わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

だれのための表現か:金ジェンドリ錦淑さんのお話を聴いて

『草』というグラフィックノベルの日本語訳が出ました。出版社は ころからさん。

『花ばあば』もころからから出ました。いま(私的に)もっとも信頼のおける出版社さん。

korocolor.com

そして、原作者の金ジェンドリ錦淑さんをお招きしてのイベントが開かれたので(東京、大阪、広島…)、参加してきました。

『草』は日本軍「慰安婦」サバイバーである李玉善(イ・オクスン)さんの人生を描いた作品で、作中の折々に作者が玉善さんにインタビューしている様子や、玉善さんの旅路をたどっての取材旅行などの「現在」も挿入されています。イベントでは、なぜこの作品を描こうと思ったのかや、描こうと決めてからの試行錯誤が語られ、その一つひとつのエピソードが非常に示唆に富むものでした。以下、覚書としてお話のメモからピックアップするものです。

慰安婦」を描いた最初の作品:10ページの短編『秘密』

*2013年、李容洙さんに取材した短編『秘密』を描いたのが、日本軍「慰安婦」問題を考えた初めの一歩だった。直接的にはフランス留学から戻り「我が漫画連帯」に参加したが、そこで女性作家が少ないことから「『慰安婦』問題を取り上げてみたら」と勧められたのがきっかけ。

*李容洙さんにインタビューをし、描こうと思えたのは、彼女が「赤いワンピースと革靴」に惹かれて(誘いにだまされ)ついていってしまった、というエピソードに共感したからだった。貧しい女の子が「赤いワンピースと革靴」に惹かれる気持ちはとてもよくわかる、共感できるから、私でも描ける、描きたいと思えた。

*2013年の当時でも、被害を名乗り出ることができていなかった女性は大勢いたと思う。だからラストシーンは、テレビで証言する李容洙さんを見て、被害女性が電話をかける姿にした。そこで電話をかける女性が「私の名まえはキム・マルスンです」と名乗るページが最後。「マルスン」の「マル」は漢字の「末」で、当時の韓国では男尊女卑で跡継ぎの男子が望まれ、娘の誕生が続くと「もう女はいらない」という意味で「末」の字を使う名前を付けるということが行われていた。

*つまり、そこには日本支配という歴史の問題もあるが、ジェンダーの問題、階級の問題があり、そのどれもが外せない、重要な軸だと考えた。

*『秘密』は2014年にフランス・アングレーム漫画祭に出展されたが、そのとき、日本の右翼から「なぜ反日漫画を出品させるのか」というクレーム・攻撃が起きた。私は日本を憎み攻撃するために作品を描いたわけではなく、ジェンダーや階級といった問題も感じている。そこで改めて、私はこの10ページの作品で何を伝えたのか、その伝え方でよかったのか、等々と自問自答するようになった。

*漫画は私にとって、世界を見るための、世界とつながるための媒体だから、誠実に向き合いたい。「慰安婦」問題でいえば、大変な歴史を背負って生きてきたh鳥の女性の人生をしっかり描き切りたいというのが私の望みだと思った。そのためには取材を徹底し、嘘がないように。丁寧に描き切った作品から、何を受け取るかは読者にゆだねたいと考えた。

李玉善さんの人生を描く:出会いから作品構想まで

*2014年からナヌムの家に通い始めたが、じっさいのところ、だれにどんなふうにインタビューをすればいいか、まったく見当がつかないままだった。初めて行った日はほとんど話ができないまま、とりあえず自分の作品をいくつか置いていった。次に訪問したときに、その中の1冊の絵本を楽しそうに読んでおられたのが李玉善さんだった。

*「この人だ!」と直感して、インタビューを始めたが、最初はなかなか話が進まなかった。ある日―その日はたまたま大勢の見学者が来ていて、ハルモニたちも交流に出ていたが、玉善さんは部屋にいて「行かないの?」と聞いたら「私はあそこは嫌だから。今日は二人で話をしよう」と言って、その日は二人きりで長時間話した。話し終えるころには、私の前に少女時代の玉善さんが座って話しているような気がした。その日に聴かせてもらった内容が、作品の軸になった。

*インタビュ―、取材、勉強、描く…をぐるぐる反復しながら製作を進めていったが、悩むことは多かった。たとえば、絵のスタイル。カラーにするか、かわいらしい童画風にするか…等。また、暴力とその苦痛をどう描くか。『秘密』では核心の暴力シーンも描いたが、それでよかったのか…?

