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(2014から引っ越し)「事実」か「方法」か ~ 梁泰昊・姜尚中『三千里』誌上論争(1985)から学ぶ

*FBがノートを廃止するということで、こちらに移しました。他の(  から引っ越し)の枕詞がある記事はすべて同じ事情でこちらに移した過去の文章です。

※これは、2010年に考えるところがあって整理していた論稿の一部です。このところ、80~90年代の運動をふりかえっておく必要があるのではないかと思うことが多く、ノートとしてこちらに挙げてみます。この『三千里』の4本の論考は、今読んでも相当に刺激的で示唆に富みます。当時を知らない若い人が読むには難しいかもしれませんが、ぜひ読んでほしいと思います。 

 

  “在日朝鮮人2・3世のあり方”に関して、梁泰昊氏と姜尚中氏の間で交わされた論争がある。『季刊三千里』42号(1985年5月発行)に掲載された姜尚中氏の論考「『在日』の現在と未来の間」に対し、続く43号(同年8月発行)に梁泰昊氏が「事実としての『在日』――姜尚中氏への疑問――」を寄稿、それに応答して44号(同年11月発行)に姜尚中氏が「方法としての『在日』/梁泰昊氏の反論に答える」、45号(1986年2月発行)に梁泰昊氏が「共存・共生・共感/姜尚中氏への疑問(Ⅱ)」と、二往復のやりとりが交わされた。 「事実」か「方法」か――このやりとりが、何らかの結論・合意点を得て終結したわけではい。しかし提示された課題や観点は、重要な示唆を含んでいる。以後、前述の四本の論考について下記のように略称して示す。 「『在日』の現在と未来の間」(『季刊三千里』42号所収)――姜A 「事実としての『在日』――姜尚中氏への疑問――」(『季刊三千里』43号所収)――梁a 「方法としての『在日』/梁泰昊氏の反論に答える」(『季刊三千里』44号所収)――姜B 「共存・共生・共感/姜尚中氏への疑問(Ⅱ)」(『季刊三千里』45号所収)――梁b  

《当時の情勢――誌上論争の背景――》

1985年は外国人登録法改正を求める市民運動、具体的には指紋押捺拒否・留保という市民的不服従の運動が、「燎原之火のごとくに」広がり、盛り上がった年である。それは1979年の「民闘連・特別基調報告」で「私たちは日本社会においてどのように『存在』 しており、今後どのような『あり方』を目指せばよいのか。個々人の生活史、そして民族差別の歴史・現実をふまえて積極的に論議」し、「民族差別の厚い壁を打破する闘いは、在日朝鮮人の民族的な主体の形成に何らかの寄与をなすものであると同時に、返す力で、日本社会を鋭く撃つものでなくてはならない」と提起された運動の流れの中にあったといえる。

姜Aでは、1980年に新宿区役所にて指紋押捺拒否をした韓宗碩氏の行動をとりあげ、「既成の民族団体から距離をおいた個々の『在日』朝鮮人が、『在日』をいかに生きるべきかを真剣に考えぬき、自分の意思と責任で行動を起こした」「これまでの『在日』の歴史にみられなかった新しい芽」の象徴だと記されている。梁泰昊氏が「1982年体制」と呼んだ難民条約批准に伴う諸般の「改善」――韓国籍以外の旧植民地出身者にも「特例永住」資格が得られ、国民年金加入や公営住宅入居に関する国籍条項が撤廃された――という日本社会の変化もあった時期だ。姜Aは、そうした国際情勢の影響による日本社会の変化(法制度面での内外人平等――外国人の権利拡大)と、世代交代(祖国を知らない日本生まれの二・三世の増加)といった要因によって、在日韓国・朝鮮人の日本社会への定住志向が強まり、定住することを前提とした権利意識が高まっていると分析している。 この点に関して、梁泰昊氏と姜尚中氏、両者の間に大きな隔たりはない。 両者の意見の相違は、梁泰昊氏の表現を借りれば「民族の主体性とは何か」という問題にある。日立就職差別糾弾闘争をはじめとする民族差別との闘いに挑んだ人びとに対して、「あたかも『祖国か在日か』というように図式化して、民族差別をうんぬんすることは祖国から目をそらし、日本社会に埋没する行為であり、「在日」に閉じこもるものだ、との批判」が巻き起こった70年代以後の議論が、それぞれの論考の底流に流れているように思う。

