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「嫌韓」という表現について

Twitterをぼんやり眺めていたら、BTSメンバーのコンサートに絡んで「家族が嫌韓気味だから(コンサートに行くのを)許してもらえないかも」的なTweetと、そこに「わかりみ」「うちもです」…と共感?Tweetが続々つながるのを目にしてしまい、呆然とした。何の地獄ですか、ここは……。

とはいえ、その後の経緯もぼんやり眺めていたら、これはちょっときちんとした説明がいる問題だなと思ったので、こんなものを書き始める次第です。
(大阪のおばちゃんはお節介が身上です)

 

まず、そもそも大人なんだから、自分がやりたいことやるのに誰かの許可がいるとか、笑止千万、家族(ここでは夫→妻)だからって自分以外の人間の行動を制限したり命令したりできる(そして相手はそれに従って当然)と考えている時点でDV予備軍やで! という問題があるのですが、ここでは論じません。ここで説明しようとするのは「嫌韓」という表現が意味すること、その社会的文脈と日本社会のレイシズムについて、です。

 

嫌韓」が広げたレイシズム

注)本来はその語が誕生し登場し世間に広がるに至った経緯を語学誌的に調べる必要がありますが、そんなことしたら気分が滅入って立ち直れなくなりそうなのでやりません(すいません。でもLove Myself なんで。私は私自身の心身の健康を優先します)。なので、私自身の体験と記憶に沿っての話になりますが、おそらく大筋は外れていないだろうと考えます。

まず、世間に広がっていったきっかけは、2005年頃に登場して売れてしまった『マンガ嫌韓流』だと思われます。それまでもネット上では使用されていたと思いますが、当時のネットユーザーはパソコンを使える人たち中心だったし、SNS隆盛前だったしで、やはり公に書籍として出回ったということが大きかったのではないかな。私も本屋でこの表現を知りました。時はちょうど第一次韓流ブームの頃で「韓流が嫌いってことか?」と手に取った私は仰天しました。酷い民族差別をあからさまに垂れ流す内容だったからです。いつまで宗主国のご主人様気取りなんだよ…と愕然としたし、日本社会ヤバいな…と思いました。

そして、そのヤバい予感は的中し、嫌韓」という表現はそれが露骨な差別であることを覆い隠した「単なる好き嫌いの表明」かのような装いによって世間に広がり、カジュアルに娯楽のようにヘイトスピーチを消費し、ヘイトデモに合流する人たちを生み出して、2007年の京都朝鮮学校襲撃事件をはじめとする複数の暴力事件(ヘイトクライム)や、2013年ごろをピークとするヘイトデモの頻発という事態を引き起こしていきました(2013年頃がピークというのは、街頭やSNSで「ヘイトスピーチをするな」とカウンター活動を必死になって行った市民の行動があったからです。街頭に出て直接ヘイトスピーカーと対峙し、SNSで地道に反論し、SNS事業者に対応を迫り、行政や国連の人種差別撤廃委員会に問題を訴え…と積み重ねた末に、ようやく2016年にヘイトスピーチ解消法が成立し、街頭での差別デモはずいぶん減りました。差別は勝手に消えていったりマシになったりはしない。闘わなければなくせないということを、当時カウンターにかかわった人たちは痛切に感じたし、いまも個々にいろんな活動をされている人が多いです)。

冒頭に書いたTwitterでの書き込みなどを見ていると、単なる好き嫌いを表すような感覚でカジュアルに使われてしまっているなというのが私の印象で、そこに危機感を覚えます。上記で説明したように「単なる好悪感情を指す表現」ではないからです。その点よく知らずに、単に「うちの夫、韓国のことあんまり好きじゃないのよ~」ぐらいの気持ちで「嫌韓なのよ~」と使っている方には、「うちの夫、ゴリゴリのレイシストなのよ~」と言ってるのと同じですよ? それ大丈夫ですか? とまず知ってほしいです。

なぜ「嫌韓」≒レイシズムなのか

レイシズムは、日本語では通常「人種主義」と訳され、人種差別問題のことを言ってるのだと多くの人が理解していると思います。そして、人種差別というと真っ先に黒人差別が浮かび、それゆえ「日本には関係ない」と考える人が非常に多い(日本に暮らしている黒人/肌色が褐色系の人たちに対する差別のことも知らないから、というのもありますが)。

しかし日本も批准している「人種差別撤廃条約」の定義に照らせば、日本で「人種差別」にあたるのは国籍のちがいや民族のちがい、出自のちがい等を理由にする不利益対応、それらの人びと(文化的・民族的少数派)が基本的人権をまっとうして暮らすことを妨げる効果をもつ言動や制度の不備なども「人種差別」の範疇に入ります。だから、日本にも人種差別・レイシズムは「ある」わけです。そして、アメリカで人種差別というと真っ先に黒人差別が浮かぶのは、そこに奴隷制の歴史的文脈があるからです。北米やオーストラリアなどで深刻なレイシズムのターゲットになるグループが黒人や先住民なのは、歴史的に侵略され自由を奪われ支配―被支配の関係におかれた、帝国主義植民地主義の文脈のゆえです。白人中心の国で有色人種がターゲットになるのはアジア・アフリカ侵略・植民地化の歴史ゆえ。世界中の国や地域で、誰がレイシズムのターゲットになるかを決めているのは、そこにある歴史的な文脈です

したがって、日本でレイシズムのターゲットになりやすい、なっているのは朝鮮半島にルーツをもつ人びとであり、かつて「大東亜共栄圏構想」のなかで「家長としての大日本帝国に従うべき」とみなされ、侵略され支配されたアジア地域、及びそこにつながる人びとだということになり、現にそうなっています。「嫌韓」「嫌中」といった造語が生まれて定着するのに対して、「嫌米」「嫌仏」といった語が生まれないのも、この文脈の有無のためです。

