わったり☆がったり

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「わかりあえない」2人の恋

『別れる決心』を観た(原題해어질 결심)。

パク・チャヌク監督来たよ!大好きだよ!はもちろん、推しが激推し(笑)するものだから、観る前から期待が膨らみまくり……。期待に違わず2時間超あっという間に過ぎ去っていって、これはもう一度観ねばと思ったのにシアター上映は終わってしまった(そりゃ配信来たら観れるけども。映画はスクリーンで観たい派)。

youtu.be

え? このためにつくったの? と思うぐらいハマってて驚いたコラボMV
(推し、そのうち劇伴音楽の仕事とかしないかな…できる気がする)

 

いろいろと考えさせられてしまったので、どこからどう感想を…と悩む。

(もう映画館上映は終わったし、ネタバレしてもいいよね…)

 

どちら側で感情移入するか

前半、お堅い刑事さん(ヘジュン)が容疑者(ソレ)に恋して身を滅ぼしたよ…のファムファタルもの?と思ったけど、そこで終わらないパク・チャヌク。そりゃそうか…と後半に入ると、なぜか前半よりももっとテンプレのようなファムファタルっぽさ(?)で再登場したソレが身を滅ぼしちゃう。反転してオムファタル…の趣。

映画はヘジュンが先に登場してきて、淡々と職務をこなし、妻の求めにも応じ(この最初のセックスシーンがなんつーか無機的過ぎてちょっと滑稽だったのもパク・チャヌク映画らしいというのか)、冷静沈着、有能、堅実…な人生を歩んでいるところへ、容疑者としてソレが現れる、と展開するから、ついヘジュン目線で物語の中に入ってしまう。そしてヘジュン目線で考えると、ソレは中国人(朝鮮族)の結婚移民で(ただし渡韓の経緯は密航で、詳しくは語られないものの入管職員のジジイがソレの美しさに目を付けたゆえにあれこれ助けられ妻として安定して韓国に暮らせる身分になったのだろうと推測できる)、亡くなった夫はDV野郎で、疑わしい空気はあるけど、だとしても同情の余地が過剰に感じられてしまう…しかも美しくて頼りなげ。ダメダメ…と思いつつも気持ちが動くのを止められない。やがて無実が証明され、堂々と(?)デートもし始めて…でもそこで再び浮かぶ疑念。優秀な刑事だからこそカラクリを見破ってしまうヘジュン。見破ってしまうと「無実だ」と捜査を打ち切ったことが、優秀な刑事たる自身の「汚点」になって「何やってんだ!? チャン・ヘジュン!?」ってなるわけで。そしてヘジュンはソレを見逃す選択をして、心を病んで、釜山からイボの警察署へ異動。あぁ、ソレに出会って、心が動いたばっかりに…な展開。(ここまでが前半)

元々、イボという街にはヘジュンの自宅がある(妻がそこにある原子力発電所の技術職で、ヘジュンは釜山で仕事しながら週末だけ帰宅する「遠距離夫婦」設定)。恋の傷を癒しつつ…と毎日を何とかまっとうしていたら、そこにまたソレが登場する。しかもまた、訳のわからん男の妻になって。なんでだよ!?って当然困惑してたら、またまたソレの夫が殺されて、第一発見者はソレ。容疑者。なんでだよ!? …ソレは外国人女性で、だから韓国人と結婚するのはサバイブの方法なわけだけど、後半のヘジュンはそんなことに思いが至らないのか(?)身勝手に困惑しまくる。かつ、ソレに「捨てろ」と言ったはずの(第一の殺人の証拠になる)携帯電話も、ソレは捨てずに持っている。けっきょく、ソレの夫を殺したのはソレではなく別にいることがわかるのだけど、そこへ至るまでの過程で、ヘジュンの妻は「夫に裏切られた」と傷ついて職場の上司の元へ行ってしまい、ソレも姿を消してしまい、「なんなんだー!」(これが後半)

(雑なあらすじですいません。細かいエピソードが重層的に伏線…というよりも重層低音のようにいろんな雑音を奏で、そこに主旋律が乗っかっているような映画なので、Story説明するのは野暮なんですよね、パク・チャヌク。好きだよ…)

