わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

2001年6月8日と、2019年5月28日

川崎市登戸で、とても痛ましい事件が起こった。

たまたま自宅仕事の日で、いつものように朝ドラからつけっぱなしのNHK。まず緊急速報が入り、その後しばらくして、番組が途中で切り替わって、事件の概要を伝え始めた。

 

いっきに、2001年6月8日に引き戻された。
その日、私は勤務校の体育祭で、放送機材のあるテントの後ろにいたんだったと思う。初夏の日差しがギラギラして、グラウンドが白く光っているような、そのまばゆい日差しに目がくらみそうで眉間に力を入れながら、放送機材越しに何かを生徒としゃべっていた。そのときに、うしろから「附属池田小に不審者が侵入して、なんか大変なことになってるみたい」と話しかけられた。

私は、体育祭のさいちゅうに、またこの人は職員室のテレビがある休憩室でさぼってたのかよ・・・とあきれ、一方で、エリートの子どもに対する筋違いな逆恨みか…とぼんやり思い、筋違いだけど日本社会で「恵まれた子ども」の象徴的な立ち位置にある附属小が恨まれてしまうのは仕方がないかもしれない。などと考えていた。

そのあと、事件の内容を知ってから、私はこの時の、一瞬でも「仕方がないかもしれない」と考えてしまった自分のことが許せなくて、毎年6月8日が来るたびに、だれに向かって許しを乞うてるのかわからないなと自分でも思いながら、自分を責めてきた。

そういう諸々が、第一報を知ったときのグラウンドの空気や光の光景とともにリアルに蘇ってきて、犯人への怒りよりなにより、この18年間、私は何をしてこれたのだろうという後悔と憤りで胸がふさがれるように重苦しかった。

 

以下、整理できるかどうかわからないけれど、書きとめておきたいので書くことです。

 

「悪いのはだれ?」という問いの立て方でいいのか

あの、6月8日のあと、近所の小学校でも必ず門が閉まるようになり(それまでは地域の人が近道のために通り抜けることもあるような学校だった)、勤務校でもサスマタが購入された。犯人の男の「心の闇」がことさらに強調され、命を奪われた子どもたちの愛らしさ、思い描かれたはずの未来…と報道は続いた。その後、大阪府ではまた別の中学校で卒業生が学校に訪ねてきて教員を刺すという事件が起こり、学校の警備体制を強化しようという動きはますます強まって、保護者も学校から配られたネームプレートがなければ校内に入れなくなったりした。「不審者を校内に入れてしまった」「凶行に対して児童を適切に避難させられなかった――という点で、附属池田小学校の責任が問われ、当時校長の任にあったY先生が繰り返し取材を受けているのを見ながら、私はずっと釈然としないモヤモヤしたものを感じていた。

今回の事件から、いまは3日が経ったところだが、既にさまざまな人がさまざまな意見を発信している。(私が大事だなと思ったのは、この二つ)

川崎殺傷事件の報道について(声明文) : 一般社団法人ひきこもりUX会議 オフィシャルブログ

カリタス学園「愛の教え」さらなる分断を生まないために(飯島裕子) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

事件当日の内に、首相の意を受けた文科省から「通学路の安全確保について」各地教育委員会―各学校園に通知がとんだ。が、通学路の安全確保は学校の仕事ではなく警察や行政の仕事だろう・・・ということもそうだし、今回の事件のように殺意をもって刃物を持ち出している人物に、学校で何ができるのだろう。その後、明らかになってきたカリタス学園の通学状況からも、これ以上の配慮や対応を学校にどう求めるんだろう? という感想しかない。案の定、学校の責任を問うような報道の物言いはすぐにトーンダウンしていったし、文科省のこの通知に対する違和感も、何人もの人が表明している。

そうなると、犯人の動機、犯人の人物像・・・と報道はシフトしているが、犯人が自死してしまったために、周辺情報からの憶測ばかりだし、憶測にはたぶんに偏見が反映される。

 

6月8日から、何も変わってないじゃないか・・・と思う。

 

私は大阪教育大学の卒業生で、まだ附属池田小学校の近くにキャンパスがあったころの学生だったから、附属池田小にも何回も行ったことがあった。国立小なので、子どもたちはさまざまな地域から電車バスを使いながら通学してくるのだけれど、だからこそ地域の人たちとの交流などにも心を砕き、開かれた学校であろうと努力されていた。それが裏目に出た、と当時はよく言われたけれど、本当にそうなんだろうか? と私はずっとモヤモヤしていた。塀を高くし、校門を閉めて、門番が出入りを厳しくチェックすることが、子どもに「知らない人はとりあえず警戒するように」と教え込むことが、問題を解決するのだろうか? 安全確保のために設けたさまざまな壁が、せっかく築き上げた温かい交流の間にまで壁となって立ちはだかってしまう矛盾をどう考えたらいいのか。地域と学校の関係はどうあるべきなのだろう・・・

