そしてその間に、被告・原告双方が控訴して大阪高裁に舞台は移り、第1回期日が先日行われました。相変わらず、被告側は何の非も認めないつもりらしい。どころか地裁判決ガン無視で、原告さんへの個人攻撃めいた「資料配布」を未だに続けている。恐るべきレイシストっぷり。なんでこんな企業が大手を振って商売できるんだ、日本社会・・・。
2018年9月記 「ただ、胸が痛い。」
「なんかな、【原告さん】の会社が怖いねん。おかしいねん」という話を最初に聞いたのは、4年前。「気持ち悪!」とは思ったものの、まさか段ボールに何箱にもなるようなすさまじい文書量だとは(しかも差別的な記事や著作物のコピーだけでなく、社員がその配布物の内容(偏見や人種主義)に同調して書いた感想文の配布まであったとは・・・)。その酷い内容を具体的に知れば知るほど、【原告さん】が感じていた恐怖や危機感を全然わかっていなかった自分に対する・・・うまく表現できない感情がわいてくる。
わたし自身も、授業や研修の感想に「自虐史観の反日講師」と書かれたり、インターネット上で歴史修正主義者/レイシストに絡まれたりしたことはあり、その気持ち悪さと恐怖は想像できるつもりだった。それが、自分が日々働く職場で。酷いなぁ、キツイなぁ・・・―― でもそれは想像できている「つもり」でしかなかったということを、傍聴のたびに思う。日頃、仕事として授業や研修で「想像力には限界があるから『相手の身になって考える』だけで差別はなくならない」としつこく言うくせに、こんなに頼りなく心許ない、そういう自分に対する怒り、ふがいなさ。そして「差別が人を分ける」ことへの憤りと悔しさ。
どんなに仲が良くても、信頼していても、差別がわたしたちを分ける。学生時代、折しも指紋押捺拒否者が被告に立たされ、各地で裁判が行われていた。傍聴に行き、専門家の意見書、証言、拒否者の思い・・・等々から学んだことは数知れない。「差別はおかしい」と当事者が声を上げ、就職差別、入居差別、戦後補償、無年金・・・とさまざまなことが裁判で闘われてきた。闘いが、少しずつ日本社会を変えてきた。けれど「当事者が声を上げないとわからないから、声を上げてほしい」とは言いたくなくて、悶々とする。マイノリティが声を上げなくても「それおかしいやん?」と気づける人が増えれば、それに越したことはないのだけれど、やはりマジョリティはどうしても鈍感で(だからマジョリティなわけで)、気づけない。だから問われるのは「その声を聴いて、あなたはどうするのか」だと思う。マイノリティが声を上げても、それを社会が、マジョリティがキャッチする力がなければ、「声」は宙に浮いてかき消されてしまうから。そしてわたしは裁判を傍聴する。わたしは声を聴けているのか? 受けとめてどうするのか? ・・・そして聴くどころか踏みつぶそうとする相手への怒りを新たにする。そんなやつらに負けたくない。勝ちたい、と強く願う。
学生時代、「差別は『差別するかしないか』ではなくて『差別を許すか許さないか』だ」と先輩たちに言われ、わたしも後輩に伝えてきた。【原告さん】も傍聴に集まる人たちも、多くはそんなころからの仲間だ。闘う仲間がいることは心強い。けれど、そもそもなぜこんな裁判を起こさねばならなかったのか、とんでもない負担を強いられた【原告さん】のしんどさを考えると、堪らない気持ちになる。最近観た韓国映画『1987-ある闘いの真実』で、デモに行く大学生が「(危険なのに)なぜ行くのか」と問われて「なぜかわからない。ただ、胸が痛くて、じっとしていられない」と答える場面があった――あぁ、そうだ。「ただ、胸が痛い。」 胸が痛いから、黙ってじっとしていられない。
この裁判がなければ「みんな元気にしてるかなー」と、ときどき思い出すぐらいだった人たちと、裁判所でたくさん会った。素朴に、再会は嬉しいけれど、複雑な気持ちにもなる。みんな、わたしがこうして書いているような、表現しきれない気持ちに突き動かされて、ただ、胸が痛くて、日々のあれこれに都合をつけて駆けつけているのだと思う。裁判は平日で、一方的に日程が決まる。裁判所に駆けつけたいけど都合がつかず、もどかしい思いで推移を心配している仲間は、もっといるはずだ。裁判官には、そんな「裁判所には来られない仲間たち」の姿や思いにも思いを馳せて、判決を書いてほしい。
「駆けつけられない自分」をもどかしく、胸が痛いと思う仲間とともに、わたしたちはここにいる。