ところが、これをソレの目線から考え直してみると、

韓国に不法移民として渡ってきた。でも、元々ルーツは朝鮮にある(祖父が独立運動家)。「韓国の○○におじいさんの山がある」と聞かされて育ち、そういう名士の家柄なのだという母の矜持を心に抱いて、1人韓国へ渡ってきた。もうここでサバイブするしかない。そしてジジイと結婚したけどジジイはソレを「自分の持ち物」として扱い、人間として対等に愛してはくれない。もともと看護師だったソレは、その技量も買われて介護職をしているけれど、でもそれも人手不足を外国人女性で埋めているような職場(この辺は日本と事情が一緒だなと見ていて唸ってしまった)。給与が高いわけではないだろうし、仕事としてホントにそれがしたいのか? そうしかないからそうなのか? そんな生活を送りながら、夫の暴力に耐え…ていて、とうとう我慢の限界が来て完全犯罪のトリックを思いついて実行、成功した! …と思いきやの、予想外に勘の鋭そうな刑事が出てきてしまう。でも、私に対してちょっと甘い? あー、こいつもか。…と最初はいぶかしみ、外国人の女だと同情して舐めているなら、そこを利用してやろう…。毎日、尾行して監視される。でも、合間合間の、ちょっとした親切に心が動く。悪い人ではない。少なくともあのくそジジイよりよほどまし。…この人と結婚できたら、安心して暮らしていけるんじゃない? そう思った矢先、トリックがバレる。あー、終わった…と思いきやの、見逃してくれるヘジュン。

たぶんそこで、本気の恋に落ちちゃったんだと思うんだな…。

「一緒にいることが2人のためにならないなら」というのは「Closer」の歌詞(この映画に触発されたわけでも何でもないみたいだけど、すごくぴったりなのに驚く)

ヘジュンを追うことなく、離れたものの。生きていくために外国人女性の独り身というのは何かと不自由なわけで、経済アナリスト(?)の妻に収まるけれど、こいつがまた詐欺まがいの投資話で儲けているからあちこちから恨みを買っている。なんでこんなクズ男…でもしょうがない。ヘジュンは捨てろと言ったけれど、「もう僕は完全に崩壊した。これは海へでも捨てなさい」と言ったヘジュンの声が録音されていて、捨てられない。ソレにはそのことばが「愛してる」に聞こえるんだもの…。(で、ここは私の推測だけど、その録音をひそかに聞いて心慰めていたつもりが、どこかで夫に聞かれていて、イボの市場でたまたまヘジュン夫妻と出くわしたときに、クズ夫は気づいたと思うんだな。「あ、こいつソレとできてたんじゃね?」となると、よろしくないところからの借金やら詐欺被害を訴えると怒っている人やらに追い詰められているクズは思うよね。恐喝して金づるにしようって…)で、実際にクズ夫がヘジュンを脅そうと考えているのを知ったソレは、こいつを何とかしなければと思う…。思うよね…。そして、ヘジュンを守るために消える(実際には守れてないけど)。

…というのを考えたくて2回目観るつもりが。

「立場の違い」からくる、わかりあえなさ

「同情は恋の始まり(Pity is akin to love)」を「かわいそうたぁ、惚れたってことよ」と翻訳したのは夏目漱石。ヘジュンの恋はまさしくそうやって始まったと思う。でもソレは、確かに社会的には非常に弱い立場にあったけれど、人間性として弱かったわけでは全然ない。むしろたくましくサバイブしてきた人で、話したり行動を追いかけたりしているうちに、ヘジュンにもそれはわかってきて、だんだん対等な「恋」になっていったのだと思う。もともと理系技術者の聡明な妻と結婚したような人だから、賢い女性は嫌いではないはず。ソレの側から言わせれば、若くて美しいことだけに目をつけられ、立場の弱さにつけこまれ…してきたなかで、最初こそヘジュンも同じ穴の狢だったとはいえ、だんだん対等に話ができるようになり、自分を尊重してくれていると思えるようになって「恋」になったのだと思う。

でも、ヘジュンはなんやかんや言ってもやっぱり価値観マッチョの普通の人。料理をつくったり、妻の主張を素直に聞いていたりと、韓国人男性にしては(失礼…でもそういう人物造形を狙ったんだと私は思う)フラットで優しい感じを醸し出してはいるけれど、「仕事できる俺」という自己像に過剰にこだわっているし、人に助けを求めるのも下手。あくまで自分の方が上という状態でケアする/されることに心地よさは感じるけれど、一方的に同情される、守られる、保護される…のには耐えられない(これは全編通じて妻とのやりとりに滲み出ている。そしてそれがおそらく夫婦の破綻の原因なのに、ヘジュンは「浮気がバレたから」みたいな認識しか持ててないんだろうなと思う)。

そして、ソレの立場はさらに複雑というか…。韓国で朝鮮族の中国人は外国人労働者として利用され、見下されてきた経緯がある(朝鮮族はことばに不自由しないし、出稼ぎ労働者として都合よかったんですよね…日本で日系外国人に目をつけられたのと似ているかもしれない)。そして朝鮮族側からも出稼ぎ先として韓国をめざす人が増える。ただ、ソレはその流れに乗ってきたとはいえ「独立運動家の孫」。つまり韓国内では一定尊敬されるはずの血脈の一員なわけで(だからソレの夫はそこを調査して書類をつくり政府に申請して認めさせ、不法移民の不法性を帳消しすることに成功した。入管職員という設定/権力描写が効いているエピソード)。ソレにしたら、尊敬する家族のルーツの地で「外国人」として軽んじられながら、一人ぼっちでサバイブしなければならないのだから、心中は複雑だろうし、精神的も肉体的にも強くならざるを得ない。ヘジュンの立場からは、社会の周縁に追いやられたアウトローの世界として見下ろされているところに、ソレはいる。そんな力関係の圧倒的な偏り。