附属池田小には、校庭の一角に素敵なビオトープがあって、私はそこを通って校舎に向って歩くのがとても好きだった。そして、校門や塀の記憶がほとんどない。

事件のあと、門が常に閉められるようになった近所の小学校も、最初こそ警備員らしき人が門にいたが、そのうちに地域のシルバーの人の仕事になった。そうなると近所のおじいちゃんなわけだから、悪意のある屈強な犯人が来たら役に立たなそう…である一方で、登下校時の子どもたちの話に耳を傾けてくれたり、忘れ物を届けに来た保護者と世間話をしたり、ネームプレートよりも的確に、人を識別してくれる門番さんでもあった。私は、常々、子どもにとって学校で「教員以外の大人」の存在(管理作業員さんとか給食調理員さんとか)が大切だと思っているのだが、そういう大人の一角に存在してくれるようになって、警備員としては頼りないけれど、こういう人の方がありがたいなとさえ思っていた。自分の子どもが小学生になり、ネームプレートが配られて、それをつけて保護者会や参観に行くようになって数年後、ネームプレートでの識別ルールを厳格にしていないことにクレームをつけた保護者がいたらしく、人が交代して「ルールの徹底」を要請するお手紙が学校から配布されたのを見て、私はまたモヤモヤしたのだった。

問題の本質は何なのだろう。ルールを守ってきちんと運用することなのだろうか。

そのルールは本当に子どもを守るのだろうか。

 

学校の警備の問題にせよ、犯人の個人的な特異性にばかり注目することにせよ、要は「だれが悪いのか」を暴き出して、その人に責任を負わせようという問いの立て方だと思う。もちろん犯人は悪い。犯した罪は裁判を経て刑を受けて償ってもらわなければ困る。けれど、同様の事件を防ぐために、と考えるなら、なぜその「特異な人」を私たちの社会が生み出してしまったのかを考えなければならない。

学校の警備体制は、目に見えて取り組みやすいし大事なことではあるけれど、万能ではない。その責任を学校の、門番をする人の、日々の運営の完璧さにのみ求めることで、何も考えないで済んでいる自分がいないか。たまに学校に出掛ける自分。そのときたまたま、ネームプレートをもっていない保護者を顔パスで通した門番さんを見て、「ちゃんとしろよ」と怒るだけで、何か問題が解決するような、自分はちゃんと子どもの安全を考えているのだという錯覚に陥ることの方が危うくはないのか。

 

言い過ぎかもしれないけれど、学校の警備体制、学校関係者が考えればいい問題だと、私たちは6月8日を矮小化していなかっただろうか。特異な犯人の、特異な犯行として、自分から切り離していなかっただろうか。 そんなことをやはり考えてしまうのだ。

 

6月8日と5月28日を「わたしたちの問題」にしたい

最初に書いたように、私は6月8日の私自身を許せないと思っている。

この社会に格差があり、差別があり、そのなかで割を食ってしまう位置にいる人は大勢いる。だから「勝ち組」にならねばならないのだという空気が、私たちの生活を覆って日々プレッシャーをかけている。そのプレッシャーのなかで、わたしたちは生きている。

もちろん、そんな社会のなかで、大変な思いをしながらも、凶行に及ばない人の方が大半だから、やはり犯人は特異だと言えるのかもしれない。でも、だとしたらなおさら、大半の人が凶行に及んだりはしない、自死すらせずに、何とか踏ん張って生きている、そういう人たちと犯人を分けたものは何なのか、それを社会的に考えていくことが私たちの責任ではないだろうか。社会は自明のものとして存在するわけではない。私たちが社会をつくり、社会で生きているのだから。

「勝ち組にならねば」というプレッシャーを、おかしいと思いつつ、そうはいってもすぐに社会が変えられるわけもないのだから、割を食わないように頑張るしかないと、飲み込んでしまっていることが、社会が変わらない一因ではないのか。

「負けたくない」とぎりぎりで踏ん張るからこそ、がんばっていないように見える人に冷淡になってしまう、甘えんな、社会のせいにするな、という視線が、「何とかしてほしい」と助けを求めることのハードルを上げて、より窮屈な社会に向かわせているのではないのか。

犠牲者でもなく、犠牲者遺族でもない「わたし」にできることとして、考えたい。

冷静に事件を分析する口調に冷淡さを感じて「遺族の気持ちを考えろ」という人がいる。その気持ちは尊重したい。けれど、遺族が何も考えずに悲嘆し、悲嘆と付き合いながら生きていく方法をゆっくりと見つける時間のためにも、関係が遠いものが冷静に考える責を負おう、負いたい、と私は思う。

 

ただ、その道のりは時間がかかるから、いま、登下校している子どもたちや保護者の方たちの安心のために、できる警備は続けなければならない。そこは私も否定しない。

大事なのは、それは「当面の対処」にしかならないと自覚しつつ、背後にある大きなものを考える手を休めないことだと思っています。

 

とりあえず。今日はこんなところで。