わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「文化の盗用」とか「搾取」とか…ぐるぐるする日々

ちょっと脳ミソの中を出してみよう…と思いはしたものの、ここへきたら

「ん? タイトル…(もにょ)」と、そこで2分ぐらい考え込んでしまうというww

 

ぐるぐるしているきっかけ(?)は、最近公開になった『ゴールデンカムイ』実写映画を巡るあれこれ。

私も「わぁ、なんだこれ!」と、途中まではワクワクしながら読んでいたのだけど、土方歳三が出てきた辺りから「?」が増えてきて、最終回はドン引きしてしまったので、実写映画化の話が出始めた頃から「やめてくれーい」気分が勝っていたのだけど

『ゴールデンカムイ』野田サトル、実写化に歓喜したキャラとは 完結を迎えた現在の思い【原作者インタビュー】|シネマトゥデイ

そんな賛否両論のなかでこのインタビューを読んで「アカンやん…」の思いの方が強くなった(と言いながら、怖いもの見たさじゃないけど、ダメさ加減を考えるために観るべきか?とは思っている。いまのところ…)

アカンやん…と思ったのは、端的にここ。

もちろんアイヌルーツの方にはいろんなイデオロギーの方がいらっしゃいますのでいろんな反応、意見を目にすると思いますが、恥ずかしいものは描いていないのでどうか原作を信じて欲しいと…

要は、批判的意見については「イデオロギー」の問題にすり替えて「自分は間違ってない」と言ってるわけで。それも、アイヌ当事者からの違和感、批判をそういうふうにぶった切ってしまっている。和人として、それはないだろう…と思う。

課題は北原先生が整理してくださっているので、こちらをどうぞ。前後編ともに読まれてほしい。

crea.bunshun.

最近は授業でアイヌのことを扱えていないのだけど、一時期扱っていた頃に、それこそ北海道出身の学生から「アイヌに会ったことがない」「北海道の人はむしろ、内地で差別されて北海道開拓で苦労した人たちだから差別なんかしないはず」という発言が確かにあった。かつ、他府県の人間は「アイヌは北海道の問題」と他人事だった。これは大阪で生まれ育って「在日コリアンに会ったことがない」と言う人や、「関西には部落問題があるんでしょ」と言う関ヶ原より東側の人たちや、の問題と同じ構図で、

「そんなわけなかろうよ…」

としか言いようがないものだ。そしてそういう実態があるからこそ、ドラマや映画、漫画で題材になって、それで興味をもって学び始める人が出るのは「いいこと」と評価され、作品は称賛される。上記の原作者の方の発言を読んでいると、まさにその「いいこと」という評価に安住することでそこを考えることを避け「エンタメに徹しました」と無邪気に胸を張れる特権があなたにはあるってことだよ? と思う。

もちろん、悪いのは差別を放置してきた社会全体だ。そこに「いるのにいないことにする」暴力がはびこり過ぎてあたりまえになり過ぎているせいで「問題を知るきっかけ」が過大評価されてしまうのだから。もちろん、きっかけはたくさんあった方がいいし、ゴーカムもないよりあった方がいいとは思う。でも「いいきっかけになったんだから」と多少の不満は我慢しろよと当事者が抑圧されるのはおかしい。「あの描き方はフェアじゃないだろ」と物申したアイヌの人たちを「あの人たちはイデオロギーが」と切り捨てるのは暴力ではないのか?

思えば、昨年のドラマ『Silent』での手話やろう者コミュニティの描写を巡る賛否両論の展開も、似たような感じだった。…と思って、当時読んで「なるほど」「わかりみ」と思った記事を探そうとしたら、時間がかかってしまった。絶賛記事がやたらにあふれてて上位に来るから(涙)

silentと日本手話|rhetorico

ドラマ『silent』への批判的考察 - しゃべる図書館

そうは言っても、ではどうすることができるのだろう? と思っていたら、年末にNHKがやってくれました。『デフ・ヴォイス』!

www3.nhk.or.jp

原作がそもそも素晴らしいのだけど、いいドラマでした。そして、『Silent』に1ミリも共感できなかった(3話ぐらいで観るのやめてしまった)理由もなんとなく腑に落ちた。ろう者が全然リアルじゃなかったからだな、と。手話が上手かどうかということではなく。

この、当事者が制作過程や現場にどれぐらいコミットするかという問題でいうと、在日コリアンの場合は、監督や脚本、その他スタッフにあたる人材も、キャスティングに関しても、比較的多様な人たちがいて、秀作もけっこうあるな…と一瞬思ったけど、それも90年代以降かもしれない(作品的には『月はどっちに出ている』が大きかったような気がする。プロデューサーも監督も在日コリアンだったよね)

そういえば、去年観た『エブエブ』や『エレメント』もアジア系移民の話で、これもアメリカの映画業界に作り手としてアジア系が増えたから出てきた作品かもね、と友だちと話したのを思い出した。

