わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

@Seoul 現代史を巡る旅で考えたこと②

在日コリアン」がテーマなのに、なにゆえ韓国スタディツアーなのか。
ここに引っかかる人と引っかからない人で分けてみたら何がみえるんだろうか……。はさておき。

私の場合、朝鮮半島と日本の歴史を勉強し始めたのは、日本社会の差別・人権課題として、しばしば在日コリアンに対して向けられる「嫌なら帰れ」式の偏見に対して「帰れということがいかに史実と現実を無視した傲慢な暴論か」ということを解き明かすものとして日本の支配と渡日の歴史を知識として押さえねば…というのがきっかけだった。ただ、いまにして思うと、そのときの問いの立て方は「なぜ朝鮮人が『在日』に至ったのか」だったので、ちょっとズレていたような気がします。「なぜ日本人は『在日』の歴史をガン無視した偏見を未だに克服できないのか」と日本人主語の問いの形の方が、私の関心には沿っていたなと(今となっては)。いま、こうして旅のインプットをまとめているうちに糸口が見えそうな予感なので、上記の問いを心に留めつつがんばります。

 

植民地支配時代について:知らないことには始まらない

西大門刑務所歴史館

まぁ、ちょっとググったら出るわ出るわ「反日教育の拠点!」だの「西大門刑務所の真実!」だののアンチ記事。控えめに言って、反吐が出ます。

そもそも「反日」ということばが、もうどうしようもない意味のなさ・空虚さ。なのになにがしか「わかった」かのように作用してしまう、思考停止マジックワードになってしまったことの厄介さに辟易しますが、辟易していてもダメなので、「反日」ワードの何が空虚で厄介かを伝えていく責務が私にはあると思いはします……。

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日本で公共施設に日の丸が翻っていると悶々となるけど、太極旗は「三一独立運動」を彷彿するから全然嫌ではない。ちなみに左側にある人の姿がいっぱいある横断幕の方は、「今月の独立運動家」という教育啓蒙キャンペーンのようなもので、各月、誕生月だったりその月に起きた事件の関係者だったりと、その月にちなむ独立運動家を数名ずつ取り上げて学びましょう、その人生の思いを馳せてみましょう…というリストです。館内展示にも、そのリストに沿った人物紹介などがありました。

この部屋は私がいちばん好きな展示。収監票(収監された人の名まえ、年齢、写真、罪状名が書かれたカード)のレプリカが壁三面ぎっしり埋め尽くしている、という展示です。圧巻。f:id:jihyang_tomo:20220908102149j:image

「被害者総数」の数字ではなくて、そこで人生を壊された、人間としての権利を踏みにじられた人、一人ひとりについて考え、思いを馳せることがなければ、被害についてわかることなんて、何もないでしょ? をつきつけられる部屋です。お年寄りもいれば、あどけない、中学生ぐらいかと思うような顔もたくさんあります。男性も女性もいます。

こちらは、収監中に命を落とした人たちの写真がある部屋。自然と黙禱したくなります。
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西大門刑務所は、奈良の少年刑務所と同じ人の設計です。奈良の方は老朽化した建物ごと星野リゾートが買い取って監獄ホテルになるそうですが。パノプティコンといって、中央に看守が立てばすべての廊下を見通せるように放射状に廊下が伸び、その両横に独房があります。上に見えているのは監視のための通路。
日曜日だったので、子どものグループを引率して説明しながら回っている人たちや、親子連れ、若い人(中学生~高校生ぐらい?)のグループもたくさんいました。そもそも日本でこの手の博物館に人が多いのってあまり見ない(修学旅行生とかがいれば別ですが)。それで、韓国歴の長い人に聞いてみたら「土日はだいたいこんな感じじゃないかなぁ…」とのことでした。すごいな。
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学校でも、近現代史については詳しく学ぶし、こうした社会教育施設はあちこちにあるし…なので、韓国の人たちは常識的に知識を得ているわけですよね。よく、「日本人は何で知らないの?」と驚愕されてしまう背景には、こうした環境があたりまえで育っている人の感覚があるんだなと痛感します。日本で、たとえば広島平和記念資料館に休みの日に家族で出かけるとか、友だち同士で出かけるとか、そういう人、どれぐらいいるんだろうか…(ちなみに我が家は家族旅行でそういうとこへ行く派なので、成長後の息子に「修学旅行みたいやったな…」とつぶやかれましたが)

