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持続可能な共同体づくりとは:平田オリザ『但馬日記』読後のメモ①

年末年始、「ほしい本リスト」から選んで購入した本と、積読されていた本をコツコツ読み進めていた(元日早々の震災で、家でぬくぬく読書していていいんだろうかという後ろめたさもありつつ)。

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こちら、平田オリザさんが豊岡市で何かやり始めたで…の最初から気になっていたことでもあり、まとまった本になって有難し…と即買い。

で、なぜ読み終わって10日以上経ってパソコンに向かったかというと、

震災が起きて、例のごとく差別的なデマが出回るからSNSに注意を払っていたのだけど、今回、能登地域。最近地震被害は折々出ていたし、原発もあるし、揺れは大きかったし…の割には報道が遅い? 政府の初動が遅い? と戸惑うことが多かった。元日だったという要因もあるにせよ…。ここでは震災のことを考えたいわけではないので、これ以上はやめますが、そういうごたつきのなかで、こんな書き込みをみてしまった。

「どうせ過疎地の限界集落なんだから被災者全員、移住させればいい」

は?

それが一人や二人ではなく、「元々人口減で鉄道や学校も縮小していってるところをどう復興するのか」などと経済?を慇懃無礼に説いてくるものから、「地震が来なくてもいずれ消滅するのに」といった乱暴なものまで、複数目に入ってきて、眩暈がしそうだった。(こういう人たちは「そんな危険な土地にしがみつかずに、他所の土地に行けばいい」とパレスチナの人たちにも言うんだろうな―と想像してゾッとした)

その一連の書き込みをみたとき、そういえばこの本で平田さんが東井義雄の「村を捨てる学力、村を育てる学力」に言及していたなと思い出したのだ。

1912年、出石郡合橋村(現在の豊岡市但東町)の寺の長男として生まれた東井は、昭和30年代に「村を捨てる学力、村を育てる学力」という概念を提唱した。このまま従来型の「知識・学力」偏重の教育を続けていても、優秀な子ほど都会に出て行ってしまい、村は廃れていくだけではないか。自らの共同体を守り、育てていくような教育に、その質を変えていくべきではないかと東井は主張した。(略)

豊岡市の教育改革は、何も目新しいことをやろうとしているのではない。東井先生が目指したものを、現代社会にあったやり方で形にしていこうとしているのだ。

私は、いま財界の要請によって進められている「グローバル教育」なるものは「国を捨てる学力」だと思っている。私はこれを、「40人学級の中で、1人のユニクロシンガポール支店長を育てるような教育」と評してきた。効率も悪いし獲得目標も低い。(中略)おそらく犠牲になった39人は英語が嫌いになり、他国の文化も嫌いになり偏狭なナショナリストになるだろう。せっかく目標を達成したユニクロシンガポール支店長も、より激しい国際間の競争にさらされて、半分はメンタルをやられるだろう。いったい、どんな子どもを育てたいのか?

(23-24pp 本文は縦書きで数字は漢数字だが、横書きに合わせて変更した)

そもそも、日本の各地で少子高齢化とともに人口流出によって過疎化がすすみ、「限界集落」と呼ばれる状態がでてきたのも、「村を捨てる学力」のせいだろう。そしてその学力に支配されている思考回路の人が、「そんな僻地で不便で、震災被害も受けた場所にしがみつく方がおかしい」「集団で移住させた方が(現地の)復興より効率的」等と思いつけるのだろうな。

私自身は都会の育ちだが、いまは縁があっていわゆる都市郊外の「地方都市」と呼ばれる地域での活動にかかわっている。そこでも人口流出と少子化は止まらず、このままこれが進行したらマズいな…と人口動態統計を眺めながら考えているところだったので、平田さんの実践と、そこにある考え方は(予想以上に!)すごく勉強になった。勉強になったなーと本を閉じて、別の本を読みはじめたり仕事が始まってしまったりしていたのだけど、上記した書き込みをみて、日本全国が相当にマズいのでは…と背筋が寒くなった。村を捨てるどころか、日本を捨てるよね。これじゃ。勉強して優秀になって、その思考回路で「自分が能力を発揮できるところへ移動すればいい」としか考えない。自分で環境を作り出す能力は育たず、ただ自分に何が与えてもらえるかだけを考え、既存のものから選択し続けるだけ。たまたま選択し続ける力を得た人が成功(?)したかのように錯覚しているけれど、実際には「ここはダメだ」と判断した「環境」は踏み荒らすだけ踏み荒らして捨てていくわけだから、地域はどんどんボロボロになっていく。

(その不便な僻地で育ててもらった人を都会が引き寄せて成果だけ受け取ってる/子育てコストを地方に押し付けて労働力は都会がいただいている、という言い方だってできるよね?)

もしかしたら、今回の震災で「初動が遅い」みたいになっているのも、そんな要因で「地域共同体を支える知恵と胆力」がやせ細ってしまっていたからか? 阪神淡路大震災でも東日本大震災でも、「未曽有の大災害」を前にとにかくもがいて動いて支え合ってきた人たちがいて、それを「ボランティア」とひとくくりに呼んできたけれど、市井に暮らす人たちの「なんとかしなくっちゃ」という反射神経と自助共助の知恵は、いわば「村を育てる学力」だったんじゃないか。そして、阪神淡路大震災のときは手探りでめちゃくちゃだったものを、その経験を整理し教訓化していたことで、東日本大震災の初動は早かった(あのとき、首相が市民運動出身の菅直人さんだったことも無関係ではないと思う。辻元清美さんが災害ボランティア担当の首相補佐官になり、NPONGO経験者を含むボランティア連携室が内閣府に設置されたし)。それから13年。もしかして、「村を育てる学力」のある人たち≒不便な地域で支え合いながら暮らしを守り、里山環境を守ってきたような人たちが高齢化して、「村を捨てる学力」でしかものを考えられない人たちが政治や行政の中心に増えてしまったせいで、この体たらくなのだとしたら?

