わったり☆がったり

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わたしの「特権性」を考える質問について

まえおき。「特権」の少ない「わたし」の話をする前に

“特権”を学ぶ - わったり☆がったり

・・・でアップした、「特権性を考えるための質問」

さいきん、大学の授業で使わせていただいています。
(同じ授業を担当している友人が質問に答えてスコア化していくワークシートを作ってくれたので、それを利用)

「特権性」・・・というか、「現在の社会における自分の階層位置」がスコアからおおよそ把握できる、という主旨です。不平等で不公正な社会のなかで、不利を被りやすい位置にいるか、不利を被ることが少ない位置(有利な位置)にいるか。

自分のスコアが高いか低いか、本人の努力とは関係がない部分が多分にあることがミソ(だってわたしたちは不平等な社会に住んでいるから! ということを意識化するためのものだから)なのだけれど、

なぜかこれが「スコアが高い≒幸福・恵まれている」「スコアが低い≒不幸・みじめ」と解釈されがち。

スコアの高い学生は「優位にいるくせに自覚がない/周りが見えていない自分」に愕然として、内省的になったりするのですが(「親に感謝しようと思いました」という勘違いは困りモノ)、スコアが低い学生さんの方に「わたしは可哀そうでもみじめでもない!」と戸惑いと反発が多々見られるのです。

「幸福感」は内心の問題なので、どんな状況、立場にいても「あー、幸せだなぁ」と思うことはいくらでもある。社会的に周縁化されやすい位置にいる、階層として下の方にいる・・・ということは社会構造上「そうなってしまう」問題で、「周縁化されてかわいそう」「貧乏で気の毒」という価値観はまた別の話なんだけど。

--そのあたり、授業する側としてどうしていったものか。つくづく悩ましい。

ということで、今後の授業展開でわたし自身が、どんなふうに場をつくり、解説をしていくのかを考えるための覚書です。

わたしは・・・何歩すすめたか?

「19歳だった頃のわたし」が進めたのは2歩ぐらいでした。
(訳文で「合衆国/英語」になっているところは「日本/日本語」に置き換えて)

なかなか低い(ちなみに授業で使用しているワークシートだと、最高で23ポイントになるところ、わたしは7ポイントでした)。

ただ、19歳のわたしは、すでに差別撤廃や人権保障をミッションにしている市民活動に出会っていたので、その当時にこのワークをしていたら、この不平等な社会を変えたい!という気持ちにさらに火がつき、わたし自身がその行動をする必然性を確信して元気になっただろうなぁと思います。

「わたしは可哀そうじゃない」「かわいそうと思われたくない」と、そこにこだわってしまうのは、世間の価値観を内面化しているから起こることなんだよな・・・とつくづく思います。わたしは「わたしがかわいそうなんじゃなくて、社会が不平等で間違ってるんだよ」と20歳前後の頃から思っていました。

「特権性」の有無を、人はどう受け止めるか。という問題 その1

わたしは大阪ミナミの育ち。『じゃりん子チエ』というマンガがありますが、あの世界にかなり近い小学生時代を過ごしました。基本、企業勤めの人はほぼいない(自営業者か、雇われの人だと飲食・水商売系)で、日曜日はみんな仕事だし、夜に親がいない家庭もざら。質問1の「親が、夜や週末に・・・仕事をしている」のがあたりまえな世界。

とはいえ、仕事で夜遅くなる、ではなく、子どもが学校から帰るのと入れ替わりに出勤する親(たいていはシングルマザー)の場合、子どもは大変で、保育所に弟や妹を迎えに行ってご飯を食べさせて・・・等をこなす友だちもいました。かと思えば老舗料理屋の跡取りとか、有名飲食チェーンの御曹司とかもいる格差社会。子どもなりにそういう事情は理解していて、家のこと、特に経済的なところを詮索したり無責任なことを言ったりするのは「失礼なこと」だという認識が何となくみんな(保護者も含め)にあったし、子どもの世界といえども「お金はもめる元」とわきまえている子が尊敬される空気がありました。

一方で、2年生の3学期から4年生の1学期までという中途半端な期間、郊外の新興住宅地で暮らしたことがあり、そこでは本当に嫌な思いをしました。

新興住宅地なので、周りはサラリーマン・専業主婦家庭ばかり。一部自営業の家庭も、「店舗兼住宅」の電気屋さんとか美容院とか、わかりやすく昼間営業で夜に子どもだけになるような家はない。我が家の稼業は呉服商なのですが、諸般の事情で当時の父は店舗を構えない得意先行商のような形で商売をしていたため、子どもの眼からは父が何をしているのかわかりづらい。そこで友だちに「何の仕事?」と不審がられ、「呉服屋」と答えても「お店ないやん」「どっか違うとこにお店あるん?」という追及にも答えられず・・・ストレス。そして「ボーナスが出るから買い物に」といった生活スタイルもないし、日曜に出かけることもない・・・・・・「ここではわたしだけが違うのだ」という、違和感と根拠のない劣等感にさいなまれました。

