わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

(2019から引っ越し)なまえについて。

昨夜は、大阪の在日外国人教育の屋台骨(?)を担う若い人たちと霧深い街でダラダラ呑んでいて、たいそう楽しかった(そして朝寝坊。若い人たちはちゃんと早起きして修了式の学校に向かったはず。そのエネルギーも頼もしい)*ほぼ10年前に某雑誌に書いた文章(別記事:2014から引っ越した分に)も合わせて

昨夜、いろんな話をしていたのだが、後半は名まえに関して・・・民族名、日本名、doubleにとっての名まえ、何を名のるのか、どう呼ばれたいのか・・・等々をとりとめもなく、コリアルーツな人たちが話しているのをじっと聞きながら、いろいろなことを考えていた。そして改めていま、10年前のこれを読んで、5年前のやりとり(コメント欄)も読んで、「呼ぶ側」の私として、同じ「呼ぶ側」に立つ現場の先生たちに何を伝えるのか・・・という仕事をさぼってたようで、なんか申し訳ない気持ちになっている。

日本は日本語モノリンガル社会で、外国人が増えた・・・とはいえ、全人口比でいえばたかが2%である(ただしこの数字は「国籍」で数えられる人たちの占める割合だから、国籍では数えきれない多文化ルーツの人たちはもっと多いはず。とはいえ、倍になるとしても5%:100人に5人しかいないのだから、圧倒的に少ない。ものすごく雑に、多めに見積もったとしても10人中9人は日本人らしい日本の名まえで、そこに1人、日本人らしからぬ名まえが混じっているかどうか・・・という程度の数だ。

9割を占めている側にとって、日本名はありきたりであたりまえのことだし、どう名のるかどう呼ばれるか、そんなことも考えることなく、あたりまえに暮らしていく。けれど「自分だけ?」と感じざるを得ない人たちは、そのクエスチョンマークの答えを探し、考えざるを得ない(日本名であっても、希少な氏だったり独創的な珍しい名まえだったりすれば、やはり考えるだろうと思う)。

そこには、名づけた親の思いがある。それは日本人であっても同じことだが、海の向こう側にルーツがある人びとの場合、自分の家族の歴史、いつ日本に来たのか、なぜ、どのような経緯を辿って、日本に暮らすようになり、いまに至っているのか、といったことも関わってくる。在日コリアンの場合、何世代にもわたって日本で暮らしてきた、そのなかで祖父母や親の世代が何をどう考え、どう暮らしてきたかということも密接にかかわる。昨夜話していたメンバーも一人ひとり事情も違えば思いも違い、それでも共通点も有り・・・ということがあるから話が尽きなかった。

親が日本名のつもりで付けた漢字を朝鮮語読みする名まえ。韓国生まれの韓国人からしたら、「変な名まえ」である。音の響きもおさまりが悪い(と感じてしまう)から、もっと朝鮮名らしい朝鮮名をつけてほしかった・・・と思う日々を経て、いまはそれが「在日らしい」と感じているという人。 親が迷いながら「日本名としても不自然でない名まえ」をつけつつ、物心ついたときには民族名しかなかったから「二つの名まえ」感覚はない、と。でもそういいながら、自己紹介で緊張する、なぜ自分は? と思ってきて・・・この数年になって、そういう嫌、とか、緊張する、とか、そういう感情が抜けてきた、と話す人。 日本国籍で、日本名で、家族もそうして生活していて、民族学級でいきなり民族名で呼ばれ、「なんで?」と思った出発点の話。いま、日本名で働きつつ、民族名で自己紹介しルーツについて話すこともする。そこでの同僚の人たちや子どもたちとの関係性に感じる日々のあれこれを話す人。

基本は、その人が呼ばれたい名まえを尊重すること。けれど日本で朝鮮名が名のりづらい状態をずっと放置したまま、当事者の努力だけに責任を押しつけてきたことを棚に上げて、「本人の意思を尊重します」と日本人が言うことは、やはりおかしい。「本人の意思の尊重」という隠れ蓑で、「私はどう呼びたいのか」を考えないのはダメだ。そしてもう一つ。外国ルーツの同僚や生徒を前に「本人の意思」を言うあなた自身は、どう呼ばれたいのか? 自分の名まえをどう考えるのか? そんなことについても考えなければいけないと思う。

マイノリティの名まえだから、特別に考えなければならない・・・のは、日本人らしい名まえでなければ暮らしづらい社会があるからだ。考える必要なく暮らしてこれたということについて、それはなぜか? を考える。そして、他者の名まえについて、どう呼ばれたいのか、どう呼ぶべきかと考えている、その疑問符のあれこれを自分にも向けてみたとき、見えてくるものはないだろうか。

昨夜は、家族ルーツについて、在日コリアンに「祖父母がいついつ日本に来て・・・」といったことを語らせたり調べさせたりして終わりではなく、それを聞く日本人も家族のルーツを考えることが必要ではないか、という話もしていた。在日コリアンの渡日の歴史、日本で暮らすことになっていった歴史が日本の現代史であるように、日本人の家族の物語も、日本の現代史の一面だ。自分のことをすっ飛ばして、他者の歴史だけ云々する、それもある種傲慢なことではないのか、と思う。

同様に名まえについても、家族のルーツ、名づけに関わるエピソードなど、同じように存在しているはずなのに、自分自身についてのそれを考えたり、話したりすることなく、マイノリティの名まえについて云々している、なぜそんなふうに一方的なまなざしになってしまうのだろう。そのことじたいが、マジョリティとマイノリティの力関係を表しているのではないのかな・・・と、昨夜はつらつらそんなことを考えながら、話を聴いていた。

個人的なことだが、去年、あるお二人から「どう呼ばれたいですか」と問いかけられた経験も影響している。そのお二人は「呼ばれたい名まえを呼ぶ」ことにこだわっておられるのだが、私自身はお二人のそのこだわりを知って、自分がどう呼ばれたいかなんてこだわってない、呼びたいようにどうぞ、としか考えてなかったなぁと思った。が、そうやってつらつら考えているうちに、子どもの頃、「自分をこう呼んでほしい」と思っていて、でもその思いが叶わない日々を過ごしていたことを、唐突に思い出したのだ。そして思いだしたら、その当時の(8歳ぐらい?)寂しさ、もどかしさ、のむずむずするような気持ちを思い出して、自分のなかの小さな私が切なくて愛おしくて、思わずぎゅーっと抱きしめていた。あぁ、私は寂しかったんだなぁ、なんでなん?って、悶々とうつむいていたんだなぁと。

在日コリアンの子ども会で、その後の活動のなかで、常に外国ルーツの人たちの名まえを「私はどう呼びたいか」にこだわって、「あなたはどう呼ばれたいですか」にもこだわっていたくせに、自分自身がどう呼ばれたかったのか、自分の名まえについてどんなふうに思ってきたのか、ずっとスルーしていたのかと思うと、奇妙だし滑稽だ。なぜそこはスルーだったんだろう? と思う。

昨夜、私にとっては初めてではないエピソードもあったけれど、とても新鮮な気持ちで聴き入ってしまえたのは、きっとそんなことがあったからだ。全然まとまらない文章だけど、何か書いておきたいと思ってこうやって書いているのも、同じ理由だと思う。