わったり☆がったり

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検索窓に「BTS」と入れるといまだに「原爆T…」が出てくる件について

最近、推しについてどこでもそこでも喋りまくるせいで(笑)いわゆる「原爆Tシャツ」と呼ばれている件について質問されることがけっこうあって。

いつの話やねん・・・(2018年・・・4年前か)と、最初は不思議でしょうがなかったのですが、表題に書いた通り、いまだに検索窓に「BTS…」と打ち込むと予測で「原爆」が出てくるのよね。(RMも最近出たソロアルバムの『Still Life』って曲で、またヘイターを皮肉ったりしてますが、ホントに、他にやることないのか…)

なんで、私の思うことを一度まとめます。以後、質問されたら読んでもらえば済むように(私の話は長くなりがち・・・ですが)

 

そもそもの「問題」とは? その1:日本のレイシズム・ヘイター

2018年の10月ごろから、急に「原爆雲をデザインしたTシャツを着るなんて日本をバカにしている!」と、そのほぼ1年前の映像(プライベート場面の私服)がインターネット上で拡散されたのが発端。要は「反日」を言いたい嫌韓ネット右翼の一部(レイシスト・ヘイター)が、いいネタを見つけたぜ! と騒ぎだしたもの。ここでややこしくなったのは、その騒ぎにテレビ局が過剰反応してBTSの番組出演がなくなったせいで、ヘイターが勢いづいてしまい、いまだに「戦果」として誇らしげに(?)持ち出す流れをつくってしまったことだと私は考えています。彼らは「反日」だとバッシングできる標的さえあれば何でもいいわけで、被爆者の思いも権利のことも何も考えてはいない(どころか、被爆者援護法に基づくさまざまな施策について「被爆者特権」などとヘイトスピーチをしている人たちの類です)。

当時の記録記事として、いくつかご紹介。参考に。

BTS(防弾少年団)の「原爆Tシャツ」と「ナチス」問題を、私たちはどう考えるべきか? | ハフポスト アートとカルチャー

BTS原爆Tシャツ問題 「語られない」背景とは何か? K-POP研究、第一人者の分析(石戸諭) - 個人 - Yahoo!ニュース

【選挙ウォッチャー】 BTSやファンにヘイト野郎どもが嫌がらせをしている件。|チダイズム|note

要は原爆意匠どうこうの前に、「日本のレイシストBTSが利用されたという構図」があることを押さえる必要があります。

当時の私は、9月に国連でのスピーチを聞いて「およ?」とビックリして改めて楽曲を聞き始めたぐらいのころで、どちらかというと反ヘイトスピーチのために追っていたさまざまな情報から、この騒動を知りました。だから、ホントに申し訳ないと思ったし、ヘイターに屈するなんて、テレ朝・Mステはバカなのか・・・と怒り心頭でした(まだARMYといえるほどでもなく、彼らのために腹が立っていたわけではなく、ただただヘイトスピーカーにムカついてた状態。でも今にして思うと、国連で人権に関するスピーチして評価されているBTSだったから、あら探しされたんだろうな・・・)。

いまだに、この件をもって「反日」と言ったり「日本/日本人全体への謝罪をしてない」と言ったりしているヤカラがネット上に生息されているようですが、そもそも論として、

「なぜ、日本の国や、日本人全体に謝る必要がある?」

謝るとしたら、相手は世界初の戦略核兵器によって被害を受けた人たち(被爆者)でしょう(そしてBTS被爆者団体に公式に謝罪しているし、それを受け入れられてもいます)。

 

そもそもの問題とは? その2:「原爆」と光復節

問題になったTシャツは、光復節をテーマにしたものでした。

光復節というのは、日本の敗戦≒植民地支配からの解放の記念日として「8月15日」をとらえた、韓国での呼び方です。植民地支配からの解放、独立を記念する日。韓国人の立場からすれば、祝うのは当然です。