*絵は、できる限り簡潔に、余白を多くして、読者に想像の余地を残そうと決めた。いい絵を上手に書こうとするのはやめようと思った。

*世の中には暴力描写があふれていて、私たちはさまざまなメディアでそれを受け取っている。しかし一方で、暴力とは殴ったときのこぶしの痛さ、相手を傷つける感覚、最初はそれを苦々しく感じても、なぜかエスカレートしていく、そういう心理状態まで含めたものであり、そこまで深く考えてもらいたい。暴力描写に慣れてしまっている私たちに、しっかりと暴力の残酷さを伝えるために、直接的な描写をせず、風景や自然描写による隠喩表現を追求した。特に性暴力は直接描かない、と決めた。真っ黒に塗りつぶしたコマもあるが、それは暴力によってもたらされた絶望、苦しみの表現の一つ。読み手に考えてもらう、読み手の想像力を信じようと思った。

タイトル『草』について

*最初「烙印」という案があった。「慰安婦」とひとまとめに呼ばれることが烙印として作用し、彼女たち一人ひとりの個性を塗りつぶしてしまっている。それを訴えるためにあえて「烙印」はどうだろうか?

*「慰安婦」とひとまとめに論じられ「かわいそう」と言われがちだが、彼女たちは「かわいそう」なのだろうか? 実際に話を聴くと、生きる意志の強さ、生き抜いてきた力強さ、ポジティブでしたたかな人たちだ。花にたとえるなら、踏まれても負けずに咲く、壁の隙間からでも根を伸ばし美しく咲く、そんな雑草、『草』だと思った。

*韓国語でも女性を花にたとえる表現は多くて、美しくても醜くても、女性は花。しかしそれは男性目線での「評価」を表すためのたとえだし、手折られる、見物される客体としての女性。しかし女性は主体的だし、強い存在だ。だから『花』ではなく『草』がふさわしいと考えた。

お話を聴いていて考えたこと

さいごに「玉善さんの人生と私たちの人生がどうつながっているか、玉善さんの生きた歴史が私たちの現在とどう結びつくのか。それを問う作品にしたつもりだ。だからこの本は何か問題についての答えを示しているわけではなく、『問い』の本のつもりです」とおっしゃられたのが、とても印象的でした。

「歴史だけでなく、ジェンダーと階級の問題」というのも、その通りだと…。そして作品を読むと、その視点に貫かれていることもよくわかりました。植民地支配のもとで、日本人>朝鮮人という力関係の問題があるのはもちろんですが、男>女、地主>小作人、等々の力関係が何重にも絡み合い、最も弱い「少女」に被害が起きたことがきちんと描かれているし、それは現代の性暴力や女性差別の問題に通じる、まったく古びていない問題なのだと改めて考えました。

問われていることは、この歴史から私たちは何を学ぶのか、学んだのか?」ということだし、この問いはずっと続く類のものです。これだけ考えたから終わり、謝ったから解決、と済んでしまうものではない。ずっと問いは続く…問い続けることでしか、暴力は止められないと思いました。

 

「女を花にたとえるのは、男性目線の慣用」という指摘も、ハッとさせられました。言われてみればその通り…。人がことばをつくる、そのことばによって人がつくられる、そのサイクルにひそやかに忍び込んだバイアスが、私たちに内面化されていくことに、もっと自覚的にならなければいけないなぁと思いました。


f:id:jihyang_tomo:20200226173309j:image