わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

@Seoul 現代史を巡る旅で考えたこと①

在日コリアン」をフックにしたとあるプログラムで学ぶ学生さんたちとともに、ソウルに行ってました(私の立場は、そのプログラムの講座の一部の担当者)。

 このご時世なので、VISA(ただし私たちが申請を何とか済ませた直後に「VISAなし渡航可」となる)やら検疫(ただし私たちが渡航した3日後には「入国前PCR検査不要」になる/日本の帰国前検査もワクチン3回接種証明に代替可となる)やら、心折れそう……な度に、推しの暮らす街に行くのよ!と自分を鼓舞してたのに、なんと、私がソウルに着いた次の日に推しは来日という顛末に「どういうことよ!」と叫びたくなったよ。남준아……。

それはさておき。

この旅のインプットを整理していきます。長くなるのでいくつかに分割(分割しても長いと思うけど)

 

DMZツアー

www.veltra.com

こちらのツアーでお世話になりました。午前中コース(といっても、朝6:50集合で14:00にソウル市内解散なので、ほぼ一日使うよね…)。日本語ガイドの李さんは優し気なイケメンさん(40歳)で、日本語客は私たちだけ。しかもガイド見習いさんまでいて、お二人の親切丁寧なお仕事を独占するラッキーさ。そのうえ、極めて天候に恵まれました(DMZツアーでお天気いいかどうかは、けっこう死活問題。霧が出たりすると展望台にから何も見えないこともある)

 臨津閣(イムジンガク)平和公園
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平和公園までは、誰でも入れるので、韓国人の親子づれなども多いです。遊園地もあったりして、売店ではK-pop流れまくり

朝鮮戦争当時の被弾列車が展示されていたり、捕虜交換が行われた木の橋(平和の橋)が残っていてみることができたりします。展示館もあります。

私は10数年ぶりに行ったのですが、観光地として、教育施設としてブラッシュアップされた感もすごかった…。ちなみに、各施設での解説文は、おそらく文在寅政権時のままだと思われました(2022年9月4日時点)。というのは、2018年の会談や平昌五輪での女子ホッケー南北合同チームのエピソードで「南北統一を!」と明るい感じで終わってたから…(それを見て辛くなった私…)

この、平和を祈るリボンの数々が風に翻る光景は、前も胸を締め付けられたけど、今回もぐっとくるものがありました。
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この手前の木の橋が「平和の橋」
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…で、ガイドの李さんの「なぜ韓国戦争が起きて分断国家になってしまったのか」の解説が約40分ありました。日本の植民地支配が終わって、さまざまな勢力が新しい独立国家の建設をめざして動き出したこと、そこにソ連の思惑、アメリカの思惑、指導的立場にあった人たちのイデオロギーの違いなどなど、さまざまに入り乱れて複雑なわけで…。基本、国の施設なのでアメリカ批判は薄く、「韓国は統一に向けてあれこれ働きかけ努力もしたのに、応えないDPRK(Democratic People's Republic of Korea)…」という説明をされるのを聞きながら、そんな混乱にこの地の人たちが苦難を強いられているのを横目で見ながら、何なら「朝鮮戦争特需」で経済復興した恩恵の下で生まれ育った自分というものをぼんやり考えてしまうのでした。DPRKだけが一方的に非難されるのはフェアじゃないよなぁと。拉致にせよミサイルにせよ核開発にせよ、韓国や日本の背後にいる軍事超大国アメリカが、彼らにとってはとんでもない脅威なわけで。韓日米合同軍事演習を大々的に展開しているのと、ミサイル発射実験と。日本国内ではやたらに恐怖を煽ろうとする報道が目立つけれど、DPRKの庶民の側と比べて、どっちが怖い目に遭ってるよ? と私はいつもモヤモヤするわけです(そんなの、比較するのもおかしいと思うけど。そして、だからといってミサイル発射実験や核開発に賛成はしませんけども)。ちなみに、日本よりも韓国内の方が拉致被害者脱北者も桁違いに多いんだけど、そんなことも日本ではほぼ知られていない。いろいろな問題の質量の重さが段違いなんだけどなぁ、と私は思うわけです。

武装地帯/民間人統制区域(DeMilitarized Zone)