ただ(これは韓国だけでなく、大日本帝国とその軍隊に酷い目に遭っていた近隣アジア諸国の間ではよくあるとらえ方なのですが)、その「解放」をもたらした、日本を降伏に追い込んでくれたのが「原爆」だという歴史観があり、問題のTシャツもそういう文脈で「光復節を祝う」→「原爆雲をあしらう」デザインをしてしまっていたのですね。・・・それじたいは、私も賛同しません。日本は原爆が落ちたから降伏したわけではないし(降伏を渋って引きのばしたがために、しなくていい沖縄での戦闘やら原爆投下やらに至らせた大日本帝国軍の責任はあるにせよ)。また、原爆投下したアメリカ(の人の一部)も、自分を正当化するために「日本に降伏を受け入れさせるために仕方がなかった」とか言いだすことがある(実際は日本のポツダム宣言受諾の意志はアメリカにも伝わっていたことが明らかになっており、詭弁)ので、この理屈を受け入れてはダメだと思っています。あんな非人道的な兵器を使用していい理由なんて絶対にない。

でも一方で同時に、「解放だ、やったー!」と歓喜に沸いた当時の、大日本帝国に蹂躙されてきた人びとの思いも考えないといけない。被爆者の思いを考えろ! というなら、植民地主義と戦争の、すべての被害者に思いを馳せるべきだというのが私の考えです。被爆者の辛さをガン無視して「原爆のおかげなんだ」と考えてしまうぐらい、大日本帝国は理不尽で酷かったということでもあるでしょうし、マジョリティ日本人はその大日本帝国につながっている人間なわけで、そこに後ろめたさを感じて歴史と向き合う責任を引き受けるのは人としてあたりまえだと私は思います。

私が、2018年に直観的に「謝るにしたって、相手は被爆者であって、私(被爆者でない日本人、まして日本政府)は謝られる必要ないし」と思い、「日本人に謝れ」の論調に無理があると思ったのは、上に書いたことと同時に、在韓被爆者、および在日朝鮮人被爆者の存在を知っていたことが大きかったです。

上に書いたように、「原爆のおかげで日本が降伏した」という歴史観は、日本で被爆して戦後母国に戻った人たちの口を封じる効果をもってしまいました。原爆の非人道性、その被害によって後遺障害や放射線被害に苦しんでいることを言いづらい。韓国政府は「その被害は日本のせいだろう」と何もしてくれないし、日本の被爆者援護政策は「日本国内に暮らしていること」が前提で、戦後海外に渡った被爆者に対しては何も為されない。二つの国のはざまで、社会的に不可視化され、治療も受けられず、苦しい生活を強いられることになった、そんな在韓被爆者の存在に気づき、日本から支援する市民団体が出てきたのは1970年代以降です。私は学生時代(88年、89年)に広島で在韓被爆者やその支援をする医療者、市民、そして在日コリアン被爆者の方に出会い、「日本は被害の歴史ばかりで加害を教えない」とよく批判されるけれど、その「被害の実態」だって、決して正確に教えらているわけではないのだと痛感させられました(それは前に書いたこちらを)

8月6日と9日のあいだで - わったり☆がったり

だから、BTSが問題を引き受けて、日本と韓国の被爆者団体双方に謝罪したことが、私はとても嬉しかったのです。

韓国人であるBTSの立場からすれば、「光復節を祝う」ことについて謝罪なんてあり得ない。ただ、それを祝うために、非人道兵器である原子爆弾の意匠を用いるのはダメだった、それはアウトなのに気づけなかった、勉強不足で申し訳ありません…という主旨の謝罪を、謝るべき相手にはきちんとしてくれたわけです(ゆえに、もはやどうこう言われる筋合いはない。言う方がどうかしている)。

そして、BTSが在韓被爆者団体に向けて謝罪を発したことで、韓国にも被爆者がいるのに不可視化されてきたこと、「解放」を重視するあまり原爆・核兵器の非人道性を考えることが不十分だったのではないか・・・といったことにも光が当たり、韓国社会に考えるきっかけを提供することに(少しは)なったことの意義を思うと、BTS(所属会社)がとった対応は、考えうる最善だったと評価したいです。

 

戦争被害も、人権の問題

戦争は国(政府)対 国(政府)なので、どうしてもそういうフェーズで語られがちですが、私は戦争の、特に被害補償の問題については人権の(個人の)視点で考えないと間違えると思っています。

