わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

同化/皇民化ということ

日本植民地教育史研究会、2017年度の大会シンボジウムは、日中戦争80年にちなみ、1937年前後で植民地教育にどんな変化が起こったかー朝鮮と台湾に関する発表と討議、でした。

 

「同化」は植民地教育に一貫している方針で、その強化形が「皇民化」。朝鮮の場合、はっきりと「皇国臣民の誓詞」を唱えさせるという形が入ってきます。

 

……とまあ、もちろん研究会だし研究者だし、史料に基づいてあれこれ討議され、帰ったらあの本読み直そう……等と考えながら参加していたのですが。

 

ここはblogなので、ちょっと雑に( ̄∇ ̄*)ゞ考えたことをメモっておきたく思います。

 

まず、「同化」とはだれが何にどのように「同じく化す」という意味なのか。ざっくり言えば、マイノリティをマジョリティに、その社会で支配的な文化(言語・習慣・考え方などなど)に「同化」させるための同化教育であり、同化政策なわけです。

 

移民マイノリティ、あるいは植民地の被支配民族にとれば、その社会の支配的な文化(価値観)をいち早く学習して、その序列に参入した方が、そのときその場の損得で考えれば得といえます(正確には、得と言えないこともない、ぐらいか)。たとえば現在でも、日本語教室にやってくる外国人の子どもに熱心に日本語を教えているボランティアや教師が「日本語を早く覚えられるように、家でも日本語を使うようにしましょう」などと言ってしまうのも、日本社会で生きていくなら早く日本語に習熟した方が便利で生きやすいはず! と、あくまでも善意(だから困る) 。でも、その結果として母語を忘れてしまったら?   母語で親と話すことができなくなったら?  そんな想像力を圧倒的に欠いた善意は、善意ゆえに反論しづらい抑圧としてはたらきます。

 

逆に、マジョリティの側が相手の言語や文化に敬意を払い、せっかく知り合ったのだから挨拶の単語ぐらいは覚えてみよう……とか、綺麗に一対一で訳語が対応するはずがないことに気づいて自らの言語を相対化し、個々の単語や表現の微妙なニュアンスの違いをお互いに発見して学びあう関係性が作っていければ。つまり、マイノリティだけに変化や学びを押しつけず、自分たちも影響を受けて変化することを恐れず、ともに暮らしていくーそれが「共生」であり、ダイバーシティだと私は考えます。

 

植民地で、支配する側は自分たちが何か変わろうとか変えようとか、微塵も考えなかっただろうと思います(考える人もいました。浅川巧さんとか)。だって支配してるんだから。しかし、そこで「変わる必要も変える必要もない」と考えられていた価値観は「大日本帝国のために命を捧げる」ことであり、「天皇を守って死ぬことは栄誉」だと考えるものでした。つまり、日本人もその価値観のために大勢死んだわけです。

 

むしろ、マイノリティだからこそ、その理不尽さに気づいて抵抗し、あるいは馴染まないという「できの悪さ」を発揮したのだと考えることはできないか。そこで立ち止まって、「この人たちに受け入れられない考え方の方に、何か矛盾や無理があるのではないか」と考え直していれば、ファシズムは止められたかもしれない。

 

歴史に「たられば」は禁物だけれど、そんなふうに妄想したくなります。

 

「同化」の肝は権利意識を磨耗させていくことにあります。そこを抜きにするとなぜ「同化」がダメなのか、その理由を見誤る、とも私は考えてきました(現に朝鮮総督府の教育官僚が「独立欲を失わせること」が目的だと言うてます……)。それは「マジョリティに歯向かわないマイノリティ」を作るための教育だったかもしれないけれど、同時にマジョリティに「支配に従順でいるべし」「権力に歯向かうと損」という価値観を強化していく側面もあったのだろうと思います。

 

そう考えると、「物言うマイノリティ」をバッシングし、その価値観がどうなの?と問い直すこともなく多数派に流れる/合わせることを「空気が読める」と称賛する現代の日本は、日中戦争期と何が違うのか、と思えます。

 

私たちは、歴史的な存在であるということ。過去のことを振り返るからこそ、見えてくる今がある。

 

研究活動もがんばらねば……(と、研究会にいくたびにかろうじて決意?する私)