです。/ほんとうに優れたリーダーは、リアリズムを語ります。現状分析、今必要な技術、敵の状態、対応策など、です。今なにをなすべきか、何が必要かを、具体的に語れるのです。261-262pp第4章特攻の実情

これは、いかに特攻を立案した上層部や命令した指揮官といった「命令する側」の人間にリアリズムがなかったか、という分析の中の一文。アメリカ軍の戦闘機をかいくぐぐって目標(戦艦)に近づき体当たりを成功させるのは至難の業なのに、そんな飛行条件もパイロットの技量も何も理解できない人たちが「気合いがあればできる!」とただただ叫んでいる・・・そういう実情をさまざまな資料で紹介されるのを読んでいると、憤りややるせなさで何とも言えない気持ちになってしまった。と同時に、今の総理とか官房長官とか大阪府知事とか…といった政治家の顔が何度も思い浮かび、背筋が寒くなることおびただしかった。怖すぎる。

そして、特攻に駆り出された優秀なパイロットたちの中に、佐々木さんのように「死ぬことではなく攻撃を成功させることが大事なのでは?」と疑問を持ち、無謀な作戦や嫌がらせのような命令に抗い、異議を唱えた人たちがいたことを知り、こういう人たちの抵抗の姿こそ、もっと知られなければならないと思った。(鴻上さん自身、そのためにこの本が書きたかったのだと本書のなかで述べている)

特攻について知らなかったこともたくさんあり、勉強にもなった。特攻機は爆弾を抱えたまま突っ込むことを念頭に改造されているから、攻撃を受けても迎撃することができない。だからその援護のためについていく別の戦闘機があり、その戦闘機のパイロットが特攻の戦果を目視で確認して報告するのだということとか、実際には高度から爆弾を落とす方が貫通力は強く、体当たりでは鋼鉄の軍艦の甲板は破壊できないこと、そもそも体当たりするには高度な飛行技術が必要で、経験の浅いパイロットでは無理だったということ・・・。読めば読むほど理不尽極まりなく、何がしたいんだ日本軍は! とまったく理解できない。そりゃ負けるよ。負けて良かったよ。と思う。けれど、負けてもまったく反省なしだった「命令する側」の言動の数々も出てきて、開いた口がふさがらない。亡くなった方に申し訳ないとしたら、こんな言動をのさばらせてきた戦後社会の私たちの不甲斐なさだよ・・・・・・。(21世紀になってもなお、美談にすり替えた特攻戦記がベストセラーになったり映画化されたりしているわけで。ほんとうに申し訳ない)

今の政治家とダブる・・・と書いたけれど、これは学校現場にも言えるかもしれない。
文科省が「学力向上」をいい、現場は「そういう問題と違うやろ・・・」と、そのリアリティのなさを嘆く。けれど世間の声も「学力向上!」の方が好きで、そのものさしでしか学校を見ない。子どものかかえている現実や保護者の直面している困難、その背後にあるグローバル社会という情勢・・・そこで現実に向き合い生き延びていくために必要な力を子どもが育てていくために、学校や大人に何ができるのかを考えている教師は、異議を唱えて抵抗する。でもそういう教師は煙たがられ、うるさがられ、「そんなことより学力を上げろ」と言われる。クラスの定員や授業内容の精選など、必要な手立てを提案しても予算がないとか制度上無理とか、そして最終的に「本気で子どもを思うならできるやろ!」とパッションの問題にすり替えられる。・・・そんなことがあまりにもまかり通っている。

本書に登場する佐々木さんはじめ、無謀無茶苦茶な軍の方針に抵抗した人たちの当時の年齢は、みな20代だ(佐々木さんは21歳)。彼らが抵抗できたのは、飛行機が好きで確かなスキルを持ち、自分の知識と技術に自信があったからだと思う。だとすれば、現在の私たちもまた、自分のやりたいことを磨き、それぞれの専門性を高めていくことで「おかしい」と気づく力を持つこと、そして「おかしい」と思ったら抵抗すること、抵抗する方法を考えてやり抜くことが、理不尽な歴史を乗り越えていく道ではないか。

広く読まれてほしい、と思う。

これとセットで『青空に飛ぶ』という小説(講談社)もあるとのことなので、次はそれを読むかな。鴻上尚史さんには『「空気」と「世間」』という著書もあり、こちらも優れた日本論。(本書と同じ講談社新書)オススメです。

