わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

(2014から引っ越し/2010年筆)「なまえ」について

いまこそ「本名を呼び、名のる」ことをテーマに~在日外国人教育の読み物教材考~(『解放教育』2010年10月号掲載)

  一、読み物教材をふりかえる ~私の『にんげん』読書歴から ~ 人権学習の読み物教材 ~

大阪の小学生だった私にとって、真っ先に思い浮かぶのは『にんげん』である(解放教育読本『にんげん』誕生は一九七一年、私の小学校入学は一九七三年)。学校で教材として読んだ記憶はなく、家で読む “掌編物語集(アンソロジー)”だった。

しばてん』(田島征三)『ふたりのデェデラ坊』『ばんざいじっさま』(さねとうあきら)『おらたちにゃ口はねえだに』(松谷みよ子)といった児童文学作品、「クレヨンはぬすんだのじゃねえ」「いっぺんどなったろか」といった教材との出会いは、私の人間観・子ども観の根を支える“土”になっている。図書館や書店で読み物を選ぶ際の、私の好み・志向から少しはみ出す作品群が詰まっていて、私の読書体験を広げてくれる“掌編物語集(アンソロジー)”でもあった。

読み物教材には、①教材として授業者によって学習者に届く“パワー”と ②読み物として直接読者に届く“パワー”があると思う。高校で国語教師をしていたころ、読書習慣がない(朝読書中に「わあっ」と叫ぶので何かと思えば「話が進まへん思(おも)たら、同(おんな)じとこ三回読んどったわ!」「わかるぅ」「あるある!」という)生徒相手にどんな教材を使おうかと考えるのは、年度初めの楽しい作業だった。一応学習指導要領は遵守しつつ①の仕事をするわけだが、そのためにも「もっと読みたくなる文章かどうか」を吟味し、②の“パワー”がある教材を探すのである。何度読み返しても発見を味わえる“パワー”教材を見つけるとわくわくする。生徒と一緒に再発見した古典や近代文学の“パワー”もたくさんあった。 思えば、『にんげん』には“パワーのある文章”が多かった。本稿では『にんげん』の教材を手がかりに、在日外国人教育の読み物教材について考えてみたい。  

二、〈あすから本名で生きよう〉(『にんげん5』新訂版所収) ~「本名を呼び、名のる」をテーマにした長寿教材~

在日外国人教育といっても、内実は長らく在日コリアン教育だった。一九八〇年代まで、日本に暮らす外国籍者のほとんどが旧植民地をルーツにする人びとであり、教育現場の課題も、在日コリアンに対する差別や日本人の植民地認識の問題等に自然と絞られたからだ。 ※『ムグンファの香り』稲富進(亜紀書房一九八八)等参照

〈あすから本名で生きよう〉は、一九七六年に旧版『にんげん5』に初登場し、二〇〇一年まで掲載された長寿教材である。朝鮮人であることを友だちに隠す主人公重広(チュングワン)の葛藤、日本人の友だちが侮蔑的に「チョーセン」と発言したことを契機にしたケンカ、父親が語る一世の祖父の話(朝鮮語禁止・創氏改名等の支配政策に対する抵抗、渡日の経緯、日本での労働等のエピソード)で構成され、二世の父親が「あすから、ちゃんとチュングワンと呼ぶからな」と言い、重広(チュングワン)が「チョヌン キム チュングワン インミダ(私は金(キム)重広(チュングワン)です)」と何度もつぶやく場面で終わる。タイトルが「あすから本名で生きよう」だから、重広(チュングワン)はそう考えているはずだと読み手は思ってしまうのだが、実は重広(チュングワン)本人は一言も決意表明をしない。これがこの教材の“パワー”である。寝つけずに「チョヌン キム チュングワン インミダ」とつぶやく彼が、実際に「あす」学校でそう言えるのか。言えたとして、「チョーセン」発言をした日本人の友だちはどう受けとめるのか。重広(チュングワン)の意志を尊重し、「チュングワン」と呼べるのか――等々が、実は読み手の想像に任されている。授業で読むなら、この部分を核にして自分の仲間関係を考えることへ広げたい。広げられる教材である。

この教材の背景には、一九七〇年代の「本名を呼び、名のる」教育運動がある。朝鮮人に「創氏改名」を強い、植民地時代が終わって尚「日本名」でなければ生き難い差別の実態を残してきた現実に、日本人マジョリティが「本名を呼ぶ」行為を通して向き合う――在日コリアンが「本名を名のる」行為を「朝鮮民族の誇り/自覚」のみに依拠させない、いわば日本人側の歴史認識と意識変革も問う教育運動だった。つまり在日コリアンの「本名」を軸に、「呼び、名のる」相互の関係性を問うのである。〈あすから本名で生きよう〉でも、在日コリアン側から歴史や思いが語られ、「本名を名のる」正当性が訴えられるが、より重要なのは重広(チュングワン)が「あすから本名で」生きていけるか否か、描かれていない後日談の方であろう。重広(チュングワン)と彼を取り巻く人びととの「呼び、名のる」関係性がどう展開するのか、物語の続きを考えてもいいと思う。