 

まだ復興どうのと言える段階ではないけれど、「みなさんも防災への備えを…」と自助ばかり促す政府やメディアに流されず、防災も含めて「どういう地域コミュニティを育てていくのか」を自分事として考えようと思う人を増やさないと、日本は終わってしまうんじゃないか……。自然災害だけみても、日本に安全な場所なんて少ないし、みんなが受け身的・消費的に「便利さを享受できるところ」「自分に都合のいい地域」ばかり選択して、地域を使い潰すことしかできない生き方を続けたら、地域の持続可能性はないと思う(気候変動の影響を受けやすいのも「僻地」だ。グローバルに考えても「中央」の罪は深い)

 

平田オリザさんとタッグを組んでの豊岡市の取り組みは、一言でまとめれば、「演劇」という要素をネタにして、地域資源(箱ものの公共施設、城崎・神鍋といった観光地施設…そして何より地域の人たち)を掘り起こして活用し、持続可能な豊岡市をつくりたいということだ。地方交付税ふるさと納税の仕組みや各種助成金を組み合わせながら予算を捻出して豊岡市本体の財政が痛まないように、かつメリットが住民に還元されるように(たとえば「演劇祭」の開催に絡めた観光客誘致、大学設置による若者人口増などによって地域での消費活動が活性化して「地域経済が回る」等)…とはいえ、そのメリットは短期的にわかりやすいものばかりではないし、いわば「よそ者の移住者」も増えることだから、ハレーションも起きる。(そのハレーションの一つが、豊岡市長選で「演劇の町なんていらない!」とぶち上げる候補者が出てきて現職を破ってしまうという事態。このニュースに私は「マジか!?大丈夫か!?」と思ったけど、その後、演劇祭も大学も変わりなさそうなのでなんでだろ?と思ってた。ここら辺の顛末は、日ごろ、どうすればうちの地域は持続可能になるだろうと心を砕いている行政職員のみなさんが読むと膝打ちじゃないかな…)

しかし「よそ者」移住者が増える・定着するということは、その地域が「暮らしやすい」ということだし、暮らしやすい地域で子育てしやすければ、ここで子どもを産み育てようと思う人も増えていくだろう。長期的に考えれば、一時的なハレーションにたじろいでいる場合ではなく、「よそ者」ウエルカム!でなければならない。

従来の行政は、基本的に、いま現在税金を払っている人、あるいは選挙権を持っている人のためのサービスを旨としてきた。

しかし、この新しい問いかけ(引用注:「異なる価値観を異なったままに、新しい共同体をつくる」という問いかけ)は、明日の住民の権利、いや権利と言わないまでも、明日の住民の感性や価値観を認めていこうということなのだ。さらには、新しい住民、最初は少数派となるだろう新住民がもたらす新しい価値観を、積極的に共同体の中に取り込んでいこうということなのだ。

これがしかし、従来の行政の住民サービスの在り方の枠組みからは外れることになる。(略)

自治体の未来は、明日の住民をいかに受け入れていくかにかかっている。

しかしながら、おそらく逆の判断を選択する自治体も、なかには出てくるだろう。

「いや、うちはもう、従来の価値観に従ってもらえない人は、外からは入ってこなくていいです。今いる住民へのサービスだけで手一杯です」
と精神的な鎖国を宣言することもできるだろう。

(153-154pp 『芸術立国論』2001からの採録部分)

日々丁寧に、地域で暮らしてきた人たちの生活の知恵や意見は、「よそ者」にとって教科書だ。一方で、人口流出しているということは、その教科書の中に古びた価値観、誰得なのかわからない(多くは女性のケア労働をあてにしたような)慣習も残っているのだろう。そして、人の問題だけでなく経済効率だけを考えて赤字路線を廃止したためにズタズタになってしまった公共交通インフラやといった、物理的バリアもあるだろう。次の世代のために、いまの世代が変わらなければならないことを考えるのも「村を育てる学力」のはずだ。対話し、次の方向性を見いだしていくことができずにいたら、移動できる資本のある人は「村を捨てる」。現状維持していたら持続可能ではないのだということを、年長者ほど考える義務があるのではないか。

 

安部政権以降に顕著だとは思うけれど、それ以前から少しずつ、日本は「遠い未来を見据えて現在を考える」ことをしない政治に蝕まれている気がする(それを支えているのは住民だけど)。短期的な利益にばかり頭を使って、自分の子どもの世代、孫の世代に、よりよい環境をどう残すかを考えない、自分のいまさえ充足していればいいという発言が珍しくない。私が子どもの頃の大人、メディアに出るような人たちは(プライベートでどうだったかはわからないけど)、目の前の利益しか考えないような発言や態度は「下品なこと」だと弁えて話していた気がする。現在の積み重ねが未来なのだから、現在を食いつぶせば未来がなくなるのは当然なのに、なぜこうも刹那的な言動を恥じることなく巻き散らす人が増えてしまったんだろう(政治家だけでなく、そこに阿る著名人も)。そして自分だけはさっさと海外に移住したりしてさ…。

 

平田オリザさんは、一貫して「対話」の重要性を主張していて、そこを私は信頼してきたんだけど、やっぱりけっきょく、共同体の肝も対話なんだな。対話の文化をどうつくり、育てるか。自分の足元から、何をしていこうか。

私は人権の文化をつくりたい、です。