そしてやはり、ところどころにアート展示があって、こういうとこ好き!と思わされるのでした。

植民地歴史博物館

そして、龍山の植民地歴史博物館。こちらは、完全に民間のみで運営されています。設立するときの資金から運営費まで、すべて民間からの寄付による。この写真の奥に見えている銅板は、設立当時の出資者について、記名してOKという人の名まえを入れたもので、日本人出身者も非常に多いです。ちなみに私もちょびっとだけカンパしました)。

「植民地歴史博物館」と日本をつなぐ会 - rekishimuseum ページ!

研究者がきちんとかかわっているので、そういう人たちが発掘してきた史料や、この館の設立や活動を知った市民から「うちにこんなのがある」「祖父の遺品にこんなものが」といった連絡や寄進も多いそうで、展示品はそれぞれ見ごたえがあります。そんな「祖父がもっていました」という類のものは、それこそその人物と家族のヒストリーを体現する資料で、植民地支配ということが当時の人一人ひとりにどう影響し、現れたのかを考えさせてくれます。個人的には、志願兵として大日本帝国の軍人になり、「皇国臣民の鏡(同化教育の成果」ともてはやされた方の「ほんとうは志願なんてしたくなかったし英雄視されるのもお門違いだ」という悶々が伝わる遺品の数々が展示されたコーナーで、胸が苦しくなります。つらい。戦争はホンマにアカンし、植民地支配は二重三重に罪作りだと思います。

こちらは、三一運動時につかまった人が警察で尋問を受けた、それが音声再現されているコーナー。机の上のプリントは日本語訳です。

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実は全体的に韓国語での説明しかないコーナーが多いです(別途日本語解説冊子があって、それをみれば展示のキャプション・説明文は理解できるようになっています)。ただ、史料自体は日本語のものが多いので、日本語が読める人は資料そのものを読んで感じてほしい…と言われてました。
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ここでも独立宣言書。(ちなみに、DMZ行った後、タプコル公園によって、レリーフの見学もしました)

アートの力

そして、植民地歴史博物館の1階でやっていた特別展示。イ・サンホ展

「歴史を解剖する」
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作家さんが常駐しておられて、自ら作品解説もしてくださいました。
1987年といえば、ソウル6月革命。イ・サンホさんもデモに参加し、警察から逃げたり催涙弾にやられて嘔吐したり…といった経験を版画にした作品群。その体験を1980年の光州事件や、米軍基地反対闘争などともつなげながら、反権力、民主主義の闘いとアートを両立させてきたアクティビストでもあります。
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風刺と諧謔にあふれた作品も非常に面白かったのですが、私はこの絵がいちばん好き。
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これは、木浦駅に新聞の荷が着いて、それをほどく人、早く読みたくて待っている人、汽車を待つ人、車座になって吞んでいる人……などなど、ただ駅前の群衆を描いたという作品なのですが、こんなふうに、一人ひとりの生活と表情を丁寧にスケッチした街の風景って、素敵だなと思うのです。そして、こんなふうに人間を見ている人だからこそ、社会的公正、民主主義ということを考え、作品化することができるのだろうなぁと感じました。

 

日本人として…ということ

こういう歴史を学ぶと、ほんとうに大日本帝国はろくなことをしていないから嫌になるけれど、それは決して植民地の人たちに対してだけじゃない。実は帝国臣民全体に対してろくなことをしていない。ただ、マジョリティ日本人よりも、侵略と支配によって「臣民」に編入されたマイノリティに対して、より過酷でろくでもなさが際立ったということは間違いないわけですが……。

