わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

何もなかったかのように…?

何もなかったかのように、元にもどろうとしてんじゃねーぞ。と叫びたくなる今日この頃(笑)

1か月少し前、こんなことを考えていたからなおさら。

もしも「コロナ世代」と呼ばれるとしたら。 - わったり☆がったり

 

もちろん、ぜんぜん元通りになんて戻れてはいないし、第2波にだって警戒しないといけない。だから元に戻ったわけでもないんだけれど、

学校まわりの様子を見ていると、元通りになんて戻れないのに、

「授業時間を取り返すんだ!」と、そこだけは元の授業時間に戻る…というか欠けた分をきっちり埋め戻すぞ!みたいな動きが当然のように行われていて、愕然とするわけです。結果、朝読書の時間がなくなったとか、7時間目まで授業してるとか、夏休みは2週間で我慢しろとか、それでも足りない分は家でがんばれとか…

 

あり得ない。

 

子どもをなめている。子どもになら、大人の都合で何を押しつけてもいいと思ってるだろ!

そして、子どもを出しにして「だって学力が低下したら受験で困るし…」などなどと迫れば黙って無理をしてくれる教員の人の良さにつけこんでいる。

 

こういうのを「あこぎ」っていうんだぞ。

 

でも、私も高校の現場で働いていたし、その当時から学習指導要領の隙間をついて、自分の好きなように授業を構成していたから言えることですが、

「授業時間が減ったから学力が落ちる、授業が遅れる」は短絡的すぎると思います。

年間35週×週当たり授業時数というのを目安に教科書は編集されていて、オマケでついてくる指導書(現場ではこれがメインだったりする)にも、そういう目算でつくられたモデル指導案が載っているけれど、それはあくまで教科書会社の提示する「案」の一つに過ぎないのであって、この学齢のこの時期までに何を習得させるのかということをつぶさに見ていけば、必要最低限のことって意外と絞り込まれているのです‥つまり、教科書の通りにやらなくても、指導要領で示すところの目標には達することができるはず。だいたい、1回説明すればどんな子どももパーフェクトに到達できるなんて魔法のようなことは起きっこないのだから、時間割にも年間のスケジュールにも、反復練習の時間を取るための余裕が少し織り込み済みになっているはずだ。そういうゆとりというか、あそびのないキチキチの計画が年度当初に立っているとしたら、それこそあり得ない。そんなわけないじゃん。と私は思うのです。

 

7時間目をやることで、計算上、コロナ休講で消えた〇時間を〇日間で取り返せます!という算数はわかりやすいかもしれないけれど、勉強ってそういうもんではないでしょう?……1日中マスク、給食時も無言、手洗い、うがい、検温、などなど、がんじがらめなうえに7時間目まで機械的に詰め込まれた子どもが、主体的探究的に学んだりできると思いますか? 単に形式的に時間を消費するだけで、学習はから回って、ただ時間の浪費でした。ってことにならないのかなぁ。そっちの方が心配。

 

休校のときも、子どもの意見も現場の意見も聞かずに勝手に決め、

いまもまた、子どもの意見も現場の意見も聞いていない。

「主体的探究的で深い学び」の指導要領が泣くぞ。

 

…と、ちょっと吐き出してみました。

言いたいことがいっぱいあるけど、オンライン授業準備に追われて、まさに忙殺状態。

オフラインがじわじわ戻り始めたら、そっちとのバランスが難しい(苦笑)

後期は、このバランスをどう取るかという話になるんだろうなぁ。

前期のいろんな苦労話をちゃんと集約して、現場を支える裏方として、文科省が機能してくれることを切に願います。