最初に姜A・Bを読んだとき、坂中論文の登場を経て「差別撤廃を目標とする運動はかえって日本政府が狙いとする同化政策を促進する結果を生むのではないかと」危惧された、その「危惧」のバリエーションだという印象を、私は持った。それに反応して書かれた梁a・bは、民闘連が繰り返し反論してきた「既成の組織枠、国籍を乗り越えて協力すること」「在日韓国・朝鮮人の生活実態を踏まえ、共通の懸案(筆者注:民族差別)を追求することが、現在および将来を考える上で切実な課題である」「(民族差別から)逃避することなくその具体的な現実を切り開いていく当事者(主体)になっていくことこそが『民族の主体性』を回復する」という主張に基づく内容になっていると思えた。

指紋押捺拒否運動は、定住化に伴って当然要請される「市民意識」――日本社会の成員として責任を持つこと、権利を行使し義務を果たし、よりよい日本社会の形成に貢献する市民となること――について考えることを、在日朝鮮人と日本人の双方に突き付けた運動だったと私は考えている。日本社会の成員として、その社会から責任を求められるのであれば、「市民」として安定した/権利としての法的地位を求めるのは当然であろう。指紋押捺拒否は、「市民」による良心的不服従行動であったからこそ、日本社会のみならず国際社会にも共感を呼び起こしたのであり、姜尚中氏・梁泰昊氏の論考を振り返っていま考えるべきは、その後「市民意識」への問いはどうなったのか――日本社会に「共生」のシチズンシップが育まれたか否かという点につきるのではないか。  

《「民族的マイノリティとして日本社会で生きる」ことができるのか》

そこで、姜Aと梁aから、《在日朝鮮人が日本社会で民族的マイノリティとして生きる》という考え方に対して、両者がその内実や実現可能性について述べていることに絞って、整理したい。   姜Aでは「少数民族としての『定住化』が民族性の自覚にたつ限り、同化主義的帰化と民族性の喪失による『永住化』から本質的に区別される」「民族的マイノリティーとしての『在日』という考え」が、「新しい波」として登場し、それが「単一民族神話に染め上げられた日本社会の閉鎖性に風穴をあけ、『異質的なるもの』との共生を迫る動きとして人々の注目を集めつつある」と評価しつつ、以下のような危惧を挙げている。 ひとつは、「『異質的なるもの』との共生」といったところで、在日朝鮮人の側が「異質的なるもの」として覚醒し、その主体性を維持できるのかという疑問と危惧である。たとえば「同胞の密集する都市部から離れた地方では、近隣に同胞もすくなく、民族組織の活動も微弱なため」「住民として受け入れられるためにも、民族性を殺ぎおとした疑似日本人としての生を余儀なくされて」いる在日朝鮮人が少なくないという実態を鑑みたとき、「果たして二世・三世あるいはそれ以降の世代が、『異質的なるもの』を自分たちの存在と意識のなかに生活態度として確保し、発展させてゆけるかどうか」に疑義を唱え、「共生」の前提となる「異質的なるもの」が不安定で曖昧な観念にとどまるのであれば、結局「共生など成りたちえない」と述べている。 二つめは、日本社会の「単一民族神話」の根深さ・底深さに対して、そう簡単に風穴を開け変革していくことが可能なのかという疑義である。「一民族即一国家」などという状況は世界的に見てもあり得ず、日本にしたところで実際にはアイヌ民族琉球民族を抱えた多民族の国家であるにもかかわらず、「一民族一国家の通念」が明治以後「日本人の歴史意識の基層として強化され、疑う余地のない自明の理と考えられてきた」。こうした強固な「単一民族神話」社会のなかに在日朝鮮人が入っていっても、結局アイヌや沖縄の人々のように「周縁や最底辺に組み込まれ」「これまで通りアンダーグラウンド」な位置に押し込められるのではないか。そうならず、共生する民族的マイノリティとして生きていける社会など、「日本社会の国家の精神構造も含めた根源的な転換がない限り、とうてい実現される見込みはない」のではないかと、姜尚中氏は指摘する。