そういう、ろくでもないことをした全体主義国家の罪について、その国につながる市民がきちんと過去を学び、考えている好例(日本と対照的な例)としてよく引き合いに出されるのがドイツをはじめとするヨーロッパのナチスの歴史に対する教育や取り組みだけれど、映画『サラの鍵』や『ハンナ・アーレント』などを観るとわかるのは、そんなドイツ・ヨーロッパでも、最初からきちんと過去の罪に向き合えたわけではなく、「悪者探し(ヒトラーや、ナチス高官への罪の押し付け)」や「免罪(あの時代は仕方なかった)」に終始して、「あなた自身は?」という問いが抜け落ちた人が、1945年のその当初は多かったということです。しかし、その抜け落ちを逃さず、向き合わせる努力をし続けた人たちがいたから、ドイツの現在がある。日本も同じで、向き合ってきた歴史研究者、社会科教師、市井の郷土史家のような人たちは少なからずいたし、そういう人たちのおかげで守られた資料や、書き留められた証言(被害者のストーリー)も多い。実際に植民地歴史博物館にも、日本の研究者やアクティビストがコツコツ収集した資料が入っています。

ただ、それが国レベルでの取り組みを成立させるところには至らず、むしろ「そんな余計なことをするな」という圧力をかける国に対する防戦一方が、いまも続いている(むしろもっとひどくなっている)状態なのが日本の現在地です。だから、そういう「いま・ここ」を見て、若い人が「どこに希望があるの?」と思うのは当然かもしれないし、そう思わせる状態のまま、社会を手渡しかけている自分自身の、上の世代としての責任を感じます…。一緒に回っている学生さんたちが真摯に悩んでいるのが、ほんとうに素敵で、私には希望だけど、そんなことを言われても若い人に負担になるだけだと思うから、私はそれを言いたくない。おそらくいつの時代にも、真摯に向き合う若者たちはいて(私もかつてはそうだったわけだし 笑)、悶々としながら、それでもこれは大事なことだと考えて、一生懸命自分なりに向き合ってきた、その営みの上に植民地歴史博物館があるのだし…(とはいえ、これを日本で設立する目途が一向に立たないのが辛いところ)

とどのつまり、私が学んできたのは「日本社会を変えたい」から。
日本のダメさ加減を批判されて辛いなと思うときの辛いの中身も、批判されても仕方がないと私自身も納得してしまう、その状況を覆せないままでいる自分の不甲斐なさ、やるせなさかなぁと思います。ほんとうに、やってもやっても徒労感…に陥りそうになるけれど、そこで諦めたら不甲斐なさに悔しいどころか、不甲斐なさで自分に絶望してしまうから、私は自分を諦めたくないから諦めないのでしょう、たぶん。

アジアの近現代史(かつて大日本帝国が「大東亜共栄圏」と呼んだエリアの歴史)を考えるとき、私自身は「日本人はちょっと後ろめたいという気持ちを引きずるぐらいでちょうどいい」と思ってきたし、いまも思っています。その後ろめたさをなくしたいと思って学ぶ人もいるだろうし、それも大事な動機だと思うけど、前述したようにどこをどう掘ってもろくなことをしていないわけだから、後ろめたさを完全に克服することは難しいんじゃないかなと。そして克服する必要もないんじゃないかなと。ずっと後ろめたい気持ちを抱えたまま、アジアと向き合っていくのが妥当だと思うのです、私は。史実を掘っていると、そんなろくでもない時代に、大日本帝国に異を唱え、目の前の植民地支配の理不尽さに悩み、闘った日本人の姿にも(多くはないけれど)確実に出会えるから、そういう人たちの生き方に励まされるということもありますし。希望といえば、それが希望なのかもしれません。

私にとってもうひとつ大事だったのは「後ろめたさ」にたじろいで諦めたら、身近な人たち、大切な友だちに顔向けできないということでした。友人たちは「そこまで思わんでも」とたぶん言ってくれるけれど、私の気が済まないから勉強している…。30年もやってると、私の人間関係の大事な部分はそういう友人たちで占められていて、もう私の人生の一部で、そんな友人たちに私は助けられてきたし、いまも助けられている。信頼でき、話して、吞んで、遊んで、心置きなく、ともにいられること。そういうものを私のまわりに築いてこれたから、大日本帝国の末裔であることの後ろめたさへの葛藤と差し引きしても、おつりがくるぐらい、いま私は幸福です。

若い人にとっては、そんな世界が構築できるという未来も描きにくく、ただ後ろめたさが重くのしかかるのかもしれないけれど、後ろめたさを引きずりながら、一歩ずつ、少しずつ、前に進んでいったところに広がる未来は、きっと楽しいよ。

私は、その、がんばるための土台をできるだけたくさん作って、手渡したいなと思います。