わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

同化/皇民化ということ

日本植民地教育史研究会、2017年度の大会シンボジウムは、日中戦争80年にちなみ、1937年前後で植民地教育にどんな変化が起こったかー朝鮮と台湾に関する発表と討議、でした。

 

「同化」は植民地教育に一貫している方針で、その強化形が「皇民化」。朝鮮の場合、はっきりと「皇国臣民の誓詞」を唱えさせるという形が入ってきます。

 

……とまあ、もちろん研究会だし研究者だし、史料に基づいてあれこれ討議され、帰ったらあの本読み直そう……等と考えながら参加していたのですが。

 

ここはblogなので、ちょっと雑に( ̄∇ ̄*)ゞ考えたことをメモっておきたく思います。

 

まず、「同化」とはだれが何にどのように「同じく化す」という意味なのか。ざっくり言えば、マイノリティをマジョリティに、その社会で支配的な文化(言語・習慣・考え方などなど)に「同化」させるための同化教育であり、同化政策なわけです。

 

移民マイノリティ、あるいは植民地の被支配民族にとれば、その社会の支配的な文化(価値観)をいち早く学習して、その序列に参入した方が、そのときその場の損得で考えれば得といえます(正確には、得と言えないこともない、ぐらいか)。たとえば現在でも、日本語教室にやってくる外国人の子どもに熱心に日本語を教えているボランティアや教師が「日本語を早く覚えられるように、家でも日本語を使うようにしましょう」などと言ってしまうのも、日本社会で生きていくなら早く日本語に習熟した方が便利で生きやすいはず! と、あくまでも善意(だから困る) 。でも、その結果として母語を忘れてしまったら?   母語で親と話すことができなくなったら?  そんな想像力を圧倒的に欠いた善意は、善意ゆえに反論しづらい抑圧としてはたらきます。

 

逆に、マジョリティの側が相手の言語や文化に敬意を払い、せっかく知り合ったのだから挨拶の単語ぐらいは覚えてみよう……とか、綺麗に一対一で訳語が対応するはずがないことに気づいて自らの言語を相対化し、個々の単語や表現の微妙なニュアンスの違いをお互いに発見して学びあう関係性が作っていければ。つまり、マイノリティだけに変化や学びを押しつけず、自分たちも影響を受けて変化することを恐れず、ともに暮らしていくーそれが「共生」であり、ダイバーシティだと私は考えます。

 

植民地で、支配する側は自分たちが何か変わろうとか変えようとか、微塵も考えなかっただろうと思います(考える人もいました。浅川巧さんとか)。だって支配してるんだから。しかし、そこで「変わる必要も変える必要もない」と考えられていた価値観は「大日本帝国のために命を捧げる」ことであり、「天皇を守って死ぬことは栄誉」だと考えるものでした。つまり、日本人もその価値観のために大勢死んだわけです。

 

むしろ、マイノリティだからこそ、その理不尽さに気づいて抵抗し、あるいは馴染まないという「できの悪さ」を発揮したのだと考えることはできないか。そこで立ち止まって、「この人たちに受け入れられない考え方の方に、何か矛盾や無理があるのではないか」と考え直していれば、ファシズムは止められたかもしれない。

 

歴史に「たられば」は禁物だけれど、そんなふうに妄想したくなります。

 

「同化」の肝は権利意識を磨耗させていくことにあります。そこを抜きにするとなぜ「同化」がダメなのか、その理由を見誤る、とも私は考えてきました(現に朝鮮総督府の教育官僚が「独立欲を失わせること」が目的だと言うてます……)。それは「マジョリティに歯向かわないマイノリティ」を作るための教育だったかもしれないけれど、同時にマジョリティに「支配に従順でいるべし」「権力に歯向かうと損」という価値観を強化していく側面もあったのだろうと思います。

 

そう考えると、「物言うマイノリティ」をバッシングし、その価値観がどうなの?と問い直すこともなく多数派に流れる/合わせることを「空気が読める」と称賛する現代の日本は、日中戦争期と何が違うのか、と思えます。

 

私たちは、歴史的な存在であるということ。過去のことを振り返るからこそ、見えてくる今がある。

 

研究活動もがんばらねば……(と、研究会にいくたびにかろうじて決意?する私)

 

 

 

 