そして重要なのは、レイシズムは「いま・ここ」に生起する問題である以上、国内問題であり、外交の問題や他国の政策の問題ではないということです。ここがごっちゃにされることで「いや、差別する気なんてないけど、韓国の政策はなってないよね」「国家として信用できないから、好きにはなれないよ」等の言い訳を許してしまったり、問題が何なのかを考えずに済まされたりしている、それは副次的な問題かもしれませんが、直接標的になってしまう人たちからしたら、たまったものではありません。「国を非難しているのであって、あなたとは関係ない」とマジョリティ側がいくら思っていたとしても、実際には他国の政策への非難がそのまま「あなたの国ってさ…」とぶつけられ、現実に朝鮮学校の制服を着ているだけで「ミサイルを何とかしろ」と殴られるといった被害が生じる以上、マイノリティ側は警戒せざるを得ません。つまり、発言した人の意図がどうであれ「そのことばの背後にへばりついた社会的文脈」に差別がある以上、発言者の意図を超えたところでマイノリティに打撃を与えてしまう、そういう「差別の効果を発揮する」わけです。さまざまな差別や人権にかかわる国際条約の1条・2条あたりを読んでいただければわかりますが、これらの条約では差別を「具体的に観察可能な不利益状況」によって判断するのであって、そこに行為者の意図があるかないかは別の問題です。もちろん意図して行われた差別行為には厳しく臨む必要がありますが、特段の意図がなくても、その行為の結果、効果として差別が認められた場合にも、それを差別と認定し、改善を図る必要がある…というのが、国際法の考え方です(したがって、よく「差別禁止法」の話題になると「内心に干渉するのか!」と色めき立つ人がいますが、内心は表明されない限り「観察不可能」なので、規制も禁止も不可能です。ただ、内心は日々の行動ににじみ出るものですよ……にじみ出たそれが、外形的に差別だとハッキリ判定できたら、それは規制されますよ? ということです)

 

BTSレイシズム

BTSに関していうと、かれらが世界的な名声を得ていることが、「嫌韓レイシスト」には気に食わないのでしょう。だからまさにレイシストたちから「象徴的な標的」という役割を背負わされてしまったな…と私は感じています。ホワイトハウスに呼ばれるなど「社会正義の体現者」的イメージも強まったことが、余計にレイシストを苛立たせるんでしょうね…。だから「反日」レッテルを貼ることで「嫌韓」を正当化しようとする、その屁理屈に利用されてしまったことがイルアミの一人として申し訳ないし、BTSの活躍で朝鮮半島にルーツがあることにポジティブな思いを育めるはずの子どもたちにも申し訳ない。自分のルーツだけでなく「好き」まで否定してくるレイシズムの方が何倍も悪いんだよ。あなたたちは何も間違ってないし、好きでいいんだよ! とおばちゃんは思っていますよ…(急に変なモードになってしまった…。ちなみに「反日」は嫌韓レイシストが自分たちを批判する人間に与える称号だよなと私は思っています)

 

BTSが好きかどうかは趣味嗜好の問題だから別に嫌いでもいいのですが、「嫌韓」はレイシズムなので看過できません。音楽やダンス、パフォーマンスの好みは人それぞれで全然OKな問題だけど、説明してきたように「嫌韓」は単なる好き嫌いではないからです。「嫌韓」を表明し、かつBTSに難癖をつけたがる人たちは、おそらく頭のなかが大日本帝国のままで、戦後民主主義日本の価値観が身についておられないのでしょう……。大日本帝国、要は朝鮮半島を植民地化し、周辺アジア諸国の兄貴分として偉そうにふるまい、力づくでそれらの地域の人びとを支配して思い通りにしてよいという価値観を根深く内面化して生きていた人たちの国が懐かしく、そこに戻りたいのなら、もうどうしようもないレイシストですが、いま何とはなしに「嫌韓」と口にしている人のほとんどはそこまで考えていないと私は思います。だから立ち止まって考えてほしい。

 

嫌韓」という表現のいちばんの問題は(繰り返すようですが)、単なる好悪の表現だとカジュアルに使用されることで、日本のレイシズムの現状を追認し強化する効果を発揮してしまうことにあると思います。深く意味を考えずに使っている人には、どうか立ち止まって考えてほしい。何がダメなのか、なぜそんな効果を発揮してしまうのか、腑に落ちるためには日本と朝鮮半島の関係(少なくとも20世紀以降、東アジア全体の歴史を含め)を学ぶ必要があるので、一朝一夕に「はい、わかりました!」は無理だと思います。なので、少なくとも、「自分は差別に加担したくない」という点で同意をいただけるなら、安易に「嫌韓」という表現を使うのだけはやめてほしいのです。単に好悪について語りたいなら、そのことがわかるように、何がどう嫌いなのかを別のことばで説明してください。あなたが「嫌韓」という表現で伝えたいことが何なのかを丁寧に考えてほしい。そして丁寧に考えたとき「差別したいわけじゃない」と思うなら、その表現はふさわしくないということです。自分の思いにふさわしい表現を丁寧に探す、それもLove Myself、自分を大切にする第一歩だから、レイシストが編み出した「嫌韓」なんて表現に絡めとられないでください。

 

私はレイシズムと闘うARMYです。

BTSの楽曲は、そんな私の背中を押してくれています。

世界中のあらゆる暴力にNoを。それがBTSの世界観だから、私はともに歩みたい。