わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「権利を行使する」って、そんなにたいそうなことではないよね? ってお話 

タイトルがうまくつけられない(笑)

学生のレポート(といっても11月末に出してもらったものなので、その後の授業を経て、今は認識が変わっているかもしれない…てか変わっていてほしい…)を採点のために読んでいて、「なんでここで混乱するんだろうかな…???」と私の方がこんがらがってきたので、書いてみる

 

《子どもの権利》について説明された文章(by人権教育への招待 ダイバーシティの未来をひらくの通販/神村 早織/森 実 - 紙の本:honto本の通販ストア )を読みなさい…と、そして「納得できた点」「疑問点」を示しなさい、というレポートなのですが

 

当然、説明のベースは「子どもの権利条約」で

*「子どもはその権利(人権)を享有し、行使する主体である」(子どもを「保護の客体から権利行使の主体へ」というフレーズ)

*4つの権利(生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利)

*4つの一般原則(差別の禁止、子どもの最善の利益、生命・生存および発達に対する権利、子どもの意見の尊重)

 

…で。

 

「意見表明の権利」「意志決定の尊重」…あたりの話で、

*アドバイスにとどまって、最終決定は子どもがするなら問題ないと思うが、その「とどまる線」が難しそうだ
*毎日親の意見を聞かされていたら、子どもが親の意見を自分の意見のように考えるんじゃないか? その場合、子どもが自分で決めた体だけど、実は決定を奪われているのか?

…等など、グレーゾーン的な部分が難しい…というのは「うん、そこひっかかるの、わかる!」と思うのだけど、

*子どもに決定の責任を負わせて、保護しないのはどうなんだろう?
*子どもは未熟だから、やはり保護しなければいけないのでは?

というのが「疑問点だ」と記しているのが、そこそこの枚数あって

     ん?

ってなってる(←いまここ)

 

「保護の客体ではない」というのは「受身的に守ってもらうだけの弱い存在じゃない」という意味で、成長途上にある子どもはその生命と成長を「守られる/保護される権利がある」っていうことも、書いてあるじゃん…??? どこにも「保護しなくていい」とは書いてないのにな……(読めてないってことだろうか)

 

 

……って、改めて課題文(約4ページ)を読んでみたけど、やっぱり「読めてない」ということなのか、そもそも斜め読みしかしてないということなのか。

 

 

まぁ、斜め読みだと仮定して、こういう誤読(?)的なことが勃発するのは、やっぱり「権利の行使」ということばが喚起するイメージが、「〇〇の権利を保障せよ!」とか「人権侵害は許さないぞ!」とか、こぶしを振り上げて叫んでるイメージ…まではいかなくても、何か強い態度でキッパリ主張するような、ゆるぎない感じがあるからなんだろうなぁという気がしてきた。

子どもの権利条約(だけじゃないけど)で想定している「権利行使」というのは、「着たい服を着たい」「きょうの放課後はこれがしたい」「あのマンガ読みたい」「今日は早く寝ようっと」みたいな、「いま・ここのわたし」のNeedsを言えて、それをまわりの大人が尊重する、ということなんだけどな。
その程度のことであっても、必死に主張しないと守ってもらえない子どもだっている、ちょっとそう呟いてみるということすら許されない子どもがいる、だから「子どもだって権利主体ですよ!」と言わないといけない。だから権利条約。

 

生活保護」を利用する人も、保護される≒弱者というイメージなのかな?
(なんだろうな、きっと……)

自分の生活を守るために、「健康で文化的な最低限度の生活を保障しろ!」という権利が生活保護なのになぁ……。「保護」には「保障」が含意されている(というか、ここに関しては「生活保障制度」に文言変えるとスッキリするかも…)

 

権利だって「守る」っていうのになぁ…

 

守る/守られるも、何か一方的なイメージなんだろうか。庇護する/庇護される、的な。

 

そもそも、「子どもの権利」もそうだけど、「人権問題」は、差別を受けて(人権侵害されて)気の毒な人たち≒傷ついた弱い人たちのことを考えること、人権擁護について考える必要があるのは、社会的弱者で保護してやらなければいけない人たちだから。みたいな強烈なイメージがあるからかもしれない。子どもの場合は、成長途上で心身ともに大人より「弱い」、「ちいさきものはみなうつくし」だから「子どもの権利条約」っていうのがあるんだな~ぐらいに考えがちなことも、影響するんだろうな。だから「権利主体です!」と書かれて「そうなのか!」と思っても、あんまり腑に落ちないで、「保護しなくていいのか?」とこんがらがるのかな……

 

書いてたら余計にこんがらがってきてしまった(苦笑)

 

うまくいえないけど、

ほんとうはいろんなところに依存するから成立する「自立」が「だれにも頼らずにガシガシ生き抜く力」みたいなイメージになってたり

自分のことは自分で決めたいよねー、失敗するのも経験だし学べるよねー、っていうのが肝心な「自己責任」ということばが、「だれにも迷惑かけずに起きたことは全部孤独に責任背負えよ!」みたいな話にすり替わってたり

していることにもつながっている気がする。

 

とまぁ、そんなことを考えていると、どんどん「ことばを尽くす」事態に陥って、何かと文章や喋りが長くなりがちな今日この頃です。

 

さいてん、はよ、すすめよっと……。