「ともに生きる」ということ

昨日、子どもの夢応援ネットワーク主催のシンポジウム@法円坂に参加しました。

「ともにいきるシンポ~多民族社会「日本」のこれから」

メイン講演が湯浅誠さんだったからなのか、はたまた関心が高まっているからなのか、(後者だとたいへんうれしい)参加者130名で会場はぎっしり。

湯浅誠さんの総論的な講演から、外国ルーツの若者2人を交えてのパネルトーク、休憩をはさんで参加者が8人ずつのグループに分かれてのテーブルトークと全体でのシェアとまとめ、という流れでした。そこで私の考えたこと、気づいたことを備忘として書いておこうとも思います。

構造を変えなければ「生きづらさ」は変わらない

まず、湯浅誠さんは外国ルーツの子どもの「生きづらさ」のなかには、①日本社会に生きる若者・子どもに広く共通する「生きづらさ」の側面と ②国籍の違い、言語の壁など“外国人”ゆえの側面とがあるだろう、としたうえで、主に①について話されました。

高度経済成長期の社会モデルが機能しなくなっているのに、そのモデルのイメージが抜けきらず、構造を変えることができていない・・・という部分は彼の著書を読めばわかるし、前にも聞いた話なので割愛(でも説明がさらにわかりやすくなっていて、さすがです)。昨日、印象的だったのは最後の方で「メインストリームの人以外はモノを言いにくい、っていう社会を何とかしないとダメだよね」という話でした。

例として出ていたのが「専業主婦と働く女性」。高度経済成長期、専業主婦が「メインストリーム」だった時代には、働く女性が「なぜ働くのか」をいちいちエクスキューズしないといけない空気があって、「ただ働きたいから働いているではダメなのか?」というのが問題だったけれど、いまは働く女性の方がメインストリームになって(されて?)専業主婦の方が「なぜ働かないのか」を言い訳しなければならない気分に追い込まれている。つまり「メインストリームの人以外は、モノを言いにくい。でも事情の説明や言い訳は求められる」という構造自体は変わっていなくて、メインストリームが入れ替わっただけだという話に、すごく考えさせられたのでした。

男性の場合「なぜ働くか」を聞かれることはないだろうけれど、たとえば育児休暇や介護休暇を取りたい、といったときに、女性ならそう根掘り葉掘り聞かれないことまで聞かれたり、説明しなければならないような気分になったりするんだろうなぁと思う。(それも、男性差別ではなくて女性差別の別の表出の仕方なんだけど)

社会の多様性が増す、ということは、誰もが何かしらの面でマイノリティ性をもつことが可視化していく/自覚されていくということでもある。そうなったとき「メインストリームじゃないところでは発言しづらい、生きづらい」という構造のなかでは「しんどいなー」と感じる機会だけがいたずらに増えていくということになり、「多様性しんどいやん」・・・が高じて「多様性なんて認めるからしんどくなるんだ!」となると排外主義が高まってしまうんじゃないか。だから構造そのものを何とか変えて、メインストリームじゃない人も発言しやすい、多様性がフラットに語り合える構造にしていかないと「ともに生きる」社会には近づけない・・・。

・・・人権教育はもちろん「フラットに多様性を語り合える」社会をめざしているのだけど、改めてこういう形で説明されると、その必要性がよくわかるし自分のミッションが明確になるように思えました。

ロールモデルのいい面/悪い面

続くパネルトークの際に、ラボルテ雅樹さんが(これも最後の方で)「不安の多い世の中だから『モデル』が求められがちだし、その必要性は否定しないが、一方で『モデル』と比較して自分はダメだと思ってしまったり、『モデル』とされた側もその期待に縛られて過剰にがんばらないといけなくなったりするのはおかしいんじゃないかという気がしている」と言われたことも印象的でした。彼は以前も別の場で「私はロールモデルになりたくない。自分がなれると思わない」ということを言っていて、そのときも「当事者にばかり荷を負わせるな」というメッセージを強く感じさせられました。

差別のある社会のなかで、周縁化されがちなマイノリティの子どもたち。コミュニティの大人の姿が限定的になりがちで、将来像の幅が広がらない、だからこそさまざまな「大人」の姿を見せたい。できれば「同胞」の、身近な先輩たちの「多様な生きかた」をロールモデルとして見せたい。・・・それは子どもたちをエンパワメントするための一つの方法として大切なことには違いないのだけれど。

でも人間なのだから、完全無欠な「立派な人」であるわけはなく、失敗したり、くじけたり、やけを起こして変な行動に走ったり、ということだってある。条件が整ったからといって、だれもが同じようにがんばれるわけでもない。

ここにも先ほどの「構造」の問題が絡んできます。

「日本社会に貢献してがんばっている」姿が評価されるとき、その「貢献」は日本社会の能力主義や学歴主義を無批判に受け入れたものさしで計ったものではないのか? 