以上は、日本社会の同化圧力――異質性を排除し、同質化・均質化を求める有形無形の強迫――に対する鋭い指摘だといえる。昨今はやりの「多文化共生」にしても「異なる文化を尊重し認め合う」という定義でよく語られるが、うがった見方をすれば「異なる文化」だと措定できなければ「尊重」も「認め合う」も宙に浮くということである。日本社会の、根深い同化圧力のなかで、マイノリティが「異質的なるもの」のまま存在し続けることの困難さに思いを馳せることなく、「共生」の努力を強いるのはマジョリティの横暴であろう。つまり問題は、在日朝鮮人が民族的主体性を保つための努力や方法だけでなく、それが容易にできる環境が保障される日本社会への変革――マジョリティ日本人側の努力・自己変革も同時に問われねばならない。ただ、姜Aではマジョリティの変革を深く論じることはせず、これらの危惧を回避する方策として「『在日』は祖国に先んじて祖国の抱え込んでいる問題を先取りできる位置に立たされている」ことを自覚し、「それを日々の生活のなかで活かしてゆく覚醒的な生を選択する」生き方を呈示して論をまとめている。

姜Aに対する「疑問」の形で呈示された梁aでは、この二つの危惧に対して以下のように述べている。 まずひとつめについては、「マイノリティとして『異質なるもの』という自己覚醒が困難な情況」を認めつつ、その情況が「本当に固定不変なのかということ」を考えねばならないと指摘している。なぜなら「朝鮮人として生まれたことを大切に思いながら生きていこうとする流れは、そんなにか弱いものではないと思う。この十年の民族差別との闘いの歩みは、マイノリティとしての自己を見失うまいとする自分との闘いであったということもできる」からであると述べる。日立就職差別撤廃闘争や電電公社採用時における国籍条項撤廃の運動に端的であったように、差別に正面から立ち向かうことを通して「異質的なるもの」の自覚を高め、「異質的なるもの」として日本企業・日本社会に入っていった若者の姿を、過小評価してはならないという主張である。 二つめについても同様で、日本社会に「単一民族神話」が根深く浸透していることは肯定しつつ、それを「自明の理」として前提してしまうことは「われわれは自らもまた単一民族社会を是認してしまうことになる」と諫めている。「ていねいにみれば、日本は単一民族社会であると固執する側とそうであっては困るという側が綱引きをしているのである。後者がわずかづつながらも力を増しているとみるのも、あながち欲目とばかりはいえまい」という指摘も、民闘連運動で共闘してきたマジョリティ日本人の意識改革・変容の実際をふまえたものではないだろうか。「圧倒的に勝つのでなければ何もできないというのは、ていのよい敗北主義である。オール・オア・ナッシング的発想はつつしまなければならない」として、あくまでも梁泰昊氏は「日本社会で生きること」にこだわり、日本社会の変革――日本社会に存在する民族差別を撤廃すること――をあきらめない姿勢で一貫している。  

こういった両者の姿勢の違いが明確に現れるのが、姜Aの「日本社会の周縁や最底辺に組み込まれているアイヌ民族琉球――沖縄の人々、そして数百年あるいはそれ以上の歴史を閲した部落差別の現状を直視するならば、『朝鮮系日本人』としての『定住化』は、『賤民化』の道に通じていないという保証はどこにもない」という叙述部分への梁泰昊氏の反論である。「日本にはアイヌや沖縄や部落に対する差別があるから、民族差別を受けてきた者として、共に手をたずさえようというのならわかる。しかし姜尚中氏はそうではない。アイヌや沖縄や部落の仲間入りをするのはごめんだというのである」「『朝鮮系日本人』は差別を受けるからといって、それがどうしたというのか。差別があれば差別と闘うしかないではないか」

