わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

映画『かば』を観ました

kaba-cinema.com

観てきました。緊急事態宣言で迷ったけど(うちからだと大阪/梅田を通らざるを得ないもので…)、DVD化の予定なし!とか書いてあるしなーもぉ。とか思いながら。

 

私が学生時代お世話になった中尾健次先生も鶴見橋中学校の元教員で(映画の舞台になっている1985年にはもうそこにはおられなかったはずだけれど)、かっての教え子たちとのエピソードを楽しそうに話しておられたのをよく覚えています。映画の内容、そのまんま(笑)

私は1979~82年に中学生だったので、映画の中で「おまえらんときのほうが大変やったわ」と言われている世代と劇中の、ちょうど狭間かな。ちゃーこ先生が着任のあいさつをしようとしているのに、みんな後ろ向きに座っている最初のシーン、同じようなことをやったことあります(笑)大阪の中学生、やることいっしょかよ!みたいな。でも違ったのは、それに同調しない子たちもいて、その子たちが「もう、ええ加減にしたら~」と言うのと、ヤンチャたちが笑いをこらえているのがシンクロするところ。私の中学生時代は、まじめちゃんが小バカにされて排除される雰囲気が強かったけど、ここはそういう嫌な雰囲気はないんだなぁと思わされました。そんな小さなこと、映画を見た人にどれだけ伝わるかわからないけれど、「一人ひとりを大切にしたい」同和教育実践に貫かれていた鶴見橋と、一部心ある教員はいても学校としての取り組みは皆無だった母校との違いだよなぁ…と私は感じました(笑いながら)。

そんなふうに、自分自身が中学生だった頃と、大学に入って以降、触れて学ぶことになった大阪の同和教育の現場について感じ、考えてきたことを交互に振り返りながらの2時間20分。あっという間でした(以下、ネタバレしてしまうかもしれないので、ご了承ください…)。

「向き合う」というけれど

観終わって、いちばん「よかったなぁ」と思ったのは、問題が何一つ解決していないことでした。生徒が抱える厳しい状況、そこにある保護者の問題、何も解決せず、明るい展望(解決の兆し)が見えるわけでもない。みんなもがいているだけ。でもそういうなかで、登場する一人ひとりが葛藤しながら確実に変化していく姿が描かれていることが清々しく、人間っておもしろいなぁとつくづく感じさせられました。

そんなことを考えていたら、今朝、別のSNSで「悶え加勢(もだえがせ)」ということばを知りました。困っている人、悩んでいる人を前に、何もできなくて、でも心配で、話を聞きながら悶えて、まわりをおろおろしている、そんな姿が「加勢になれる」という意味だそうです 悶え加勢する - 一般財団法人水俣病センター相思社

あぁ、なるほどな、と思いました。

あの学校の先生たちは、悶え加勢していたんだな。

飲んだくれたり、やさぐれて自暴自棄になったり、そんな保護者の背後には社会的な問題が横たわっていて、そう簡単に解決しない。「親やねんからもうちょっとしっかりせーよ」がすんなり通るなら、だれも困らないわけで、それが言えないからおろおろする。家庭訪問を重ねて保護者から信頼を得ても、それが課題解決になるというわけではない。子どもがまじめに勉強して進学して就職しても、そこにまた差別があって、人の歩みをくじかせようとする、そんな社会に私たちは生きているのだということを、そのまま描いて、安易なハッピーエンドにはしないけれど、絶望もしないというオチのつけ方に、すごく好感をもちました。大阪の同和教育・人権教育が大事にしてきたこと、その人間観が映画を貫いていたと思います。

「加藤ちゃんは加藤ちゃんのやり方で向き合ってくれたらええねん」というセリフが最初の方に出てきます。「向き合う」ってよくあることばだし、「子どもに向き合って」とか「子どもに寄り添って」とか、教員志望の人がよくいう「目標」のことばでもあると思いますが、じゃぁそれはどうすること? というのを考えさせてくれるので、教員志望の人にはぜひ見てほしいです(ちゃーこ先生の着任初日に校門のところで「入る? どうする?」とちょけて聞くベテランの先生がいるのですが、「あなたは本当に教員になるの?」とグサグサ刺さってしまうかもしれません…)

マッチョだった80年代を考え直したい

もう一つ、私に刺さったのは、70-80年代の同和教育の「マッチョさ」とその限界みたいなものも描かれていて、決して「オレらもセン公も熱かった!」だけの青春活劇に終わっていないところでした。

タイトルは「かば」で、これは実在の蒲益男先生というモデルあってのことなのですが、物語進行の軸は臨時講師で現場は初めての「ちゃーこ先生」になっています。ここを女性に設定したことの意味は大きいなと思いました(とはいえ、体育会系でやんちゃのボールをホームランでかっ飛ばしてしまう、というややマッチョな設定。こうしないとハマれないところが80年代の荒れてる中学校のリアルではある……)