さらに衝撃だったのは、母子家庭の子がいじめられたり陰口を叩かれたり、それを子どもだけではなく保護者もやるのを目の当たりにしたことでした。え、それって、そんなふうに言われるようなことなの・・・・・・とショックでしたが、そのショックを友だちがだれもわかってくれない。「そうやんなぁ。かわいそうやのに、そんなん言うたらあかんやんな」と言われると「え、かわいそうなの?」とモヤモヤ違和感でストレス。高度成長、人口増加真っただ中の超マンモス校だったため「わたしだけ違う」孤独感も半端なく、不登校スレスレ、いい思い出がまったくないまま2年生が終わり、反動で3年生に進級したらギャングそのもの問題児童と化して、担任に対しても常にケンカ腰の屁理屈と口の悪さというスキルを身につけて、4年生の2学期にミナミに戻りました。

ミナミに戻ってめでたしめでたし。ではなく、ケンカ上等の気の強さと「勉強しないのに成績がいい」キャラクターが災い?して、とにかく学校というところにあまりいい思い出がないのですが(笑)。でも、新興住宅地よりもはるかに、わたしはミナミの方が好きでした。いろんな人がいて、いろんな事情があって、それぞれに何か背負って生きている世界の方が、息苦しくはない。

でも、高校に進学したら、やはり「ミナミ」に住んでいるというのは特殊で「あんなとこに人住んでるん?」とか「治安悪そう」とか・・・。腹も立ちつつ、歓楽街と住宅地と、どちらに暮らしている方がスタンダードかといえば、そりゃ住宅地だよな・・・と多勢に無勢を自覚しつつ「田舎もんは黙れー(笑)」と自虐ネタにして切り抜けるスキルを身につけました(こういうの、マイノリティ性を売りにして芸能界に打って出るタイプの人の戦略に近い。本人が生存戦略としてやる分には生きる知恵だけど、それを例に「強く生きてほしい」とか他人に言うのは反則だと思う)

ちなみに、大阪府の府立高校は偏差値輪切りのヒエラルキーと伝統校/新設校ヒエラルキーが露骨なので、高等女学校からの歴史をもつ成績上位校に進学したわたしは初めて親の職業に「医師」「弁護士」「教師」「一部上場企業の社員」等々がある世界を知りました。中学校まで、そんな友だちはいたことがない(大卒の親そのものが少なかったと思う)。「大学進学があたりまえ」という価値観で生きている人たちのやることなすことカルチャーショック(とはいえ、高校生活も進むうちに、しんどい家庭事情を抱える子が実は大勢いて、ミナミのわたしたちだけが特殊なわけじゃないことに気づくのですが)。

 ここまでで既に、社会に格差があり、不平等だということは知っていたし、自分がどちらかというと不利/少数派に位置していることにもわたしは気づいていました。ただ、それが「理不尽だ」と葛藤するようになったのは大学受験をめぐって「わたしたちの間にある格差の問題」に否応なく直面してからだったと思います。友だちも私も何も悪くないのに溝を感じて嫌になる・・・という理不尽な感じ、納得のいかなさ。

学生さんたちがワークで見せる反発や戸惑いも、そこらへんが近いのかもしれません。

「特権性」の有無を、人はどう受け止めるか。という問題 その2

「え? 大学行くの?」と家族に訝しがられながら、演劇やりたいがための時間稼ぎ(?)のために大学に行こうと決め、(ホントに行きたいのは演劇の学科がある早稲田や大芸だけど財政的に無理なので)自分の財力・知力でどこなら行けるかと絞って教育大に決め、予備校行かずに自学、学費のためにコツコツ貯金・・・等していたわりには、奨学金が眼中に入っていませんでした。日本の奨学金(当時は日本育英会)がしょせん借金であること、借金背負うのは嫌だと思っていたこと(当時は教師になれば日育の一種奨学金は返済免除規定いう特権があったのですが、受験時点では教師になる気がまったくなかったから)、そして自分の家の財政が厳しいことは知りつつも具体的にどう厳しいのかを実感できていなかったこと等々によって、奨学金の予約申し込みの時機を逸し、入学してから諸々の制度や手続きに慌てることとなりました。

そんなことはまったく気にせず関関同立を満喫する高校時代の友人たちを横目で見つつ(時代はバブル絶頂期)、でも国立大学でも偏差値低めの教育大は貧乏学生吹き溜まりだったので、そんなに卑屈になることもなく、「奨学金懇話会」という場で先輩にいろいろと教えてもらうことで、ヨーロッパの驚愕の「高等教育無償」に触れたり、同じ国立大学でも旧帝大系の大学だと保護者の所得が教育大とは桁違いなんだよという格差×学力のリアルにも触れたりしました。

何じゃそりゃ・・・でした。世界は不公平だと思ってたけど、そこまでとは。

そして「奨学金懇話会」や、たまたま関わることになった地域子ども会の活動のなかでさまざまな人の話を聴くなかで、自分の家は貧乏でしんどいと思っていたけれど、それでも大学に来れて、しかも国立に合格できるところに自分が辿りつけた、そこにある「優位さ」にわたしは全然気づかずに、自分より上ばかり見て「甘ちゃんやな」と毒づいていたみっともなさを自覚させられていきました。

