わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

モヤモヤすること

開かれた対話、だいじだと思う。

意見の多様性、当然、あると思う。ないと困る。

自分と異なる意見にも耳を傾けたい…と思う。

 

が、しかし。

 

差別的な意見には耳を傾けたくない。とりあえず「黙れ」と思ってしまう。

相手が納得するかどうかは別として、とりあえずコテンパンに論破して、「どうもこの考えは一度持ち帰った方がいいようだ」と思わせたい。そのために口を開きたい、と考えてしまう私。

 

考えてみたら、昔から意見が対立すると私はそんな感じのやつだった。

口が立つ方だったし、「言い負かす」モードのスイッチがすぐ入る。

歴史修正主義レイシズムなご意見に対してはそれでいいとも思うのだけど、言い負かせるのか? と考えると、絶対に負けを認めない相手に対して、そのモードでいくら頑張っても、差別的なご意見を次から次へと呼び出してしまうだけで、逆効果ではないか…ということをつらつら考えて、絶賛モヤモヤ中。

 

前に見た映画『否定と肯定』を思い出す

miyearnzzlabo.com

「彼はこれで裁判に勝つか負けるかよりも、あなたを貶めようとしているんです」と。傍聴席とかにマスコミとかが来ているじゃないですか。日本と違って裁判はかなり向こうはオープンですからね。で、「アーヴィングという男はディベートがめちゃくちゃ得意な男なのでみんなの前であなたを問い詰めて、あなたがしどろもどろになっているところで『ほら、やっぱりホロコーストはなかった! この女は嘘つきだ!』みたいなことで、あなたを貶めようとしているんだ。あなたはそれにはまっては絶対にいけないんです」って弁護団から言われるんです。

 「うわぁ、そうなのか…」いや、確かにそうだよな。でもリップシュタットは反論したい。だって、正しくないことを言ってるのに!…という彼女の気持ちもわかるし、弁護士が言うことももっともだし、うぁぁぁぁと映画観ながらモヤモヤしまくったんだったわ…進歩のないヤツ。

 

いまモヤモヤしているのは、朝鮮学校をめぐるご意見のあれこれ。

私も、朝鮮学校の教育が素晴らしいと絶賛するつもりはない。学校は学校であって、日本の学校にもさまざまないいところも悪いところもあるのと同じで、朝鮮学校の教育方針や授業のやり方にしても、「おお!」と感動ものな授業もあれば、それほどでもない授業もある。私自身が言語を扱う教員だったから、朝鮮語イマ―ジョン教育は興味深いし、日本語の授業も朝鮮語の授業も興味深く見学させてもらうけど、実のところ「言語」に民族的アイデンティティを過大に乗っけ過ぎではないかとおもうことがある。教育方針の説明を聞いているときに感じてしまうことが多い:語り方、語る人のトーンによるところも大きいけれど、この話を日本の公立学校育ちで朝鮮語ぜんぜんできないコリアンの子たちが聞いたらモヤモヤするだろうなぁと、私はつい考え始めてしまうことが多い(私の親しい友人たちがほとんど日本学校育ちだからだとは思う)。言語だけが核じゃないと思うし…うまくいえないけど「民族≒言語」はわかりやすいから、ついそこが強調されてしまうのではないのかなぁとか。そんなこと考えながら、ふと周りを見たときに、見学者の日本人が「うんうん!」と感慨深げだったりするとモヤモヤする私は、ちょっとめんどくさいかもしれない。

それにしても、すさまじい偏見とバッシングのなかで、あえて危険をおかしてでも公開授業をやっている、学校や保護者、子どもたちの負担を考えたら、偏見持ちの人たちに「自分の目で確かめろよ!」と見学を案内することも、モヤモヤする。もちろん、学校は「そういう人たちにこそ知ってほしいから」とおっしゃるだろうし、まさにそんな人たちがいるから学校は開かれる。でも、なんなのこの不均衡。自ら学ぶこともせず、日本のメディアの無責任な言説に洗脳されているのは自分たちなのに、そこは棚に上げて、「朝鮮学校の教育内容って偏ってるんでしょ?」と大っぴらにものを言い、「では来て見てください」と招いてもらえる存在。そのために費やされる労力。怒りしか出てこない。そういうことを考え始めたら、前述の私のめんどくさいモヤモヤの方は、いまはどうでもいいと思ったりする。いまは、そこを考えていられる余裕がないというか…

本当はそんなことも含めて、民主的な学校とは、授業とは、といったことを朝鮮学校の先生方とオープンに話せたら、楽しいだろうなぁと思っている。なんといっても、「外国につながる子どもたちの教育」「継承語イマ―ジョン教育」を何十年もやってきた先達なのだ。なのに、その知恵を語り合うまえに、しょうむない偏見を糾すためのステップを置かざるを得ない。それが差別で、差別は社会を毀損するというのはその通りだと思う。なんでこんなに不自由なんだ。腹立つ…。

で、偏見持ちの人に偏見を糾してほしいという良心的な気持ちもあるんだろうけれど、朝鮮学校の見学後、「子どもたちがかわいくて素直で」「先生方が愛情深くて熱心で」といった賛辞が語られ、それが新聞に載ったりするのも、モヤモヤする(←とことんめんどくさいヤツ)。それもこれも、差別から守るためにそうなってしまっているわけで、ほめている場合なのか…。私は子どもたちが可愛ければ可愛いほど、先生方や保護者のみなさんの愛情を感じれば感じるほど、申し訳なくて身が縮む。だから実をいうと見学会に行くのはあまり好きではない(でも人を誘いたいから行く…)。行くと、楽しいけれど、楽しさのあとの辛さが半端なくしんどい。

 

…という辛さにさいなまれているところに、SNSで頓珍漢な偏見まみれのご意見を読んでしまい、そのモヤモヤをもう3日ぐらい引きずっていて、とりあえず吐き出してみたのでした。あー。モヤモヤする!