わったり☆がったり

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名まえを「呼ぶ側」として考える、「本名を呼び名のる」

7月20日産経新聞にある記事が出ました。イライラモヤモヤしていたのだけど、このブログを読んで、応答しなければ…という焦燥感が出てきました(と思いながら1週間経過……。このブログ主さんを一人にしたくない。そして、民族名を「名のる・呼ばれる」側の人たちだけを矢面に立たせたくない、と思いました。

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…とはいえ、いざ書こうとなると「余計なこと」をいろいろと考えざるを得ず、何をどう書いても民族学級を潰したがっている人たち、日本以外につながりのある言語や文化、歴史を学ぶ権利保障を日本の公立学校で行うことに反発する人たちに利用されて消費されてしまいそうな気がして、まさに「想像と逡巡」にグルグルしてしまい、時間だけが過ぎて余計に焦燥……

 

ちなみに、現在は文科省も海外につながる子どもたちが「母語・母文化に触れる教育機会も保障すべき」と明言しています。参考→ 外国人児童生徒受入れの手引き:文部科学省 とはいえ、日本の学校は「日本人民族教育の場」であることはゆるぎない(マジョリティ日本人は自覚が薄いけれど、学習指導要領に沿っていればそうなります。そしてそれは大和民族、日本の中でもさらにマジョリティ・中心に位置してきた人たちの歴史と文化を基調にしているので、中央から遠い人たちほどないがしろ…)

そして、文科省がいうところの「母語・母文化も大切に」というのは、「国際人の感覚を備えた次世代の育成」だの「バイリンガル人材の育成」だのといった、子どもや親の権利という視点ではなく、経済界の都合/国益に資する人材が欲しいというエゴが見え隠れするものに過ぎないので、グローバル化がどうこう言われ始めるよりもずっと以前から、植民地支配の時代に異文化を蹂躙して大日本的国の臣民に組み込もうとした日本へのカウンターとして始まった民族教育、宗主国大日本帝国に奪われたものを取り戻すぞ!の意気で始まった歴史がある「民族教育」の再評価や保障につながるものではありません(これまでも「国際理解」といったキーワードを利用し、そこに乗っかっていくことで民族学級を守ってきた現場の知恵は、まだまだ今後も必要だろうと私は思っています)

産経新聞の元記事も、根っこにある動機は民族学級潰しであり、少数派の教育権を認めないことを正当化することにあると私は見ています。まず、それが「イライラ」の原因でした。彼らにとって、民族学級の方針に違和感を覚えて「なんか嫌だ」と吐露した保護者や子どもの思いは「利用できる素材」だったに過ぎないのではないか。そんな利用のされ方をしてしまった、この保護者や子どもたちは大丈夫だろうか。学校はどう受け止めているのだろうか…と心配は尽きず、それが「モヤモヤ」の原因の一つでした。

 

大阪で「民族教育」というとき、そこにはいくつかの含意があります。①朝鮮学校をはじめとする、少数派の教育機関で行われている実践 ②公立小中学校の「民族学級(国際学級)」での実践 ③マジョリティ日本人児童生徒もともに学ぶ「多文化理解」「国際理解」文脈での実践 ③´在日コリアンの形成史を含む反差別・人権学習の実践 (③④は「在日外国人教育」「人権教育・外国人問題」という呼ばれ方のほうが一般的かもしれません)

