『Eye Love You』というドラマが人気のようで、我が家でも「癒し~」と言いながら家人ともども喜んで視聴している。
そのドラマの中で、韓国人留学生役の子が誰かれなく「ご飯食べましたか?」とあいさつしていて、「私の食生活を心配(?)or 御飯に誘ってくれている(?)」とドキドキしていた主人公が「あれ?みんなに言うの?」とネット検索したら
「韓国の人の『ご飯食べた?』は、ただの、あ・い・さ・つ! ですからー!」
と出てきて「ガーン!(私だけ特別なわけじゃないの!)」となる場面があって。
隣で観ていたパートナーが、クスッと笑って「ムラん中と一緒やん…」と言い、2人で「だよねぇ」とほくほくした気持ちでの思い出話がひとしきり続き…
もう20年近く前、唐突に職を辞した私は友人の勧めもあって韓国語の教室に通うことにしたのだけど、そのときの先生がこの「ご飯食べた?」について、
「韓国人って、なんでこれがあいさつなのかなーって。日本人はそんなあいさつしないから、やっぱり貧しかったからかなぁって、恥ずかしくなる」
とおっしゃったことがあって(私より一回りは若い先生だった)
私は「いや、日本でも言うし、恥ずかしいことじゃないと思いますよ」と言い、他の受講生からも「なんか情が厚い感じしますよね」ということばが出て、終わったんだったなぁと思い出した。
私が「日本でも…」と言ったのは、パートナー同様、学生時代からこちら、しょっちゅう出入りしているムラ(同和地区)の、特におばちゃんたちから「ご飯食べたんか?」と顔を合わせればあいさつされ、あいさつに留まらずご飯をお呼ばれしたりもしてきた、そんな日常があることに基づいている。特に学生だったころは「若い人がお腹を空かせたらダメ!」という信念?なのか、「食い詰めたらここに来ればなんとかなるな…」という妙な安心感と帰属感を持ってしまうぐらい、なんやかんや食べさせてもらった。
日本も韓国と同じ東アジアの国で、「身体は口から入るものでできている」という考え方はあったはずだけれど、21世紀の現時点で、いまだにそれが色濃く文化として根付いている韓国に比べると、ずいぶん淡泊というか、無関心というか…だなと思う。
「情の濃さ」という部分でも、韓国の人たちの情の濃さには驚かされることが多い。とはいえそれは、日本に全然ないということではなくて、私が子どもの頃の町内/下町の人間関係もそんな感じだった(私的にはどっちかというと苦手というかメンドクサイ(笑)そんなに構ってくれなくても大丈夫です!みたいな。これまた韓国語の若い女性の先生が「日本にいるとみんなクールで寂しいなーって思ってるくせに、実家/済州島に戻ると3日で「もう!私のことはほっといて!って言いたくなっちゃう(笑)」と言って「わかるー!」と、ご飯食べながら大笑いになった。子どもの頃の下町が懐かしいけど、あんなにも構われたらウザい…というないものねだり 苦笑)
1日に何度食べるかは、そんなに問題じゃないけど、
「ちゃんと食べてるかな?」というのは、友人にせよ家族にせよ、心配して気にかけるときの根幹だよなぁと思う。関係性があるから、そこが心配になる。どうでもいい人のご飯の心配はしない(笑)
ご飯を食べながら話すこと。
美味しいなぁ…とほっこりすること。
そのための安全な生活が確保されていること。
「ご飯食べた?」「食べたよ~」と気楽に言い合える仲間がいて、
「まだだから、いまからどっか行く?」と誘い合える相手がいて、
そんな世界が誰にでも保障されてほしいなと思います。