わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

ねずみ年の11月に

今日は、私が親になった日です。

2回り前のねずみ年。

もうすっかりでかくなっちゃって、あんなのがどうやっておなかにいたんだろう(笑)…子どもを産んでから、どんな強面の人を見ても「この人も最初はちっこくてふにゃふにゃだったんだなぁ」と思うと笑いがこみあげてくるようになったのはいいことだと思う(笑)

 

心から、私を親にしてくれてありがとう、と思う。人生がだいぶ豊かになった。

(とはいえ「結婚して子ども産んで一人前」プレッシャーの強い世の中で、そうでない人生を生きている人には、だからこその豊かさがあるとも感じる。どっちが豊かとかそういう問題ではないということは声を大にして言っておきたい。そして以下に書くことは育児のなかだけで気づいたわけではなく、私がなんやかんや子どもにかかわる仕事で生きてきたことも大きいと思うので、「だから子どもを持つのは素晴らしい」と短絡されると困るな…とも思いながら書きます)

 

私が個人的によかったなと思っているのは「子どもができると親のありがたみがわかるよ」の逆で、親の欺瞞というかズルさというか、そのことによって自分にかかっていた呪いみたいなものに気づくきっかけをたくさんもらえたことかな、と。おそらく親も「親たるものこうあるべき」呪いにかかっていて、でも「あるべき」が実行できないジレンマとか劣等感とか、あったんだろうな(主にお金の問題で)。そしてそれを正直に「無理だ」とか「苦しい」とか、助けを求めることができない人たちだったことが、子どもに妙な形でぶつけられてたよな…とか。

自分の子が大きくなって、いまは家から少し離れているのだけど、そんな段になってようやく、私自身が「娘・長女ロール」に縛られている自分に気づいて、この数年で意識して「下りよう」と決めた。意識していてもロールに引き戻そうとする圧力はこもごもかかってくるものだけど、父も亡くなって、ようやく下りられるかな、ホントに。と思っているところで。

父はそもそも親ロールの自覚があるのかも怪しい、かといって子どもと対等に向き合うわけでもなく…とにかくコミュニケーションが取れない相手だった(私にとって)。だから、父に対する娘ロールは多分に世間体だったけれど、母に対するそれはなかなか強固で複雑だった。信田さよ子さんの『ザ・ママの研究』を最近読んで「うわ、これを10代のときに読みたかったぜ…」とちょっと泣きそうになったけど、「子どものためにがんばる母」「なんかかわいそうな母」だから「私は良い娘でなければ」的な呪いにがんじがらめだったよなぁと思う。思えば結婚披露宴だって(届けも出さない事実婚だったくせに 笑)母の自尊心を満たすことが目的だったかもしれない(その当時としては留年したりのご心配をかけた分だけ一回安心してもらった方が良いから、と考えてのことだっだけど)。私がやりたいこと、やろうとすることに逐一干渉し、コントロールしようとしてうまくいかないと拗ねるという繰り返しだったのに、正職として就職して結婚したら、そんなことは全部きれいさっぱり忘れられて「自慢の娘」になってしまい、私はそういう母に呆れながらも、孫の世話を焼いてくれる分には有難く焼いてもらって、そのおかげで仕事をやれていたわけだから、呪いの共犯関係みたいなものだ(そして母が亡くなったから共犯関係が終わって、こうして冷静に振り返っているけれど、いまも生きていたらこんなふうに気づいていられたかどうか、実はよくわからない)。

 

自分が親になったとき、「子どものためにしてやっている」的な行動はとるまいと、それだけは固く心に誓った。呪いの正体には気づいていなかったけれど、「子どもがいるから我慢する」みたいな生き方は子どもにしたら迷惑でしかないということだけは気づいていた(それは学生時代にフェミニズムに出会ったおかげ)。おかげさまで、たぶんうちの子は自分のために母に何か我慢させてしまったのでは? 的なことはまったく考えていないと思う(思いたい)。

外形的に見れば、子どもがいるから制約される部分はもちろんあったわけだけど、子どものために自分のキャリアや時間を犠牲にしたと思ったことはない。自分が子どもと過ごしたいから、時間の使い方や仕事の受け方が変わった。それだけのことだ。私一人で子育てしたわけでもないし。0歳児と二人きりで長時間過ごさざるを得なかった育休時期は、つらかったけど、つらかったことはあんまり覚えていない。それよりもむくむく大きくなる赤ん坊に驚いておもしろかったなーの記憶が強い。親孝行って、もうこのおもしろさで十分じゃないのか? といまでも思っている。

 

そんなふうに、子どものやることなすことおもしろがっていた。想定外のことをしでかされて、頭に血が上って怒鳴り散らすみたいなこともあったけど、そのたびに「私ってこういうことで切れてしまうんだな…」と一人反省会というか、自分の内面のもろもろを発見する感覚があって、いろんなことに気づかせてもらった。いちばん大きな気づきは、私は小さい子どもが好きだけど相手するのはそんなに得意ではないし、どうやら向いていないということだった。なぜか自分は子ども相手が得意だと思いこんでいたんだけど、それは長女で妹が二人いて、親戚の小さい子の相手をさせられることも多かったから単に慣れていただけ、そしてそれを母から繰り返し「アンタは子どもの相手がうまい」とか「さすがおねえちゃん」とか言われて、そう信じ込んでしまっただけだなということに気がついた。たぶん幼い私にとって、それは家族のなかで私がつくべきポジションで、そういう期待に応えることが居場所の獲得だったのだろうなと思う(と、ここまで掘り下げて気づいたのは本当に最近)。そして、男だったらこうはなってないよな。「子どもが好き」=女子の魅力みたいな。そこの呪いもシンクロして、呪いは深く強く食い込んだのだろう…と思う。

 

頭に血が上る、腹が立つ…ときって、だいたい、自分の思惑通りにいかないときなんだよね。要は子どもと子どもを含む状況を自分がコントロールできるつもりになっているときに、腹が立つ。でも、そもそもコントロールなんてできやしないのだ。「私って強欲…」「私って我儘…」と自分の支配欲の強さにいまでもびっくりするという懲りない私(笑)でも、強欲さとか我儘さとかを「ダメなもの」として封印しようとしてきた母の生き方よりも、「私って強欲だなー」と呆れたり笑ったりしながら、支配欲だけはダメだぞ、とときどき念を押しながら暮らす生き方の方が、きっと楽だ。我慢は、他人にも我慢を強いる。

(とはいえ、「我慢しない」を肯定し続けたらこういうヤツになるのか? と思えてしまう、子どもの諸般の言動に「もうちょっと我慢しなさいよ」とか「もうちょっと気を遣えよ」と小言を言いたくなる自分に気づいて、また反省… 笑)

 

親ロールも、そろそろ下りちゃおう。そして、

改めて小さな子どもの私をぎゅっと抱きしめて、「もういいのよ、我慢しなくても」と言ってあげたい。親に気を遣ったり、何かを我慢して周りに譲ったり、そんなことしなくていい。「私はこうしてほしい」と言えない子どもを一人でも減らしたいなと思うし、「子どものために」でがんじがらめになって辛い気持ちでいる親も減らしたい。我儘をぶつけ合って「なんだそりゃー」と笑って妥協点を探せれば、それでいいじゃん、ね? 言う前にしまい込んでしまわないように。そういう世の中をつくりたい。