③´に対しても「自虐史観の偏向教育だ」と攻撃の的になって久しい現実があります。そして攻撃したい人にとっては、在日コリアン在日コリアンについて学ぶ場、「民族学級」の存在そのものが「自虐史観」だということになるので、ことあれば潰したいと考えている、「国際学級」という名で、歴史を切り離した「異文化理解学習」や、日本語適応指導をやることには賛成……という人たちがいる。そういう現実を常に目の当たりにし続けていると、民族教育や人権教育の実践に対して、ごくフツーに「あのやり方はまずいと思う」「もっとこうすればいいんじゃない?」とやりとりすることですら、過剰に警戒しなければならないわけです……。これがモヤモヤの原因のもう一つ。私は民族教育を担っている学校や民族講師の先生方に敬意を持っているし、場の存続は必要だと考えるので、「潰したい」欲望に加担はしたくありません。けれど教育活動も人間がやることなので、常にパーフェクトに素晴らしい!わけがなく、不十分さや課題は常にあります。産経新聞の記事に登場する保護者・子どもの声は、そういう不十分さや課題の反映に違いなく、そこは真摯に受け止めるべきだとも考えています。そう考えつつもその記事に対して直ちに反応しづらかった。それは、課題を指摘すれば「潰す」勢力に利用される、その勢力に対抗するためには課題よりも成果、素晴らしさを強調しなければならないと、関係者に無意識的な構えが生じてしまう…という状況があるためです(私もその無意識から自由ではありません)。そんななかで、現場の先生方がもっとも応答しなければならない相手(民族学級に通う/通わないで悩んでいる親子、「名まえ」をめぐって葛藤する親子)に向き合えず、悩みや葛藤が置き去りにされていく、という悪循環が起きているように思います(攻撃する人たちは対話を求めていないし、電話やメールで抗議を殺到させて業務妨害することで相手を疲弊させてあきらめさせる作戦で来る。「表現の不自由展」もそうだったけど、本当に厄介だと思います……)

大阪の「民族教育」「在日外国人教育」の課題については、既に、過去何度かいろいろと思うところを書いています。たとえば、これとか。

 

"カミングアウト”をめぐるあれこれ - わったり☆がったり

なので、内容が重なるところは多々出てくるかも…ですが、最初に書いたように、本名/民族名を「名のる・呼ばれる」側の人たちだけに発信を押し付けたくありません。そこで「呼ぶ」側としての経験をふりかえりつつ、考えることを書いておこうと思います。(ここまでですでにめっちゃ長い…。攻撃する側は一言でいいのに。この1点だけでも不利で理不尽だと思いますよ、まったく…)

「本名を呼び名のる」取り組みが生まれた頃…

私は1973年小学校入学なので「本名を呼び名のる取り組み」が大阪市で始まった、ちょうどその時期がすっぽり小学生です。が、私が在籍した小中学校では、はっきりそれとわかる何かがあったことはなく、ただ卒業式前に証書の名まえをどうするかという話を、担任が該当する友だち(日本国籍でない子たち)としていたことをうっすら覚えているぐらいです。「本名を呼び名のる」取り組みのことをきちんと知ったのは大学生になってから、その取り組みを牽引してきた中学校の先生にたまたま出会い、薫陶を受けたからでした。

とはいえ、その時代の空気感の記憶とともに思うのは、70年代・80年代というその時期、私と同世代の在日コリアンは2世か3世、親なり祖父母なり、とにかくまだ身近で話を聴ける世代の人たちが、創氏改名の時代の記憶をはっきり持っている、戦後の露骨で厳しい差別の時代が記憶でも思い出でもなく、現在進行形でそこにある、まだそういう時期だったということです。もちろんいまも差別はあり、日本人らしくない名まえでも暮らしやすい日本になったとは到底言えない現実は残っていますが。

(1945年に20歳だったとして、1975年は50歳。その当時の小学生の保護者が30~40代と考えると、「戦争を知らない子どもたち」と歌われた世代から国民学校世代までが保護者だったということ)

なぜそんなことを書いているかと言うと、そういう時代に「在日コリアンが本名を名のれない/日本名を使っているのはなぜか」と問いを立て、そこに「民族名を差別せずに敬意をもって接する・呼ぶ」ことができずにいる日本人側の問題があるのだと提起したのが「本名を呼び名のる取り組み」だった、という時代背景は押さえておく必要があると思うからです。そして、「名のる」在日コリアン側の問題だと他人事にせず、「呼ぶ」側の責任・日本人の自分事であることを鮮明にしたいから「呼ぶ」が肝なのだという主張はいまも色褪せないと私は思います。

しかし、ときは移ろいました。80年代まで「在日外国人」といえば旧植民地につながりのある人びと・在日コリアンだった時代は終わり、さまざまな背景をもつ多様なルーツの人びとが日本で暮らすようになりました。国際結婚も増加したし、在日コリアンも4世、5世の時代になり、日本国籍で複数のルーツがある人も珍しくなくなりました。日本国籍はないけれど日本にルーツがある、という人たちもいます。

