わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

(2019から引っ越し)「こんな夜更けにバナナかよ」に寄せて

石井誠さんという書道家がいて、今年も今日から私の大好きな絵本カフェholoholoさんで個展が始まる。石井さんは筋ジスで、大阪教育大学の卒業生で、彼の生活を「誠組」という介護者グループが支えていた。以下は、2012年に大阪教育大学で行われた誠組の企画で、石井さんと『こんな夜更けにバナナかよ』の著者である渡辺一史さん、石井さんの主治医である河原さんの鼎談を聴きにいったときのメモ。ふと思い出して探してみたらPCに走り書きが残っていたので、ところどころ加筆しつつ、ここに改めて残しておこうと思いついた次第です。6年も前なんだなぁ・・・と驚くとともに、自分の考えていることがあまり変わっていないことにも驚く(成長してない・・・笑)
「夜バナナ」いつ観に行くかな。観たら私はきっと、石井さんを思い出すのだと思う。 当時、私を誘ってくれた誠組のみなさん、特に学生さんは「来てもらってありがとうございます!」とおっしゃったけど、私自身が参加してほんとうに嬉しくて、誘ってくれてありがとう! だったことも合わせて記しておきます。
以下、2012年のメモより 《石井誠×渡辺一史×河原仁志》
まず石井さんから、ご自身の経歴含めた「誠組」の話。
筋ジストロフィーで、13歳から車いす使用。大学にはいるまでは母親が介護の主体で、大学入学後も母が送迎をしていた。
・車の故障や母の体調不良をきっかけに、周囲の学生が介護するようになる。また、作品制作等の時間を確保したいという思いもあって、2回生から学生寮に入り、24時間介護体制→「誠組」結成に。
・3回生で自動車運転免許を取得。自分の意志で行動できる範囲が広がる。母べったりの生活から離れ、プライバシーを持てるようになり、「自立」を実感。
・「誠組」最初の5年間は、介護される自分も介護する側(ほとんどが大学の友人)も手探りで、一緒に考え成長してきた仲間だという思いがある。そこで築いてきた人間関係が自分の大学生活での一番の財産。
・母に介護されていた頃、考えてみれば「うざい」と思っていたし、母親の目がいつもあるということへのストレスも感じていた。けれど「いい子」でいた。子どもの頃から、友達が自分の行動を手伝ってくれることに対して「ちゃんとありがとうって言いや」と母から言われ続けていて、自分でもそういう関係が当たり前だったし疑問も持たなかった。だから、誠組になって、介護者から「なんでありがとうって言うん? 別に言わんでええんちゃう?」と言われて衝撃的だった。
・そうやって、お互いにやりとりしながら成長してきた部分が、「夜バナナ」と通じあう部分。
石井さんの話の補足として、河原先生から筋ジストロフィー(石井さんの病状)の説明があり、それらもふまえて、渡辺一史さんから「夜バナナ」の内容紹介(同様に筋ジストロフィーだった鹿野さんと介護者のエピソード)があり・・・
・取材のきっかけは、依頼。だからなにも知らずに障害者の地域での自立生活・介護という現場に入ってしまった。だから「24時間TV」的なイメージでスタートし、そのイメージがどんどん覆されていくという流れだった。
・鹿野さんの自己主張には遠慮や卑屈さがない。それがまず衝撃的だった。やはり介護してもらってありがとうという感じの、卑屈な気持ちになる方が自然ではないかと思うが、鹿野さんはワガママ(障害者の自己主張とワガママの境界線は難しいが)率直に、自分がやりたいことをやりたいと言い、だからこそ介護者との間に葛藤が生じてコミュニケーションが生まれるんだなというふうに、私は感じた。
・札幌だったので、北海道大学北海道教育大学看護学校などの学生がボランティアの主体。毎年3月に卒業とともにやめるメンバーが多くて危機に陥り、4月にどっと新人が入って・・・というサイクルで、鹿野さん自作の介護マニュアルに沿って鹿野さん自身が新人研修をする。新人研修が終わると、ボランティアが「ありがとうございました」と言う・・・そういう光景を見ていて「できる/できない」とは何かを考えさせられた。鹿野さんは呼吸も自力では難しくて人工呼吸器を装着しており、ふつうにかんがえれば「できない」ことばかりの人だが、その「できない」ことを介護者がどうすれば「できる」ようになるのかをレクチャーすることが「できる」人だった。つまり「できない」を「できる」に反転させている人。
