8月だ。
8月はそれでなくてもいろいろと考え込んでしまうことが多い月だ。
ヒロシマ原爆忌、ナガサキ原爆忌、そして 8.15.
加えて、今年は最悪なニュースから始まった。
文大統領「いつかは越えるべき山」…「ホワイト国除外」に対抗措置の予告も(発表全文訳)(徐台教) - 個人 - Yahoo!ニュース
「平和の少女像」展示中止を要請へ。あいちトリエンナーレを河村たかし・名古屋市長が視察 | ハフポスト
「大日本帝国臣民」を意味に含めた「日本国民」の一員にされたかねーよ。
私は日本国憲法下の日本国民として、断固として植民地主義とレイシズムを拒否する。
わが母国(日本国憲法をもつ日本国。断じて大日本帝国ではない)が、過去を受けとめ、「植民地主義と帝国主義の大日本帝国を決して再来させない」ための教育に粛々と取り組むことで、かつて甚大な被害を与えてしまった近隣アジア諸国の信を得られるように、日々、コツコツ努力してきたし、しているつもりである。
しかし、この国は、そんな一国民の思いに応えるつもりがないようだ。
日々聞こえてくるのは、大日本帝国にアイデンティティをもちたい人びとの大声ばかり。
何度でも言う。私は日本の国民だが、大日本帝国の臣民ではない。
ゆえに韓国は植民地ではなく、手を取り合うべき隣国だ。
ゆえに大日本帝国が犯した罪を繰り返させまいとたたずむ「平和の少女像」を支持する。
ゆえに大日本帝国が犯した数々の戦時暴力の反省に立ち、真相の解明と、被害者への謝罪、戦後日本が同じ轍を踏まないための教育を行う、その責任の一端を担いたい。
それが、日本のめざした民主主義ではないのか。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、 名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、 普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国憲法前文の、この崇高な理想をこそ、私は支持する。
・・・閣僚にせよ報道にせよ「日本国民の理解がー」等々と言われるたびに、私をそこに含めるな、とイライラする。とはいえ、私はやはり日本国民であり、連中の言説がこれから引き起こすであろう(いや、既に引き起こしている)災禍の加害者側である。
私は加害者になりたくない。
大日本帝国に戻りたい日本政府の主張にのっかって、「では・・・」とやってくる質問の束。事実を何重にも歪曲している言説に逐一答えさせられる間に、見失うものが怖い。問題はそこではない。なぜこうなったか、何がねじ曲がっているのか、それは読むべき本を読んでくれ。お手軽に質問して済ませるな。と拒絶してよいと思う。
(これは自分に言い聞かせている)
歴史を知る者は「それは事実が違う」「それは既に否定された学説だ」といったことを説明したくなるし、説明責任を自分が負わねばと感じてしまう。しかし相手は真理を知りたいわけではないのだから。学ぼうという姿勢のない者に解説している時間がむやみに経過していくうちに、事態はさらに進む。それこそが危ういのだから、「黙れ、自分で学べ」と一喝して遠ざけよ。同じ土俵に乗るな。
私は、この社会で共に暮らす朝鮮半島にルーツをもつ友人たちや子どもたちを守らなければならない。
「なんで韓国は不買運動なんかするの?」
「また、何十年も前のことを騒いでるの?」
「どうせ反日なんでしょ」
こういったコトバの攻撃。責任も取れない、聞かれたところで何故かなんてわからない、それでも「知っていて弁明する責任がある」かのように扱われ、それに傷つく。いつそんな質問が自分に飛んでくるかとドキドキしながら、この酷暑の中で働き、学び、しなければならない精神的負担。・・・それを思うだけで、胸が張り裂けそうだ。
「反日神話」を利用して国民を欺いてきたのはだれなのか。何のためなのか。
そのことに気づかない、気づけないマジョリティの横柄さと知的怠慢。
私は許さない。
「気にしすぎですよ」
「国と人とは別だし。みんな、それぐらいわかってますよ」
・・・わかっていないから、そういうふうに軽く受け流せるんですよ?
受け流せない人たちの痛みに、耳を傾けて考えてほしい。