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大阪高裁不当判決ー朝鮮学校「無償化除外」が なぜ不当なのか

ついさきほど、大阪朝鮮高級学校が「無償化除外」の不当性を問うて闘ってきた裁判の控訴審で、逆転敗訴となったという一報が入り、怒り心頭。

なので、2013年1月に「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関するパブリックコメント」として書いたものをここに載せます。もともと「高校無償化」が法制化された際には朝鮮学校もその対象に入っていたのに、政府が後出しで条件を出し、なんやかやりゆうをつけて「無償化」から朝鮮高校生を除外する行為を続けた挙句、法制度的に排除できる状態にしてしまうための「改正案」が提案され、それに対してパブコメとして書いたものです。当時、私のように論拠を示したうえで反対のパブコメを書いた仲間も多かったものの、ヘイトスピーチそのものの賛成パブコメも多数押し寄せ、改正案は通ってしまいました。

わたしの考えは当時から変わっておらず、日本政府のやり方は不正義きわまりないと思っています。司法がそれを追認していく流れを鑑みて、こういう形で採録しておく方が良いかと考え、掲載します。元原稿はパブコメの字数制限(2000字)に収まらず、2回に分けて提出しました。掲載するのは分ける前の原稿を2013年6月に手直ししたものです。日本の文教政策に添いつつ(文科省宛のパブコメだったので)、朝鮮学校を正規学校として認めない/諸般の権利から除外することがいかに不当で日本にとっても益にないことか・・・という論旨で、3日ぐらいかかって書いた覚えがあります。除外から既に8年も経ち、「なんで裁判してるの?」とお思いの方に、理解の参考になれば幸いです。

 

結論:本省令案に反対します。

「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則」は、2010年4月から施行されたいわゆる「高校無償化」制度について、国公立高等学校以外に通学する生徒への適用範囲を定めたものと理解しております。高等学校(後期中等教育)の無償化は、「高校・大学までの段階的な無償化」を定めた国際人権A規約(13条2項b,c)実行の第一歩であり、実際に政府は2012年9月、この「留保」撤回を閣議決定し、国連に通告しました。教育権保障の取り組みの前進は喜ばしいことであり、政権与党の交代によって、この「高校無償化」の取組みが後退することのないよう、切に願うものです。

今回の「改正」案は、私立学校認可外になっている外国人学校(国際学校含)に通学する生徒への本制度適用について定めた以下3つの条件、

(イ)大使館を通じて日本の高等学校の課程に相当する課程であることが確認できる「民族系外国人学校

(ロ)国際的な学校評価団体から認定された「インターナショナル・スクール

(ハ)それ以外の外国人学校で文科大臣が指定したもの

から、(ハ)を削除するものです。(ハ)条項は、人権侵害を避ける/15~18歳の子どもたちが通うすべての学校を無償化の対象にするための知恵であったはずですが、2010年以来この(ハ)条項の指定審議の対象から朝鮮学校を除外してきた措置を追認し、さらに今後は法制度的に完全に排除することを宣言する改悪案がだされたものと考え、コメントするものです。

 1.国際人権規約・児童の権利条約違反である点

 「高校無償化」制度から朝鮮学校を排除し続けていることは、前述国際人権A規約、および児童の権利条約に定められた教育権の侵害に当たります。児童の権利条約第28条第1項b「種々の形態の中等教育(一般教育及び職業教育を含む)の発展を奨励し、すべての児童に対し、これらの中等教育が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとし、例えば、無償教育の導入、必要な場合における財政的援助の提供のような適当な措置をとる」とあるのに、日本で生まれ育った15歳~18歳の朝鮮高級学校生は「財政的援助」から除外されているのです。さらにいえば、朝鮮学校が学校教育法第一条に相当する学校と認められず、各種学校の地位に置かれ続けてきたことが、同じく児童の権利条約第29条第1項c「児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること」、第30条「種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない」といったマイノリティの教育権保障を定めた条文に既に違反しており、現に2010年2月24日国連人種差別撤廃委員会日本政府報告書審査(ジュネーブ)にて「朝鮮学校は、税制上の扱い、資金供与、その他、不利な状況に置かれている」「すべての民族の子どもに教育を保障すべきであり、高校無償化問題で朝鮮学校をはずすなど差別的措置がなされないことを望む」と指摘されています。つまり、国際的には日本が重大な人権侵害国家だと従前から指弾されているのです。今回の「改正」を実行すれば、これまでは「法令の運用における差別的取扱い」だったものが、明確に「差別的法令」になるといえます。国際社会に背を向け、民主主義の実践から後退する道を日本は選択するのでしょうか。私は日本で生まれ育った市民の一人として、日本社会が民主主義の発展に背を向け、国際社会からの孤立を招く本「改正」案に断固反対します。