・そんなことを思いながら、自分自身も取材の過程で介護ローテーションに組み込まれて当事者になり、「できる/できない」はとらえ方の問題で、実はどちらにもなりうる流動的なものではないかと気づいた。
・同時に、介護者といっても「保護者的」「傍観者的」「召使い的」「友人・同志的」といったさまざまな面があり、関係性の中でどの面に比重が傾くのかもどんどん変化していく。非常に流動的。
(河原先生から「むしろ流動的でないとだめだよね」の声。石井さんに「どんな比重がいい?」と尋ねられ、石井さんは「あんまり従順にはいはいと聞かれるのは気持ち悪いけど、体調が悪くて議論する余裕がないときは、はいはいって聞いてほしい(笑)」と答えていました)
・タイトルの「こんな夜更けにバナナかよ」っていうのは、夜中でも何でも「おなかすいた。○○食べたい」とか言う人で・・・それに対して「早く寝てほしいのにな」とか介護者はイラッとして言い合いになったりするんだけど、考えてみれば夜中に目が覚めて小腹がすいていたら、健常者なら勝手に黙って何か食べるわけで。そういうことは誰にでもある。それを介護の手を借りなければできないというだけの話で、ワガママでも理不尽でも何でもない。だからそこで介護者に気を使ったら自立生活にならない。一方で介護者の方も・・・たとえば「たばこがすいたい」という要求だった場合。鹿野さんはスモーカーだったが、あるとき医大生の介護者が、人工呼吸器をつけて痰の吸引も行わないといけない鹿野さんにとって、喫煙なんて自殺行為だからその介護はできないと言い張ったことがあった。だいぶ言い争いをして、結果的に喫煙介護は彼じゃない人に頼もうという結論を鹿野さんは出すんですが・・・。彼が自分の体を心配していることは理解し、でも自分はたばこがすいたいという欲求も我慢したくないから妥協策みたいな感じですが、結果的には二人の信頼関係は非常に厚くて、彼は大学院生の時期も含めて7年間介護し、いま在宅医療を専門に研究し大学で教える立場になっている。けっきょく「どんな介護がベストか」に答えはなく、障害者の「○○したい/してほしい」に対して、介護者にとっては場面場面で葛藤が生じるし、それに対応して流動的な関係性が生まれていく。
社会学の用語で「コンフリクト(対立・葛藤を顕在化させる)」というが、コンフリクト~オープンな異議申し立てによって葛藤が顕在化し、それによってコミュニケーションが深まる、ということだと思う。日本的な風土として「優しさと思いやりの重要視」「人に迷惑をかけないという美徳」「相手がしてほしいことを察して先回りすることが優しさ」だという感覚が根強いが、この対局に介護の世界がある、むしろ障害者が地域で生活をする、介護ボランティア体制を作るといったときに、こういう風土が邪魔をしているように思う。
河原先生から、医療者の立場として補足的に、と。
・医療者の仕事を「病気を治すこと」だと思う人が多いが、実は病気なんて治せない。筋ジストロフィーはもちろんだが高血圧も糖尿病も、血圧や血糖値を下げる、コントロールする薬を出して生活しやすくしているだけで、治しているわけではない。
・実は大切なのはQOLの質を上げること。そしてその患者にとってなにがよい生活の質かといえば、自分がどう生きたいか。本人がやりたいこと、あきらめたくない一線がはっきりしている方がいい。それをサポートする場として在宅医療・在宅介護の現場はもっと注目されるべき。現実に医療費抑制の課題もあって、政策は在宅方向へシフトしようとしている。批判もあるが、むしろ好機ととらえて在宅でQOLを高めていく方法を考えたいし、誠組はその未来を開く可能性を持っていると思う。
・さきほど、相手がしてほしいことを察して先回りするという話があったが、「転ばぬ先の杖」発想の罪悪に、なかなかやっている側が気づかない。自分の患者に「今までの人生で、一番の差別者は誰だった?」と聞いたら、1位は「親」だった。親、特に母親が子どもによかれと思って先回りする。子どもが痛そうだから、しんどそうだから「あなたはやらなくていいのよ」って取り上げてしまう。けれど実はそのことが「自分はこんなこともできないんだ」というあきらめを教える結果になっていて、それを子どもは差別だったと感じている。2位は医療者、3位は教師、みんな善意で取り上げてしまう人たち。
