わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「同化」にこだわる。

植民地教育史研究会というところに所属している。

先月末の2017年度第21回大会のテーマは「日中全面戦争と植民地教育の展開」
昨年の2016年度第20回大会のテーマは「教育の植民地支配責任を考える」

今年のシンポジウム参加記をまとめるためのメモをブログにアップしたのだが、その際、昨年も何か書いてアップしたような記憶があって、あちこち点検したら下書きのまま放置していた文章を見つけてしまった。まったく・・・(汗)

テーマにも表れているとおり、前回と今回は一続きのものでもあると思うので、ここでまとめておくことにした。

植民地支配責任について考える。「教育」を軸に。(20170320記に加筆修正)

私自身は植民地朝鮮での「国語」教育を対象に、研究活動を始めた。もともとそこに至った理由は、在日朝鮮人の歴史と差別の実態を知るにつけ、教育大学で国語教育を専攻する自分の立ち位置をどう考えたらよいのかがわからなくなったからだった。

当時は1980年代の後半で、まだコリアタウン(当時は「朝鮮市場」と呼んでいた)に行けば朝鮮語なまりの1世が大勢いらっしゃったし、「韓国の年配の人は日本語を話せる」エピソードもよく聞かされた。その人たちの「日本語」を育てたのは植民地期の日本であり当時の「国語教育」のはずだ。そして在日朝鮮人の2世、3世は日本語を母語としていて、私の身近にも大勢いた。大阪では民族教育として「朝鮮語」を教える学校もあれば、公立小中学校の民族学級・民族クラブもあった(それらは今ももちろんある。というより当事者の努力で何とか守られているといった方が正しい)。

言語の教育はどうあるべきか。民族の言語とは。文化とは。「同化教育」とは何か。なぜ問題なのか。文化の抑圧や押しつけにならない「言語教育」はあり得るのか。そもそも「文化を押しつける/奪う」とは具体的にどうする/どうなることなのか。日本が植民地支配をしなければ存在することもなかった「在日」2世や3世の子どもたちが、日本の学校で学ぶ「国語」の時間。それは日本語をブラッシュアップする言語技術の授業でもあるが、一方で日本の古典文学を学ぶ「日本民族教育」の時間でもある。朝鮮語民族学級にせよ民族クラブにせよ、あくまで課外活動としてしか学べない(そして、その場すら保障されていない子どもたちの方が圧倒的に多い)。かつて朝鮮でカリキュラムから朝鮮語を消して「国語」一辺倒にしたことと、何が違うのだろう。「ここは日本だから」というが、学校にいる児童や生徒は日本ルーツの日本民族だけではないのに。そして旧植民地にルーツを持つ子どもたちがその場にいることに、日本の教育は旧宗主国としての責任を負うはずなのに。--そう考えていったとき、国語教育の歴史をふりかえり総括することでしか、答えが出そうにないと思い、私は芦田惠之助という高名な国語教育者が朝鮮で教科書編纂をしたという、その一点を手がかりに「国語教育の植民地支配責任」を研究し始めたのだった。

2017.3.28.第20回大会シンポジウム「教育の植民地責任を考える」に参加して、それぞれの報告を聞きながら改めて考えさせられたのは「植民地主義」がいかにわれわれの日常に「集合的無意識」として存在しているか、ということだった。「日本の排外主義は歴史修正主義の派生だ」と指摘したのは樋口直人氏だったか、植民地支配の総括をしたくない/責任を取ろうとしない態度が歴史修正主義であり、現今のヘイトスピーチをはじめとする排外的な空気は植民地支配の歴史と切り離せない。「植民地主義・人種主義」と本研究会の初期代表だった小沢有作氏「・」でつないで示し、両者が切っても切り離せないことを意識していたという。そこを考えるカギは「支配」と「抑圧」の構造であり、その構造の中の国家と個人、支配民族(主流派)と被支配民族(傍流・周縁化された人びと)の関係性であろう。

たとえば学校で植民地支配について教える/学ぶというとき、取り上げられがちなのは「抑圧」とその被害の面だ。歴史修正主義者に言わせれば「日本の悪いところばかり取り上げる自虐史観」ということになる。私は被害の面をきちんと押さえる(日本の加害性を自覚するために)ことが自虐だとはまったく思わないが、被支配の側から被害/損害の面だけを描出するのは、確かに世界を半分しか見ていないとも考える。同化教育の具体として「日本語を教わる」人びとの姿があるのなら、それを「教える」人びとの姿もあったはずである。日本語の使用を押し付けられ不利益を被った朝鮮の人びとの反対側には、宗主国の民/日本語母語話者として植民地に赴いたことで利益を得た日本の人びとがおり、土地を奪われた人びとの反対側にはその土地を得た人びとがいたはずである。旧宗主国にルーツを持つマジョリティ日本人が学ばなければならないのは、被害をもたらした側の個別具体的な一人ひとりのこと(その一人ひとりが自分につながる人間であるという視点)ではないか。被害/損害の実態があるということは、それによって得られた利益があり、その利益を受けた人びともいるという、「構造」を考えなければならない。植民地支配とは自らの利益のために誰かに不利益を強いる社会構造であり、その社会構造自体は現在もなくなっていない。植民地の歴史は「遠い昔のできごと」ではない。

