わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

君は太陽 HOPE_ON_THE_STAGE in OSAKA

参加しました! 京セラドーム
アミボム美しい…
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あなたは日常に戻らなくていいんですか…って感じですが。

 

 

これはお友達がつくっているカレンダー(©dekotoboko)今めくったら、6月がこれで、偶然だけど感極まってしまいましたわ…(남준이映り込んだのはご愛敬…)

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とにもかくにも、感想…

記憶が飛ぶ

客電が落ちて、ぶお…ん…ぶお…ん…と不穏な音が鳴り始め、誰からともなく「J-HOPE!J-HOPE!」コール。アミボム真っ赤。赤く波打つステージ。ソウルコン中継だって見たんだから知ってるはずなのに、ワクワク感が押し寄せてきて既に倒れそう!だから負けじと叫ぶ

「じぇーいほーっぷっ!」

そして私の席からは一寸法師サイズなホビたんでしたけど、せりあがってきた瞬間、もう記憶が飛びました。最初の曲は「What if?」だったはず…

最初からガンガン、歌いまくり叫び倒し、踊りまくってました。

が、記憶が飛ぶというか、ホントに「いま・ここ」に全力で集中して没入して楽しむってこういうことなんだな、この人たちがライブの度に「一緒に遊びましょう!」と言うのが、レトリックでなく本当に「一緒に踊って歌って遊ぶ」なんだー!とライブのその場に初めて参加して体感して、やっとちゃんとわかりました。というか、叩きこまれました。そして「いま・ここ」に集中しすぎると、過ぎゆく「いま・ここ」が記憶に残らない、まさに「飛ぶ」。どこかに。なくなったわけじゃない。楽しい!ホビ可愛い!かっこいい!セクシー!ステージ巧者!という感情はきちんと残っているけど、そのもとにあるはずの視聴覚記憶は「飛ぶ」……

終わってから、セトリにあった曲と、合間合間のMCでのホビの嬉しそうな顔とか涙ぐんでた顔とか、そこから一転して「曲行くよ!」と切り替わる瞬間のゾクゾクとか、断片的には「ちゃんと覚えている」けど、一つながりにはなってなくて、合間合間の「記憶は飛んでいる」状態(いまも)

そういえば釜山コンのとき「好きすぎると記憶が飛ぶらしい」という考察が出回ってたな…と思い出し、そういうことですね。と一人しみじみ納得しています。

揺るぎない「人」への信頼感

とにかく、客席、会場全体を本当によく見ている人だと思いました。

お互いに一寸法師サイズな位置にいる私でさえ、「いま目が合ったよ!」と感じてしまう(もちろん錯覚でしょうけど)、そう感じさせる目線、声のかけ方、動き方。そこからも「一緒に遊ぼう」がレトリックではなく、そうあるために緻密にステージのデザインや演出を考えているんだろうな…をすごくすごく感じました。

独りよがり感がまったくない!

ファンの欲目でしょう…と言われれば、そうかもしれないし、そもそも私はこの手のライブには行ったことがないので、他との比較でもないのですが。

それぞれの楽曲にはそれぞれメッセージがあり、歌もダンスも、アーティストJ-HOPEの伝えたいことの結晶で。でもうまく言えないけれど、その伝え方が一方的ではない、「今日、この場で、ここにいるみんなと分かち合うためにあるんだよ!」がビンビン伝わってくる感じ。だからそれに全力で応えたくなって、自然に声が出ちゃう感じ。

「あれぇ~声が小さい~?」

可愛さ全開で煽られたら、応えずにはいられないですよね!

ずっとそういう空気感で会場が満たされているなかで、アンコール時の「=(equal sign)」演出があるのが、ものすごく自然…。ARMYと目を合わせて、ことばを交わして、「우린 서로 갖춰 시선들을 맞춰 사람 위에 사람 없고 사람 밑에 사람 없어 Let's roll~(僕らはお互いに横に並ぼう 視線を合わせよう 人の上に人はいないし 人の下に人はいない、 さぁ行こう)」と始める歌詞の説得力! もう泣いちゃうしかない……

ホビに限らず、BTSのメンバー全員に何度も感じてるけれど、「7人以外は全部が敵に見える」ぐらい苦しい時代もあって、自分たちに向けられる敵意、バッシングにも耐えてきて(それに対して怒りをぶちまけている楽曲もあるわけで)、それでもなおかつ人間不信になったりペシミスティックになったりせず、人間の善性を無条件に信じて突き進んでくる誠実さがすごいと思う(全体にすごいとしか言ってない私の語彙力よ…)

shuchi.php.co.jp

マジこれです。これ。

私がBTSにはまってしまったのも、けっきょくここに尽きるんだな…と思います。

誠実

まじめ

正直

愚直

不器用

ともすれば、そういう生き方は要領が悪いとかって、誠実さやまじめさを小馬鹿にするような風潮もある世界で、愚直に誠実さを貫いてきたことが本当にすごい(しかもさらに過酷でどす黒い芸能界にいて!)。そしてその誠実さと愚直さに惹かれる人がこんなにいて、ポップスターになっているという事実に、私は勇気づけられます。

