わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

いまは8月31日

8月27日、最高裁

朝鮮高級学校を「高校無償化」の対象外とした一連の措置(不指定処分)について
東京、大阪両高裁判決を追認する判断(上告棄却)を出しました。

以下、東京の弁護団のコメントです20191201記:書面画像だったのですが、消えたようです。ので、書面を探せたら改めてリンクしますので、テキスト画像の痕跡?を削除します

 

高校無償化…国公立高校に関しては授業料を無償とし、
私立高校に対しては、国公立に通う学生が無償とされた同等の額を
「就学支援金」という形で、金額×生徒数の額を学校に補助する、
という施策です。

なぜここから朝鮮学校を排除することが不当なのかは、前に書きました。

大阪高裁不当判決ー朝鮮学校「無償化除外」が なぜ不当なのか - わったり☆がったり

しかし(とあえて逆説ですが)

今回の最高裁決定は、朝鮮学校の教育内容がどうのこうのという問題をはるかに超えて、日本の民主主義の根底を危うくするものだということを、もうちょっと日本国民は自覚したほうがいいぞ…と、私は暗澹とした気持ちになっています。

法治主義」って、どういうことかわかってるの?

安倍首相なんかも「我が国は法治国家ですからー」と、隣の国を批判する枕詞に使っておられますが、どの口が言うねん、です。

そして「どの口が言うねん!」を決定的にする判断を、最高裁がした、ということなのです。

前掲の記事に載せているのは、そもそも高校無償化の対象になるかどうかの審査を受けるための手続きを朝鮮学校が取っているのに、それを「当面、審査を保留」という形でストップ。その後、政権交代した際に、審査を受ける資格を保障していた法律の条文を削除すると言い出したときに、「そんな馬鹿な!」と文科省宛に送ったパブコメの文章です。文科省宛だったので、教育中心に、若干文科省をよいしょする感じで書きましたが、この措置が日本に暮らす15歳から18歳の子どもたちを分断し差別する不当なものだということは、私なりに言い尽くしたつもりです。

しかし、日本政府は条文削除を実行し、朝鮮学校は審査を受ける資格そのものがなくなりました。

これがどういうことかというと、

たとえば地域の文化祭に出店するための自治体の補助金があったとします。
出店したいグループはめいめい、補助金を受ける条件(ルール)を調べ、条件をクリアできれば申請しますよね。申請のためにはいろいろと書類をそろえたりといったことも必要ですが、それもがんばって準備しますよね。そして申請、審査を待つ。

審査においても、補助金を出す自治体の長がその気分でテキトーに決めたり、オトモダチだから優先したりといったことが起こらないように、基準は決まっています。

それなのに、審査のための申請を受け付けたそのあとで、ルールにはない事情を持ち出して「ごめん、審査留めるわー」と言われ、待てど暮らせど審査は始まらないまま文化祭は始まり、じゃあ来年? また来年? とズルズル引き延ばされているうちに、ルールが変更されて「ごめん、そもそも君たちは申請資格がなかったわー」と、保留されていたはずのものが「なかったこと」にされて永遠に文化祭への参加を閉ざされた・・・

ということです。

法治主義というのは、こういう恣意的な運用が起こらないように、法律というルールに従って政を執行する(だから「行政」という)システムのことです。

つまり高校無償化に関しては、できた法律に従って粛々と行政が仕事をすれば当然朝鮮学校にも適用されたものが、高校生に関係ない外交問題からの横やりで超法規的に審査が止まった。まずその時点で問題なのに、そのまま保留で待たせ続けた挙句に、法律の方を変えて「あなたたちは申請できません」と言い出した、というのが問題で、したがって裁判もその不当性を問うていました。要は朝鮮学校を無償化から排除するために、後から法律を変えるという法治主義にあるまじき後出しジャンケンを日本政府がやったことを、法治国家の番人としての司法はどう考えますか? と問うていたわけです。

なのに、最高裁は棄却した。

棄却というのは「審理しない」ということなので、高裁判決は法治主義を無視していてあんまりじゃないですか? という上告に対して、高裁判決を精査して再考することもせず、「もう、そういうことなんで」と追認してしまったということになります。

つまり、立法府と行政府の行為を監督するはずの司法が責任放棄したということです。

つまり、日本は法治主義三権分立も、朝鮮学校を差別するためなら、かなぐり捨てる国なのだということを宣言してしまったということです。

事ここに至ってもなお、「でも朝鮮学校反日教育してるんでしょ」とか「拉致問題とかミサイルとかあるんだからしょうがないでしょ」とか言っている人たちは、日本が民主主義国家でなくなってもいいんですか? と逆にお尋ねしたいです。

さらに幼児教育無償化問題も

いま、テレビコマーシャルで幼児教育の無償化について、無認可保育所等に通っている子どもは「申請が必要です」とだいすけお兄さんが歌っていますが、この無償化から、各種学校である外国人幼稚園、約90施設が外されることになっています。

this.kiji.is

無認可保育所まで対象になるのに、各種学校として長年教育活動をしている施設がダメどういうこと? です。これは明らかに、朝鮮学校の幼稚班の子どもたちを対象外にするために「各種学校」を排除基準にしたということです(そう考えないと理由がわからない)。つまり朝鮮学校だけを排除したいのにできない制度設計をしたためにもめてしまった上記の教訓を踏まえて、最初から排除するルールをつくった、そのルールに他の外国人学校やインターナショナル系の幼児教育施設が巻き込まれているのです。

(そもそも、外国人学校やインターナショナルスクールが各種学校認可しか取れないのも、朝鮮学校を私立学校として認めないためにつくったルールに巻き込まれているためですが)

 

いったい、この国はどこに行こうとしているのでしょう。

今日は8月31日です。

1923年の8月31日と同じなんじゃないかと、怖くてしょうがないです。

でも、私よりももっと怖い思いをしているのは、コリアルーツの、日本に暮らす人たちだと思います。それは殺される側の恐怖です。私の恐怖は、日本人が再び殺す側に立たされる怖さです。これは同じじゃない。