 2.外交課題と内政課題との混同を糾すべきだという点

 2012年12月28日の閣僚懇談会の場で、下村博文文部科学大臣が「朝鮮学校については、拉致問題の進展がないこと、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいることなどから、現時点の指定は国民の理解が得られないので、不指定の方向で検討したい」と提案し、安倍晋三総理大臣が「その方向でしっかり検討してほしい」と返答、その場で了承されました。しかし、「国民の理解が得られない」ならば得られる努力をするのが政府の責任ですし、拉致問題解決に進展がないことの原因が朝鮮総連朝鮮学校にあるのでしょうか。朝鮮学校に通う生徒を差別し、不利な状況におくことが、拉致問題の解決に結びつくのでしょうか。下村大臣の発言は、国民が朝鮮学校の生徒を「高校無償化」制度から排除することが拉致問題の解決に「結びつく」と考えているから政府がそれに追従するのだと述べたと解せます。では、少なくない国民が放射能汚染・原発事故への不安を訴えていることには追従せず、「安易に原発ゼロを言うべきでない」とおっしゃるのはなぜでしょうか。「世論/国民の理解」のありようを、そのときどきで都合よく利用する政府を、国民の一人として私は信用できません。

 拉致問題や「ミサイル」発射問題といった課題は外交で解決すべき課題であり、日本に暮らす高校生の教育権侵害を正当化する理由にはなりません。仮に「国民の理解が得られない」のならば、国民がこの点を混同しているからであり、政府として成すべきは混同を糾すことです。政府が率先して混同をうながし、子どもたちの教育権侵害に加担するなど、民主主義国家日本の政権として恥ずべきことだと考えます。

 3.朝鮮学校の歴史と現状/朝鮮学校は「日本の学校」だという点

 朝鮮学校は、植民地解放後に朝鮮半島出身者が作った小さな講習会や勉強会を端緒とします。植民地であった朝鮮半島や台湾からの労働者は1920年代から漸増し、1940年代には日本生まれの子どもたちが既に存在していました。朝鮮や台湾でも学校で朝鮮語台湾語を学ぶことはできませんでした(解放当時中学生だった老人の証言「親との会話や地域社会でのやりとりで朝鮮語の会話能力はあったが読み書き能力はなかった」)。ましてや宗主国本土である日本内地で朝鮮語や朝鮮の歴史を学べる学校は存在せず、貧困による不就学児童も多数に上りました。また、日本に生まれ育った子どもの場合、家族やコミュニティ内では朝鮮語を使っていても、暮らす社会は日本語の環境です(現在でも渡日労働者の子どもたちが、親よりも日本語に堪能で、逆に母語を喪失しがちな現象は珍しくない)。1945年以降、帰郷を考えた親たちがわが子の朝鮮語の能力に不安を覚え、帰郷準備の一つとして朝鮮語を学ばせる場を自主的に作り上げたのは、自然の成り行きではなかったかと思います。しかし折からの東アジア情勢/東西冷戦の深刻化のもと、GHQと日本政府は朝鮮学校共産主義に傾くことを恐れて弾圧、強制的に解散させました。思えばこの時代から、朝鮮学校は「朝鮮語・朝鮮の歴史を学びたい/学ばせたい」という素朴な保護者の思いに支えられる一方で、国際情勢に翻弄され続けてきた学校だといえます。そして日本政府は一貫して、朝鮮学校を私立学校として認可できない法体系を維持し続けてきました。通学定期の購入やインターハイ出場の権利なども、当事者の訴えとそれに共感する日本市民の運動によって開かれてきたものです。日本政府の姿勢は一貫して、朝鮮学校に冷淡でした。その冷淡さの延長に、「高校無償化」制度からの除外があり、拉致問題の発覚や昨今の「ミサイル」問題は、きっかけに過ぎないと考えます。