――つまり姜尚中氏は、日本社会の「単一民族神話」や差別の実情を「変化しがたい前提」として論じ、梁泰昊氏は、その前提を問い直し、変革すべきであると論じた。結果的に姜尚中氏は「祖国志向」に傾き、梁泰昊氏はあくまでも「在日すること」にこだわる――姜尚中氏の指摘する情況の困難さを認めつつも、小さな変化の芽・変革の可能性を捨てず、在日朝鮮人がこれからも生きていく「日本社会」の変革を追求する立場だったといえる。  

《祖国を持つ外国人として生きる「方法」か、定住という「事実」か》

この論争は、姜Aに対する梁aというアクションがあって生じたものである。続く姜B・梁bでは、両者の立脚点の違いが相互に整理され、在日韓国・朝鮮人の「主体性」について、両者の主張が述べられる。  

まず姜Bの冒頭で、姜尚中氏は両者の係争点を ①日本社会に広範な歴史意識(姜Aで問題とした「単一民族神話」を含む)への評価 ②在日朝鮮人の定住化傾向の評価。「定住性」に力点を置くのか「外国人」の側面にウェートを置くのかという問題 ③以上2点の事情を踏まえた上で在日朝鮮人の2世・3世の「民族的主体性」をどう構想するかという確信的な問題 の3点に整理し、さらに「決定的な違い」を以下のように述べている。 梁泰昊氏の立論の基層にある「人間主義」――国際人権規約等に示される人権・市民権の保障といった「抽象的な普遍原則」から在日朝鮮人の社会的処遇の平等を求めることは間違いではない。しかしながら、やはり危惧されるのは、それが「『定住性』の過度の強調」になりはすまいかという点である――「われわれがあくまでも『外国人』であり、祖国をもっているという自明の理をないがしろにしかねないように思われる」「アイヌ民族や沖縄の住民にも自治州の創建といった独立分離主義の権利はあっても、現状では日本という国家の枠内で改善の方途を模索していかざるをえないのに対して、われわれには祖国があるという事実」に「留意すべき」である。「在日」には祖国があり、国境をまたぐ生活空間と意識を保ち続けたいということにこそ、「在日」のリアリティがある。ーーこう綴られた姜Bは、近代天皇制と戸籍制度に裏打ちされた単一民族社会神話と、それと表裏をなす脱亜入欧の意識(西欧中心の文明礼賛とアジア蔑視)という日本社会の「基層定型」に対抗するためにも、「祖国を明確に定位させた『在日』」の生活態度=「方法としての『在日』」が必要なのである――と締めくくられる。  

これを受けて梁bは「姜氏が念頭においておられることは、ひょっとして私との間にさほど大きな距りはないのではないか」と書き出される。具体的には、姜Bから「われわれが『在日』の二重性をたじろぐことなく引き受けていくならば、それは必然的に『侵亜』の厖大な犠牲の上に成り立った日本(後発)型近代化の否定的な諸側面に目を向けざるをえないし、そこに具現されている価値序列意識からの解放を願わざるをえない」を引用して賛意を表明し、「日本の国家至上主義はよくないが『祖国』のそれは肯定できるとはいえないはずだし、その逆もまた然りであるとすれば、われわれはその双方を批判的にとらえないわけにはいかない」なぜなら「在日朝鮮人は民衆」だからであり、「在日朝鮮人は、そうした複眼的な見方をすることのできるもっとも有利な条件を生きている」と考えている「基本のところで大きな差異がない」ことを説明している。 では、何が違うのか。「どうすればわれわれはそうした『民衆性』を保ちうるのか」というところで、「姜氏は在日朝鮮人が『外国人』であることを強調することによって、私は外国人ととらえることへの懸念によって、『方法としての在日』と『事実としての在日』が対置される」と、梁泰昊氏は整理する。そして、姜尚中氏が懸念として表明した「『定住性』の過度の強調」という点に対して、以下のように説明している。