 

アライ(ally)って・・・

これが比較的まとまっているのかなと思いますが

キャシー(@torontogay69)さんのアライ(ally)に関する発言まとめ - Togetter

元々が「Ally(同盟する)」から来ているものだから、要はセクシャルマイノリティの人権運動に連帯し、共闘する「非当事者」に名前を付けました、ということが発端だと、あちこちで説明されているし、そうなのね、と思う。

思うんだけど。

どうもしっくりこないところがある私。

先日もテーマが「LGBT」のとあるシンポジウムで、当事者と並んで「アライ」のパネリストがいて、いずれも若い人でおもしろくはあったんだけど、どうにも「アライ」って・・・とモヤモヤしてしまう自分が止められない(笑) 

私が上のまとめでも私がもっとも重要だと思うのはこの部分

  • アライになる上で、一番大事なのが相手と自分の社会的立場を知るということ。自分が社会の中で恵まれている部分と、相手が社会の中で不利な部分に注意を払って、絶え間ないコミュニケーションをしていくことはアライの責任
  • アライになるなら、自分のペースでいいので、社会の中の差別、特権、不平等を知ることから始めるといい

そうすると「アライは、要するに支援者」という理解はそれでいいのかな? という気がする。マイノリティとマジョリティの間には社会構造上生み出される不平等な力関係があり、そのなかで不利を被るマイノリティは問題を自覚しやすい(というより日々させられてしまう)から当事者として声を上げるわけで、問題の片端には有利になっていることに気づかずに構造に加担しているマジョリティがいるわけで、加担しているんだからマジョリティだって、その問題の当事者なんだよ。(そう考えると「当事者」ということばも難しい。「被差別当事者」と明確に言うべきか)

私自身は、在日朝鮮人子ども会に始まって、気がつけば子ども会に出会うまでの人生の1.5倍ぐらいの年月をこの課題と並走して過ごしている。そんな私は「アライ」?

学生の頃、「実践・交流・共闘」ということばを運動界隈の人たちからよく聞いて、その3つの原則は、今も私が何かを考えるときのベースになっている。目の前の差別や不公正に対して黙らない、社会構造を変えるために何らかのアクションを「実践」するということ。その「実践」のやり方を考えたり再検討したりするためにも、同じような思いで実践している、あるいは実践を模索している人たちと「交流」し、つながること。そして課題が共通であれば「共闘」すること。

私は在日朝鮮人の「支援者」だと自分のことを思ったことはあまりないし、そもそも「支援したい」と思って関わったんだったかな・・・というところも曖昧。

差別と闘う人たちの姿を間近で見ながら「かっこええ!」と思い、必死でその後ろをくっついて走っていたのが最初。そのなかで、当事者が出す方針、お膳立てしてくれる運動にのっかって頑張っている気分になってしまうのは、当事者に依存しているだけだよな、私は私として自立した実践者にならないと、運動のお荷物じゃん・・・と少しずつ思うようになり、同化と排外の日本社会の片棒担いできたマジョリティ日本人の自分が何をすべきか、何ができるか・・・を考えてきた。そこを考えるためには当事者と「交流」し続けなければ答えが出ない。・・・そういう営みを一言でくくってしまえば「日本人と在日朝鮮人の共闘」みたいになっちゃうんだけど。交流も共闘もごっちゃになりながら、私なりの「実践」って何だろうとずっと考えて、思いつくままやってきた。

・・・これって「支援」じゃないよね。

ま、「支援者」と呼ばれても別にかまわない(私は自称しないけど)。「アライ」が「支援者」という意味であるのなら、私は自分自身で「私はアライです」とは言いたくないし言わないな、と思う。「連帯」とか「共闘」とか(笑)そっちの方がしっくりくる。

 

在日朝鮮人教育、在日朝鮮人解放運動・・・における「私(日本人)」って何だろうと、「アライ」なんていう名づけのないところで悶々と考えてきた日々が今の私を作っている。名まえがつくことで問題が可視化されるということはあるから、「アライ」が別に悪いとは思わないけれど、名づけられたことでわかったような気になりやすい、という落とし穴もある・・・「アライとしてがんばってます!」と楽しげに語っていた若い人に、不安を感じてしまうのは、そういうことなのかな。

