わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

4月3日だから。

済州4.3.の追念式に参列させていただきました。
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民団の人も総連の人も(写真ではわかりにくいですが、追悼記念碑の両側のお花は、それぞれからの献花です)

・・・すごい。

ここまでの道のり、さまざまな努力、尽力を思うと、自然と頭が下がります。

 

4月3日の済州島には、6年前に。

そのときは、唐突に「行こう!」と思い立って、一人で申し込んだのだけど、申し込んでみれば、たまたま学生時代の先輩が一緒で。

そしてたまたま同行した私は、先輩のルーツである、アボジがそだった地:4.3.で消えてしまった村の跡にも行くことができた。先輩と一緒に。

今も思い出すだけで胸がいっぱいになる。

なんと言えばいいのか、

歴史が急に生々しい熱さを伴って胸の奥深いところから脳天へ突き抜けていくような、そんな衝撃だった。

 

私たちはみな、歴史的な存在だ。

 

そのことを体感として私に刻み付けてくれたのが済州だった。

ソウルや水原でも、歴史として学んだ地に立って、感慨深いものはあったけれど、済州は別格。それは歴史ではなく、隣にいる人の「来し方」そのものだったから。

news.yahoo.co.jp

これは、昨年の70周年追悼集会に合わせた記事。

 

今日は大阪で、一番端っこの席にお邪魔して、読経を聴きながら、いろんなことを考えた。今日の大阪は花冷えで寒かったけれど、その冴えた空が美しかった。

いまごろ、済州でも追悼行事が行われているんだろうな。この空はその空間にも繋がっていて、たくさんの人の哀しみや決意が風になって吹き抜けては戻ってくるような、そんな気持ちになった。

 

午後は、『ペパーミントキャンディ』を観に行った。

www.cinemacafe.net

1999年製作。言わずと知れた名作(と思ってたけど映画館のスタッフさんたちはわかってないようだったのが残念・・・)

これこそまさに、

人はみな、歴史的な存在だ。ということを雄弁に語る作品。

(もっとも、韓国映画はこういうのがとても巧いと思う)

 

ちょっとググればネタバレ含む映画評が幾つかヒット。とはいえ、

「1987年」「1980年」という主人公の「過去の時間」が表しているものに言及しない(わかってない?)映画評ばかりで、なんかがっかりしてしまいましたが・・・

 

あらためて見ると、ソル・ギョング天才かよ! 

20歳そこそこの若者にもちゃんと見えてるし、40代のすさんだ中年にもちゃんと見えている。彼の存在感が、軍事独裁の時代から民主化へと大きく動いていく韓国現代史のなかの個人の個別性と普遍性を体現して、この映画が成立するんだなぁと感嘆。

 

 昨年、『タクシー運転手』『1987ある闘いの真実』と続けて見たばかりだから、余計にそことリンクして、ずっしりと重苦しく感じてしまったのかもしれない。

 

あたりまえだけど、1970年代があり、80年代があり、90年代があって、今がある。

では日本は? 日本に生きてきた私は?

高度経済成長は朝鮮戦争で復活した日本の第二次産業の隆盛に依っている。
そして朝鮮半島をはじめ、植民地・占領地として迷惑をかけた国々にまともな賠償責任を取らずに済ませてこれたことも、日本が自分の発展だけに注力できた要因として看過できない。その繁栄のさなかに私は生まれて、育ってきた。

1980年、光州で若者が殺されていた頃(そして弾圧・暴力を実際に行使したのは若い兵士たち・・・つまり同年代が民主化を訴える若者と国軍とに分断されている)、私は中学2年生で、今日が今日のまま明日も同じように続くことを何も疑わないで過ごしていた。当時は「荒れる中学生」が社会問題化していて、私の学校も荒れていたし、学校なんてクソだと思いつつ。

1987年、ソウルの大学生が拷問死したり、デモ鎮圧の催涙弾が当たって死んだりしていた頃、私は大学2回生で在日コリアン指紋押捺在留資格の問題が、なぜか韓国との外交で決着する(?)ような報道や政府の動き方に怒っていた。これって外交問題なの? 日本の国内問題じゃないの? なんで韓国がでしゃばるの? -その韓国で、真の民主主義を求めて、市民が立ち上がり闘っていることはまったくわかっていなかった。いや、情報として知らないわけではなかったけれど、それは表面的なことだけで、そこにいる一人ひとりの思い、居ても立ってもいられない、そんな思いはまったくわかっていなかった。

 

朝、たまたま情報番組で、「韓国カワイイ!カッコイイ!」とコスメや流行の食べもの、K-popが完全に定着している現代日本の中高生が取り上げられていて、歴史や外交などアウトオブ眼中で屈託なく楽しんでいる様子と、それに戸惑うスタジオの中年たちとのギャップが滑稽だなぁと横目で見ていたのだけど、

『ペパーミントキャンディ』を見終ってみれば、歴史も外交もわれ関せず、カワイイものはカワイイ! 以上! で済ませていていいのかなーと、私も戸惑う中年の一員じゃん、とふと思った。「いま・ここ」にしか興味がない、というより、「いま・ここ」を考えることに精いっぱいにさせられてきた日本のこれまでが、人間が歴史的存在であり、社会のありようから切り離せないのだということが身につかないようにさせているんだろうなと思う。

 

韓国カワイイ! から入って、韓国と日本の来し方と、自分の人生の関わりを考える若い人が増えるといいなと思う。とことん考えて、考え抜いて初めて、私たちは歴史や社会から自由になれるということも。

 

新学期準備をしなければ(笑)