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『朴烈 植民地からのアナキスト』@大阪アジアン映画祭

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観ました。大阪アジアン映画祭、ありがとおっ!

同映画祭では例年、アジア各国で話題の最新作を中心に、日本の歴史や文化と関連した作品を数多く上映してきた。中でも今回の映画『朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキスト』は日韓の歴史を振り返るきっかけとなるような重要な作品だ。舞台は関東大震災直後の日本。朝鮮人が凶悪犯罪を画策しているという流布が拡散し、社会主義活動をしてきた朝鮮人の朴烈は目をつけられ、同志で恋人の金子と共に逮捕される。取り調べの中で2人が皇太子暗殺計画を自白したことから、日本社会をも揺がしていく。/歴史的な裁判劇にまで発展した一連の出来事が朴烈事件と称されるが、映画は2人の戦いの背景にあった信条や深い絆を描いている。監督は『空と風と星の詩人 ~尹東柱の生涯~』(2015)でも、日本統治時代に治安維持法違反で逮捕されて獄死した国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジェ)の生涯に迫ったイ・ジュニク。韓国では昨夏に公開され、文子役の新鋭チェ・ヒソは“韓国のアカデミー賞”こと大鐘賞映画祭で主演女優賞と新人女優賞をW受賞したのを筆頭に新人賞を総ナメにした。

シネマトゥディ(第13回大阪アジアン映画祭/2018年2月18日)より

金子文子の自伝(獄中で書かれた『何が私をかうさせたか』・・・岩波文庫で出ているらしい。読もかな・・・)や、予審調書の記録に沿って、ほぼ史実通りに構成されているとのこと。そして、タイトルロールの朴烈よりも文子の方が強烈に印象に残る映画でした(私だけか?)

以下、ネタバレするかも(とはいえ、ストーリー的には史実なので最初からネタバレしているともいえ。ストーリー知ってても全然楽しめます。一人ひとりのキャラが立ってるし、細部の描写がうまい。私的「何度でも観たい」映画リスト入り!)

アナキストの同志

関東大震災のとき、朝鮮人虐殺とともに、社会主義者も検束され弾圧されました。有名なのが大杉栄伊藤野枝(正直にいうと、映画で関東大震災で朴烈が捕まるあたりにくるまで、私の頭のなかも大杉栄伊藤野枝とごっちゃになっていて、「え、ここで捕まっていいのか? あと1時間半ぐらいあるぞ・・・」と一瞬パニクッたことを告白しておきます・・・アホやな、我ながら)。

映画は1923年の初夏あたりから始まります。震災以前から日本で暮らす朝鮮人に対する日本人の目線、差別意識が伏線として描写されつつ、朴烈たちの「不逞社」(もちろん「不逞鮮人」という日本の官憲が作った差別語を逆手に取ったネーミング)の活動、そして2人の運命的出会い・・・がテンポよく進みます。

私は犬コロでございます
空を見てほえる
月を見てほえる
しがない私は犬コロでございます
位の高い両班の股から
熱いものがこぼれ落ちて私の体を濡らせば
私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる
私は犬コロでございます

文子は「朝鮮青年」という雑誌に載った一編の詩を読み、朴烈を訪ねます。「犬ころ」は朝鮮語で「개새끼(ケーセッキ)」。「私もこれだ」「?」「犬ころ/개새끼」・・・文子(チェ・ヒソ)の瞳がすごくキュートで、運命の恋なんて信じてない私でも「運命なのね・・・」と頷いてしまう勢いでキラキラ(笑)返す朴烈(イ・ジェフン)も悪戯っ子というのか、不敵というのか、すごくチャーミングな微笑みでキラキラ・・・

アナキズム(Anarchism)は「支配がない」を意味するギリシャ語からの派生語で、日本では「無政府主義」と翻訳されるので「政府を否定した無秩序主義(?)」のように、ぼんやり理解している人が多いのではないかと思います。少なくとも高校時代の私がそうでした(日本史で説明されてもいまいち意味がわからず、大逆事件なんかの絡みもあるから「社会主義者のなかで政府的にいちばん厄介な人たち」なのであろう、ぐらいの理解)。いまも不勉強で正確に理解しているとはいえませんが、映画を観ていて、不意に「要点はどんな権力も支配も許さない、ということか」と腑に落ちました。

だれの支配も受けない。

どんな権力にも、「わたし」を支配させない。

2人の主張はそういうことなのね、と。

映画としてはラブロマンスなんだけど、セリフにも何度も「同志」ということばが出てくるように、情愛と同じぐらい深く思想的に共鳴し合っている「同志」感が、私にはツボでした。こういうカップル、憧れる・・・(思えば高校時代、ジョン・レノンオノ・ヨーコが憧れだった。いっこも成長してないな、私・・・)

権力のご都合主義に翻弄される人びと

関東大震災が起こり、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」デマからの自警団、虐殺、戒厳令・・・といった経緯の火付け役として登場するのが水野錬太郎。