まず、「定住」を強調するゆえに人権の普遍原理を必要としているわけではないこと。普遍的人権の保障とは、日本社会にあって「おかしいことは誰が見てもおかしい」と主張することであり、人権が守られるということに、個々の人間が背負う歴史や文化を埋没させてはならない。「実は『同じ人間として』というのは抽象的にしか存在しない概念であって、だからこそすべての人々に共通しうる」原理となる。しかし「差別の不当性は具体的な存在の実態を明らかにすることからしか衝くことはできないのであって、抽象的原則をいかに声高に言ったとしても人の胸に届くことはない」、つまり人権の普遍原理を主張するだけで差別は糾せない。「ある一つのことがなぜ差別であり、それによってどういう影響があるのかを解明することなしに差別的現象を変えさせたことなど一度たりともないのであって、そのためには在日朝鮮人の歴史も、社会的位置も、個別の生活史までもがさらけ出されるのである」とし、姜尚中氏の述べるように日本社会での処遇改善≒「定住性」の過度の強調だとしても、「朝鮮人であること」が薄らいだりはせず、むしろ差別との闘いは「同化・帰化に抗うもの」なのだと応えている。 そして、姜Bで在日朝鮮人が「外国人であり、祖国を持っているという自明の理」とされていることに対して「自明の理」などと簡単にいってしまってよいのかと疑問を投げかけている。帰化者や日本人との結婚による子どもなど、日本国籍在日朝鮮人の存在をどう考えるのか。国籍も含めて多様化するなかで「自分は何者かを問い続ける行為にこそリアリティがあり、希望がある」とはいえないだろうか。さらにいえば、「祖国といえども国家である以上、国家の論理が先行するのであって、民衆の所望とは一線が画される」のであり、民衆たる在日朝鮮人の意向や権利と対立することもある点をどう考えるのか――「たとえば指紋押捺の問題にせよ、法的地位の問題にせよ、国家の保護を期待する前に、在日朝鮮人としてかくありたいという意思表示をもっと鮮明にする必要がある」という梁泰昊氏の論述は、差別撤廃運動の実践に裏打ちされたものといえる。

在日朝鮮人が『事実として在日』するのである以上、そこに受ける風波は在日朝鮮人自らがしのいでいくしかない。『方法』はあとからついてくるものである」という表現に明白なように、あくまでも「いまここ」を重視し、「事実」にこだわる梁泰昊氏にとっては「『祖国』というからにはそれを特定できるはずなのに、実際にはそうすれば南北のいずれかに対して心残りを生むというのが避けることのできない現実である。もちろん『北であれ南であれわが祖国』という表現もあるわけではあるが、想像力の世界においてそうした思念が成り立つとしても、『外国人であり祖国がある』という文脈の中ではしりぞけざるをえない」とし、「われわれが『朝鮮人』であることの本源」も「祖国」ではなく「在日朝鮮人の生活史」に求められていく。それはもちろん朝鮮半島の歴史と無関係ではないが、自らに続く祖父母・親の具体的な生活史の「歩みの中にわれわれが朝鮮人である意味がある」と梁bでは結論づけられていた。  

《論争から学ぶこと》

改めて読み返し、まず違和感があったのは、2004年に上梓された『在日』(講談社)から受けた姜尚中氏の印象との落差だった。『在日』にあったのは、1世の生活史・葛藤や困惑を身近に育ち、「自身は何者か」を模索してきた2世――梁泰昊氏も2世だが――の姿であり、具体的な「在日」の生活を飛び越して「祖国」とのつながりを縷々述べている25年前の論考との懸隔を感じたのである。梁bに対する応答はなかったので、当時の姜尚中氏が「在日朝鮮人が『事実として在日』するのである以上、そこに受ける風波は在日朝鮮人自らがしのいでいくしかない。『方法』はあとからついてくるものである」という梁泰昊氏の指摘をどう考えたのかはわからない。梁泰昊氏が指摘されていたように、二人の間に「大きな距りはない」のかもしれず、筆者もどちらに軍配を上げるものでもない。ただ、姜尚中氏の応答を聞いてみたかったという思いがするだけである。 乱暴に言ってしまえば、姜尚中氏の視点はマクロ――最近主張されている「東アジア共同体」志向につながるもの――であり、梁泰昊氏の視点はミクロ――具体的な差別の現実にこだわり、大衆・市民運動に立脚するもの――であると、ただそれだけの違いといえるかもしれない。そして、ふたりの2世が交わした25年前の論争から、私たちが学ぶべきことは多い。  

