わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

国家とアート、人間(リヒター展で思ったこと)

2022年12月13日。Jinが入隊。

気がついたら泣いていた……ぐらいに、胸が痛かった(たぶんずっと痛い)。

 

いてもたってもいられなくなって、リヒター展に行ってきました(往復7時間ぐらいかかって、美術館滞在は約2時間…)。

9月に推しが、行ってたのは東京展で、いまは名古屋(豊田市)展。東京展よりも作品展数は増えているとのこと。


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ちなみにこの絵は「3月」というタイトルで、3月生まれなもので気になって写真を撮って、帰り道でこの人のインスタを見返したらこの写真が出てきて、嬉しくなってしまいました(←ファン心理…。同じ絵の前に立ったよ! そして同じポーズしたよ!)

 

今回、日本に来たリヒター展の目玉は,
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で盗み撮りによって撮影された4枚の写真に基づく4枚組の絵画作品《ビルケナウ》(2014)。f:id:jihyang_tomo:20221214164821j:image

やはり写真ではわかりづらいな…。この左上に「見下ろしている誰かの目」を感じて撮ったのだけど…。


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リヒターは「アブストラクトペインティング」と呼ばれる技法が有名で、「ビルケナウ」もその手法。塗りこめられて見えないけれど、土台にはビルケナウ・ナチス収容所で隠し撮りされ持ち出された「非人道的な暴力の記録」写真があり…。その上に重ねられた絵の具の質感、ぬめり感、鈍い光。そしてその絵の具の層をペインティングナイフでスッと真横にえぐっていくときに、ナイフから指先に届いたであろうキャンパス地にこすれる手ごたえ、触感…、そのときの音… といったものが想像されて、背中がぞわぞわしました。絵なのに。視覚なのに。他の感覚が呼び覚まされる2次元(絵)って、どういうことだ…。

www.tokyoartbeat.com

1932年生まれのリヒターは、いくつかの政治体制を生きてきた人です。10代初めまではナチス・ドイツ。それが1945年に崩壊して、49年にドイツは東西に分裂します。リヒターは東ドイツで20代後半まで過ごした後、1961年に西ドイツに移るわけですね。

ナチス・ドイツでも、東ドイツでも、共同体が人々を導くためにイメージを利用しました。リヒター自身も東ドイツでは、人民に新しい国家への肯定的なメッセージを伝えるべく壁画を描いていました。しかし、西側の自由な美術を見るにつけ、自分の仕事は嘘なのではないかと感じ始めるわけです。要は、ナチス崩壊から西側に移るまでの過程は、リヒターにとって何を信じていいのかわからなくなる体験だったのだと思います。

さらに移住先のデュッセルドルフでは、これまで見たことのないような無数のイメージ、とくに広告ビジュアルが溢れていました。自分が何を見て、信用したらいいのか、さっぱりわからない。これは非常にキツい体験だったはずで、巷に溢れるイメージを1個1個、自分で検証しなければいけなかった。それがひとつ、イメージそのものを疑いながら自分に何が作れるのかを実践する姿勢につながっているように感じます。

もうひとつ言えば、リヒターのイメージへの関心の形成には、彼が後に作品で扱うことになるホロコーストや、ドイツ赤軍派の問題も入ってくるでしょう。そうした惨劇を、果たして我々はイメージにすることができるのか。リヒターはこうした問題をオブセッショナルに抱えていて、その問いに対して絵画を用いて取り組んできた人でもあります。

 

──今回の展示室では《ビルケナウ》の4枚の絵画群やもとの写真の複製のほかに、絵画の対面に同サイズの4点の写真ヴァージョン、さらにその間の壁に横長のグレイの鏡が合わせて展示されていました。この組み合わせには、どのような意味があるのでしょうか。

桝田:今回の展示空間は、2020年にメトロポリタン美術館で開催されたリヒター展の《ビルケナウ》のインスタレーションに準じています。ただし、これまで、これらは必ずしもセットで展示されてきたわけではありませんでした。

そのうえで写真ヴァージョンについて考えると、イメージの真正性の問題がひとつにはあるのではないかと思います。もともとのホロコーストの写真群にもかなりの修正が加えられていることが知られています。(中略)

それでは事実にたどり着くことのできる真正なイメージとはいったい何なのか、と。ビルケナウ、あるいはホロコーストを「正しく」認識するということはきわめて難しいわけです。もしかしたらそれは複製であってもできるかもしれないし、逆に真正なイメージであっても不可能かもしれない。

もうひとつ、《ビルケナウ》という象徴的な意味性を帯びた絵画のコピーには、「唯一無二だと思える大きな厄災も反復しうる」という含意も指摘できると思います。これはまさに現在のウクライナの状況に重なる視点です。どんな悲惨な事柄さえも反復されうる。そのことを我々は、絵画と写真と鏡に取り込まれた空間で感じるわけです。《ビルケナウ》の想像力は、そんなふうにホロコーストという固有の出来事を超越している面もあると思います。