初めて読んだ五年生のときは、コリアンや華僑の友だちの名前と重広(チュングワン)が重なるようで重ならなかった。中学二年生の秋、友だちから「明日、(外国人)登録行かなアカンから学校休むねん。うち、韓国の名前は○○っていうねん」と言われ、「じゃあ家では〇〇って呼ばれるん?」等々と話をし、高校生になって、朝鮮中級学校から進学してきた李(リ)くんや、本名宣言をして「金海」をやめた金(キム)くん等々と出会い、そして重広(チュングワン)を思い出した――「私がちゃんと呼べるかどうかが勝負や!」 授業で使うことも大切だが、よい読み物を子どもに届けることそのものも大切だと切に思う。少なくとも私は『にんげん』に出会えたことそのものに感謝している。  

三、〈わかってくれるかな〉 (『にんげん3・4 ひと ぬくもり』所収) 〈願いが込められた私の『名前』〉 (『にんげん中学生 ひと きぼう』所収) ~「名前」から考える日本社会の未来と人権~

二十一世紀を迎え、『にんげん』は大幅にリニューアルされた。〈あすから本名で生きよう〉は退場し、〈わかってくれるかな〉と〈願いが込められた私の「名前」〉の新教材が登場する。新旧の大きな違いは「創氏改名」等の歴史記述がなくなったことである。 〈わかってくれるかな〉の主人公は日朝ダブルの日本国籍の子どもで、国籍や名前だけではルーツがわからない子どもが増えた教育現場を彷彿させる。「『大谷健一』と『キム・コンイル』/ぼくの中の日本と朝鮮。/どちらも大事なぼく自身。」という結語が示すとおり、「どちらか」ではなく「どちらも」大切にしたいという主題である(本文中に「どちらか」という表現は出てこないが)。私が授業をするなら、オリンピックやワールドカップになると外国にルーツのある人に対して必ず出る質問「日本と〇〇、どちらを応援しますか?」(事例はテレビでも新聞でも容易に見つかる)と合わせて、「か(選択)」と「も(並列)」の違いを子どもたちと考えてみたい。「わかってくれるかな」と言っても、「うーん。よーわからん……」となりそうだが、いま・ここで即座にわかる必要はないと心積もりし、「わからんなぁ」と言い言い、何度も読んでみよう。「主人公にはどちらも大事なんだな」と受けとめ、「わかろう」とし続けること。時間をおいて読み返すたびに「ちょっとわかったかも!」と思えるようになってほしい――私は、そう伝えたい。この文章は、読むたびに自分の成長・変化を感じとる“ものさし”になれる “パワー” のある文章だと思うからだ。前述の私のように、何年も経って唐突に「わかる」ときがくるのも、読み物とつきあう楽しみである。

〈願いが込められた私の「名前」〉は、在日コリアン三世の「私」が高校時代の体験をふまえ、読者に向けて思いを綴る教材である。「私」は、家族・親族を通して朝鮮文化にふれつつ「日本の名前」で暮らしてきた人物で、〈あすから本名で生きよう〉の設定と似ている。しかし「本名」の問題は日本社会・日本人との関係からではなく、アメリカ留学経験から語られる。旅券記載の「本名」――ふだん使用しない「本名」を使わざるを得ず、そのことも含めて「自分の民族のこと」を何も知らないために「くやしい思い出ばかり」となった経験から「……『自分の民族のことを勉強して必ずここに戻ってくる。』と心に誓い、アメリカを後にしました。/日本に戻り、(中略)同じ立場の仲間と本音で話し合うことができ、名前のことについてもたくさん議論しました。」と帰国後の生活、母親への思い……と、「本名」を名のるようになった経緯が語られ、「みなさんも、自分の名前に込められた思いを知り、『自分』を好きになってくださいね。」と結ばれる。つまり「どう名のるか=自分をどう表現するか」という文脈で「自分の名前=自分自身」を大切にしてほしいというメッセージが発信されているのだ。もちろん「私」が「本名を名のる」ことにはルーツへの思い入れがあり、そこに歴史認識も関わるはずである。しかし叙述はあくまでも「自分の名前に込められた思い」を鍵に自分をふり返り、まわりの人びと・家族を思うことを軸にしている。マジョリティ・マイノリティ問わず、「自分がもし(自分が帰属する国や文化について異文化の相手から)あれこれ聞かれたら、説明できるか」「自分の名前に込められた思いは何か」と、考えながら読める教材である。 ここには、日本人=マジョリティという固定した観点から、誰もが世界中のほとんどの場所で「外国人」である――日本人も、日本にいる限りはマジョリティだが、一歩外に出れば「日本/日本人/日本文化とは何か」を問われるマイノリティなのだという可変的な観点への脱皮がある。国境を越えるまでもなく、多様な人びととのつきあいの中で個々のアイデンティティが問われ、多様性のある社会で異なる文化背景を持つ人びと同士が共に生きていくためのスキルが求められる二十一世紀。そんな時代を生きる私たち。在日コリアンの「名前」という古くて新しい問題をステップに、あらためて「名のり・名づけの文化」を考えてみたい。〈願いが込められた私の「名前」〉を読んで、多様性のある世界への扉を開いてほしいと思う。  