特に原爆被爆者の問題については、核爆弾が落ちた、その瞬間とその後の何週間かの話にばかり焦点が当たりますが、被爆者が被った困難は、そんな瞬間で終わった話ではなく、その後何年も続いたわけです。そこには世代を超える放射線被害の問題もある。そして、健康被害にばかり目が向きがちだけれど、「被爆者と結婚したら健康な子どもに恵まれない」からと結婚差別をする、はっきりした病名がつきにくい健康被害がなかなか理解されず「原爆のせいにしてサボっている」と揶揄する、差別する、そんな態度を取ってきた日本社会の、人権課題の一つでもあります(そして、この差別の面に向き合う平和教育をしてこなかったことが、福島第一原発事故後の「被災者/被曝者差別」をまん延させたとも私は考えています。歴史を反省しないから同じことを繰り返す)。

少々話が込み入るのですが、

原爆を落としたのはアメリカですが、日本は敗戦国、アメリカは戦勝国という関係上、政府同士の交渉のなかではアメリカに原爆被害について賠償させるということにはならず…。日本政府が被爆者援護法などで、被爆者の健康被害についての医療支援の仕組みをつくったわけです。そしてこの法律は国籍で人を分けるということをしていないので、日本国内に暮らしていれば、そして被爆者であることが証明できて被爆者健康手帳が取得できれば、だれであれ、さまざまな治療や支援を受けることが可能です。なので、私はこの法律に関しては公平だな、日本政府がんばったな…と長年思っていました(他の戦争被害者への補償、年金制度などにはことごとく国籍要件があって、被害を受けた当時は「日本人」でも、戦後「外国人」になったんだからと、対象外にされたので)

が、実は国籍で分けず、居住実態で支援の有無を決めているのは、被爆者の被害への賠償ではなく「公衆衛生の観点で被爆者を放置できなかったから」なのだと、10年ぐらい前に知りました。・・・え? マジか。と目が点になりました。

既に書きましたが、実は戦後日本から出た被爆者の人たちは少なくありません。広島も長崎も軍港を擁し、海軍基地や軍艦をつくる施設があった土地柄なので、戦争捕虜としてそこにいた外国人、労働者としてそこにいた朝鮮人、そういう人たちも被爆しており、そして「終戦/解放」後に祖国に帰った人たちがいます。また、1950年代から再開された中南米への移民政策で、ドミニカやブラジルに渡った日本人の被爆者もいます。かれらのことをまとめて「在外被爆者」といいますが、在外被爆者は日本に来て手続きをして被爆者健康手帳を受領すれば日本滞在中は治療を受けられますが、海外にいたまま手帳を取得したり、現地で受けた治療の費用を補償してもらうといったことはできません。それはつまり「日本国外にいる人たちが体調不良になっても、日本国内の公衆衛生には影響しないから」という理由だったということなのか・・・。

でも、そういう理由だとしたら腑に落ちることが確かにいっぱいあるな…と考えて、戦慄しました。日本は、戦争被害を人権問題だと思ってないのだなと。

だから、東京や大阪などの都市爆撃(空襲)による被害者には何の補償もしなかったし、沖縄戦の被害者にしても大日本帝国軍と何らかの形で「命令―受諾」関係があれば補償対象になるけれど、一般市民が戦闘に巻き込まれた「だけ」の場合は補償対象ではないわけです・・・。あくまでも軍人ベース。そして、戦闘の最前線に立たされた人々より、戦場にはいかない、階級の高い軍人の方に手厚い補償・・・。
(ちなみに、都市爆撃被害者が日本政府に補償を訴えた裁判などに対して「爆弾落としたアメリカに言え!」という人たちもいつまでもBTSに難癖付ける人たちと重なっています…。爆弾落としたのはアメリカだけど、空爆に対して「即座に避難」ではなく「消火活動に当たれ」と指導(強制)し、無駄に民間人被害を拡大させたのは大日本帝国政府だという事実はご存じないのかガン無視なのか。まぁ、興味もないんでしょうけど)

 

でも戦争被害を人権の問題だと考えれば、政府がすべきことは、①謝罪:そんな目に遭わせた責任の所在をはっきりさせる/被害者には落ち度がないと証明する ②賠償:被害についてできる限り調査し、正確に認定する(それに基づいて賠償の方法が決まり、謝罪の内容も決まる)③教育:二度とその過ちを繰り返さないための、未来世代への責任を果たす の3点セットが必要です(国家間での戦後処理は、領土の線引きだとか戦費としての損害賠償って話になるので、個人の被害の話とは別)。