 

…という解説を読んで、なるほどと思いつつ。

豊田市美術館は、小高い丘の上にあって、とても美しい庭や公園に囲まれていました。

外に出て深呼吸して、冬の澄んだ空気にくっきり映える空や木々を眺めながら、アートって何だろうなぁと考えました。
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戦争が起きると、だいたい芸術家は「戦意高揚」に利用されるか、利用を拒んで酷い目に遭う・社会的に抹消されるか…になりますよね。だから、芸術家が芸術家として自由に思うところを表現できるためには、社会が平和である、自由が尊重されていることが必要です。

(…と考えながら書いているBGMはRMソロの「Yun」。韓国の現代アート作家・ユンヒョングンをうたったもので、イントロに「真善美とは…」と語っている画家の肉声が取り込まれています)

 

私は演劇少女だったので

戦争中の検閲等の問題だけでなく、東西冷戦のイデオロギー対立の下でのレッドパージなどもちょっと勉強したことがあって…。「表現の自由」を守るために闘った人たちや、家族や生活や、いろんなものを天秤にかけさせられて、戦争や略奪、侵略を美化することや人びとを戦地に追い立てることに加担する羽目になり、そのことに後々苦しんだ人たちの作品や評伝を、10代のころにずいぶん読みました。

そこで思ったのは、

私は逮捕されたり理不尽な取り調べを受けたりしたら、たぶん恐怖で抵抗しきれないだろうなということ。だから抵抗した人は無条件にすごいなぁと尊敬するし、抵抗しきれずに「軍国主義」「独裁者」の協力者になってしまった人たちを責められない。かといって、それが正しいとか仕方がなかったとかって開き直って肯定するほど図太くもない。だから、そんな事態に陥る手前で、要は「戦争(戦前)」「侵略」に突入する前に全力で必死でそれを止めることの方を努力しよう、と思い、そう思って生きてきました。

そういう私にとって、ヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力」のとらえかた、日常にある差別(暴力)を許さない文化をつくる努力が、反戦につながるのだという考え方は、日々自分がやるべきこと、できることを考えるヒントとして、とても大事なのです。

 

「ビルケナウ」作品を観て「ぞわぞわした」と書きましたが、アートには、そんなふうに感覚的に伝える力があって。だからこそ権力者は、その力を自分たちのために使おうとする。利用しようとする権力と、利用させまいとする人(作家)とのせめぎあいのあいだに、ああいう作品が生まれるのだろうなぁ……。

 

「私のことを私抜きに決めるな」というのは、障害者の権利運動でのスローガンだけれど、アートでいえば「私の表現は私だけのものだ、指図するな」ってことでもあるなぁと。表現したいことを表現する。誰かのためではなく、まして国家のためなどではなく、1人の個人、たった一人の私として、私が表現したいことを表現する。そういう人のことをアーティストというんだろうな。

私はアーティストではないけれど、こうして自分が思うことを、自分が整理したいように整理して、吐き出して、記録する。それは誰のためでもなく、私が私のために、私が形として残したいから、こうしていること。

 

最初の一人が、兵役に入って。

18ヶ月。そのあいだ、彼らは表現を、ことばも歌もダンスも取り上げられて、ただただ「国家のもの」になる。苦しいだろうな。考えるだけで辛い。

台湾でも、4ヶ月まで縮小されていた兵役義務が1年に延長されるというニュースを今朝見かけた。軍事的緊張が高まる、その緊張を煽る人たちが出てくる…そして、若者の自由が奪われる顛末にすすんでしまう。

日本も「敵基地攻撃能力の保持」云々と言っている。軍事力は兵器を持てばいいというものではなく、その兵器を扱う人がいる。いたずらに東アジアの軍事的緊張を煽って、臨戦態勢(?)をつくりたがる人たちは、自衛隊員の「人不足」にはどう対処するつもりだろうか? 日本でも徴兵制をやろうと言い出しそうだなと思う。そういう勇ましいことを言いだす人たちの頭の中では、「人あっての国」ではなく「国あっての人」だから、人を「国家のもの」扱いすることに躊躇がない。

人は誰かのものなんかじゃない。

一人ひとり、独立した人格の個人であり「私を支配していいのは私だけ」だ。

 

日本がこれ以上バカなことを言い出さないように、もはや突入してしまっている「戦前」から引き返せるように、できることは何でもやりたいです。

 

(それにしても。まかりなりにも「自分からは戦争をしない(攻撃を仕掛けない)国」となったことで、20世紀前半の数々の「やらかし」を近隣アジア諸国から何とか許してもらってきたという事実はガン無視なのか? 厚かましいにもほどがある…。日本国憲法の「崇高な理想」を自ら捨て去って、20世紀前半に逆コースだ。それをみすみす見逃すわけにはいきませんよね…)