アミボムの海

ホビたんは一寸法師サイズだったけど、会場全体がよく見える位置だったので、アミボムの光が終始美しくて、自分もその中の一つの光になっているんだなと思うと、それも感無量でした。

私がこの手のライブやフェスにこれまで行ったことがなかったのは、それこそ「一寸法師にしか見えない距離で、モニターでアーティスト見るような会場って楽しいの?」と懐疑的だったせいもあるんですよね(だからBTSに興味持ち始め時期だった頃の長居公園、ちょっと行ってみたいかなと考えたのに、割と秒で打ち消してしまった←今になって激しく後悔)

音楽が嫌いなわけではなく、生演奏に触れるのは好きだから、小さな箱でのライブ、クラシックやジャズのコンサートには行ってたんですけど。

それが、ユンギさんの「D-day」のライビュに参加したあたりから、「あのアミボムの光の一つになりたいっ!」という欲がむくむく出てきて、今回、抽選に当たって初参加に至り、上述したように「楽しい!なんだこれ!」状態になりました。もう知ってしまったら後戻りできないぞ!(嬉しい。幸せ)

(もっと欲を言えば、RollingHallサイズのライブに参加できたらいいですよね…)

音楽を聴くというより、五感全体で楽しむ、遊ぶ!というコンセプトなんだな、と今さら学習しました。

そして、アミボムって、そんなARMYの一人ひとりとステージの上にいるかれらをつなぐ光の糸なんだなぁと。初めてリアルにアミボム使えたわけですけど、もうその記憶をまとって、我が家のアミボムは燦然と輝いています!

 

改めて「推し活」を思う

自分の「好き」を尊ぶこと

先日、こんなことを書いていたのですが、

楽しさや充実感を知ったからこそ湧いてくる感情もあるよなぁ…と。

私が参加したのは5月31日(Day-1)で、翌日どうしようかと迷った末、行かない選択をしたんですね。

でも流れてくる参加した人たちの感想を読んでいたら、「あーなんで私はD-1で、D-2行かなかったんだ!」という後悔にやっぱり襲われて。

でも時間にもお金にも限りはあるし、自分の仕事のスケジュールや家族の都合、事情、その他諸々を考えてみんな決断するわけで。

どう選択したって、「行かなかった」「行けなかった」ライブが自然に発生してしまう。

そしてこんなこと書いてるけど、私なんて京セラドームまで自宅から1時間あれば行けるんです。そこに新幹線やら飛行機やら宿泊やら…の出費まで入れて予算組しないといけないARMYに比べたら、全然有利。なんなら、滅多に来てもらえない、一度も来てもらえたことがない国に暮らすARMYも世界中にたくさんいる。パレスチナにもウクライナにもARMYがいる。自分の特権性を思うと、頭がくらくらする(だからこそ、全力で私は世界の不公平性に抗議して生きていくんだよ!という決意だけはある)

ライブは生もので、一期一会だから、自分が参加できた、感じることができた「いま・ここ」の感触をしっかり受け止めて、一期一会を噛みしめることに集中した方がいい…と自分に言い聞かせて、後悔はしても、そんな自分の選択を呪うことはしないように、気持ちを切り替えて、次の一期一会に備えよう…と思います
(それを言い聞かせるためにこれを書き始めちゃった面もある)

一期一会と言えば、2018年にあのスピーチに撃ち抜かれたのも一期一会だし、
2022年の防弾会食で「そんな思いさせててごめんっ!」と号泣したのも一期一会だし、

…挙げればきりがないぐらい、素敵な一期一会の積み重ねで、私はARMYになったわけだから。

そして、そんな一期一会を逃さず、この人たちに沼った自分の「好き」の感性を尊びたい。私ってお目が高い!

