予算委員会で「働き方改革」が議論されている。
話題の「裁量労働制」・・・教師こそ、その最たるものなのに、言及してもらえないのね(^_^;) と思いつつ。昨日のつづき。
教師の一日:私の場合
昨日、朝7:30ぐらいに学校に着いて、6:00ごろまで・・・と書きました。
具体的に何をしていたか、書き出してみますと、
7:30 学校着。職員室で日直日誌とか生徒への連絡事項のメモとかを確認して、
自教室へ行く。窓や扉を全部開けて(換気)、教室整備の確認。
日直の机の上に日誌を置く。
7:50 職員室に戻ったら、その日の授業の確認と準備。
欠席連絡やらの電話がバンバンかかってくるのを受けつつ、下記①~⑤も
8:30 職員朝礼。連絡事項、確認事項、聴きながら整理する
(朝のSHRで生徒に連絡すること、後でいいこと等の仕分け)
学年朝礼。学年の打ち合わせ。
8:40 SHR。最初の10分は「朝読書」、後の5分で諸連絡。
8:55 1限目開始。1限目があるときはそのまま教室へ。
なければ職員室に戻る。
※ 1~6限目までの間は、授業に行くか空き時間で仕事をしているか。
担任の授業持ち時間は週14コマ(+HR。担任のない人は16コマ)なので、だいたい1日平均3コマぐらい。
※ 空き時間にする仕事は①授業の予習と準備、成績処理系の仕事 ②クラス運営に関わる仕事(学期はじめだと種々様々な提出物の確認とか。個人面談の計画を立てて準備をしたり、保護者連絡をしたり。私は学級通信も作ってました)③分掌の仕事(教務系に当たるとひたすら事務仕事。生徒指導系に当たると問題が勃発するたびに会議。進路指導や教科主任に当たっていると教科書会社や教材会社の営業の人に対応するのも仕事)④学年の仕事や打ち合わせ(これは仕事というより知っておかないと困る情報の共有のための雑談。この真面目な雑談を気負わずにしょっちゅうできる雰囲気の学年団にあたると、何かと仕事が楽でした)⑤会議。学年会議、教科会議、組合の会議(みんなの空き時間が合えば空き時間。合わなければ昼休みや放課後)⑥昼ご飯を食べる(うまく空き時間をねらわないと食べ損なったりする)
※ 休み時間は、授業の後片付けと移動、準備になったり、生徒に呼び止められて立ち話したり・・・職員室にいても遅刻生徒への対応とか、いろいろあるので休めない。昼休みに個人面談を入れることも多い。
3:30 6限終了。掃除の監督に行く。
3:40 SHR。明日の連絡事項の確認など。日直日誌受け取り。
生徒が出た後、教室内の整備(私物が散乱してたら預かる等)
4:00 職員室に戻る。①~⑤の仕事のやり残しする。
部活がある日は練習場所やメニューの指示をしてから、後で行く。
※ 保育所の延長が最大6:30、子どもが小学校に上がったら学童は5:00に終わる! という状況下で、基本的には6:00少し前の電車に飛び乗ることをリミットにして、午後に入った頃から「今日のうちに学校で済ませねばならないことと、家に持ち帰れること」を仕分けしながら仕事をしてました。持ち帰れないのは成績や個人情報が絡むデータや書類の類。持ち帰れるのは教材や学級通信など。
休み時間(昼休みや放課後含)は生徒対応をしていることが多かったです。生徒会顧問だったときは放課後に生徒会指導もします。
家庭訪問は放課後。出張扱いになって直帰できるんですが、私立高校なので滅多に行かない(というか行かない人の方が圧倒的に多かった)。その辺がまさに「裁量」なので難しいところですが、私は「電話で埒があかーん!」となったら行く人でした(笑) うまくいく場合もあれば完全に徒労に終わることもありましたが、悩んでいるより行った方が早い。徒労なら徒労であきらめがつくから(?)
