わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

光を描くこと ーテート美術館展

1週間前、とうとう、残る4人の兵役履行手続き開始のお知らせが来て。
その「お知らせ」がスマホに届いたのをみて、出先から大阪中之島美術館に行ってしまう私(本来在宅ワークで為すべき仕事が翌日に回ってドタバタしたことは言うまでもない……)


テート美術館展。行こうとは思ってたんです。
(合せて長澤蘆雪展も行った。そういえばその前に学美:在日朝鮮学生美術展にも行ったんだったけど、今日はテート展のことを書きます)

 

光を描くのは難しい。と思う。

こちらはハマスホイ「室内、床に映る陽光」
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私たちが光をとらえるのって、こんなふうに暗いところに差し込んでくる光だったりしますよね…。影があって、初めて光に気づく。

この絵が好きだなぁ…と私が思うのも、高校生の頃に講堂で部活しているときに窓から差し込んでくる太陽光に埃がキラキラして見えたり、こんなふうに床に映る光の中に座ると温かいからそこにうずくまっていたり、そんな何気ない光景を思い出すからなんだけれど

こちらはターナーの習作「監獄の内部」。遠近法×光の描写で奥行きをどう見せるか、その技術がよくわかりますよね。看守が提げているカンテラの光が壁や天井に反射して、道を照らす。その光が届かない壁の裏側は影が深くなる。

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(…とか書いてたら流しっぱなしのEPIK HIGHが「빈차」になった。エモい…)

でも「光」というテーマから思い浮かべるのは、だいたいこういう絵ではないかなと思う。私もこういう風景画は好きです。水も描くのが難しい題材ですよね。
ブレッド「ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡f:id:jihyang_tomo:20231129132409j:image

中央からやや右寄りに、船に乗った人がいたりして。寄りで撮ってみました。
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ターナーの描くイギリスの海が好きで、一時期そればかり探して眺めてたことがあるのだけれど、水が冷たそうですよね…。そこに降り注ぐ陽射しは温かい。ここでもやはり、水と雲の影があることで光がわかる。水面に反射する光は、海の深さを示す深く濃いブルーとの対比で鮮やかに姿を現す。

 

ちょうど1年前ぐらいのインタビューで(スペインの媒体だったか)、RMが「光が強いと影も深くなる」と話していたな、と思い出す。

BTSはスーパースターになって、それこそ強烈な光を浴びっぱなしに浴びてきたからこそ、周辺にさまざまな影が現れてきたし、かれら自身が光源のようになってしまうことで、見えづらい影も増えたに違いない…なんて。

 

そんなこと考えていると現れたリヒター。アブストラクトペインティング。

何重にも絵の具が重ねられていくことで、最初の色が隠れていく。でもそれは消え失せたわけではなく、ペインティングナイフで抉れば姿を現す。その多層性。

そして、この人の出す「赤」の鮮烈さ。好きすぎる…。

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やはりアブストラクトペインティングは実物を観ないと、です。この筆致。f:id:jihyang_tomo:20231129132529j:image

去年、JINさんの入営で、思わず名古屋(豊田)までリヒター展を観に行ったけど、行って良かったと改めて実感しました。画家の肉体が感じられて、生々しい。その感触を再び味わえて幸せでした。

 

現代アートの展示も多く、おもしろかったのですが、私が足を留めてしばし眺めてしまった作品の多くが撮影不可で、ここで紹介できないのでした。
(カブーアの「イシ―の光」、草間彌生「去ってゆく冬」が特にお気に入り)

 

バチェラー「ブリックレインのスペクトル」(左手前)と
「私が愛する/私を愛するキングズクロス駅(右奥)

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電気のおかげで光を自由自在に(?)使えるようになって、こういう表現が可能になってきたわけだよなぁ…と思いながら、でも、私的にはこの光のブロックが床に映っているこの影の方が、より重要というのか…心惹かれたりするわけです。f:id:jihyang_tomo:20231129132608j:image

この写真を撮った位置から、ボーっとしばらく「影」の方を眺めてました。影といいながら、カラフルに光っているように思える「影」。本体ではないという意味での「影」。でも、それは偽物か? といえば、そうではないですよね。床に映ることで別の何かが生まれてくるような(急に哲学的)

