わったり☆がったり

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「授業の質」ってなんだ

オンライン授業始まって1ヶ月。

来月半ばあたりから、実技系の授業は一部対面授業に切り替わるらしいです。良かった。

 

とはいえ、私の担当授業は切り替わらないんですけど。

 

さて。今日はちょっとモヤっていることを書きます。表題の通りです(笑)

 

経済的にしんどくなっている学生さんがいることはよくわかるし、やっと支援策出たか…と思いきや、そこに成績での選別を持ち込む文科省はバカなのか、と怒りの署名をしたりもしているのですが、一方で、学生さん側からの「授業料減額要求」の訴えのいくつかを拝読するに、うーん。と引っかかってしまうのが、

「対面授業よりも、あきらかに授業の質が落ちているのに、同じ額はおかしい」という主旨が散見されること。

 

授業の質って、なんだろうか。

個人的に、そんな理由づけを捻り出さなくても、シンプルに「生活が苦しくなってるのに、こんな高額払えません!」と言えばいいのになぁと思うのです。

 

前にも書いたとおり、対面でなければできないことはたくさんあって、私個人も、オンラインではこれは無理、と諦めた内容がいくつかある。でも逆に、オンラインだから試せること、オンラインならではの良さみたいなことも少しずつわかってきて、対面授業に戻っても、オンラインを併用できればいいなぁと思ったりしている。

(ただ、大学の方が「この回はオンライン実施にします」しかも授業時間同期ではなくオンデマンドで行うことに同じ時給を出す度量があるかどうかという問題がある。あと、それを学生の出席と認めるかどうか)

 

対面授業と同じことができないからといって、直ちに「授業の質が悪い」と断じる根拠がどこにあるのだろう。

100歩譲って、実技系、演劇とか演奏とか、スポーツとか、感染リスクの高い形態の指導が受けられないのが残念というのはわかるけど、それにしたって感染リスクを避けるためには仕方がないわけで、授業の質が落ちた、と抗議される話ではないですよね。そしてそんなことは学生さんたちもわかっているはずだし。

 

前々から疑問に思ってることではあるんだけれど、最近の大学は(高校もか)授業終了時に「授業評価アンケートなるものを学生に書かせる。私はそれとは別に15回分まとめてふりかえって気づいたことを書いてね、というのをやるので、正直建設的な意見は被っていて、匿名だからかける悪口的なものしかメリットがない気がするのだけど(苦笑)、匿名だから書けることにしても、教務課や学生課、講座主任などの第3者が読んで、問題事案を見つけて対処するというならともかく、授業担当の本人しか読まないアンケートに意味があるのかなぁと思う。例えば「先生のあの発言はセクハラだと思います」と告発されたとして、反省できるかなぁ………って話です(学生時代に教員の差別発言に抗議しに行ってた経験からいっても、発言の記憶があるうちに授業のどんな文脈の中でその発言があったのかを発言した教員と確認しておかないと、何がダメだったのかを検証して反省して再発防止になる、というところに辿り着けない。し、それだって第三者が介入して「おかしいですよね」と考える時間をつくるということをしていたわけで、指摘だけやってどう考えるかは教員の良心任せでは、なんも改善されない…)

話が逸れましたが、

建設的批判にせよ、抗議にせよ、単位を取得したら、その学生はその授業をもう受けないわけです。だから、自分が伝えたことが役だったのか無視されたのかもわからないわけですよね。………そこがいちばん、私の「意味あるのかこれ?」と思うところです。

 

同様に、このオンライン授業についても、学生さんは前年度の同じ授業がどんなものだったかを知らないはずなんですよね。もちろん、先輩から聞いて楽しみにしてたのにーということはあると思いますが。だったら、質が落ちたかどうかなんて、どうやって測ったの?という話になる。

 

Twitterで「教科書のページを指定して、読んでまとめろだけの課題出してる教授って、今まで授業で何喋ってたの?」という書き込みをみたけれど、今までは教科書読まずに教授の喋りだけに頼って授業を受けているつもりになっていた学生さんもいるんじゃないのか?と突っ込みたくなってしまった(笑) 私もこれを機会に教科書をしっかり読み込んでもらおうと思って、まとめなさいの課題を出しておりますのよ(ははは)

 

授業を作っている側としたら、いつもの倍以上時間がかかってしまうのが実情で、なんならオンライン手当て出せや!と叫びたいぐらい。教科書を読んでまとめなさい、と課題を出せば、そのチェックにも時間を取られます。喋っているときはそれもしなくて済んでいたんじゃないのかな。手抜きどころか、仕事増やしてるのよ。

 

ということが、学生さんからはわかりづらいというのは仕方がないし、責めるつもりもありませんが、「授業の質」というのであれば、なぜそう感じるのか、そしてその直感は正しいのか、ということも突き詰めて考えてみてほしいなぁと思ったりするわけです。自分が思い描く授業と違う、かもしれないけれど、それはこの事態のなかで当然とも言えることで、条件の違うものを、まして思い描いたイメージのものと比較されて「質が落ちる」って、科学的態度ではないと思うんですよね。

 

かくいう私も、自分が担保したい質とはなんなのか、日々検討しながらやっています。大事なのは、そういうことじゃないのかなぁ。