その後フリートーク。会場から出た発言
「コンフリクトが起きたときに、そこでやめて離れてしまう人と、やめずに続ける人とを分けるものは何だろう?」
渡辺さん「一言では難しいですよね。だからこんな分厚い本になってしまう(笑)」
・・・たしかに。みんなその辺を悩むんだなぁ・・・と共感した。
ブラックジャック的な『治せる』医者をヒーロー視する我々の意識も変えないといけませんよね」と渡辺さんが言うと
「いや医者の方も『治せますよ、がんばりましょう』って引っ張ってしまうところがあるから」と河原先生が返し、石井さんも筋ジストロフィーの宣告前は「大丈夫です、治りますよ~」と言われていたと話された。
筋ジストロフィーは、日々「できないこと」が増えていく病気なので、具体的にできない動作が増えるごとに、対策(別の動きを考える・いまできる動きを維持する理学療法を行う等々)を考える、それは本来QOLの質を上げる/維持するための対策でしかないのに、それを「治療:治る」と勘違いするからおかしくなってしまうんだ・・・という話がそのまま会場で続き、石井さんの生活上の具体的なエピソード、彼女の話から性の話・・・・・・と、短い時間でしたが、中身の濃い話が続きました。
個人的には、河原先生の
「CureからCareへ」の話が印象に残りました。病気や障害を「治す」・・・と安易に言うけれど、「治す」の中身をどう考えてその表現を使っているのか、そのあたりを問い治していくことが「医療モデルvs社会モデル」を考えるための前提かなと。
もう一つはコンフリクト→関係性が切れる/深まる その境目にあるものは何か、ということ。これはたぶん、一生続く問いかなぁと。介護だけでなく、人権課題に関わる限り。関係を切るというか、その関係から(当座でしかないとしても)逃げ出すことのできるマジョリティと、逃げ出しようがないマイノリティという、非対称性の問題もそこにはからんでいて、非対称性を自覚している人はとどまる(自覚しているだけでなく、それを解消する方法/社会構造の変革を考えている人?)んじゃないかなぁと思うけれど、確信はない。「ここで離れたらダメな気がする」感性を育むのが、人権教育の仕事かなとも思う・・・・・・。
とりあえずのメモと感想で。
《元のnoteについたコメント》
石井誠は、親友であり、介護し、される関係でした。
福祉に携わる上での原点を確認させてもらえました。
貴重な投稿をありがとうございます。
福祉の現場に流れる考え方は、その人の携わってきたベースが何かで相当変わってくると感じるので、何が正解かわからない部分がありますが、少なくとも私にとっては、石井誠や森修さんとの関わりが原点ですね。
映画自体への関心はそれほどでもないのですが、職場の人(福祉関係)への話のタネにするために、観に行ってみようかな。
柏原キャンパスの新新寮、当初は「全部屋個室にする」と90年代に大学側が表明していましたが、最後の五月ヶ丘寮生たち(僕もまだいました)が『「障害」のある学生や外国籍の学生なども安心して生活するためには複数人部屋も必要だ』という申し入れを大学側に伝えて1階にいくつか2人部屋を作らせた(1人部屋の間の壁をとっぱらう設計に変えさせた)交渉がありました。
その2人部屋に石井誠が入ったという話を聞いた時は、最後の交渉で訴えていったことが形になった、と心が震えたことを覚えています。
(その後はあらためて壁が作られて個室になったという噂も聞きましたが…)
ぼくが入ったときは、ペラペラの簡易の壁がありまして…結構音漏れが半端なかったです…笑笑
あの寮がなかったら物理的に学校に通う(?)ことはできなかったので、とても大切です。
お会いしたことはないけれど、同じ部屋に車いすユーザーとして住んでたぼくとしては、何かを考えられずにはいられない。
なんとなく、当事者として子どもと関わる時は、「子どもが望む」を一番はじめにおけるのだけれど、それが支援者(と呼ばれる状態)になったときに、「こうあるべき」とか、「そんなことをしたら危ない」とか、が判断の邪魔をする。そんなものを一番嫌がってきたのは、自分なのに、そんなことを考えていたりして、頭の中でコンフリクトを起こすのがここ4、5年…です。