 わたしは社会が見えていなかった。

 ところで、「上を見て卑屈になる」が反転した「下を見て自分はまだ幸福だと感じる」という価値観に陥らずに、「上も下も社会構造の問題で、この格差と不平等に自分がどう向き合うかを考えよう」という価値観・思考回路にスイッチするにはどうしたらいいのでしょうか。おそらく、社会に向くべきベクトルが、身近なだれか(個人)に向いて幸不幸を比較するような方向で作用しがちなところに問題があるんだろうなーと、このブログ冒頭に戻っちゃう(笑)

わたしには元々、「だれかと比べれば自分はマシ」という思考回路に対する嫌悪感(ついそう思ってしまう自分に対しての)が強烈にありました。ついそう考えている自分が大嫌いだったし、その勢いで「そんなの、人間だからしかたがない」と悟ったようなことを言う友だちにも攻撃的に非難をぶつけてしまう(あるいは「もうこいつは信用できん」と勝手に距離を置く)人だったので、「それは社会のあり方の問題なんだよ」と説いてくれる解放運動の考え方に触れて「これだ!」と思ったんですよね。つまり、わたしには必然性があってすんなりこう考える方にスイッチできた・・・ので、「資本主義社会に格差があるのはあたりまえ」「人間だから下を見て安心したいのもあたりまえ」「上がうらやましいと思うのは努力の原動力になる(だから格差も悪い面ばかりじゃない)」等々の価値観に違和感なく過ごせている(と思いこんでいるだけとしても)人に、どんなスイッチのしかたがあるのか、自分の経験からは答えが出てこないような気がして・・・・・・だから困っている。

陳腐だけど、けっきょく「社会と向き合う」ことを実践している人と、とにかく大勢あって話を聴いて、さまざまなとらえ方、向き合い方、そのきっかけ、日々考えていること・・・の何通りもの方法に触れるしかないのかな・・・・・・。

格差を可視化して、それから?

貧困の実態が誰の目にも見える街がサンフランシスコ市だ。ホームレスの存在が街の風景になっている。彼らが逃げたり隠れたりしなくてもいいからだ。(中略)だから、市民たちはホームレスの存在から、自分たちの街を考え、できることをボランティアとしてやっている人も多い。私の友人もその一人だ。/一方、ホームレスが表に現れず、まるで姿を見せてはいけないかのように暮らす街ではホームレスの存在は市民には見えない。ホームレスが不可視化される社会は、その存在そのものがわからず、なぜ彼らがそこに至ったのか市民が考えることができない。そういった社会ではホームレスは自己責任の結果としてだけとらえられ、社会全体で解決しなければならない問題としては遠ざけられ、社会からの排除が起きてくる。(中略)ホームレスをいくら排除しても問題は解決しない。ただ、市民の目から見えなくなるだけだ。ホームレスは大阪市では社会の中で排除される存在とみなされている。そして、そのもっとも特徴的な現象が、中高生や若者がホームレスを襲撃するという事件だ。特に夏休みなどに多発している。サンフランシスコ市でも、ホームレスを襲撃するという事件はあるそうだが、日本のように深刻な社会問題になっていない。
『サンフランシスコの少女像』平井美津子(日本機関誌出版センター)37-38pp

 わたしが子どもの頃、いつも遊ぶ公園は野宿者のオッチャン達の居場所でもあった。たまにわけのわからないことを叫んでいて怖かったり、夏場はなんともいえず臭かったりもしたから、好きといえる存在ではなかったけれど、でも「そこにいる」人たちとして、何か事情があって「いま、そうある」人として、街の中に確かに存在していた。それこそ「資本主義社会やからな・・・」という感じで、その人たちがサボった自業自得という冷たさもありつつ、自業自得だからどんな人権侵害(襲撃されるとか)を受けてもいいという空気はなかったと思う(学生さんにわりとビックリされるけれど、子どもの頃、理不尽に小さい子を除け者にしたりしていると、それをずっと見ていた野宿者のオッチャンに「それは年上の子がやったらアカンで」と諌められたり、オッチャンが寝ていて通れないから「ごめん、オッチャンどいてー」と声をかけてどいてもらったりするのは日常だった。虫の居所さえ悪くなければ子どもには優しい人たちだと今でも思っています)。

オッチャン達の存在は、自己責任も何分の一かあるとしても、やはり「資本主義社会」という社会のあり方が生み出すものなのだと、子どもの頃から肌身で考えていた面は大きいのかもしれないと、引用した部分を読んで思ったのでした。

可視化することは葛藤を呼び覚ますから、見たくない人には苦痛だということもわかる。でも「見たくないから見ない」で済む人ばかりで社会が回っているわけではない以上、やはり見なければならないし、見えた以上は考えなければいけない。

・・・・・・けっきょく、反発されようが困惑されようが、いったんは「見てもらう」ステップを踏むしかないのだなという結論で(笑)答えは難しいけれど、後期もがんばります!