 

今朝、とあるNPOのニュースレターを読んでいた。
在日朝鮮人、外国ルーツの子どもたちが何かと生きづらい日本社会のなかで、「日本人嫌い!」「日本ってなんてひどい・・・」と叫びそうになる、そんな時、さまざまな取り組みの場で出会った日本人の存在が「自分の味方になってくれる人がいる」と思える「一つの大きなお守り」だと若い当事者の人が書いていて、泣けてしまった。私も、お守りの一人と思ってもらえてるんだな・・・と感じて、恐れ多いやら有り難いやら。と同時に、私はそんな「お守り」になりたくて、ここまで付かず離れず、ずっと生きてきたんだなと改めて、初心に帰る気がしたのでした。

「お守り」と「アライ」はやっぱり違うと思う(←しつこい 笑)

 

私的韓国映画week

日曜日、東京出張ついでに野田秀樹観ようと思ってたのを台風が心配で断念し、
月曜日、授業の感想のなかに凹むヤツがいくつかあって落ち込み、
星占いでも「くよくよ悩んでしまいそう」12位! という具合だった神無月終わり。

こういう時は体調にもくるんだなー。私的わかりやすいカラダ。

んで、気分も変えたかったので夕方から韓国映画をはしごして
日が変わる頃に帰宅という暴挙に出た昨日(笑)

バッカス・レディ』原題Spring has come

『バッカス・レディ』 - 映画レビュー

現代韓国の「影」を描いた・・・という映画評が多い。
(劇中、ドキュメンタリー映画をつくりたい青年が「GDP11位になったのに、高齢者の貧困が―」等々と語る場面が挟まれていて、「光」部分しか知らない人にとったら、この兄ちゃんが橋渡し役なのかな? と思った)

けど、「影」部分で生きている人にとっては、それはただの日常で、
楽しいこともしんどいことも、悲し過ぎて滑稽だよ! なこともある。

うまくいえないんだけど、社会問題に取り組まねばと思う人であればあるほど
そういう日常の細々とした姿は「置いといて」
わかりやすく「貧困」とか、わかりやすく「不幸」とか、を切り取りがち。

映画や小説の役割は、そんな細々した日常を可視化できることだと思いますが、
その意味でこの作品は佳作。観て良かったです。

あー、この年代の人は「パゴダ公園」って言うのね、やっぱり・・・とか

たしかにパゴダ公園はじいちゃんいっぱいいてるよなー、とか
(90年代初頭に初めて行ったときは、おじいちゃんたちの視線が冷たかった。
 けど、最近はそんな感じも薄れた気がするよな・・・と関係ないことを考えたり)

「韓国人の男はみんなクズっ!」という台詞に「いや、国関係ないよ」と
つぶやいてしまったり(フィリピン現地妻と子どもを捨ててきて、
知らん顔しようとするクソ医者が登場するのです)

そんな安い金額でフェラさすな! と怒りでえづいてしまったり

高齢者の孤独問題つらいよな・・・とは思えど、じじい身勝手が過ぎるやろ!
とまたまた怒りが湧きあがったり

フィギュア(しかもエロフィギュアっぽい)作ってるにいちゃんが義足なのは
兵役で事故ったんやろか、と考えたり

端々にフィリピン人とかアフリカ系の人とかが雑に登場するのはステキだし

韓国映画って、こういう役柄にトランスジェンダー(しかもだいたいMtF
もってくるの好きよなーと(嫌ではないけど定型化してる気もして)
ちょっと複雑な気分になったり

朝鮮戦争、国際養子・・・というのは韓国現代史では抜けない要素だよなと
再確認させられたり

・・・そしてたぶん、日本にもこういう人たちはたくさんいるんだろうな。
見えていないだけで。

『わたしたち』原題우리들

わたしたち(2016) - 映画情報・レビュー・評価・キャスト | Filmarks

こちらは子どもの世界。小学校4年生。ギャングエイジ終って思春期に向かう頃

バッカス・レディ』も生々しかったけど、また少し違う生々しさ。

監督は、子役の彼女たちに事前に台本を渡さず、
当日その場で状況設定と最初のいくつかのセリフを伝えて、
あとは場の流れに任せながら撮影していたらしい(是枝監督と似ている)