そんな一期一会を「記録しようね」ノートをプレゼントしてくれる推し、最高です。
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とはいえ…(おばちゃんの余計な心配)

いまの「推し活」のお金のかかり方を、高校生の頃の私だったら…と考えると、たぶん素直に沼れなかったんじゃないかなぁというのは、いつも思ってしまうことなんですよね。

バブルの頃だったし、お小遣いやバイト料を工面して趣味の世界につぎ込んではいたけれど、やはりそこには「できる範囲で」の限界がついた。諦めたものもたくさんある。何より「自分がつぎ込める範囲」を超えそうになったら、それ以上好きにならないようにしよう、みたいにブレーキを踏んでしまうところが、高校時代の私にはあった。

演劇をやっていたから(その前はバレエをしていた)、エンタメは大好きで、劇場で「いま・ここ」を共有して体感するのが大好きだった。幸い、バブル期と小劇場ブームのおかげで(&自分が都会住みだった有利さ)、自分の手の届く範囲内でも楽しめる機会はたくさんあり、恵まれていたと思う。アイドルにはたまたまハマらなかったから、そっち系の趣味に、当時どれぐらいお金がかかっていたのかを詳しくは知らない。

etcbooks.co.jp

以前、この特集号を読んだときに、《K-POPは無料で配信されるコンテンツも多いから、お金がない10代でもそこそこ楽しめるのがいいところ》という主旨のエッセイを読んで、それは大事なことだよなぁとも思ったのです。前の記事に書いた、我が子の「今の推し活ブームはおかしい」という指摘も頷ける。

アーテストだって霞を食べて生きているわけじゃないし、規模の大きなステージを組むためには、膨大な予算も必要だし、コンサートのチケットが2万円近くするのも妥当なお値段だとは思う。でもそこに応援棒、グッズ、とあれこれ積み重なっていく出費と、その出費を「当然じゃん?」と平気でつぎ込める人を前にしたら、たぶん高校生の頃の私は「いやいやいやいや、無理無理」とブレーキ踏んで、大急ぎでバックして逃亡してしまっただろうなとも思う…。

素直に「好き!」って突っ走れない子をつくってしまう面も、アイドルビジネスにはあるよな、いまもたぶん「好き」にブレーキを踏んでしまう子がいるかもな…と想像すると、やっぱりつらい。

なんか思考がグルグルしちゃうけど

無料コンテンツ、家で楽しめる範囲で「好き」を満喫するのも
出せるお金を出し、スミンや投票やの時間をつぎ込んで「好き」を満喫するのも
どちらも「好き」に変わりはないし、それぞれの「好き」が尊いんだということも、何度でも言って確認し続けないと、「好き」という気持ちを歪めるプレッシャーを跳ね返せないような気がするから。

今回、ライブ会場でいろんなARMYの姿を見て、改めてそれぞれの「好き」の表現があって、尊いなぁと思ったからこそ、ライブ会場に行けなくても、行ける場を絞って選択せざるを得なくても、今は無理だけどいつか…!と心ひそかに歯を食いしばっていても、そのどの「好き」も尊いんだ!とARMYみんなで共有したい…
(でもこんなこと長々書いちゃうオバチャン、なんか上から目線だよね。ごめんね…とも思う←どこまでもめんどくさいやつ)

 

ますます深まる沼

「ライブで生にふれたら、みんなホソクの女になる」説にも納得!の素晴らしい公演でしたが、私は一周回って、RM沼、箱推し沼がますます深まっている感じです。
(ここからはクソどうでもいい話です)

誠実

まじめ

正直

愚直

不器用

…リーダー筆頭に、これですから!

こんなに人気もので、国がつくれるぐらいの巨大ファンダムが味方に付いているんだから、もう少し傲慢不遜になったって不思議はないのに、ずっと変わらず

誠実

まじめ

正直

愚直

不器用

のまま30代突入するポップスター。もはや存在が奇跡。

気がついたら、軍隊を離れて民間人に戻るまで、10日を切ってました(日付をメモしながら手が震えた。ユンギさんがまだ2桁台だけど、それもすぐに1桁になる…)

これからも、その愚直さのまま、次へ進んでいくんだろうなと想像すると(想像つかないけど)、一生その愚直さにつきあう!つきあいたい!と、改めて思ったのでした。

ホビは太陽…「陽」で、それが魅力だけど

ナムジュニは月…「陰」だと私は思っていて

他からの光を受けて輝く、三日月や満月や、日々形が変わり、時には姿を隠してしまうこともある。それはけっして受け身的だということではなく、まわりの光を受け止めながら、「ともに輝く」夜空のバランスを常に考え、それを守ろうとしている、そんなイメージ。

陰陽っていうのは東洋の考え方だけど、陽だけでもダメだし、陰だけでもダメ、両方のバランスがとれていることが健康的なわけで、の7人はそのバランスが取れているグループだと思うし、その核になっているのがクサズのバランスなんじゃないかと、クサズ推しの欲目で書き終えたいと思います。

ホントに根っから人懐っこい、人が好きな、可愛い人だなぁと思います。

見習わねば…

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