わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

koko de kurasu の次の日の「ブラトーーク!」

そして、日曜日は「私たちの部落問題vol.4 ブラトーーク!」に参加
ロフトプラスワンエスト。ミナミのライブハウス! そこで部落問題!

部落めし(かす飯、1銭洋食、さいぼし)につられて(笑)チケットを買った段階での整理場号は「24」だったのに、当日は立ち見(会場のキャパは130)が出るという盛況っぷり。

え? え? だれが来てるの・・・!? と思わずキョロキョロしてしまうけど、あまり知った人がいない(いや、いるけど、その4倍ぐらい知らない人がいた)。なんだかそれだけで感動する。部落問題を考えようと思う人がこんなにいるよー!

ちなみに、2017年に始まったこのシリーズの4回目にして初の大阪開催イベント

www.abdarc.net

この1回目に、たまたま出張で東京にいて参加しました(その時のことも書いたかと思ったら書いていなかった・・・。Blogを使えていないなー、私)。

鳥取ループが紛れ込んでいたりして怖い思いもしたけど、すごくいい企画で、こういうものを定期的に積み重ねていくのが大切だなぁと思いました(鳥取ループ裁判の詳細等も上記サイトにあるので、そちらを参照ください)

第4回は「もっともっとちゃんと知って、どんどんみんなで話していこ~!」ってことで、タイトルは「ブラトーーク!」

 

ライブハウスなので、ビール片手に! (登壇者もトーク中に「生ふたつ!」)
とっても真面目な話を、リラックスして率直に・・・の雰囲気が心地よかった・・・

 

私と部落差別

私は大阪の生まれ育ちで、小学生時代が70年代にすっぽりはまっているので、「越境通学反対」ポスターに通学路を守られ、年度初めに教科書と一緒に「にんげん」をもらい・・・けれど南区(現中央区の南西側)には被差別部落がないせいか、部落問題学習をきちんと受けることなく過ごしました。

でも「しない、させない、越境通学」ポスターもそうだし、「石川青年を返せ!」「狭山差別裁判糾弾!」という垂れ幕のかかった建物も目に入っていたし、「にんげん」は毎年読んでいるし・・・(しかも私、「にんげん」が好きで、始業式に教科書類をもらって帰ったら真っ先に読んでいました。国語の教科書や道徳の副読本より、断然おもしろい・・・子どもだったから感覚でしかないけど、読み応えがあったのです)で、断片的な情報は常に身のまわりにありました。

大学に入って「部落問題概論」という授業と、その受講生会議でのFWを通して、はじめて断片が意味を持ってつながっていきました。そして実際に被差別部落に育った先輩や同期の子たちから、いろんな話を聴いて「昔話ではなかった・・・」と気づき、単に冤罪事件やろと思っていた狭山事件の背景も知り、解放子ども会の学習会や取り組みを垣間見る中で、「にんげん」の内容の深さに気づかされていったのでした。

・・・という学生時代。

母の親友の一人が大阪南部の被差別部落出身だという話を、初めて母から聞きました。私もよく知っているおばちゃんでしたが、解放運動からは完全に距離を置いている人(自分が言わなければわからない、わからなければ差別されない、と)で、母も「寝た子を起こすな」論者。要は私があっちこっちの部落に出入りして「こんな差別は許されへん」とか「部落にこんな面白い人がいる」とか、べらべら家で喋っていることにハラハラしていたようです。

母とそのおばちゃんは短大以来の親友。高校進学率が60%ぐらいの時代に女子短大に進学しているのがミソで、2人とも、家庭は貧乏でもないけどそんなに裕福でもない、でも「これからは学歴や!」という親の信念で進学させられた(本人たちは嫌だったらしい)のが共通点。まわりの「嫁入り道具的に通っているお金持ちお嬢様」とはそりが合わず、仲良くなったとのことでした。そして母はまわりの「お嬢様」たちから「なんであの子とつき合うん? あの子〇〇やで」と何度も言われたらしい・・・母は「それがなんやの?」と意に介さず過ごし、母の親(私の祖父母)もそんなことは気にしない人たちだったのだと話していました。

いや、だからさ。差別されとるやん。差別あるやん。やのに「寝た子を起こすな」ってさ・・・と私も若気の至りで何度か話してみたものの、「差別するほうがしょうむない」「そんなしょうむない人がみんな死んだら差別はなくなる」「いまの若い子は、もう差別なんかせんやろ」という感じで、むしろ私のように勉強したり意識したりする方が差別を残す(どっかで聞いたような理屈・・・)と言いたげになって終わるのが常でした。
(当時、私が解放運動にがんがん突っ込んでいくのを、止めたり反対したりはしなかったけど、よく思ってはいませんでした。その辺の確執は、また別の話)