リアル。すごいリアル。そうよ、小4こんな感じよね! という・・・

私も小4夏休みに突然転校したんだな。
(小2の1,2学期を過ごした学校に戻る形だったけど)
女子のトップ?のボア。そのボアたちに嫌われているソン。
あからさまにいじめがあるというより、
だれもソンを気にかけないという空気が漂っている教室。
(ボアは割とはっきり意地悪していますが、これも痛々しい)
その力関係のなかに転校してくるジア。

偶然出会って、クラスと関係のないところで友情を育めたのもつかの間、
クラスの力関係に巻き込まれて、ふたりの友情はねじ曲がる。

こちらも映画評で「いじめ」という単語がよく出てきて、
たしかに劇中でも「いじめ」ということばが出てくるんだけど、
子どもたちがそこについての心情を一切語らない作りになっているのが
秀逸だなと思いました。「さびしい」とか「つらい」とか一切なし。

この子は今何を考えているんだろうか・・・が、
観る側の想像力に全部任されていて、画面にあるのは
少女たちの小さな表情の動きや、その目に映っている状況・・・

だれも悪意がないけれど、力関係が発生し、その力関係のなかで
自分の位置を必死で探している。これは社会そのものだ。

学校は社会の始まりだと、改めて実感させられました・・・。

そして、大人が無神経なんですよね(笑)
大人にも悪気はないし、むしろ子どもを心配しているんだけど
裏目にしか出ないというのがリアルすぎて怖いぐらい。

ソンの弟、ユンは友だちのヨノ(出てこない・・・見たかった 笑)に
いつもケガさせられているけど、仲良し。
顏に派手に青たん作っているユンに、ソンが
「なんでヨノと遊ぶの? やられたらやり返さなきゃ」と訊いたときの、
ユンの答えがすごいのです。

「叩くでしょ、叩き返すでしょ・・・そしたら、いつ遊ぶの?」

哲学だ・・・。ユン、神か! と思いました。

 

・・・ということで、昨日はプチ休暇のような日でした。

韓国で考えたこと

9月11日~14日、韓国の代案教育運動を勉強しにソウルと江華島に行っていました。

これ コアプラス企画・韓国教育視察ツアー on Strikingly

代案教育運動の詳しいところは「韓国 代案教育」「韓国 代案学校」でググると、日本語の論文も幾つかヒットしたので、そちらに譲りまして。

ここでは少し、考えたことや共鳴したことなどを雑駁に書いておこうかと思います。

 

まず用語問題。~というか、その背後にある思想?姿勢?の問題。

「代案教育」は日本では「オルタナティブ教育」と呼ばれているあたりで、
「代案学校」は「オルタナティブスクール」。
日本語に訳しづらい(?)ということで外来語ママになったのだろう・・・と思っていて、今回ツアー参加を決めたときも、韓国では「代案」と訳したのだな、ぐらいに思っていました。韓国語を勉強していたときの印象で、韓国では日本よりも「外来語ママ」の単語が少ない≒翻訳努力を惜しまないんだなという認識だったせいもあります。

が、しかし。

いろんな人に会っていろんな人に話を聞いていると、この人たちはまさに「代案」を出そうとしているんだなということをひしひしと感じました。もちろん、日本でオルタナティブな学校や教育の場を作っている人たちも、公教育(公立という意味ではなく、公制度的に学校と認められているもの)に「代わる場」を模索してきたわけだから、同じなのかもしれないけれど、もっと明確に政府や社会に対して「これが私たちの考える代案ですけど、どう?」と積極的に打って出ている感じが強かった。なおかつ、それが学校に止まらず、「こんなに受験競争でみんな疲弊しているのに、それでいいの?」「人を蹴落とす生き方でない生き方を学べる場を作ろうよ」「自分のためだけにガツガツ勉強して周りが見えない生き方なんてつまんないぞ」と、個人個人の生き方や社会のあり方にまでハッキリ切りこんでいくパワフルさ。

なぜ違うのか・・・は386世代とか民主化運動の経験・蓄積の違い(朝鮮戦争から軍事独裁政権という歴史の違い)とか、いろんな理由づけができるし、それぞれに納得もできるのだけど、それだけの問題なのだろうか・・・と考えさせられています。