日中全面戦争と植民地教育の展開ー「皇民化」の位相ー

2017年は日中全面戦争の開始(1937年)から80年めの年だった。

先日(3.31.)、2017年度最後の日に行われた大会シンポジウムでは、標記のテーマを掲げ、この1937年を機に日本国内で、植民地(朝鮮・台湾)で何が起こったかをふりかえることで、植民地教育が日中戦争(~アジア太平洋戦争)にどのように関わったのかが議論された。朝鮮、台湾のいずれの報告からも多くの示唆を得たが、ここでは雑駁に私自身が考えたことをまとめておきたい。

1937年に文部省が『国体の本義』を出すが、この時期、まだ日本国内では「皇民化(皇国臣民化)」は叫ばれない。一方、朝鮮では「皇国臣民の誓詞」朗誦・・・つまり、植民地の方で先行して「皇民化教育」が叫ばれていた。

(ちなみに 国体の本義  はネットで全文公開されている。検索すると批判的な論評・考察記事とともに、絶賛?している政治家のブログなどもヒットした)

朝鮮は地理的な要因から日中戦争の「兵站基地」として重視されたこともあり、1938年には早々に朝鮮教育令改正(第3次教育令)が行われ、同時に「陸軍特別志願兵制度」実施へと進んでいく。志願兵とはいえ、植民地の人びとを兵士として動員しようというのである。兵士として武器を携行した朝鮮人宗主国日本に反旗を翻しては困るのだから、当然、徹頭徹尾「同化」し「皇国臣民」となった朝鮮人でなければ兵士にするわけにいかない。

では「皇国臣民」とは何者か。『国体の本義』ではこう述べられる。

一、肇国

(前略)我が国に於ては、皇位万世一系の皇統に出でさせられる御方によつて継承せられ、絶対に動くことがない。さればかゝる皇位にまします天皇は、自然にゆかしき御徳をそなへさせられ、従って御位は益々鞏く又神聖にましますのである。臣民が天皇に仕へ奉るのは所謂義務ではなく、又力に服することでもなく、止み難き自然の心の現れであり、至尊に対し奉る自らなる渇仰随順である。我等国民は、この皇統の弥々栄えます所以と、その外国に類例を見ない尊厳とを、深く感銘し奉るのである。

三、臣節

 我等は既に宏大無辺の聖徳を仰ぎ奉つた。この御仁慈の聖徳の光被するところ、臣民の道は自ら明らかなものがある。臣民の道は、皇孫瓊瓊杵ノ尊の降臨し給へる当時、多くの神々が奉仕せられた精神をそのまゝに、億兆心を一にして天皇に仕へ奉るところにある。即ち我等は、生まれながらにして天皇に奉仕し、皇国の道を行ずるものであつて、我等臣民のかゝる本質を有することは、全く自然に出づるのである
 我等臣民は、西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる。君民の関係は、君主と対立する人民とか、人民先づあつて、その人民の発展のため幸福のために、君主を定めるといふが如き関係ではない。然るに往々にして、この臣民の本質を謬り、或は所謂人民と同視し、或は少くともその間に明確な相違あることを明らかにし得ないもののあるのは、これ、我が国体の本義に関し透徹した見解を欠き、外国の国家学説を曖昧な理解の下に混同して来るがためである。各々独立した個々の人間の集合である人民が、君主と対立し君主を擁立する如き場合に於ては、君主と人民との間には、これを一体ならしめる深い根源は存在しない。然るに我が天皇と臣民との関係は、一つの根源より生まれ、肇国以来一体となつて栄えて来たものである。これ即ち我が国の大道であり、従つて我が臣民の道の根本をなすものであつて、外国とは全くその撰を異にする。固より外国と雖も、君主と人民との間には夫々の歴史があり、これに伴ふ情義がある。併しながら肇国の初より、自然と人とを一にして自らなる一体の道を現じ、これによつて弥々栄えて来た我が国の如きは、決してその例を外国に求めることは出来ない。こゝに世界無比の我が国体があるのであつて、我が臣民のすべての道はこの国体を本として始めて存し、忠孝の道も亦固よりこれに基づく。(下線は筆者)

皇国臣民と天皇は一体で、かつ生まれながらに天皇に奉仕するのが「我等臣民」の本質・・・とはいえ、植民地の民は「肇国以来一体」の「臣民」メンバーではない。しかし大日本帝国の一員であるために「臣民」であらねばならない。「ねばならない」教育目標に、強制力・暴力が伴うのは当然だ。1937年「皇国臣民の誓詞」、神社参拝強要、1938年「陸軍特別志願兵制度」、1939年「創氏改名」・・・。

