わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「足らぬ足らぬは工夫が足りぬ」なのか!?

各世帯に、マスク2枚ずつ配布。

「これで、不安が消えますよ!」「マスク需要を抑制するのに役立つ」

 

・・・んなわけあるかい! と、既にもう世間で怒りやら諦めやらが渦巻いていますが。

 

「欲しがりません勝つまでは」かよ!

「足らぬ足らぬは工夫が足りぬ」かよ!

 

高校生のとき、演劇部で、戦時下の、いわば「銃後の母」役をやったことがあった。

モンペをはいて、バケツリレーやら竹やり訓練やらに駆り出される描写があって、82年の高校1年生は「空襲されてるのに竹やりでどうするんだ?」的なセリフには共感できても(そういう非国民キャラだった)、ホントに本気でみんなこれをやってたのか? の方がまったく腑に落ちず、したがって自分の台詞の危うさ:こんなこと口に出して、どうなるかわかってんのか!という危機感がまったく持てず、そうなるとやっぱり演出家にはダメだしされ・・・

そして演劇部は引退した3年生まで巻き込んでの大激論になった(笑…演劇に対してだけは超絶まじめだったのだ)

 

それは、ダメだしする演出家の2年生に対し、別の2年生が「そんなこというけど、平和な時代しか知らん俺らに戦時中の人間の気持ちなんてわかる?」「お前が求めてんのも、所詮、お前のイメージやん?」と言い出し、それに対して演出家が「いや、100%のシンクロはできへんけど、リアリティは必要やろ」と言い返し、「じゃあ、リアリティってなんやねん」と大バトル。1年生の私たちも「演劇のリアルってなんや!?」と参戦(というより、わからないから質問するけど、質問されても先輩たちもぐるぐるするだけっていう…)

 

その当時は、まだ先生方の中にも「元軍国少年」的な人が残っていて(広島で被爆された先生もいた)、そういう先生たちにも聞いてみたり。そして聴いたことを又部室に持ち帰って侃々諤々。

 

竹やりでアメリカに勝つんだと、本気で思ってたよ。信じたというより、疑うことを知らなかったというべきかな。

といった、国語の先生。『爆弾三勇士』に心を躍らせ、お国のために死ぬことが夢で、それがおかしいと思わなかった。「その経験があるから、ぼくは教育が大事だと思う」

 

俺らは戦後生まれやし、飢えも知らんし、空襲も知らんから、100%再現するなんて無理やと思う。けど、見てる方も知らんわけやん? そこで戦時下を舞台に選んで、それを描くのは何のためなん? 伝えたいことがあるからやん? やとしたら、伝えたいことを伝えるために努力するだけの話しちゃうの?

といった3年の先輩。先輩はこうも言った。

そもそも、演劇って想像力やん? 作ってる側の俺らの想像力と、見てくれる人の想像力の掛け算やん? だったら、リアルがなにかではなくて、大事にしたいことがなにかを突き詰めて、伝えることと、受ける人の想像力を信じるしかないんちゃう?

ただ、想像するためには知らなあかんから、経験者の話を聴くことは大事やと思う。リアルを知っている人への尊敬を忘れたら、演劇はアカンくなるんちゃうかな

 

…そんな話を積み重ねたことで、私は竹やりでB29に立ち向かおうとした人たちの気持ちを、実感としてはわからないけれど、それを信じざるを得なかった人がいたこと、そういう社会の空気があったということ、を理解した。

わかるけれど、わからない。そういうこと。

 

それから40年近く経った、21世紀の日本で、
まさかその「わからない」が「わかる」ようになるなんてな。と。

 

「〇〇ウイルス」と地名を名指しして敵は外にいる、日本に入れるな、と排除すれば「勝てる」かのように言いつのり、

夜の街が、若者が、海外からの帰国者が、「クラスター」だと名指しして、バッシングしていれば「勝てる」かのように錯覚させ、

その錯覚に、大衆がのっかって、「子どもが外遊びしている」「家にじっとしていない連中はけしからん」とSNSで密告しあい・・・

 

まさに戦時下だ。

 

あぁ、こういう状況のなかで、

「米軍がやってきたら竹やりで自衛せよ」だとか

「空襲になっても、最後まで防火の努力を怠るな」だとか

まさにいまの「自粛要請」と同じだ。国民にお願いしている体で、実際には役に立たない、むしろ危険な行為をやらせ、それで亡くなった人たちに何の謝罪もお悔やみもなく、戦後75年である(空襲被害者は「国民が等しく受忍した被害」として補償がない。軍から「明確に命令があったか」が補償の有無を分ける仕組み。自粛要請だって「要請」だから、政府は責任を取らない仕組みだ)

それでも、明日がどうなるかわからない不安のなかで、なんらか身体を動かして訓練していれば、何かやれているように思えて、みんながそれにすがってしまったんだろうな。それを疑うことは、不安を直視することになるから。これでいいの? と不安を自覚することが、怖くてたまらない。そういう空気に包まれていたんだな。といま思う。

 

前の記事でも『夜と霧』が身につまされると書いたけれど、身につまされる…なんていう落ち着いた表現では足りなくなりつつあると感じる。

 

この戦争状態のなかで、いかに精神を保てるか。

疑問を疑問として、変だなと感じる自分の感受性を信頼して、大切にする。

そして、それを恐れずに口に出す。

そんなことが、とても重要で、力のいることになっている。

 

私は、高1のときに演じた銃後のお母さんの、

「ほんとにこんなもので勝てるのかね…」とつぶやいた「勇気」を噛み締めている。

 

↓こんな記事がありました。

https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic