今年も9月1日。
あの9月から、99回目。
何度でも読み直したい本
さいきん、BTSに沼落ちしているもので、Twitterでk-popファンのみなさんの書き込みややりとりをボンヤリ読んでいるのですが、これがほんとうに興味深く…。
さいきんは、日本で活動するK-popアイドルが話す日本語に対して、たどたどしい発音や言い間違いを笑ったり「可愛い!」と言うのもマイクロアグレッションだよ、そもそも韓国との歴史的経緯を考えたときに、彼らが日本語を勉強して話してくれることそのものを、ただ愛でて受容してていいんだろうか…という真摯な問いを自分にも、ファンダムにも問いかけて、一生懸命考えている人たちがいて、励まされます。ただ、それと同時に「可愛いから可愛いといって何が悪い!?」「なんでもかんでも差別というから差別になるんだ」「歴史とか難しくて荷が重いから考えたくない」と反発するファンもいるわけで、ちょっとした論争の体(私自身はTwitterは論争に向いてないと思うので、ときどき自分の意見や「こんな資料・本もあるよ」を呟くぐらいで、なんか申し訳ないけど)。 最近読んだ『「日韓」のモヤモヤと大学生の私』という本でも「推しが反日かもしれない…」というモヤモヤ項が立っていて、そこきっかけの若い人は少なくないのかな…と。(リンクは執筆した大学生のみなさんへのインタビュー記事)
で、私がこの間考えたことを少し(Twitterにも連投してしまったけど、私はほんとうに140字の世界には向いてない人だなと思うばかり 苦笑)
「日韓」の歴史と ことばの問題
実は私もこんなの書いてたりなんかします……(研究サボり過ぎて、これ1冊やっとこさのポンコツですが、この本はポンコツじゃないと自負してます)
つまりは、日本語/国語の問題をずっと考えてきた者なので、こういう人間がああだこうだいうと、どうしても上からな感じになるのが申し訳ないんだけれど、
いま、ちょっとネットをググっただけでも、「植民地期にも学校で朝鮮語の時間はあったから、『ことばを奪った』は言い過ぎだ」だの「日本は朝鮮語の辞書も作ったんだ」だの、都合のいい断片だけ拾って「日本はそんなに酷いことはしてない」と言い張る人たちの記事がいくつかヒットしました。今日も関東大震災の虐殺被害者を悼む追悼式に、東京都知事は追悼文を出さず(出さなくなって6年目…)、出さない言い訳が「諸説あるから」、そしてそんな都知事の行動に励まされて、追悼式やってる真横で「虐殺はなかった。あったというやつが日本人を貶めて差別している!」と叫ぶ人たちが集会をしています。「諸説ある」っていうのもマジックワードで、そりゃあ死者数とか被害実態とか未解明なところも多々あり、したがって「諸説」確かにあるわけですが、虐殺がなかったという「説」は学術的に存在しません。だって実態としてあったのだから。
35年間(これも厳密にいえば「併合」前から教育介入や外交主権のはく奪は起きてたので、35年としていいのか、「諸説」あるわけですよ…)の植民地支配、日本からも数百万単位の人が移動してまさに「植民」し、経済構造の変動と産業政策の都合とが相俟って、朝鮮半島から日本に渡った人たちも数百万の単位(といって100万人近くが一気に増えて200万人超えるのは日中戦争後。それに比べると日本から朝鮮に移動した日本人は「併合」初期からコンスタントに増え続けました)。それぞれにさまざまな生活があり、生きざまがあるので、なかには心温まる交流のエピソード、「あの日本人はいい人だった」みたいな話はいくらでもある(もちろん「酷い」エピソードの方が掃いて捨てるほど多い。そのあたりは『植民地朝鮮の日本人』をどうぞ)。「ことばを奪った」とよく表現される言語政策も、ある日を境に徹頭徹尾 朝鮮語使用を禁じて一切使わせませんでしたなんていう単純な話ではなく(そもそも、そんなことできるわけがない…)、日本語使用を強要するためには、まず現地の人たちが日本語をある程度使えるようになる必要があるから、そこは段階的に学校や社会教育の機会を使ってどうするかを考えたわけですし、警察などは現地支配のために着任する警官に朝鮮語学習を薦めています。間違ってはいけないのは、それはすべて「支配のために必要だから行われた」のであって、「現地の人のことばの権利を尊重したから行ったことではない」ということです。
1910年代、日本の侵略に抵抗して後半に展開された義兵闘争を軍事力で抑え込んで「併合」にこぎつけたそのまま、強権的な支配政策を行った朝鮮総督府(大日本帝国政府)に対する朝鮮の人びとの不満と怒りが頂点に達して、三一独立運動が起きます。起点こそ、インテリが先頭に立ちますが、独立宣言書があっという間に拡散されて全土にデモが広がって、総督府は震撼します。そもそも独立運動の発生を予期しきれてなかったらしく、大慌てで鎮圧に走り、その焦りと恐怖から、非暴力のデモ隊に過剰な暴力で応じ大勢の人が殺されました。日本側の公式記録にも日本人の死亡報告はなく、死傷者数はすべて朝鮮人です。なぜこの話をしているかというと、1923年関東大震災時に「不逞朝鮮人が暴動を企図している」といったデマが流れて日本政府や警察が信じてしまった遠因はこの三一独立運動に対する畏怖があったからです。つまり、単に震災で動揺して不安になったからデマを信じたわけではなく、元々、朝鮮の人びとが日本支配に不満があって独立を願っており、いつまた大規模な独立運動が起きるかわからないという不安と恐怖が為政者側にあったから、という事情を押さえておく必要があるのです。
三一運動は日本軍と日本の警察の遮二無二の暴力によって鎮圧されますが、朝鮮の人びとは集会の自由、言論の自由を一定程度勝ち取ります。朝鮮語の出版物も出せるようになり、朝鮮語での読書会、勉強会も開かれるようになりました。植民地支配政策の内容を、少し転換させることができた。でも支配側がおとなしく譲歩するわけがなく、表面的にソフトさを装いながら、教育政策に力を入れるようになります。朝鮮語の授業時間はありましたが、時間数にすれば、日本語授業10に対して2~3ぐらいの割合です。理由としては、日本語を身に着けるのに時間がかかるから、ですが、そもそもなぜ日本語を朝鮮の人びとが学ばねばならないかといえば「日本の支配下にあるから/公用語を日本語にするから」で、支配側の都合です。私が書いた本(私が研究のターゲットにしてきたこと)は、この三一運動後の「国語(日本語)」教育の実態を、教科書や授業記録といった資料を基に、ごく一端をつまびらかにしたものです。
関東大震災の折、デマや流言で朝鮮の人びとが殺された背景には植民地支配があり、植民地支配/人間が人間を支配し服従させるという不公正なことを遂行するためには、「奴らは劣っているから指導してやるのだ」という差別意識が必要なのです。それは、あからさまな侮蔑や見下しといった「酷い」ことばや行為として現れることもあれば、日本の支配下で生き抜くためには日本語を覚えた方がその人のためだという親切心、善意での「導かねば」熱意で親切な、良心的なことばや行為として現れることもありました。現れ方は真逆だし、善意の人びとは善意でいっぱいだから、「それも植民地支配への加担で、差別意識ですよ」と言われたら困惑したでしょう。片言の日本語を「可愛い」ということも、それに通じると私は思います。悪意はまったくなかったとしても、そもそも「可愛い」と評価する側に立てるのは日本語ネイティブという「力のある側」に自分がいるからであり、力があるから相手のことば遣い(上手/下手)をジャッジできる、「可愛い」も相手をジャッジすることば・行為に過ぎないわけですよね。
日本人であること、日本語ネイティブであることは、選んでなる立場ではないので、そのことに付随する自分の力に鈍感なのは仕方がないことです。
ただ、そうやって母語ではないことばを使う人びとのことば・発音を「ジャッジする」行為が最悪の形で発揮されてしまったのが関東大震災での朝鮮人虐殺だったということは知っておくべきだと思います。今の自分はただ「可愛い」と愛でているだけで、何も相手を傷つけるようなことはしていないと信じていられるかもしれないけれど、そのジャッジが「訛っているから日本人ではない」「訛っているから朝鮮人だ」と識別に使われ、識別された後は殺されたという歴史的な事実を思うとき、評価のことばがポジティブだろうが愛情のつもりだろうがそんなことは関係なく、そもそも「ジャッジしてしまっている」ということに、センシティブになるべきだと私は思うし、私はセンシティブでありたいです。
これは、日韓の間でだけの話ではなく、すべての非母語話者に対して、母語話者は自分の優位性を自覚して「ジャッジする」暴力を棄てる努力をした方がいい、という話ですが、日韓の間に関東大震災の記憶がある以上、さらにいっそうセンシティブになっていいと思います。
「 差別をしない」は可能か?
実際には、「差別する人・差別しない人」という2分類は無理ですが、一般的には人がその2種類に分けられると思われがちですよね…。
そう考えると、「何が悪いの?」という開き直りに追い込まないように、私はものの言い方を考えないといけない…。「知識がある」というのも権力だし、そもそも年齢を重ねていることも、若い人から見れば十分「権力」ですもんね…(自戒)