帰ってきてからいろいろググってみてにわか勉強していたら、こんな解説がありました。(適当にメモしたもので、出典わからなくなってしまった。すいません)

受験のための教育はエリートを育てたが、エリートは地域を捨てていく。 その教育を担ったのが公教育:学校への代案は「地域に根ざす教育:学校」になるのが必然だった

不登校になる/学校不適応を起こす子どもがいて、最初は「適応できないその子どもの問題」だと考えられた(私が中学生の頃は「登校拒否」とか言ってましたもんね)。しかし、そうではなく「学校に来られない子ども」を生み出してしまう構造的な問題が学校の方にあるのだというとらえ方に変わってきて、フリースクール等の「オルタナティブな学びの場」が社会的にも認知され始め・・・今日に至る。わけですが、

韓国ではその「学校側に存在する構造的な問題」は「社会構造に由来する問題」なのだという意識が明確。私も子どもの居場所づくり、学習支援の場にいくつか関わってきたけれど、子どもが学校に対して感じているしんどさや違和感をほぐせる場、学校だけが世界のすべてじゃないと気づける場にしたいという思いはあっても、その先の社会を変えるということをどれぐらいハッキリ意識できていたかと考えると、どうも心許ない。もちろん掘り下げて突き詰めていけば、そういうふうに答えられる中身はあると思うのだけれど、勉強を教えたり、イベントを考えたり手伝ったり・・・という一つひとつに「これが(学校のしんどさや矛盾に対する)私たちの代案だ!」なんてふうには思っていなかったよなぁと痛切に感じました。もしかしたら「オルタナティブ」という外来語に頼ってきたのも「学校とは別の世界があるよ」と、代案とまで言い切らない、既存の学校を敵に回したい訳ではないんですよという留保を無意識にアピールしていた結果では・・・等々(まぁ、だとしたらそこには日本の事情というか、「代案だ!」と張り切って打ち出したら「お上に歯向かうサヨク」レッテル貼られてやりづらくなるんだろうしなぁ・・・とも思うので、悪いとばかりは思わないけど)。

生き方の「代案」を出す

韓国の受験競争の激烈さが日本の比ではないことは、比較的よく知られたことだと思う(とはいえ、それは2月ごろの大学入試をめぐるイベント?をおもしろおかしく伝える、要は韓国を茶化す材料として知れ渡っている感もあって、なんだかなーですが)。

競争には勝つ人もいれば負ける人もいる。日本でも「勝ち組/負け組」などという下品な表現が大手を振ってまかり通っていて、負ける方が悪いと言わんばかりに子どもは叱咤激励され、「がんばりたくない」という選択肢は初めから「ない」社会。日本の学校だって毎年毎年学力調査という名でランク付けされて現場も保護者も右往左往して、学力さえ上がれば学校の仕事は終わりなのか?と思うぐらいの競争っぷり。競争すれば「いいもの」が残る、と新自由主義の人たちは言いたいのだろうけど、人間は「もの」ではない。勝ち残れずに脱落していった人はどうすればいいのだ?・・・そこに答えを出そうとせずに競争を煽り続ける態度は、教育:Educationと真逆だ。

韓国で最後に訪れたサンマウル(산마울)高校の校長先生が、卒業生の大学進学率なんかを話しながら「もっと下がればいいと私は思うんですよね~みんなこぞって大学に行くだけが人生じゃない。別の生き方を創造していけるようになるといい」みたいなことをしみじみおっしゃっていました。・・・個人的には、これがかなり衝撃的で。

同和教育でも在日朝鮮人教育でも、学力保障・進路保障は昔から大きな柱で、それは今も変わらないし、変わってはダメだとも思う。差別によって学習の場/進学の機会から排除されてきたマイノリティが学習権を取り戻していく取り組みだったという事実。学力は競争に勝つためではなく、自分たちの生活の貧しさやしんどさが社会構造上の問題であり、父や母の人間的な弱さや自分の能力のなさといった個人の問題ではないととらえ返すために必要なのだし、差別によって排除されてきた〈場〉に機会をつかんで入っていくことは「私はここにいる!」と宣言することでもあった。