「本名」は核心ではない。核心は「反差別」

「本名を呼び名のる」には、「日本名(通称名」を名のって暮らす人たちのほとんどが在日コリアンで、かつその日本名そのものに「創氏改名」という日本の植民地支配の刻印がある、という歴史的文脈がありました。だから、実践の中心は「本名宣言」と呼ばれる取り組みでした。在日コリアンの子どもたちが歴史学習や家族史のふりかえりを通して、家族の経験は日本と朝鮮の歴史そのものであること、そういう歴史的存在としての自分を考えること、そのうえで「日本社会で自分はどう生きるのか」その表現として「名のる名まえ」を「本名」にするのだ……。本来、そんなふうに学級や学校全体で歴史や身近な社会について学びつつ、個別具体的に寄り添って「名のる名まえ」を考える、そしてその思いを「本名宣言」という形で発信し、「呼ぶ」側の子どもたちがその発信をどう受け止め、関係性を築いていくのかという「関係づくり」に軸があったはずでした。

ところが、学校によってこの取り組みの深度はまちまちでした。大阪市として「本名を呼び名のる取り組み」の推進、学籍簿や卒業証書などの書類への「本名記載」推進……という行政からの後押しもあったため(注:当時の大阪市教育委員会がこの推進の判断をし、実施したことへの異議はありません)、日常的な取り組みはほとんどしていないのに、卒業式前に「証書の名まえどうする?」と突然話が始まる、という学校も少なくはありませんでした(ちなみに私の母校はそうでした。個人的には私も「西暦の卒業証書」がほしかったので、なんで外国人だと西暦が選べるんだろう、ええなぁとか思っていました 苦笑。要は日本国籍でない子どもたちだけの課題で、まわりの日本人の子どもたちは蚊帳の外。「呼び」が飛んで「本名を名のる」だけです……)。

元の主旨を踏まえるならば、大切なのは「名のる」当事者である子ども自身が「どう呼ばれたいか」「自分自身を表現する名まえとして、何を選ぶか」が重要だということになります。もちろん、保護者の理解や同意も必要ですが、もっとも大切にされなければならないのは子どもの意志。だからこそ「思いを受けて本名を呼ぶ」行為が、その意思を尊重する態度として「名のる」を支えるものにならなければならない。「本名を呼び名のる取り組み」の芯を理解する人たちには、この考えが共有されているはずです。

でも先述したように、芯を理解せず、形式的に「本名を名のるか名のらないか」だけで行われてきた実践もあったし、いまもあります。私が高校生の頃、「本名は民族の誇り」だといい、在日コリアンの生徒が本名宣言をすることは「無条件に良いこと、素晴らしいこと」だという教員たちに、「名のった後の俺の生活をアンタらは保障できるのか。進学や就職で俺が差別され不利益を被ったらどうするんだ?」と真っ向から異議申し立てをした在日コリアンの先輩がいました(卒業式前、本名で卒業証書を受け取る生徒の連名でつくられた「本名で卒業します」という文書の配布に対抗し、校門前で数人の友だちとビラを配布。そこには日本社会が「朝鮮の名まえ」に対していかに差別的で冷たい対応をしてきたか、しているか、その先輩や家族の経験が書かれていました)。私はその先輩の言うことはもっともかもしれない…と思い、教員たちがどう応答するのかドキドキしながら推移を見ていたのですが、何の応答もされないまま春休みになりました。あとで朝鮮文化研究会所属の友だちに「あれってどうなったの?」と聞いたら「そういう考え方もある、で終わった」と言われて、一気に不信を覚えました。友だち(高校1年の最初から民族名だった)は「そりゃ、差別はあるけど、差別する奴が悪いから。私はそんな奴らに負けたくないから○○(本名で)いいねん」というので、「でも、あの先輩もそんな奴らに負けたくないのは一緒やん? 私もそんな奴らは許せんと思うし、先輩も間違ってないやん…」とモニョってしまい、何をどう考えていいのか、なぜ日本人の先生たちは沈黙するのか、モヤモヤだけが残ったのでした。

