わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

教師という仕事・働き方について、思うこと

オリンピックという祭典のさなか、こちらは絶賛、採点の祭典真っ最中。

今年度から新しく担当した講義の成績付け・・・は、試行錯誤でやってきた半年間の内容を学生さんに逆に採点されているような気分になりながらの作業。

・・・で。

おもえば、93年に高校に教諭として就職し、辞めてフリーになり、大学やら高校やらで非常勤講師・・・ということで、なんやかんやで「教師」として働いてきた私。

そして世間では「教員こそブラック職場」と言われたりしている教育現場。

そんな現実を前に「夢を壊されたくなーい!」と思う学生さんやら「自分がしたい教育をするためにはどうすれば???」と逡巡する学生さんやらを前にして、理想を忘れずに踏ん張れる教師になってほしいなと心から願うわけです。

なんで、ちょっと自分のことを書いてみます。

教師の残業問題

高校に勤めていたころ。新任の頃は朝7:30ぐらいには学校に着いて、部活が終わってなんやかんやしてからの7:00ごろに学校を出る・・・単純に12時間近く学校にいてるやん! という生活をしていました。育休後は保育所へのお迎えがあって6:00には電車に乗らねば間に合わない・・・のでそこで帰っていましたが、それでも10時間はいたわけで、超過勤務もいいところ。そしてそれで仕事が終わっているならまだしも、持ち帰り仕事もあったし、生徒に何か起こっての保護者呼び出しor家庭訪問やら生徒指導の緊急会議やらが入れば、それこそ9:00、10:00・・・それでも朝は7:30に着くルーティーン。

私が働き過ぎなわけではありません。私はむしろ要領よくて仕事が早い方でした(自分でいうのもなんですが)。また担当する部活や校務分掌によっては、自分の裁量だけではどうにもならない部分があって、「要領のよさ」も関係なし・・・。

組合で一度、みんなが明らかに超過勤務している時間を計算して平均を取ってみて、夏休みに何日間がっつり休めばちゃらになるか、換算してみようぜ! という話になり、組合員以外の先生たちにもざっくり毎日の出退勤時間を聞いて計算したことがありました。結果、8月をまるまる休んでも足りないことが判明・・・まさかそこまでとは思っていなかったので、みんな茫然。ということがありました。

なのに世間では「先生は夏休みあっていいね」と思われているというこの理不尽。

理不尽だっ!

私立高校だったけど、公立と同じで「時間外勤務手当や休日勤務手当を支給しない代わりに、給料月額の4パーセントに相当する教職調整額を支給する」給与体系。・・・4パーセントじゃ割に合わなさすぎです。ホントに。

当然、組合としてはその計算結果を持っていって理事長交渉しましたが、「だって教員の仕事はそういうので計るのになじまないから、公立でもそうなってるわけでしょ」の一点張り。ただ、ちょこちょこした手当て類の額を見直すことはしてもらえました。ちなみに、部活指導で休日出勤したときの日給(1200円だったかな?)も組合の交渉の結果出るようになったけど、給与ではなくPTA会計から謝金として出すというウルトラCで、「それは了承していいのか? いいのか?」みたいなところもあったっけ・・・。

とはいえ。

教師は人相手の仕事なので、相手次第で日々やらねばならないことも変化して当然で、基本的にそれがやりたくてやっている人の集まりでもあるんですよね、教師って。生徒が喜んでくれたらいいなーと思って授業の小道具をあれこれ作ってみたり、放課後に残って勉強教えたり、相談にのってたら下校時間超過してたり。気になることがあれば保護者に電話したり家庭訪問したり。そういうのはしてあたりまえの仕事なので、働きすぎやなーと思いつつも仕事自体は嫌ではないから難しい。私の場合、子どもの保育所のおかげで無理やり切り上げるための知恵を絞り出したけれど、それも仕事を切り上げているというよりは、学校でなければできないことと家でもできることを仕分けして、持ち帰って仕事していたので、勤務時間が長いことに変わりはなく・・・。

でも本来は、日常がそういう状態だから、夏休みや冬休みが「自主研修期間」として緩やかな勤務を許されていた面があったはずなのです。現に私の高校時代の地理の先生は1学期の終業式が終わったその足で空港に直行して海外に飛び、2学期始業式前日に帰国するというバックパッカーさんで、その旅行記(探検記?)がおもしろくて人気者でした。よく思っていない先生もいたみたいでしたが、地理や世界史の授業で現地の生の話をしてもらえるのはとても楽しかったし、それは社会科の教師として必要な学びをしていたんだなと、今になっても思います。

それがいったい、いつのころから夏休みに休むことがサボっているかのように言われ始めたのか・・・。教師の労働という面でも問題だけれど、子どもたちの休み時間もどんどん削られて学校に詰めこまれているような気がして、今の日本は窮屈。