ただ、学力、進路、進学・・・というルートが、受験競争と親和性が高いことも事実で、「進路保障」と銘打っての取り組みのなかで、子ども一人ひとりの生き方/長い人生を見据えての試行錯誤が不十分なまま、とにかく大学に進学することを良しとしてこなかっただろうか。高卒より専門学校卒、短大卒、それよりも大卒・・・と進むほうが選択肢は確かに広がる。選択肢が広がるのは良いことだし、現実問題として選択肢をあまり持たないまま日本社会に放り出すことは危なっかしくて、教師の立場としては躊躇される。7~8年前、twitter上で外国人児童生徒支援に関わる方と「進学指導一辺倒でいいのか」というやりとりをしたことがあった。「中卒で自動車整備工になる人生を否定すべきでない」というのは正論であっても、高校進学率が9割を超え、かつ学齢期を超えた人びとの「学び直し」ルートが貧弱な日本社会で生きていく子どもの未来を考えたとき、本人の希望だからといって高校進学を勧めなくていいのか? というのが私の迷いであり、実感だった。自動車整備工になることと高卒資格を取ることを両立させる道を探るのが、教師の仕事だと思っていた(今も思っている)。しかしそれを社会変革という視点でもう一度見直すと、けっきょく現状の受験競争、学歴社会を追認して、それに対応する「進路」を子どもに押しつけているだけではないかとも考えられる。問題は、中卒で働き始めた青年が何年か後に「やっぱり高校に行こう」と思ったときに定時制高校すらほとんどないという社会の不備ではないのか。あるいは「中卒」というだけで何か欠陥があるかのように処遇する社会の問題ではないのか。差別は許さないと言いながら、差別を受け入れてしまっているのではないか。・・・そんな問いかけを抜きにした「進路保障」の危うさを、改めて考えさせられてしまった。

大学に行くことが人生の幅を広げるように、大学に行かないこともまた、別の人生の幅を広げるのだという、考えてみれば当たり前のことなのに。それをさらっと言ってのける人を前にして、なんやかんやいっても私自身の人生の幅が狭いということなのだろうな・・・と、しみじみ考えてしまい、帰ってからも考えてしまっています。

「エリートは地域を捨てる」ということも。私も地に足ついてないもんなぁ・・・と(エリートかっていうと微妙だけど)常日頃思っていることをまた突きつけられて。外国から結婚で日本に来て、慣れない土地で家事や子育てに奮闘している中国人やタイ人のお母さんたちの方が、私よりもよほど近所づきあいに熱心だし、丁寧な暮らしをしているなと感じることは以前からあったけれど、そんなところまで射程に入れてやっている代案学校。でも卒業したら大学に行って都会に行ってしまう子が大半という、これも現実。

人が働いて暮らす、生きて働くとは、どういうことなのか。

教育の問いは続く。ということなんだろうな・・・(まとまらないなー)

8月末・・・1923年//2017年

8月24日に、こんな一報が流れた。

東京都の小池百合子知事は、毎年9月1日に営まれている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を、今年は取りやめることを決めた。」

え?

そのときは、「石原慎太郎でさえ出してたのに・・・」と聞いて、逆に石原は(ふだん「僕は文学者だから」というプライドの塊が)どんな文章を出してたんだろう。前例踏襲で自分が書いてもない文章を石原慎太郎名で出すのは平気なのか? いい加減な「文学者」プライドやねんなー等々、ちょっと明後日なことを思っていた。

8月25日の会見でのやり取りを聞いて、そんな呑気な感想はぶっ飛ぶ。

www.targma.jp

「これまでにも都知事として、関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表してきた。全ての方々への慰霊を行なってきた」

「そこに民族差別という観点というよりは、私はそういう災害で亡くなられた方々、様々な被害で亡くなられた方に対しての慰霊をすべきだと考えている」

「様々な歴史的認識があると思うが、関東大震災という大きな災害、それに付随する様々な事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊をする気持ちは変わらない」

朝鮮人虐殺は「震災に付随する様々な事情」ではなかろう。震災を生き延び、助かった命が、惨殺されたのだ。

さらに、この追悼式は9月1日に東京都墨田区横網町公園で行われるが、同日同時同場所で「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」が開催される(都が公園使用を許可)。在特会系の「そよ風」という団体が「虐殺否定の立場を明確にして行う」というのだから、嫌がらせだ。
(なお、検索すればこの団体の参加呼びかけ記事がヒットしますが、リンクは貼りません)

追悼文は送らない、
嫌がらせを許可する、

・・・要するに東京都は朝鮮人虐殺の史実に背を向け、歴史改竄主義にお墨付きを与えるということだ。

違いますか?