そのことを、たぶんソレは気づいていて、ヘジュンは気づいていなかったんじゃないかな…。

お互いに好きだけど、実は思いがものすごくすれ違っている。

悲劇的に描かれる恋の物語は、だいたいがそういうことなんだけども。

この「すれ違い」の起きる条件付けに、韓国現代社会の課題をこうしてぶっこんでくるのが韓国映画のすごさだなぁと思う。そんなこと知らなくても、スリリングな恋愛映画として十分に楽しめるけれど、社会に何重にも張り巡らされた階層の違い、移民・エスニックコミュニティ内のしがらみも含め、周縁化されたマイノリティが生きる世界を映し出す細かいエピソード。アウトローにならざるを得ない人びとの視線がとらえている「世界」と、マジョリティ側の「主流の秩序」を守って疑いもせずに生きていける人の視線がとらえている「世界」の違いがぶつかり合い、そのはざまで生まれてしまった恋が、軋んで押しつぶされていくような、そんな映画だったな…と思います。

人間はわかりあえないから友情も芽生えるし、恋もすると思っているので、「わかりあえない」から恋愛できないとはまったく思わないんだけど、

でもどんなにコミュニケーションを取っても、相手のことばだけで理解しきれない「世界」が相手の背後には広がっているのだということがある。そこを理解するためには、ことばだけではダメで、実際に「世界」を行き来する体験が(お互いに)いるんじゃないかなと思う。まぁ、そんなややこしいこと考えない「行きずりの恋」的なものでいいのなら、それもありだろうけど(私個人はそういうの苦手ですが)

でもなんていうか、この「わかりあえなさ」の背後にある社会というのかな。鈍感だからとか、無知だからとか、そういう人間性の問題ではなくて、恋愛もやはり社会に生きる私たちの間で起きることである以上、社会のあり方が影響するということ。どんなに「わかりあいたい」と熱望しても、断絶をもちこんでくる社会があったとして、じゃああなたはどうする? という問いに出くわしたときに、その恋はどうなるんだろう…ってことを考えるのも大事なのかもしれない。

 

その他、もろもろ。

・いろんな位相の暴力描写が折々挟まれるのも効いてたなと思います。それぞれの暴力は、物語の流れとして理由付けされているから、当然、登場人物の怒りの表出だったり支配の道具だったりしますが、それだけにとどまらない文脈的効果というのか…。暴力が発動するのはやはり「強い立場→よわい立場」で、そこに個人対個人の関係性というより、社会的に持たされてしまった/持たされることのない「力の違い」がみえたなぁという気がするのです。ストーリーとしてはヘジュンとソレの恋なんだけど、ストーリーの枠組みに社会構造ががっちり描きこまれていて、それに沿った小ネタが選択され放り込まれて、いろんなことを考えさせられてしまう。仕掛けられてるわ…と。

・個人的には「私は完全に崩壊した」「あなたの未解決事件になりたかった」等など、「好き」「愛してる」は一切なしで、痛切に好きなんだな…と思わせちゃうセリフにやられました。チョン・ソギョン脚本家! ブラボー! 簡単に「好き」とか言ってんじゃねーよ!という気分になりました(って誰に向かって…笑)。映画はこうでないと。脚本を買っちゃう推しの気もち、わかるよ…。

・そしてセリフでいうと、翻訳アプリを通すやり取りがところどころ入るのもおもしろかった。最初、ソレはアプリの設定を男声にしてるんですね。だから、ソレのことばなのだけど、男声になって意味がヘジュンに届く。女声か男声かで、確かに聞こえかた変わるよなぁ……と感心しました。たぶんソレはふだんから舐められてるから、自分のことばが少しでも相手に強く響くように、舐められないように、男声に設定してるんだろうな、と。それが途中から女声になるんですよね。それが、ソレの心境の変化なのか、単にスマホが変わって設定し直してなかったからなのか(と思ったけど、韓国でもデフォルトは女声なんだろうか?)……。そこも気になるからもう一回観たい……

・1回だけキスした…あとが、超絶エロかった。簡単に寝てんじゃねーよ!という気分になりました(これまた誰に向かって…笑)。恋愛映画はこうでないと。いや、きれいにエロく撮られたラブシーンは嫌いじゃないけど、微かに手が触れるような描写にぞくっとくるのも、ラブストーリーの醍醐味ですよね。久しぶりに切ない恋を堪能したなという気もちです。

・こういう、説明しづらいストーリーとか、「え、いまの何?」と考えていると置いていかれる小ネタの多さとか、そういう複雑な映画が好きだな、と再認識。スカッと爽快!みたいな映画も好きだけど、観たあと何日も考えてしまって、何度も観たくなる体験っていいなぁと久しぶりに映画オタク全開になりました。ありがとう、パク・チャヌク