・・・で、家に帰ったらダッシュでご飯を作りながら洗濯機も回して子どもとしゃべって、お風呂に入れてバッタン。アカン、仕事仕事・・・と起き出して仕事する、というのが辞める直前期の平均的な日常でした。
働き過ぎです。まちがいなく。
これでも仕事を精査して、減らせるところは減らす工夫もしていた方なんですよ・・・
仕事の「裁量」
私は授業が好きなので、どんな授業をしようかなぁ・・・と考えて準備している時間が楽しくて仕方がないのです。指導書は基本的に見ないし、教材も教科書に限定せず、授業目標に適う文章を見つけては投げ込みで使いました。そのために本を読む時間や、教材研究する時間も労働時間ですが、そこはあまり苦にならなかったのです(それは今もそういう傾向がある)。
好きなことを仕事にしている人は、たぶんみんなそういう面があるでしょう・・・。
加えて人も好き(?)なので、問題起こして停学くらった子(も登校指導する学校だったので)に勉強教えながら、親のこととか友だちのこととか、生活のこととかダラダラ話して「へえ~」とか言ってる時間も苦にならない。
・・・そしてその辺が「自分の裁量で減らせる仕事」部分に当たってしまうのです。
自分の裁量で減らせないのは、生徒の処分を決めるための会議の時間とか、入試作問のための会議や打ち合わせの時間とか、報告書の類を書く時間とか・・・で、気分的にしんどいのは、圧倒的にこの「減らせない仕事」部分なわけです。
だから厄介。
「裁量労働制」って聞こえはいいけど、どんな仕事も1人でやるわけじゃないはずで。特に教師はチームでやる仕事が圧倒的に多い。授業も何人かで同じ科目を担当しているときは内容や進度を確認しながら行うし、生徒指導もその都度連携して動くわけで、1人の都合だけでは収まらないことの方が多いから、「自分の裁量で、自分らしく働く」といえば聞こえはいいけれど、そううまくいかないから長時間労働で困ってるんじゃん! と私は声を大にして言いたい(笑)
世間が増やしている部分
「学力=学んだ時間」モデルと教職員の働き方改革と。 - いわせんの仕事部屋
こんな記事がありました。耳が痛い部分と納得の部分と(お読みくださいね)
でも、確実に「世間」が増やしている仕事だと私も確信するのは、この「生徒を長時間勉強させるための宿題や補講の類」です。
「隣の先生は宿題いっぱい出すのに、何でうちはないんですかっ!」みたいなの。
「高い学費払ってんやから、受験のための補講ぐらいやって!」みたいなの。
子どもと学ぶのが好きだから教師をやっているし、学力も伸ばしてあげたい(とはいえそこでいう「学力」のイメージがだいぶ違っていたりするから、また厄介・・・)けれど、どう考えても生徒が嫌々しか取り組めない宿題や補講を増やしても逆効果なのに、「世間」にとってわかりやすいのは物理的な量だから困る。そして宿題も補講も、課した以上はこっちの仕事になってしまうわけです。
教諭だった頃、そういう無駄な仕事を減らすべく、説得と説明を何度も試みたものの、「保護者が納得せんでしょう」とバッサリ。非常勤に至っては意見する場もなく、でもその宿題を私が見るんですね・・・。苦手な部活顧問も地獄だけど、どう考えても生徒の力を伸ばすことになってない物量だけの問題集やプリントのまるつけ確認するのも地獄です。ばかばかしい・・・・・・。
こういう部分は、教師が自分の専門的な知見でもって「要りません」と言い切って減らせるところです。でもたぶん、そこを減らそうとすると立ちはだかる「世間」に対して闘う方法論とかエネルギーとかが現場の先生たちに足りていないんじゃないかなぁという気がします。
勉強は授業中に完結させる。そこで知的好奇心が刺激されたら、自分から質問にきたり、自分に合った本を見つけて読み始めたり、するものです。中高生なら、進路目標がある程度定まったら目的意識も出ます。そうしてやる気になったときに、的確に次のステップを提示できることも教師の力量です。一律に物量を与えて後始末に追われるぐらいなら、その時間を生徒との面談や授業準備に割く方が何倍もましです。
ことほどさように、「裁量労働制」はまやかしです。
自分の裁量で自分らしく、適正な労働時間で働ける「裁量労働の労働者」がいるなら、長時間労働がこんなに社会問題化しないですよ、ソーリ。