私たちは鏡やカメラという道具を手に入れることで、自分の姿を見ることができるわけだけれど、そこに映っている「本体ではない自分」と生身の自分自身との間にある差異についてなんて、ふだんそう考えない。そして、少なくとも「偽物」だとは思っていないんじゃないか……。「自分探し」とか「本当の自分」とか、それって自分自身に対して「納得のいかない何か」があるから出てくるんだと思うけれど、けっきょくそれは「肉眼で自分の姿をとらえることは永遠にできない」ことへの納得のいかなさみたいなものではないのかな、と思う。いくらがんばっても見えるのは「影」だから。だから自分を肯定する(Lovemyself)っていうのは、そんな「影」たちのことも自分の一部として認めることなのかな、とか。

 

最後に登場したエリアソン「星くずの素粒子

球体に仕込まれた鏡が起こす乱反射
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こんなの、いつまでも観てられるじゃん…です。
それこそ、天井にも壁にも床にも、さまざまな光と影が現れていき、観覧者がさまざまな角度からそれを眺めている姿も含めて一つの作品になっていく(人が動き回るの込みで長時間露光で写真を撮ったらおもしろそう…とか思いました)

 

別にBTSのことばっかり考えているわけではないのだけれど、

ウクライナ/ロシアといい、パレスチナイスラエルといい、なぜ人間は暴力を手放せないのだろうかと暗澹としてしまう日々のなかで、このタイミングでかれらが兵役に就くことになった巡り合わせが、やはり恨めしいと思ってしまう。ほんの数年前、板門店でにこやかに手をつないで38度線を越えてみせた2人の指導者の姿を思い出すと、あれは何だったのだと怒りすら覚える。そして同時に、いまこのタイミングで18歳以上の韓国の青年たちとその家族が、この世界情勢をどう感じどう思っているんだろうかと想像すると苦しい。韓国の人たちにとって、そんな期待と落胆は過去何度も繰り返されてきたことで、いまさら?って感じなのかもしれない。それでも。

軍隊は決して平和を連れてこない。

問題解決を暴力に頼らない、ということが、こんなにも難しい。世の大人がこぞって、まったくそれができずにいるのに、子どもに向かって対話の重要さを説くことが虚しくなる。対話できてないのは誰なんだよ。アメリカを筆頭に、民主主義国家だと胸を張ってきた西欧諸国が、反ユダヤ主義イスラエル批判を切り分けられない混沌に絡めとられて、イスラエルの虐殺を止められないだらしなさにも呆然とする。イスラエル批判をユダヤ人差別の理由にすることは間違っている、ただそれだけの話なのに。かつてユダヤ人はホロコーストの犠牲になったけれど、いまイスラエルがやっていることはまさにホロコーストの再現ではないか。差別も虐殺も〇〇人だという属性によってなされるのではない。自分たちの正当性を説くために自分たち以外の、異なる宗教や心情をもつ人びと、言語や文化を異にする人びとをカテゴライズし、見下し侮蔑することから虐殺は始まる。その歴史的記憶を共有するユダヤ人コミュニティの人たちが、イスラエル批判に立ち上がっていることは希望だけれど、そこへの連帯が全然足りない。

繊細なかれらが、こういったことをどうでもいいと突き放せる人のようには思えないけれど、一方で、いまは切り離して考えまいとする努力をしないと、軍隊に適応なんてできないだろうなとも想像する。だからといって差別や人権に無頓着になってほしくはないけれど、かれらがかれら自身の心を守ることを優先してほしいとも思う。その分、ARMYががんばるよ!とかれらの分まで戦争を止める努力をしたい。

 

……つくづく、かれらは「時代の子」だ。なぜそんなにも背負わされてしまうんだろう。でも考えてみたら、不甲斐ない大人たちのせいで割を食っている子どもや若者で世界は埋め尽くされているような気もする(そういう「苦しさ」が投影できるからこそ、かれらはあんなに世界中から愛されるんだろうな…。ファンの人たちにその自覚があるかどうかは別として) 

 

ダービー「トスカーナの海岸の灯台と月光」

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灯台の強い光の足元は暗いけれど、月明かりがあるから真っ暗闇ではない。

灯台に目が奪われがちだけれど、月の光が照らすまわりの風景にも目を凝らしながら生きていきたいなと思うのでした。