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(2018から引っ越し)参加雑感 日本植民地教育史研究会 第20回記念研究大会シンポジウム「教育の植民地支配責任を考える」

植民地支配責任について考える。それも「教育」を軸に。

少し個人的な話にさかのぼる。 私自身は植民地朝鮮での「国語」教育を対象に、研究活動を始めた。もともとそこに至った理由は、在日朝鮮人の歴史と差別の実態を知るにつけ、教育大学で国語教育を専攻する自分の立ち位置をどう考えたらよいのか、その答えを探したかったからだった。当時は1980年代の後半で、まだコリアタウン(当時はまだ「朝鮮市場」の方が使い慣れていた)に行けば朝鮮語なまりの1世が大勢いらっしゃったし、「韓国の年配の人は日本語を話せる」エピソードもよく聞かされた。その人たちの「日本語」を育てたのは植民地期の日本であり当時の「国語教育」のはずだ。そして在日朝鮮人の2世、3世は日本語を母語として私の身近に大勢いて、大阪では民族教育として「朝鮮語」を教える学校もあれば、公立小中学校の民族学級・民族クラブもあった(それらは今ももちろんある。というより当事者の努力で何とか守られているといった方が正しい)。 言語の教育はどうあるべきか。民族の言語とは。文化とは。「同化教育」とは何か。なぜ問題なのか。文化の抑圧や押しつけにならない「言語教育」はあり得るのか。そもそも「文化を押し付ける/奪う」とは具体的にどうする/なることなのか。日本が植民地支配をしなければ存在することもなかった「在日」2世や3世の子どもたちが、日本の学校で学ぶ「国語」の時間。それは日本語をブラッシュアップする言語技術の授業でもあるが、一方で日本の古典文学を学ぶ「日本民族教育」の時間でもある。朝鮮語民族学級にせよ民族クラブにせよ、あくまで課外活動としてしか学べない(そして、その場すらない子どもたちの方が圧倒的に多い)。かつてカリキュラムから朝鮮語を消して「国語」一辺倒にしたことと、何が違うのだろう。「ここは日本だから」というが、学校にいる児童や生徒は日本ルーツの日本民族だけではないのに。そして旧植民地にルーツを持つ子どもたちがその場にいることに、日本の教育は旧宗主国としての責任を負うはずなのに。--そう考えていったとき、国語教育の歴史をふりかえり総括することでしか、答えが出そうにないと思い、私は芦田惠之助という高名な国語教育者が朝鮮で教科書編纂をしたという、その一点を手がかりに「国語教育の植民地支配責任」を研究し始めたのだった。

今回のシンポジウムで、それぞれの報告を聞きながら改めて考えさせられたのは「植民地主義」がいかにわれわれの日常に「集合的無意識」として存在しているか、ということだった。「日本の排外主義は歴史修正主義の派生だ」と指摘したのは樋口直人氏だったか、植民地支配の総括をしたくない/責任を取ろうとしない態度が歴史修正主義であり、現今のヘイトスピーチをはじめとする排外的な空気は植民地支配の歴史と切り離せない。「植民地主義・人種主義」と本研究会の初期代表だった小沢有作氏「・」でつないで示し、両者が切っても切り離せないことを意識していたという。そこを考えるカギは「支配」と「抑圧」の構造であり、その構造の中の国家と個人、支配民族(主流派)と被支配民族(傍流・周縁化された人びと)の関係性であろう。たとえば学校で植民地支配について教える/学ぶというとき、取り上げられがちなのは「抑圧」とその被害の面だ。歴史修正主義者に言わせれば「日本の悪いところばかり取り上げる自虐史観」ということになる。私は被害の面をきちんと押さえる(日本の加害性を自覚するために)ことが自虐だとはまったく思わないが、被支配の側から被害/損害の面だけを描出するのは、確かに世界を半分しか見ていないとも考える。同化教育の具体として「日本語を教わる」人びとの姿があるのなら、それを「教える」人びとの姿もあったはずである。日本語の使用を押し付けられ不利益を被った朝鮮の人びとの反対側には、宗主国の民/日本語母語話者として植民地に赴いたことで利益を得た日本の人びとがいたはずであり、土地を奪われた人びとの反対側にはその土地を得た人びとがいたのである。そちらの姿こそが、旧宗主国にルーツを持つ日本人が学ばなければならないことであり、植民地支配とは自らの利益のために誰かに不利益を強いる社会構造であり、その社会構造自体は現在もなくなっていないことを考えなければならない。でなければ植民地の歴史は「遠い昔のできごと」であって、現在の自分と結びつかず、特に歴史に興味ない人にとっては特に「なぜ学ばなければならないのかわからない暗記教科」、つまり他人事として流れていってしまうのであろう。

差別問題を考える際に「特権(privilege)」という概念を用いて、「差別を受けない側の有利さ」に着目することで社会構造を読み解く方法がある(「白人性研究」「男性学」など)。つまり、人種主義(racism)のはびこる社会で不利な立場に置かれるのが有色人種だとすれば、白人は有利な立場に置かれている、その両方を・・・(ここで中断したまま1年放置してました・・・)

で、いま記録のために引っ越しさせたけど(笑)続き書いてないままかよー(笑)