 国際情勢にせよ、日本政府の方針にせよ、それは朝鮮学校の外側の問題です。再建初期のころ(1960~70年代)、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国から財政面・教材面で支援を受けていたことは確かですが、いまはほとんど支援などない状況で資金繰りも苦しく、教員の給料遅配、校舎補修の滞りといった問題を恒常的に抱えています。通学生徒は在日コリアンの3~5世がほとんどで、国籍も朝鮮・韓国・日本とさまざまです。保護者も日本で生まれ育った日本の市民であり、地域社会で市民としての責任を果たしながら、朝鮮学校の財政難を支えるためにも尽力しています。先の東北大震災、18年前の阪神淡路大震災の折りは、朝鮮学校も校舎やグラウンドに避難者を受け入れ、炊き出しを行い、地域住民を支えました。京阪神地域の朝鮮学校では、いまも地域住民と合同での文化交流行事などが続いています。この間「教育内容が偏っている/反日教育をしている」といった誹謗中傷が続いていることもあり、むしろ積極的に学校見学や交流行事参加を受け入れ、日常の教育活動プラスαの活動を強いられています。朝鮮学校は既に開示努力をしているのです。しかし、朝鮮学校は少数であり、身近に朝鮮学校に触れることができる日本人も限られています。蟷螂の斧で奮闘する朝鮮学校とそのコミュニティに対し、その教育活動を正当に評価せず、偏見に迎合することが、民主主義だといえるでしょうか

 私が勤める大学にも、朝鮮学校出身の学生がいます。彼らは朝鮮語と日本語のバイリンガル教育を受け、複眼的思考を持った人材です。なかには教員採用試験に合格し、公立学校の教壇に立つ卒業生もいます。つまり、朝鮮学校で教育を受けた学生の知識や能力は、日本の学校で教育を受けた学生に何ら劣りません。もともと教育課程も教科書も、日本の学習指導要領を参照しながら作られているのですから当然です。加えて、継承語指導として日本語と朝鮮語バイリンガル教育/イマージョン教育に長年取り組んできた朝鮮学校は、グローバル人材の育成/英語教育の推進を標榜する現今の日本の教育現場にとって、参照できる指導理論や指導方法の宝庫です。英語教育にも力を入れ、トリリンガル育成を目標に教育実践を重ねる朝鮮学校を差別し排斥する文教政策と、朝鮮学校との実践交流や相互研修を取り入れる文教政策の、どちらが日本の子どもたちの学力/語学力形成にとってメリットがあるか、重ねて申し上げるまでもないでしょう

 なお、「日本の学校に通うことを拒否していないのだから教育権の侵害ではない」という意見がよく聞かれます。しかしこの意見は「マイノリティの教育権」に関する理解不足から発せられる詭弁です。なぜなら、日本の学習指導要領に基づき、日本の検定教科書使用を義務付けられている日本の学校は、「(マジョリティである)日本民族教育」をする学校であり、マイノリティの文化や歴史を学ぶ場ではないからです。多住地域を抱える学校で、総合的な学習の時間等を使った異文化学習/国際交流学習に取り組む学校はありますが、それは現場の判断に負うもので、制度的に保障されているものではありません。一方で圧倒的な日本語モノリンガル社会で、マイノリティが独自の言語文化を維持することは極めて困難です。児童の権利条約等でマイノリティの教育権について特に言及があるのも、この点を踏まえているからです。朝鮮学校がもつバイリンガル教育のノウハウは、日本のなかの朝鮮学校だったからこそ蓄積できた財産であり、この財産を守ることが、国際人権規約や児童の権利条約の精神に沿うことです。

  以上、提示された省令案に反対するとともに、「高校無償化」制度からの朝鮮学校除外を直ちに改め、生徒たちに日本の高校生同様の権利を保障することを求めます。