そう考えると、教師が自分の労働時間について真面目に考え、権利要求することは、子どもにとっての休み時間、自由時間の大切さを考え直すということにもつながっている問題なのかもしれません。

部活動問題 その1

教師の超過勤務の元凶が「部活動」にある! という意見も最近よく見ます。

実際、部活動はまるまるサービス残業。正規業務ではないからです。

学生さんは「なんで!?」と目を丸くされたりするのですが、私が思うに、元々部活動は「生徒の自主活動」に過ぎないもののはずだったから、です。

私の推測ですが(たぶん当たっているはず)、生徒が「野球したい! 学校のグラウンドでやりたい!」と思い、それなりの人数を集めて「先生、野球するのを認めてください」とお願いする。するとお願いされた先生が「わかった。面倒みたろ」となって部活動―顧問という関係が発生し、安全指導等々の生徒だけでは不十分になるところをカバーし指導する・・・というのが本来の部活動だったのだろうと思います。

ところがそれが常態化し、なぜかいつの間にか学校が部活動を用意して顧問も配置する形になって、「どれかの顧問はやってもらわないと」とまるで義務かのように割り振られ、やったこともなければ興味もない部活の顧問に当たると地獄の責め苦・・・みたいなことになってしまっているのが今の状態、ということなのでしょう。

本来の主旨からいえば、生徒自身が自主的・自立的に部活動を維持できなくなったり、「顧問をお願いします」という交渉がうまくできなかったりすれば、その部活動がなくなっておしまいになるはず・・・自主活動ですから。

でも、いまさらそんな「本来の主旨」に還ろうにも還れませんよね。

それに部活動が学校内で完結しているだけならいいのですが、各競技団体のルールで顧問が引率しないと大会に参加できなかったり、顧問が大会時に審判を分担しないといけなかったり・・・という事情もあります。素人なのに審判って!?  という無茶ぶりでも引き受けないと生徒が試合に登録できない・・・となるとやらないわけにいかない。そんな状況になっている以上、正規業務としてカウントし、それなりの手当てを出すべきだと思います。

私は私立高校だったので、赴任3年目でやりたい顧問に回してもらうことができ、好きで部活指導をしていましたが、公立は異動があるので得意なこと・好きなことが必ずできるとは限りません。私も赴任当初はコーラス部の顧問をやらされ、指導できるわけもないのでストレスがたまって辛かった・・・。私も辛いけど、指導力のない大人に顧問されている生徒も気の毒。(指導力がない、指導に自信のない大人がやらかしがちなのが「気合い」とか「根性」とかって無駄な精神論を振り回すパワハラめいた指導です。そういう意味でも問題)

では「部活動を外部の指導者・コーチに任せればいい」という案に賛成かというと、実のところ、私は反対です。矛盾しているように聞こえるかもしれませんが・・・

部活動の顧問として生徒に接していると、授業で見えている顏とは違う顔が見えることがあります。また、ランダムに人数で割り振られた学級集団、それも毎年クラス替えがある集団と違い、部活動は同じ目的意識で集まった集団なので、クラスで何か問題を抱えていても部活動には元気にやってくる生徒、というのも存在します(高校時代の私がそうでした)。授業のとき、掃除のとき、行事のとき、部活のとき・・・学校生活の全体で生徒を見ていくことは、生徒理解のうえで非常に大切なのです。その一部である部活動を外部コーチに丸投げしてしまうのは、生徒理解のチャンスをみすみす逃してしまうようなものです。経験上、授業中の顔だけ見ていても、部活動中の顔だけ見ていても、その生徒の抱えている課題や悩みは見えません。担任と部活動の顧問が情報共有し、多面的に関わることで生徒指導がうまくいくということも多々あるのです。

つまり、部活動に外部の指導者・コーチを入れるなら、①その競技や活動の技術的な指導をその人に任せつつ、生徒指導面は顧問が行う(けっきょく顧問は必要)②生徒指導面の配慮もできる、必要に応じて教員と情報共有できる人材を入れる(これもけっきょく情報共有を行う窓口になる教員がいるので顧問?)・・・と条件を考えはじめると、外部指導者を「教師の多忙化解消の切り札」みたいに考えるのは現実的ではないように思えるのです。

部活動問題 その2

部活動にはもう一つ、「生徒の権利は守られているか」という問題もあります。

その1の最初に、部活動の本来の主旨について書きましたが、学校が枠や顧問を用意している今の形態が教師にとっては「自主活動でなく正規業務とすべき」ものであったとしても、生徒にとっては「自主活動」であることに変わりはありません(一部中学校で全員なにがしかの部活に入らなければならない学校もあるようですが)。つまり「部活動の主役は生徒で部活動は生徒のもの」だということです。地域のクラブチームやお稽古ごとの先生気分になって部活動を支配してしまってはいけない、と思います。