そして、そこからバスに揺られて、第三トンネルの見学と展望台の見学へ。

民間人統制区域(DMZ)に入る手前でバスに軍人さんが乗ってきて、パスポートチェック(出るときも同じ)。このチェックに来るのは、だいたいが徴兵間もない若い人。前に来たときも、何ともいえない気持ちになったけど、息子と同世代の人が軍服を着てるの見るのはやはりつらい。日本にだって自衛隊があるわけだし「子どもを軍人にしたくない」などと公言するのは、ウクライナ情勢を横目に「腰抜け」「非国民」呼ばわりされそうだけど、嫌なものは嫌だ。「国のために銃を取れ」なんて、私は言いたくない。真っ先に逃亡しろと思うし、全員が逃亡すれば戦争できないじゃん?とやや本気で考えていたりもします(日本の中世における「逃散」という庶民の闘い方ですよ…)。戦闘が起きることなく、こういう仕事や訓練だけで済む、自衛隊にしても戦場で働かされることなく災害救助などの活動で済むのなら、いいんですけど。でも本質が軍隊である以上、「なにかが起きれば」軍人として動かねばならないわけで、本来、私たちが心を砕いて努力すべくは「なにかが起きれば」が起きないように対話努力をするということのはず。おばちゃんは、君たちが戦闘状態に投げ込まれないように全力でがんばるよ。とパスポート差し出しながら心に誓うのでした。

 

展望台から開城の方向を撮りました。いいお天気で、遠くまでくっきり……。

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第3トンネルは休戦協定後に、DMZを超えて奇襲をかけるという作戦遂行のためにDPRKがひそかに掘り進めた(手作業!)トンネルたちの一つ。1970年代に作業に従事して居た技術者が脱北・亡命してきたことで存在が発覚したもの。いまはDPRKもそんな作戦は放棄しており、トンネルも韓国側の方は韓国が管理している状態(で観光資源になっているわけですね…)。ただしトンネル内は写真撮影禁止だったので、資料館(トンネル入り口もこの中)の写真だけ。
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今回驚いたのは欧米人観光客がものすごく多くて、見学ツアーのバスが7台ぐらい来ていたこと。日本人観光客が少ないのは渡航がまだ少ないせいですが、以前はこのツアーにいるの、だいたい日本人だったので閑散としていると想像していたのに…。李さんに聞いたら「『愛の不時着効果』なんですよ」とのこと。マジか……。

侵略された歴史のある国から来た人とか、いまも国境問題で揺れている地域から来た人とか、どんなふうに感じるんだろうなぁとか、逆にアメリカ人ってどう思うんだろう?とか(日本人も人のことは言えないけど)、英語ができれば話しかけてみたいぜ…と思ったりしました。


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このブランコは、展望台の前にあったアート作品で「1、2、Swing!」とタイトルがついていました。イムジン河をえいやっと、ハイジみたいに飛び越えて雲に乗っていけたらいいよね、ホントにね…と泣きそうになりました。

 

写真が撮れなかったのですが(なんだか呆然と眺めてしまったから)

イムジン河の上を大きな白い鳥がすーっと飛んでいく姿を見て、人間の引く境界線って、何なんだろうか…と胸がいっぱいになってしまいました。

これは平和公園にあったアート作品の一部で、DMZを「Dream Making Zone」に読み替えていこう! というテーマ。DMZは地雷原でもあるため、人間が入れず、それゆえに渡り鳥の楽園になっている実態もあるんですよね。f:id:jihyang_tomo:20220908140317j:image

こちらも平和公園内にあった「平和の石」というモニュメント展示。世界各地の戦場から持ち寄られた石86個(64ヶ国分)でつくられたもの(2000年1月1日)。広島や長崎、沖縄の石もありました。
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こうやって、アートに昇華していこうという意志の力を感じさせられることも多かった旅でした。

(…と、私がソウルで考えているとき、推しは東京でゲルハルト・リヒター展を観に行ってたみたいで、それはそれで推しの選択が嬉しいと思うのでした)

 

朝鮮戦争を考える入り口に、おススメ本。『あの夏のソウル』

http://kageshobo.com/main/books/anonatunoseoul.html