最初、やんちゃたちに「試し行動」されて凹みまくるちゃーこ先生に、裕子という生徒が「先生、辞めんとってな。この学校、女の先生少ないねん」と声をかけます。この裕子も過酷な生活に直面しているのですが、学校ではやんちゃするわけでもなく、明るくまじめで、問題があるように見えない生徒です。その裕子が担任の蒲先生ではなく、ちゃーこ先生に「話したい、聞いてほしい」とSOSを出す(しかし最初はそれに気づけないちゃーこ先生…)あたりからの展開が、この映画の深さだと私は思いました。

そこまでに、折々に挿入される卒業生(ユキ)の姿があり、初めは意味がよくわからないのですが、この中盤で「あぁ、そういうことなんだな」と腑に落ちたといいますか……。裕子同様に在学中は目立たない生徒だった子、という設定なんですね。久しぶりに姿を見かけた蒲先生がとっさに名まえが出てこない、「えーっと…」と向かい側のホームから眺めながら「卒業生が幸せそうなのは、ええね」という会話が入るのだけれど、実際には露骨な差別言動に出くわしていて、悲しみと葛藤の渦中にいたことが後々判明していく。その流れと、SOSに気づけなかった自分に気づいて衝撃を受けるちゃーこ先生がシンクロしていくことで、「向き合うってなに!?」という問いが深まっていくわけです。

70年代末ごろから80年代にかけての時期、全国的に中学生の荒れ・非行が社会問題化していて、私の母校も荒れていました。窓ガラスが割れるとか、窓から何か投げ落とされるとか、日常茶飯事だったし、授業も成立してなかったし、新任や臨時講師できた女性の先生が辞めてしまう、というのを私も見ていました(それでも映画の中で描かれる状況に比べれば全然おとなしいものでしたが……)。そういう状況のなかで、カラダを張って指導できるマッチョな男性教員、サバサバした肝っ玉母ちゃん的な女性教員しか現場が務まらん…みたいな空気が確かにあった時期(『3年B組金八先生』の第1・第2シリーズがまさにその時期で、あの職員室と学校の感じが私の母校に近いです…とはいえ、私たちは「でもテレビやからみんなちゃんと座って先生の話聞いてるww」と荒れている中学校を描いていてもドラマはしょせんドラマやな―と生意気に論評していたものです…)。だから映画の中でも「女の先生がいない」リアルが描かれているわけですが、そういうマッチョな世界にあって、取りこぼされがちだった子がいること、わかりやすく荒れている子たちだけ見ていたら、見逃す課題があることを正面に置いていることに、私は感動しました。

学園青春ドラマもそうですが、同和教育実践の報告などをみていても、「わかりやすく熱い、マッチョなぶつかりあい」みたいなストーリーが耳目を集めやすく、そんな実践報告ばっかりやな…と感じたことが1度や2度ではない(苦笑)。個々の実践報告者には特に意図はないと思うのですが、研究集会などでそれらが集まったときに結果として生じていた偏りはなぜだったのか、何か教員側に「カラダを張って子どもとつきあうことが偉い」という物差しで実践や教員の指導力を序列化してしまう意識はなかっただろうか……そんなことを、これからの私たちは考えて、ふりかえらなければならないんだろうなと思いました。ここは、教員志望者や新任の先生方よりも、ベテラン世代に見てほしいと思うところです。

これは自分自身も反省するところですが、人間は「物語」が好き(わかりやすいストーリーに回収して納得したい欲望がある)なので、自分の授業や生徒指導の実践をふりかえるときにも、つい既存のストーリーに沿って「物語」化したまとめをしそうになるんですよね。過剰に物語化しない。オチをつけない。何も解決していないし、取りこぼしたこともいっぱいある、それがあたりまえなのだと自覚して、広げっぱなしでまとまらない報告をしたっていいじゃないか!と思うぐらいの実践報告の場が増えるといいなぁと思います。

語り合うことの大切さ

非常事態宣言でなかったら、一緒に観たい人をあれこれ誘って、観終わった後は飲みながら感想大会したい映画でした。コロナが落ち着いたら、ぜひリベンジしたい(笑)