これは私自身の自省も込めて考えていることです。

私は自分自身が高校演劇部に熱中し、クラスが嫌でも勉強がウザくても、部活があるから学校を続けられたと思っているぐらい、のめり込んでいました(だから、部活動なんて失くせばいいという意見にも賛成できません。邪道だと思われるかもしれないけれど、そんな動機で学校に通う生徒がいてもいいじゃないか! と思うのです)

だから、演劇部の顧問になれたときは嬉しくて、はりきりました。そして、顧問2年目で参加したコンクールの地区大会で優勝し、府大会に進出してしまうという事態になってしまい、舞い上がって欲もだしました。その当時の部員は私のその勢いについてきてくれたというか、部員にも欲があって、よりおもしろい舞台、よりハイレベルな公演をめざしてがんばれる子たちだったので、お互いのニーズが一致していたことも幸いしていました。

でも4~5年、そんな状態が続くうちに、演劇部は生徒のものではなく、私が主宰する劇団のようになっていきました。ほんとうに劇団だったら、それでもよかったのだろうと思います。けれど、高校の演劇部です。生徒は毎年入れ替わります。そもそもそんなに大勢の入部希望者がいるわけでもない。なかにはハイレベルな演劇をめざす気がない子も、ちょっとヲタクな趣味を話せる友だちがいる場所を求めてくる子もいます。つまり、その時その時のメンバーで、部活動に求めているものが微妙に違うのに、私はずっと同じトーンで突っ走ろうとしていました。そしてあるとき、文化祭準備を前にして部員が全員辞めてしまうという事態に至ります。要は、部員が私について来れなかったのでした。

子どもができてから、放課後7時まで練習を見るということができなくなり、それでもなんとか時間をやりくりして、要所要所で指導していたけれど、やっぱり丁寧さが足りなかったのか・・・等々と、そのときは思い悩みつつ、部員がいなくなったのですから部活動はおしまいです。放課後に部活動がなくなった分、6時に切り上げて帰ることは容易くなったし、もういいやーと、それきり考えないままでした。

そして、私はその職場を辞めたのですが、数年後、また縁があって非常勤として復活し、そこで顧問になったはいいけど指導ができない・・・と困っていた演劇部顧問の先生を見かねて、ボランティアでコーチを引き受けることになりました。

そこで改めて、プロの演劇を見たこともない、自分たちがレベルアップをする必要も、レベルアップの方向性もイメージできない部員たちを一から指導し始め、私はまた再び自分の劇団を作ろうーとして、途中で気づいたのです。

ああ、そうか。前にみんなが離れていったのは、こういうことだ、と。

私が高校生だった頃、演劇部は私たちのものでした。指導してくれる顧問がいなかったということもあったけれど、手探りで練習方法を見つけ、人を探して教えてもらったり、本を読んで研究したりして、自分たちで作っていた部活動だったから、楽しくて何にも代えがたかったんだな、と。部活動は生徒のもの。私のものじゃない。この子たちがやりたいこと、やりたいお芝居ができるように、うまくいく方法を私が教えるんだ、私の役目はそこにあって、劇団の主催者になることではない・・・。

それは、コンクールで勝てる演劇部ではないかもしれない。でもそれは「勝ちたい」と思う生徒が出てきたときに自然とめざすようになる目標で、私が無理強いする目標ではない。それに演劇にとって大事なことは、コンクールの勝ち負けだけじゃなく、目の前のお客さんをどれだけ楽しませ、どれだけ心からの拍手をもらえるか、じゃないか・・・。

そんなふうに考えて、以前の自分をふりかえると、指導と言いながら自分の意向を押しつけていただけだったな、とか、厳しい指導とパワハラを混同してたよな、とか、穴があったら入りたいような気分になることもしばしば。そしてそれは、私だけの問題ではなくて、部活動指導に熱心な人たちに大なり小なり共通していることでもあるな、と気づいたのです。

好きなことができる。指導すれば成果が上がる。試合に勝つなどのわかりやすい成果が上がれば評価もされる。生徒とのつきあいも密になるし保護者からも感謝される・・・日々の授業よりも、達成感が得られやすく、自信も持てるから、ついそこに依存してしまう。そういう状態の教師たちは、部活動を取り上げられることに断固反対するだろうと思います。生徒ではなく、自分の「大事なもの」だから。

よく小学校で「学級王国」と言われる「担任支配の王国」問題は、中学・高校では「部活王国」問題なのかもしれません。自主的に、仕事でなく、好意で引きうけているからこそ、「自分のもの」という勘違いも生まれやすいのだろうと思えます。

教師の仕事の中心は授業です。そこは間違ってはいけないところ。
だからこそ、部活動顧問も正規業務として、仕事として線引きをし、教師が「部活王国」を作ってしまわないように、「生徒の自主活動を指導する」とはどういうことかを考えていくような方向性に持っていかなければいけないのではないかと思います。

 

生徒の自主活動をどう指導するか問題・・・としては、市民権教育としての生徒会指導にも大きな問題があると思うのですが、それはまた次の機会に。