大学に入ってから、大阪の「本名を呼び名のる取り組み」を牽引してきた先生たちや、先輩が指摘した日本社会の差別、特に就職差別に対して生徒の進路保障という観点から闘いを辞さなかった・辞さない兵庫の高校の先生たちに巡り合い、そのなかで「本名を呼び名のる」は「反差別・人権保障」と切離せず表裏一体のものとして実践されるべきことだったのだとようやく理解しました。

「本名を呼び名のる」取り組みは「日本人風の名まえでなければ生きづらい、不利益を被る人がいるという差別の実態を撃つ」実践が伴わなければならない。不利益を被る・差別の矢面に立つ「名のる人」を守る、一人だけで闘わせたりしないぞと決意する周りの人を育てる営みとして「呼ぶ」実践があるはず……。

そんなふうに考えれば、「望んでいない名まえで呼ばれて嫌だった」という気持ちを「一人ぼっちにして放置する」ことはあってはならないわけで、「本名を呼び名のる」実践にこだわるならなおのこと、その気持ちに寄り添い、現在地での民族学級、民族教育はどうあるべきかをふりかえるべきではないかと思います。

「呼ばれたい名で呼ばれること」を大前提として

一方で、日本社会の差別の反映として「日本風でない名まえへの拒否感」が子どもたちに内面化されていることをどう考えるのか、という問題もあります。「わたしも日本人みたいな名字にしたい」「カタカナの名まえはからかわれるから漢字の名まえをつけてほしい」と言い出す新渡日の子どもたちを前に、植民地支配が終わって半世紀以上、この国はいったい何をしてきたのか、私はいったい何を学んで考えてきたのだろうかと虚しさと怒りでいっぱいになります。そんな子どもたちに「あなたの名まえは、あなたのルーツや家族の歴史につながる、素敵な名まえだよ」と伝えたいし、そういう思いで心を込めて「呼び」たい。だから、その人が「どう名のりたいか、どう呼ばれたいか」の一方で、「わたしはあなたのことを民族名で呼びたい」という思いは伝えていきたい、と私は考えます。差別がある日本社会において、そういう社会を変えていきたい。そのためにも、日本にはさまざまな人が暮らしていて、「名まえ」にも多様性があるということを大事にする行動の一つとして「呼ぶ」行為を意志的に、大切にしていきたい、と思っています。

ただし、それは差別を受けないマジョリティ側日本人である私の、勝手で一方的な思いでもあります。私がどう呼びたかろうが関係なく、最終的にはその人が呼ばれたい名まえで呼ぶべきだし、私の思いに忖度してもらおうとは思わないけれど(そこがまた難しいところで、そうはいっても伝えてしまったら気を遣わせてしまうだろうし、伝えるべきか伝えないべきか、どう伝えるべきか、と逡巡は尽きません)

ただ、個人的な体験を通して思うのは、日本語ではない名まえをできるだけ正確に呼ぼうと練習するとき、それは私に日本語以外の言語や名づけの文化への扉になって、私の世界を広げてくれました。そして、その名まえを公共の場で呼んだとき、「え?」と振り返られたり、二度見されたり、その体験も通して、日本社会が日本人以外の存在を「珍しい・奇異なもの」と見なすまなざしを実感してきた、それが私の日本社会を考える視野を広げてきたということは、確かに言えます。(同時に、けっきょく私は友人たちを自分の学びのために消費しているのではないか…と常に葛藤もします)

 

「本名を呼び名のる」の現在地

少し話が変わりますが、トランスジェンダーの人たちが自身の性同一性に合わせて「呼ばれたい名まえ」を自分につけ直す姿が身近になったことで、 「本名を呼び名のる」の「本名」という表現は、ほんとうに考え直すべきではないのかという思いが強くなりました。前述したとおり、「本名を呼び名のる」というスローガンが生まれた頃はそれでよかったのだろうけれど、「本名≒戸籍名」イメージも根強い日本社会、本人の意志や意向を無視して、必ずしも戸籍名である必要がない空間でまで「戸籍名」を強制される現実に悩まされる人たちがいるということ。また、「氏+名」でしか構成できない「氏名欄」のために(これも戸籍名が元凶だと私は思います)、ミドルネームが書けない、本来の名まえ(ミドルネームとして、両親それぞれの姓を併記、祖父母から受け継ぐ名まえを入れる…といった名づけ文化によるもの)が書ききれないことに困っている人たちもいます。そういう人たちにとって「本名を呼び名のる」というのは、やはり釈然としないのではなかろうか…と思うのです。