四、「名のり・名づけの文化」という視点で ~多様な「本名を呼び、名のる」関係づくりへ~

そうはいうものの、前項の二つの教材には在日コリアン教育が大切にしてきた「名前」を巡る歴史の説明がない。そこは授業者に補足してほしいという願いも込めて、補足する場合に考えたいことを書いておく。

若い先生や学生に聞くと、「創氏改名」を「知っている」と言いながら、「名前を日本風に強引に変えさせた」という知識しかなく、「過去の日本はひどいことをした」という感想で止まっている場合がほとんどである。なぜ「名前」を標的にしたのか、「名のり・名づけの文化」を視点に考えてきていないので、現在の私たちが「本名を呼び、名のる」必然性、在日コリアン以外の文化的・民族的マイノリティの「名前」に対する洞察につながらず、「過去の日本は」と紋切り型の思考停止に陥っているのだ。

歴史的には、朝鮮に四十年近く先立つ明治初期、アイヌ民族に「日本式氏名での戸籍登録」を強制したことが「創氏改名」政策のスタートだった。沖縄でも標準語奨励運動の延長上で「内地式改姓名」キャンペーンが展開されていく。私は、日本が近代国家をめざす過程で、アイヌ民族琉球民族を「日本国民」にするための同化政策を考案・実施し、それが植民地(朝鮮・台湾)に応用されたと考えている。朝鮮人だけに「創氏改名」を強いたわけではなく、大日本帝国領域内のすべてのマイノリティを対象にマジョリティ日本人への同化をめざしたのだ。「創氏改名」政策はマイノリティの「名のり・名づけの文化」・家族観・先祖信仰等の精神文化を破壊した。なぜなら「日本式氏」は戸主を頂点とする家父長制「イエ」のインデックスであり、明治政府が国民管理の方法として整備したものだからだ。「日本式氏」は、戸主を中心に結束すべき「イエ」という家族観(天皇を中心に結束する大日本帝国という国家観)の象徴でもあった。たとえば朝鮮の「姓」は血統に付随し、原則として一生不変(夫婦別姓、同姓同族間でのみ養子縁組)である。これは「イエ」に付随して変わることが珍しくない「日本式氏」と大きく異なる。朝鮮の「姓名一生不変」伝統・家族秩序と合わない「日本式氏」のあり方、「日本式氏」によって象徴される家族観=国家観(天皇観)について学ぶことで、「創氏改名」を朝鮮人に徹底することの難しさが想像でき、難しさゆえに何らかの強制力が働いたことを推察できるようになる。それだけで、教科書の字面として「名前を日本風に強引に変えさせた」と知ることとは、天と地ほどの認識の違いが生じるだろう。「創氏改名」を朝鮮との関係・過去だけの問題に閉じ込めない授業を創造してほしい。  ※『創氏改名』水野直樹著(岩波新書)参照

さらに、身近な外国人の名前にも目を向けたい。ブラジル人(イスパニア語文化圏)の名前は、本人の名と両親のルーツ・信仰等の複数要素から成る。田中マルクス闘莉王選手の帰化前の本名は「マルクストゥーリオ・リュージ・ムルザニ・タナカ(Marcus Túlio Lyuji Murzani Tanaka)」で、構成要素は「名・洗礼名・父の名・母方の姓・父方の姓」である。ところで、あなたの隣にいる日系ブラジル人はどうだろうか。日本人が覚えやすい部分だけを抜き出して「田中りゅうじ」と名のっていないか。東海地方の友人から、日系人児童に対して学校が勝手に日本風の「田中りゅうじ」部分のみを名簿記載し、名札を作ってしまうことが珍しくないと聞いて憤慨したことがある。子どもの「名のる」権利はどうなっているのか。「創氏改名」を性懲りもなく繰り返すのか。夫婦別姓が当然の家族もあれば、モンゴルのように「苗字(家族を指す名)」がない文化もある(たとえば横綱白鵬関の本名は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」、お父さんは「ジグジドゥ・ムンフバト」。ダヴァジャルガルが白鵬関の名、ムンフバトが父の名、ジグジドゥが祖父の名)。日本式「氏名」の形式が世界標準ではない。どの形式も大切な文化であり、どう呼んでほしいか・どう名のるかは、その人の文化的アイデンティティに関わるのである。日本社会の便宜で決められることではない。 それぞれの「名のり・名づけの文化」を尊重し、お互いの文化を楽しみ、「本名を呼び、名のる」――そんな姿を描く教材が、そろそろ誕生しないだろうか。