作り手に当事者が入ればいいという単純な話ではないけれど。

前提として「無知・無理解な社会(観客)」を前提に、必要最低限の情報を物語を損なわないように補完しつつ、コミュニティ内の多様さや人間のリアルをどこまで「理解可能なもの」として提供するか、というのがエンタメには求められるわけで、その難しい舵取りのためには、やはり問題を体感的に理解している当事者の評価や感覚は大事されるべきだと思う。少なくとも「あなたは私と主義主張が違うから」と勝手に線を引いて、自分に都合のいい意見しか聞かないなんて姿勢ではダメだと思う。だって、そこにリスペクトがないから。

マジョリティも勉強して考えることはできるから、制作にかかわるなとか、マイノリティを軸にする作品はマイノリティに任せればいいとも思わない。観客は圧倒的にマジョリティが多いわけだから、そこに受容されなければ大衆娯楽として成立しない。ただ、だからといって大衆受けのために、ついてはいけない嘘をつくのはダメだし、マイノリティ像を都合よく歪めるなんてもってのほかだ。

要は、制作チーム内で、マジョリティとマイノリティが公正・対等に力を分かち合えているか、が鍵なのかな…。

そんなことをグルグル考えているところに、こちらがきて。

youtu.be

この曲に関しては、当初『Love Wins』というタイトルに対して批判が起き(「Love Wins」がクィア差別に抗議するスローガンの文言と同じなので、それを一般的な意味に解消するように使うのはどうなの?と)、それを受けて『Love Wins ALL』と変更したという経緯も先にあったのだけど、MVが公開されたら、今度は「これは障害者差別では?」という批判があったらしい……。

news.yahoo.co.jp

最初の経緯については、私はそのスローガンの存在を知らなかったので、最初何のことかわからず、説明されてやっと「そういうことか」と納得し、そして対応したIUは誠実だなと嬉しかった(私のなかでIUの株爆上がり)。経緯は こちら

そしてMVについては、私はまったく2人の描かれ方を「障害者」とは認知しなかったので、これも「?」だった。そして、監督が映像の解説を公開したことで、批判は収束したらしい…からもういいのか? と思ったり、いやでも確かに視覚障害者が「見えないことをメタファーに利用するな」と苛立ったての批判だとしたら、それはあり得るよな…とも思ったりで、またもぐるぐる…。 

私が「障害者だと思わなかった」のもまさにメタファーだと思ったからなので…。

(この辺は別稿で書こうかな…長くなるから)

難しいなと少し思うのは、戦争や環境破壊によって人の身体が損壊させられる≒障害を負わされるのは許せないし、良くないことだという怒りも正当なら、人が「障害」を理由に差別されることも許せないし良くないことなのも当然、正当だというところだ。

いや、何も難しくないでしょ? 両立できる怒りでしょ?とも思うけれど、たとえば、戦争や環境破壊(公害)に反対するために「こんな目に遭わせやがって!」と傷ついた身体を抗議の表象として「利用する」ことは、その障害のある当事者の人びとにとって好ましいことなのか?非障害者が主義主張のために他者の身体を利用しているだけだろ、 と言われたら「そうじゃない」と言い切れるのか? と考えていくと、そうすっぱり切り分けて「問題ないですよ」と言い切れない何かは、やはり残るような気がする…。そして、こう考えていったときに、私自身がこういう受け止め方をされたら許せないなと強く思うのが、「身体を傷つけられて障害者になった人がかわいそうで気の毒だから、そんな不幸な人を生み出す戦争/環境破壊には反対だ!」というロジックだ。

(だからモヤモヤぐるぐるしてしまう…)

本来は、シンプルに「殺すな」って話で、人が穏やかに安全に暮らす権利を損なうなっていう話でしかないはずなんだけれど、やはり障害者差別が「ある」社会だから、「障害者を作り出す戦争は悪だ」と言う、その人に「障害者≒負の存在」ニュアンスとイメージはゼロか?という疑いは、持つなと言っても無理がある。なぜなら、私たちは障害者を厄介者扱いし、そこにいない人扱いし、権利を奪う社会に生きているから。その現実を追認せず、「どんな命も奪うな、損なうな」と言うために考えるべきこと、尽くさねばならない配慮や表現を考えると、気が遠くなる。

とはいえ「それ、何か足りないよね」「マイノリティの憂慮や傷つきを軽視してない?」という声を黙殺してはいけない、とも思う。

そして、何の批判も受けずに済むような作品を生み出すことは、本当に難しいのだろうなとも思う。完璧をめざしていたら、それこそ何も作れないかもしれない。

 

とまぁ、けっきょくぐるぐるしてるだけの文章になったけど、リンク一覧できたということで、備忘として。このまえ、鍼灸の先生に「脳ミソ使い過ぎでは?(頭がごちごちに凝ってたらしく、頭に鍼を打たれた)」と注意されたけど、こればっかりは止まらないので仕方がないよー。ははは。

人生は続く。