長々書いたように「本名を呼び名のる」が「日本社会の差別実態/多様性への不寛容を撃つ」ことに通じるものだとするならば、より誤解のない表現に変更することは、必要な進化ではないでしょうか……。

そして、複数のルーツを併せ持つ子どもたち、日本生まれ日本育ちの子どもたちにとって、日本以外の文化や言語もアイデンティティの一部かもしれませんが、日本の言語や文化もアイデンティティの一部です。自分のアイデンティティをどう表現し、どう見せたいか、ということは、今後さらに多様で複雑なものになっていくでしょう。そしてその多様で複雑なアイデンティティに対して、一部を切り取って持ち上げたり、攻撃したり、過剰に注目したり、逆にスルーしたり…という身勝手な付き合い方をしていないか、そんなことを自己点検することが、多様性の尊重ということではないのかなと思います。

あくまでも、「わたしがどうありたいかを決めるのはわたし自身」。個人を単位に、基本的人権を軸に、考えていきたいです。

 

追記1:親の「名づけ」への思い

以前、トランスジェンダーの人が性別に合わない「本名(戸籍名)」使用をやめ、日常使用する「名まえ」を考えてそちらを使う‥という話について、ある人から「でも名まえって、親が子どもを思って名づけるものやん? 親からの最初のプレゼント、愛情なのに、それを自分が呼ばれたい名まえに変更するって、どうなの?」と言われ、あー、それもモヤモヤポイントになるな…と思ったことがありました。

「本名を呼び名のる」取り組みでは、そもそもが「創氏改名:民族名を奪われた」ことへのカウンターという主旨もあいまって、家族の渡日の歴史、生活史を掘り起こして、「植民地支配によって(先祖が)奪われたものを取り戻す」、いわば、自分につながる人びとの思いを受けとめるんだ…という実践展開がありました。一方で、私が大学生だった80年代、既に子どもたちがは3世で、保護者も日本生まれ、朝鮮風の名づけには相応の知識が必要だし、日本に暮らしの基盤があるという生活現実の中で、日本風の名まえで子どもを名づけていることが大半でした。だから「親の名づけへの思い」というとき、そこには日本の親と変わらない、漢字の意味や読み、日本語での音の響きを勘案しての名づけへの思いがあったわけです。何が言いたいかというと、「本名」といっても、必ずしも朝鮮風の名まえではなく、日本人にありふれた名まえの漢字を朝鮮語読みしたものが「本名」として呼ばれることになる…ということも多かったということ。そしてそれが「どう考えても不自然だから」と改めて朝鮮風の名まえをつくったという人もいたし、「親は『なおこ』と思ってつけたんやし、姓の方は朝鮮語読みでいいけど名まえは日本語のままにしたい」という人もいて、後者の場合「それは本名といえない」という教員(指導する大人)と一悶着…という場面に遭遇したことも何度かありました。そんなふうに在日コリアンの名まえ、名のりを巡っても、多様であり、どんな名のり方にも、その人の歴史と現在、未来があると思います(30年前の当時、私も「朝鮮語読みすること」にこだわる頭でっかちでしたが、いまは「それは本名とはいえない」は横暴な話だったな…と考えています。日系外国人が日本風ファミリーネームを維持し、ミドルネームに日本名、ファーストネームに現地風の名まえ、という名付けをしているように、日本でもそういう複数の表現を名まえに乗せられる文化があれば、こんなにこじれないのかもしれません…。戸籍が「氏名」である限り無理かも…ですが)

 