そんなこんなで、明らかに悪意があって排除してくる人より、こういう人の方が厄介だなぁ・・・と自分の母を見ながらよく考えたものでした。

私たちの課題

 

ビール片手に聴きながら、そんなことも思い出していました。

もともとこのイベントは鳥取ループ裁判支援グループ(ABDARC)の企画で、インターネット上に地域の名まえ/関わる個人名をアウティングするという悪質な差別行為をどう考え、どう対抗していくかを考えるための場。あからさまに酷いことを言ったりやったりということを彼らはやっていないけれど、社会に潜む差別意識が行動に発展するためのプラットホームを提供しているという、巧妙で悪質な差別行為に、私たちは何ができるのか、何をしていけばいいのか・・・・・・。

自分が生まれ育った地域が、いかにも恐ろしげにBGMをつけた映像でネット上に晒される。自分の車のナンバープレートが映りこむ。あるいは自宅や友だちの家が。地域の祭に参加する子どもたちの顔が。裁判の原告になったことで、名まえや住所といった個人情報を晒される(裁判の訴状には現住所が記載されるので、被告側に個人情報が知れてしまうんですよね。この裁判の仕組みは何とかならんのかなと私は思います)。

鳥取ループは過日、裁判所で「私の行為(インターネット上に情報を晒したこと)によって、だれか一人でも死んだのか?」と言ったらしい。人が死ななければ問題ないと?・・・差別の被害が、そんなふうに明らかに物理的に傷つきがわかるような状況にまでいったら、それは相当にヤバい段階でしょうよ? と怒り沸騰しつつ、そこまでのたまうということは「私は情報提供しているだけ」なんていうのは言い訳で、やっぱり差別する/傷つける目的でやってるんだな・・・と確信(改めて確信)。

この現実がある前で、「寝た子を起こすな」は害でしかない考え方ですよね。
「寝た子はネットで起こされる」現実。だったら、変な起こし方をされる前に、どうするか、変な起こし方をされちゃった人たちに、どうするか。ーーそこは教育の仕事だなぁと、気合いが入って再びビール。さいぼし旨し!

丁寧に暮らす

ヘイトスピーチする連中もそうだし、鳥取ループもそうだけれど、地に足がついていない、観念の世界でコトバを弄んでいる人たち。という感じがして、だからこそ、こっちは丁寧な暮らしを見せつけていきたいし、丁寧に毎日を生きることが対抗ではないか・・・ということも考えさせられました。

情報を晒されたことで陥る不安は、安全・安心な暮らしを壊される恐怖だし、その恐怖を感じながら日々暮らさないといけない時点で、それは心理的な被害にほかなりません。だれかが死ぬとか、精神を病むとか、そこまでいかないと被害だと認識できないとしたら、そちらの方がよほど歪んでいます。

不安になるのは、その暮らしが日々の小さな積み重ねでつくりあげた信頼や安心に支えられているからこそなのだろう・・・と思うのです。「ご飯食べていきやー」と言ってくれるおばちゃん、地域のイベントをつくるあの人やこの人、それを楽しんでいる子どもたち・・・「さいきん、どう?」と声をかけあえるコミュニティは一朝一夕にはできないし、少子高齢化の進む日本で、より便利なところ、小ぎれいなところに人が移動していくなかで、地域コミュニティ/まちづくりの課題を抱えている地域の方が多くて。地に足つけて、地道にコツコツ、丁寧に人間関係を紡いでいこうとしている人たちの姿は素敵だし、そんな素敵な世界を守りたいと思うから、それを脅かす彼らの行為に不安と怒りを感じる・・・少なくとも私は、そう思います。

今回のイベントで紹介されていたのはこの地域の取り組み

ホーム - 暮らしづくりネットワーク北芝暮らしづくりネットワーク北芝 | であい・つながり・げんき

何を隠そう、学生時代に私が初めてFWに行ったのがこの地域(30年ぐらい前・・・)

ここはホントにおもしろい! けれど、おもしろさの背景には、地域の事情・課題があって、そこに向き合ってどうしようこうしようといろいろなチャレンジを繰り返してきた歴史があります(それがまたおもしろいんですが)。

コトバにするとありきたりですが

暮らしは積み重ねていくもの。つくり上げるには時間がかかる。
破壊は暴力。一瞬で壊せる。そして、差別は暴力。

どんな暴力も許さない。とともに、
暴力に抗する暮らしを日々紡いでいく営みを止めないこと。

・・・とかなんとか言いながら、地に足がついていない私(笑)
ですが、今年は「地域」とか「まちづくり」とか、もう少し勉強して関わっていきたいなぁと心ひそかに思うのでした。

 

がんばろ。