 

たぶん、戦争を国と国との問題のみで考えて、原爆の被害を受けたのは「大日本帝国」だ!だから「国」に謝ってくれ! という思考回路の人が「謝罪されていない」と考えるんでしょうね・・・(そしてその場合、あなたは「大日本帝国」の人なんですか? って話になる気がするのですが。戦後「日本国」と戦前「大日本帝国」を切り離して考えなくて、だいじょうぶなんでしょうか・・・。「大日本帝国」時代の負の遺産は反省して二度と繰り返さない決意のもとに「日本国」出発したのでは? それに、それを言うならまずアメリカを責めるべきじゃないのかと思うけど、そうはならないわけで、やっぱりなんかおかしいですよ。レイシスト・ヘイターの理屈は・・・)

 

私が敬愛してやまない被爆者の一人に、沼田鈴子さん(「被爆アオギリ」の話で有名)がいらっしゃいますが、初めてお会いしたときに聞いたお話をいまも覚えています。

沼田さんは被爆語り部として活動し始め、海外にも語り部の活動で赴くようになります。そして活動先のインドネシアで「日本人が何を被害者ぶって・・・」という冷たい視線を浴びます。そしてインドネシアで日本軍がしたこと、住民に刻み込まれた被害の記憶について学んで、ハッとしたと。沼田さんは、講演を始める前に頭を下げて「日本軍がみなさんにしたことを、日本人の一人として謝ります」と言われたそうです。

私はその話を聞いたとき「沼田さんが謝ることじゃないのに」と、どこにぶつけたらいいのかわからない憤りのようなモヤモヤで泣いてしまったのですが、沼田さんは笑って「私の頭ぐらい、下げてればいいのよ。大事なのは、私とその人たちが戦争被害者としてつながって、日本人が悪いとか悪くないとか、そんな議論ではなくて『戦争や侵略を二度と起こしてはいけない』と考える人を増やすことなんだから」と。そして実際、謝罪して、自分の話をしていったとき、現地の人たちは「大事な人を失う悲しみ、自分の体や心が傷ついた痛みは、私にもわかる。同じですね」と手をつないでくれたのだと話しておられました。

「ね? 頭下げるぐらい、なんでもないのよ。その後が大事」

沼田さんと、沼田さんが属していた語り部の会の人たちから、私はたくさんのことを教わりました。なかでも「戦争は最大の人権侵害だ。だから日常から差別をなくすことが平和への道だ」という信念のバトンを受け取ったことは、誇りです。

 

人間は不完全で、間違いも起こす。

知識だって、すべてのことを知り尽くして準備することなんて永遠にできっこないのだから、知らないことは学ぶしかない。間違ったこと、失敗は反省して、繰り返さないように努力するしかない。

そして時として、発言が切り取られたり、誤解されたり、といった問題も起きる。その都度その都度、説明する、話し合うしかない。

「謝罪」にしたって、謝った相手が許してくれるかどうかは相手次第。「謝ってるんだから許してやれ」なんて傲慢な思いが出てくるようでは、謝罪にならない。だから、下げた頭に恥じないように、日々の行動で反省していること、努力していることを示し続けるしかない。

 

ARMYになったから言うわけではなく、

BTSは十分に、行動で、人類と世界に対する誠実さを示し続けていると思います。

今後も、そういう7人でいてほしいし、きっとそうあってくれると信じます。

 

追記)こちらの紹介を忘れていました。

whitepaperproject.com

2018年末に、ARMY有志がまとめた長大なレポートですが、残念ながら英語版と韓国語版しかアップされておらず…(個人的に、日本語訳しようかなと思いつつ、時間が取れてなくて)。この件をきっかけに、その背後にある歴史的文脈を丁寧に後付けてまとめてくださっています。こういう人たちをファンにもつことが、私の沼落ち要因の一つでもあり……こういう人たちが離れていかないアーティストであり続けてほしいです。ファンの心は移ろうものだし、アーティストも日々成長し変化していくので、先のことなんてわからないけれど、RMいうところの「1.1人分の大人になろう」「善き人であろう」という志は変わらずいてほしいです。