親の名づけは、子どものことを思い、悩んで調べて一生懸命に行われることかもしれませんが、その子どもがどういう人生を歩むか、誕生したそのときには何もわかりません。どこまでも未知数です。2分した性別のどちらか一方に固く紐づいた名まえをつけられた子どもは、自分の性別に違和感を覚えたとき、同時にその名まえにも違和感を覚えざるを得なくなる…そういう苦しさを与えないように、ジェンダーレスな名づけを!という話もありますが、もっと端的に「今後の人生はこの名まえで生きていく」と決意して一定の手続きを惜しまないなら改名OKという世界になった方が、話は早いのではないかなという気がします(なぜ戸籍名はあんなにも変更しづらい仕組みなのでしょう…)。

自分自身の多様なルーツを知り、考え、自分のアイデンティティの一部として、名まえで表現できることがあるならしたいな、と考える子どもが出てきたっていい。そのときに「戸籍名は絶対不変」?という制度の壁や意識の壁が邪魔になるなら、その壁の方を壊せばいい、と私は思います。そして、それが、誕生時に親が願って名づけた、その思いとは異なるものであったとしても、子どもの人生は子どものものなのだから、と、子離れできる親になる、そんな自立した親意識(?)を育てることも、必要なのかもしれないな…と思います(要は「個人」の尊重ですね…)

追記2:私自身の「呼ばれたい名まえ」の話

縷々書いたように、他人の名まえについてさんざん「本名を呼び名のる」だの「私はこう呼びたい」だのと考えてきた割には、自分自身がどう呼ばれたかったか、どう名のってきたか…といったことには無頓着なまま生きてきたなぁ、と思わされたできごとが、4年ほど前にありました(詳細は最初にリンクを貼った私の過去記事に)。

私の名まえは、常に同じ名まえがクラスに数人いる、という超ありふれた名まえで、それゆえ、そのファーストネームで呼ばれることが非常に少ないという子ども時代でした。大人になると苗字呼びが増え(それもそう珍しくない苗字なのですが)、何となくそれを受け入れて何とも感じてない…つもりだったのですが、

そのできごとを通して思い出したのは、「ほんとうは名まえ呼びされたかったんだなぁ」ということでした。同じ名まえが複数人いて、紛らわしいからと私は苗字の方をもじったようなあだ名で呼ばれていましたが、名まえで呼ばれている子もいたわけです。なぜか私は常にそちらに選ばれず、「紛らわしいからあなたはこれで」の方になっていて、子どものころ、実はそのことに傷ついていたなぁと唐突に思い出したのでした。すっかり忘れていたけれど「なぜ私じゃなくあの子なのだろう」に納得がいかず悶々とし、「要は私が取るに足りないつまらない奴だからではないか」と自分を卑下していたなぁ、と。なんでそのことを言えなかったんだろうなぁとか、他の子たちはどう思っていたんだろうとか、40年以上たってそんなことを考えている自分がおもしろくて、愛おしくなりました。そして同時に思ったのは「本名を呼び名のる」取り組みのなかで、実はモヤモヤしていた日本人の子も大勢いたんだろうな、ということでした。

そうして思い返していると、民族名をちゃかしたりもじったりする言動については、差別事象として対応されるのに、日本人の子が名まえをちゃかされたりもじられたりしても「子ども同士の悪ふざけ」として簡単に注意されて終わり、という状況(大人の態度の差)に対して「なんでやねん」と怒っていた子(その子はとても珍しい苗字だった)がいたよなぁ…と思い出し、「差別にあたるか、あたらないかってことやねんけど…」とモニョっていた自分を思い出して、非常に申し訳ない気持ちになりました。どんなに珍しい苗字でも、日本人ならそれを名のることで就職試験に落とされるとか「客商売だから名札は日本名にしてほしい」とかいった理不尽な目には遭わない…というのはそうだけれど、子どもにとって自分の名まえを大事に扱ってもらえない、その不当性に対する悲しみや怒りは、同じことじゃないか……。日本社会で、日本人以外のアイデンティティを表現しにくいという現実に注目するあまり、そもそも「呼ばれたい名まえで呼んでもらう権利」はどの子どもにもあるのだという点を見落としてなかっただろうか……。

そんなことも、「呼ばれたい名まえ」を尊重するのが第一義、という私の考えの一端にあります。