一方、朝鮮でも台湾でも、「同化」の要とも指標とも言える「国語普及」が日本の思うように進んでいなかった。台湾でも朝鮮でも初等教育学校の就学率は低く、修業年限2年の簡易学校、青年向けの社会教育施設(国語講習所、夜学校)設置等、「国語普及」施策にも相変わらず手を抜けない状態だった。教育機関を増やせば、指導者も増やさなければならない。しかし日本人教員を配置しきれず、現地の朝鮮人・台湾人教員を採用することになり、「同化」教育が徹底できない・・・という矛盾が増大していった(当時は、ちょうど戦争の長期化に伴う労働力不足から、植民地から日本国内への労働力移動が加速し、在日朝鮮人数が激増した時期にもあたる。労働者も足りず、教員も足りず、やがて兵士も足りなくなって植民地にも徴兵制を敷くことになるのである)。

「同化」とはなにか

『国体の本義』は「大日本帝国」という国家アイデンティティを支える「大きな物語」を提示したものだ。社会科学も自然科学も無視した非合理的な物語(最近流行っている「日本スゴイ!」論をあちこちから引っ張ってきた集大成ともいえる)。しかし、だからこそ、この物語を必要とした人びと/政治情勢とはなんだったのだろうか、と考える。

「同化」は朝鮮や台湾といった植民地でのみ発現したものではなく、日本で近代学制が出発した明治時代の当初から教育の軸として存在していた。厳密にいえば、明治初期の日本ではマイノリティの文化をマジョリティの文化に吸収する、というより、明治政府が境界線を設定した「大日本帝国」領域内に住まう人びとを、明治政府が構想した「理想の国民像/臣民」に育て上げることが要請されていた。そのための装置が近代学校であり、日本の文教政策は徐々に「理想の国民像」をマジョリティ日本人に教化することに成功し、そこに同調できない/しないマイノリティを差別し排除する社会を作り上げていったのだといえる。つまり日本の教育政策は内外問わず一貫して「同化」なのであり、それは現在も地続きのままで存在しているように思う。

教育には必ず「めざす人間像」がある。近代日本がめざした理想は「臣民:天皇の臣下たる民」である。それはつまり絶対権力である天皇の存在を疑わず、臣下の民としてそれにつき従い、すすんで奉仕するという人間像だった。そこには基本的人権、公正な社会といった考え方がない。20世紀前半の帝国主義と戦争の時代を経て、その禍々しい被害の実態を反省した人類がつかんだ普遍的価値に照らして、「同化」教育もまた検証されねばならなかったし、今からでも検証すべきであろう。それは単に日本語に習熟してコミュニケーション不全を解消させることや、日本の文化・慣習に熟達して「日本人らしく」することをめざしていたわけではない。支配者である日本の方針、政策に順々とつき従い、求められれば奉仕を厭わない人びとにすることが重要だったということを見落としてはならない。その反省から出発するならば、当然、(権力・権威に対する)批判的思考や他者からの搾取を拒む個の確立と主体性の尊重、といったことが「めざす人間像」として立ち上がってくるはずだ。

日本は同調圧力の強い社会だとよく言われる。そして多くの人がそれを息苦しいと言い、「みんなちがってみんないい」とか「世界に一つだけの花」とかいった個性重視のスローガンがもてはやされるが、現実には同調圧力が弱まるわけでなく、むしろ強まっているように感じる。「空気を読める」ことが賞賛され、その時その場で力があるのは誰かを素早く読み取って、力関係の序列を乱さず、分相応のふるまいができるのが「大人」として認められ、評価される。そんな社会が息苦しいと言いながら、その序列からはみ出すことが怖くて下りることができない。下りることができず、懸命にしがみつく努力をしているから、そこから下りて批判する人が許せない。その序列に入ることができない人に比べれば自分は努力している、がんばっているから偉い、と自分に言い聞かせて安心する・・・そういう形で社会が求める人間像に自分を合わせて汲々とする、そんなループに自分自身がはまってしまっていないか。そのループに子どもを参加させようとしていないか。学校だけではない。家庭でも職場でも、年長者や組織に都合のいい人間を育てようとしていないか。「同化」の呪縛は強い。常に考え続けてやっと解くことができる、ぐらいに考えないと呑み込まれてしまうと私は思う。

「同化」の呪いを解く魔法を手に入れるためにも、歴史を紐解き、どの方法が、どこの誰に効果を発揮したのか、あるいはしなかったのか、時期の違い、地域の違い、その内実の多様さを明らかにして学ばなければならない。植民地の場合、現地の人びとへの教育もあるが、その傍らで日本人植民者に対して行われた教育もある。日本支配に反発しない民(マイノリティ)の育成と、支配のリーダーになる民(マジョリティ)の育成は両輪だったはずだ。いま、力関係の上位にいるから優位で安心だと考える(現実には意識もせずにいる)人に不自由さや苦しさは自覚しづらいのかもしれないが、人を序列化して排除する構造がある限り、人間は自由に生きられない。自分を閉じ込める呪縛を理解しなければ、そこから外に出ることはできないのだ。

だから私は「同化」にこだわるのだ、と改めて思った。