実際には陸軍とか警察とかいろんな人が絡むところを水野一人が全部背負って悪役。そこを解説するための映画ではないし、実際に水野のやらかした責任は大きいからしかたない(と私は思います)。けど、閣僚が右往左往して水野が「戒厳令だ!」とゴリ押しする場面など、「史実としてどうなの?」と気になる人はいるかもしれません(そういう方には『九月、東京の路上で』を読んでほしい)。

でも、「不逞な朝鮮人が混乱に乗じて・・・」という説をでっち上げて戒厳令、さてそれから・・・という段で、各地で虐殺が起こっていることやその人数を報告された水野が「げっ(それはいくらなんでも死にすぎ・・・)」と思わず飛び上がってしまうところや、こんな野蛮な振る舞いが起こっていると海外に知られたらどうするんだと切れる外務卿とのやりとり、何とか正当化するために朝鮮人が実際に「不逞」を働いたことを証明しなければ・・・と検束している朝鮮人から適当な人間を「選べ」と言いだす・・・という流れがリアル。そして水野がそんな思考回路になる遠景にある「朝鮮総督府の官吏として三一独立運動の鎮圧に当たった」経験が端々に見え隠れするセリフ回しも絶妙。

で、「大逆罪だ!」と意気込んで朴烈の取り調べ・・・したものの、「不敬罪」には問えても大逆罪無理なんじゃないの・・・???と困惑する予審判事や、2人の文通を仲介/検閲のために目を通しているうちに理解していく刑務官など、より上の方の権力の思惑に逆らえないけど「これ無理やん!?」と目が訴える俳優さんたちの演技の秀逸さに、思わず現今の日本の森友・家計問題をめぐるぐちゃぐちゃぶりがダブって見えてきて、「日本って学習せん国やな・・・」としみじみ考えさせられてしまいました。

このあたりの描き方、予審調書等に沿っているとはいえ、細かなやりとりや判事、刑務官の心情の変化は想像のはずで、いわばフィクションなんですけどね。

優れたフィクションは事実を超えた真実を描く

・・・ってことですね。予審判事さんの困惑ぶりと、あくまで「忖度」を要求する水野錬太郎の権力者っぷりが、他人事とは思えませんでした。

そして、個人的に唸ったのは「死刑はまずい」という閣議の展開で朝鮮総督齋藤実に「いま、そんなこと(朴烈の死刑)をしたら、やっと落ち着いてきた半島情勢がどうなるかわからない(からやめろ)」と言わせていたこと。三一独立運動後、文化統治というソフト路線に切り替えて懐柔政策を推し進めている時期に、そんなことしたら、また独立運動に火がつくやろがー! あほかー! という齋藤の心の叫びに対する水野錬太郎の絵に画いたような苦虫噛みつぶした顔! 思わず笑っちゃった・・・

印象的な台詞たち

「 私は大正八年中朝鮮に居て朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権力への叛逆気分が起り、朝鮮の方の為さる独立運動を思うと、他人の事とは思い得ぬ程の感激が胸に湧いたのです」(これは《一九二四年一月二三日第四回訊問調書からの引用)

「生きるとはただ動くという事じゃない。自分の意志で動くという事である。・・・そして単に生きるという事には何の意味もない。自分の意志で動いた時、それがよし肉体を破滅に導こうとそれは生の否定ではない。肯定である」(これは前述の自伝から引用)

・・・といった具合で、調べられる台詞たち! (やっぱり自伝読みたい)

最後の法廷の場面が特に圧巻でした。

朴烈が、「日本人は日本という国家をつくるために、天皇という権力を作ったのだ」「朝鮮人天皇を倒すことで、日本の民衆がその支配の不当さに気づけばよい」「人間は平等だ。どんな権力も支配も不当だ」と語り、文子が「そうそう!」と頷く・・・。
台詞うろ覚えだけど(だから)もう一回観たいです。

一般公開もあると噂に聞いたのですが、あるといいな。

このブログを書くために、ちょっとググってみたら、案の定、観てもないのに「反日映画」と噴き上がっているブログを見つけました・・・。ふつうに観れば、日本人の中にもいろんな人がいて(布施辰治も出てくるし)、むしろ権力構造の上の方から押しつけられる矛盾のなかでもがく下の方の人たちが、身につまされるんじゃないかな、と私は思います。観ればいいのに(でも噴き上がりたい人たちは、観てもそういう理解はしないだろうな・・・)。私は「これは今の日本やん!」と思ったし、陳述しつつ傍聴席をふりかえって「隠そうとしても、いや、隠そうとすればするほど、事実は明るみに出るものだ!」と喝破する朴烈に「がんばれよっ!」と励まされた気すらしましたから。

・・・そういう意味で、まさに今が旬の映画。大阪アジアン映画祭、グッジョブです!
(一般公開してー、絶対観に行く・・・)