関東大震災での朝鮮人虐殺を否定したがる人たちがよく持ち出すのが「正確な人数もわからないじゃないか」という点ですが、そもそも官憲が加担していたがゆえに記録されなかった案件も多数あるうえに、官憲がデマに気づいて事態収拾に乗り出した後も、日本政府は被害の実態をきちんと調べようとはせず、昭和になっても戦後になっても放置し続けたから、ということをどう考えるのか。具体的な被害の実相を調べ、記録に残してきたのは名もない郷土史家の人たち、在日コリアンの研究者たちだ。

これが出たのがようやく2008年である。

報告書(1923 関東大震災第2編) : 防災情報のページ - 内閣府

関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。」

それでも、内閣府に事務局を置く中央防災会議がこうして明記した意味は大きかった。・・・と思っていた。

こういうのは日本の常で既視感しか覚えない・・・のも情けない話だが、政府が事実を(まかりなりにも)認めて、ようやく謝罪・総括の話ができるのか・・・と思いきや、それをちゃぶ台返しする人が同じ権力のすぐ近くから湧いてくる。

 

いま、もっとも手軽に読めて、この問題を考える入口にふさわしいのが『九月、東京の路上で』なので、未見の方はぜひ読んでほしい(元になったブログから読んでもらっても)

tokyo1923-2013.blogspot.jp

 

虐殺を否定したい人はなぜ否定したいのか、動機を理解するのに苦しむが、いまはそこを問題にするよりも、史実を捻じ曲げ改竄して平気な態度と、それを見過ごし「それがどうした?」と言わんばかりの無関心が、日本社会を毀損しているのだと社会に訴えるほうが先決だ。

人間は間違う生き物だ。一方で、できるだけ間違いたくない、無謬でいたいと願うのも当然だ。だからこそ先人の「過ち」の経験から学ぶのではないのか。

折しもDPRKのミサイル実験を、さも「日本に向けてミサイルが撃たれた」かのように喧伝し、恐怖感をあおる報道で、昨日(2017.08.29.)の午前中は埋め尽くされた。その煽動の先に何があるのか、1923年の教訓は非常に重い。とても90年前の話とは思えないリアリティを私はつきつけられたのだが、みなさんはそんなふうに感じませんか?

いまは1923年の、この日なのかもしれない、と。

『フリーダム ライターズ』

半年放置していたブログ……(笑)

『奇跡の教室』の感想を読み直してみたら、

『フリーダムライターズ』を観たときに「ここでもホロコーストなんやな……」と思ったんだけど、両者は大分違うなと改めて思い直したので書いておこうかと。

 

フリーダムライターズ http://www.werde.com/movie/new/freedomwriters.html

も実話をもとにした作品で、こちらの舞台はアメリカ西海岸。ロサンゼルス暴動から2年という時期の高校で、家庭でも地域でも暴力にさらされながら生きている高校生たちに寄り添ってエンパワーしていく実践のお話。

(この前一緒に観た先生が「アメリカでも同和教育やってんや!」と端的な感想を述べられましたが、まさにそれ。子どもの現実に深く学ぶ実践)

 

どちらも、生徒たちが「学ぶ」ということに目を開く大きな契機としてホロコースト生存者との対話があるんだけど、そこに至る流れが違う。

 

『奇跡の教室』は、ゲゲン先生が元々歴史の教師で、ご自身が歴史と向き合うことの醍醐味を知っているし、その学びから生まれる力を信頼していて、それを生徒たちに仕掛けていった感じでしたが、

『フリーダムライターズ』は、新任のエリンが荒れまくる生徒たちを前に、何ができるんだろうと一生懸命耳を澄ませて声を聴いていった延長上に、いつ殺されるかという恐怖と緊張感、世界への不信感に気づき、彼らが共感できる学びの材料としてホロコーストの歴史にたどり着くんですね。

 

似ているようで、だいぶ違う。

 

エリンの方が好きかな(笑)