まず姜尚中氏の指摘した歴史認識の問題である。近代天皇制と戸籍制度に裏打ちされた単一民族社会神話、それと表裏をなす脱亜入欧の意識(西欧中心の文明礼賛とアジア蔑視)が、日本社会に根深く巣食っていることをどう考えるのかという課題は、現在も変わらず残っている。実態として多民族化していることをふまえてか、「日本は単一民族」だという言説は減っているが、いまだに「見た目」だけで日本人か否かを「判断」し、「自分の周りに日本人しかいない/外国人はいなかった」と安易に思い込んでしまう日本人は多い。西欧中心主義の進歩史観発展途上国への蔑視観(日本は先進国であるという優越感)に至ってはほとんど変化がない。2000年前後から活発になった「歴史修正主義」は、そうした進歩史観を基盤にしたものでもあり、「『脱亜入欧』の近代化の功罪、その光と影を知悉し、またその最大の犠牲者でもあったわれわれ『在日』朝鮮人」だからこそ「近代化の悲惨が見える地点に立たされ」、日本型近代化を批判できる生き方=「方法」を考えられるはずだという姜尚中氏の指摘は鋭い。梁泰昊氏も、その指摘の鋭さを肯定していたことは、先に紹介したとおりである。

2点目は、梁泰昊氏の論考に一貫していた、在日朝鮮人の人権保障を考える際の「個別具体性の重視」である。差別はいけないという「抽象的原則をいかに声高に言ったとしても人の胸に届くことはない」ということ、「ある一つのことがなぜ差別であり、それによってどういう影響があるのかを解明することなしに差別的現象を変えさせたことなど一度たりともないのであって、そのためには在日朝鮮人の歴史も、社会的位置も、個別の生活史までも」をさらけ出さなければ差別や格差は是正できないのに、「多文化共生」という「抽象的原則」ばかりが喧伝されている現状を、私たちは再検討すべきではないだろうか。 梁泰昊氏は、こうも述べていた。「二世にとってはたしかに祖国とのつながりの意識の中で『朝鮮人宣言』を通して自己の再生を獲得した。それは頑丈な差別体制からの脱出を意味しており、『朝鮮人』という入口に立つことが『人間的解放』につながっていた。しかし今、3世にとっては必ずしもそうとばかりはいかなくなっている。むしろ発想の入口と出口を逆転させて、『人間的』という入口から入ることによって、歴史的存在としての朝鮮人という自己に向き合うことになるのではないか」ーー5世・6世世代が誕生し、帰化者やダブルの子どもたちも増えている現状で、国籍だけがルーツを示すわけではないことを考えると、「朝鮮/ルーツ」を入口にするより「『人間的』という入口」から「歴史的存在としての朝鮮人という自己」へと問を深化させよという提案は、教育実践のあり方にも示唆を与える。そしてまた、対峙するマジョリティ日本人も、在日朝鮮人の歴史性と向き合うことで「歴史的存在としての自己」に向き合う必要があるのではなかろうか。自明のものとして学んできた進歩史観に基づく日本史・日本像を問い直し、政権の歴史ではなく「民衆」の歴史として日本史を学びなおす契機として、「在日朝鮮人史」を考えることはできないだろうか。マジョリティが何の問い直しも自己変革も伴わず、マイノリティの文化や生活史を「尊重する」ことなどできるはずがない。マジョリティの側こそ、梁泰昊氏の指摘、「ある一つのことがなぜ差別であり、それによってどういう影響があるのかを解明することなしに差別的現象を変えさせたことなど一度たりともないのであって、そのためには在日朝鮮人の歴史も、社会的位置も、個別の生活史までもがさらけ出される」――当事者にその労を取らせて始めて、日本社会は変わってきたのだということを肝に銘じて、自律的に変革をめざす「日本人の主体性」を模索していく必要がある。お互いが「主体性」に葛藤してこそ、リアリティのある「多文化共生」社会が生まれるのではないだろうか。