上で書いたようなことは、私がこれまでも何となくモヤモヤ感じていたことでもあります。70-80年代の同和教育、部落解放運動の話って、破天荒にすごくおもしろくて(映画のパンフレットにも「これは映像にできんと断念したエピソード」の存在が触れられているけれど、ほんとうにおもしろい話、人間ってなんて複雑怪奇でわけがわからんものなんだろうかという奥の深さが大好きで楽しく聞いてきたには違いない。違いないのですが、一方で「女には無理」と言外に醸し出されるボーイズクラブな雰囲気は苦手でした。男性陣にまったく悪気はなく、妊娠や出産のある女性のカラダをかばう「善意」にあふれていたりもする(とはいえ「育児」までそこに含めるのはやはり違うと今は思います。夜遅くまで生徒につきあうような生徒指導を男性教員ができるのは、自分の子どもは妻さんが見ているからだし。女性の場合は「自分の子どもの方が大事なんやろ」と悪態突かれるけど、男性はそんな悪態も突かれないし。それって特権ですよね…)。そして実際、男性教員の間でも「あいつは使える/使えない」と序列化されて、課題集積校にだれを引っ張るのか/残すのかの綱引きで選ばれる人と選ばれない人がいる現実にもモヤモヤしていた学生時代(卒業間際のころ)。そうやってモヤモヤしていたくせに、自分が現場に入ったら、生徒や保護者に対して「あいつが悪い」と背景を見ようとしない同僚に苛立ち「使えん奴」とレッテル貼りして見下したりしていたのだから、私自身にも深く内面化された「同和教育マチズモ」みたいなものがあるんだよなぁと思うのです。「一人ひとりを大切に」と言いながら、同僚を切り捨てる。現場が厳しい(仕事が忙しくて余裕がない)から……といくらでも言い訳はできるけれど、言い訳するのを止めて、語り合ってみたい、と切に思いました。

上映会&ガチで語り合おう会、したいなぁ…(対面で!)

小ネタの話…

*好きな人との電話は、近所の公衆電話でする。電話の上に10円玉積み重ねて(笑)このディティール、今の若者は伝わるかなぁ…。そんな電話の場面があってこそ、デート場面での定番差別発言(それも酷めの)の辛さが際立つ……

*蒲先生、家庭訪問して追い返された家にマッコリもっていくって!(しかも一升瓶にラベルないし)そして豚足出されて、明らかに試し行動されてるよなぁ…と、笑っちゃったのは私だけですか……

*転校生、「チョーセン」と言われて「俺はチョーセンちゃう、韓国や!」……これ、いまどきの若い人と、私たち世代では受け取り方が変わりそうだなぁと思った。今どきの人たちは「北朝鮮と同一視されたら嫌なんかな?」と思いそう。80年代中高生だった私は「”チョーセン”ってバカにする言い方をするな」が真意だと思う。ここらへんのニュアンスの繊細さ、学んでもらうきっかけになれば嬉しいけれど。差別が学校の中・友だち同士の間だけで完結しない問題だということは、勉強しない限りわからない。最初の「よそ者が入ってくんな!」のセリフも、その深さを考えて学んでほしい。映画をきちんと最後まで見れば、そこに込められた子どもたちのやりきれなさは伝わるかな…。

*職員室でも校庭でもたばこ吸う先生たち(笑)そういえば小学校のとき、教室の先生の机にも灰皿ありました。5年、6年と担任してもらった先生、映画中の先生たちと同じで吸いまくってたけど、めっちゃいい先生で大好きだった。私たちを卒業させた後、異動して同和教育推進校に行き、そのまま教頭になったのを知ったのはずっと後のこと。思えば中学校時代も「この先生はなんかちゃうぞ」と感じた人は、軒並み、同和教育推進校での勤務経験がある人だった。大阪市のすごいところだと思いますが、それに気づかないまま育った児童生徒も多いと思います…。

*「ヤクザには慣れてるから」「強いヤツの名まえ出してくる奴は弱い」。いきって強がっているタイプの子と、本気で強い子は明確に違っていたなぁと思いだした。映画中のシゲと同じで、親がヤクザで本人も強くて、一目置かれつつビビられてた男子が同級生にいて、みんなその子が嫌いなわけじゃないのに、「孤高の人」感があった(シゲにいたような仲間が、彼にはいなかった気がする)。3年生になったころからほとんど学校に来なくなって、やっと来たと思ったら図書室に消火器を噴射して暴れて、それっきり全然来なくなってしまった。その彼も含め、何人か思い出した顔がある。みんな元気だろうか。決して、冷たい先生ばかりではなかったけど、学校としてチームで取り組めているかどうかの差は大きい。

*エンドロール、知っている人や団体の名まえがぞろぞろ出てきたことは言うまでもありません…。

 

最大の小ネタは、ラストの台所シーン。これは観てほしい。めちゃくちゃグッときます。何も解決してないけれど、少し希望が見える、小さな動作でこんなにいろいろ語れるんだなぁと、映画の力を実感させられました。すごいシーンです。