子どもたちが「かっこいい」「あんなふうになりたい」と思う大人像・・・大人にも子どもにも社会の価値観は刷り込まれているから、「モデル」として選ぶ人が「メインストリームに近い人」になりがちだということ、その危険性を常に頭の片隅に置いておかねばならないなと思いました。

また「モデル」が比較軸になって優劣を感じてしまう・・・のも、けっきょく「メインストリーム以外の人はモノが言いにくい」構造があって、私たちが常にそのなかで比較し、自分や他人を値踏みすることに慣れきっているからなのだろうな、と考えました。そうすると「ロールモデルを示す」ということと同時に、多様な生き方のどれもに価値があり、優劣では計れないのだという新しいモノの見方を提示し続けること。大人がその見方で人と接する「具体的なあり方や方法」を子どもたちに見せることが重要になってくるはずです。

「差別はいけない」と口先だけでいっていてもだめだ、行動しなければ、とはよく言います。それは露骨な差別発言や行為を「止める行動」として考えられていることが多いけれど、そういう特殊な場面だけでの問題ではなく、何の気なしに「〇〇さんはがんばったね、すごいね」等と評価しているときの、その評価軸を問い続けるという行動を求められるのでしょう。そう考えていくと、人権教育はゴールがなく、ずっと「学びほぐし(unlearning)」が続くものなのだということも腑に落ちるように思いました。

人間は理解できない事態にぶつかると「(当事者に)もっと頑張れよ!」と考える

あー、そのとおり! と思わず笑ってしまったのがこの発言(by湯浅さん)。90年代、それまで貧困など無縁だったはずの若年日本人男性に非正規雇用ワーキングプアが広がり始めたころ、そのじたいが理解できなかった大人たちは大真面目に「若者を鍛え直さないと!」と議論していた、という話。

笑っている場合ではありませんが。

学校でも「なんでそんなことするの!?」という事態に面食らったとき、「親はなにしてんの?」とか「いや、そこもうちょっと我慢して考えようやー」とか、「当事者の自己責任」追及という思考回路に簡単にはまってしまいがちです。時間が経って冷静になると、その思考回路では解決にならないとわかるし、反省もできる・・・と考えていて、いや待てよ、反省もしないし、ずっと「あそこの親は・・・」だの「あいつは性格が悪すぎる」だの言い続けている先生もいたなぁと思い出しました。

現に労働問題/貧困問題でいっても、未だに「努力しないから悪い」という自己責任論が大手を振っています。

「そういう問題じゃない」と気づいて軌道修正できる人と、気づかず軌道修正もしない人と。そこを分けるものは何なのでしょう。

ありていに言えば、人権教育(解放教育)でいうところの「実態に深く学ぶ」という姿勢の有無と、生活を掘り起こして社会科学の視点で解析できる能力の有無、ということになるのでしょうか。

諸々、いろいろと考え直したい宿題をたくさんもらったイベントでした。

 

『朴烈 植民地からのアナキスト』@大阪アジアン映画祭

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観ました。大阪アジアン映画祭、ありがとおっ!

同映画祭では例年、アジア各国で話題の最新作を中心に、日本の歴史や文化と関連した作品を数多く上映してきた。中でも今回の映画『朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキスト』は日韓の歴史を振り返るきっかけとなるような重要な作品だ。舞台は関東大震災直後の日本。朝鮮人が凶悪犯罪を画策しているという流布が拡散し、社会主義活動をしてきた朝鮮人の朴烈は目をつけられ、同志で恋人の金子と共に逮捕される。取り調べの中で2人が皇太子暗殺計画を自白したことから、日本社会をも揺がしていく。/歴史的な裁判劇にまで発展した一連の出来事が朴烈事件と称されるが、映画は2人の戦いの背景にあった信条や深い絆を描いている。監督は『空と風と星の詩人 ~尹東柱の生涯~』(2015)でも、日本統治時代に治安維持法違反で逮捕されて獄死した国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジェ)の生涯に迫ったイ・ジュニク。韓国では昨夏に公開され、文子役の新鋭チェ・ヒソは“韓国のアカデミー賞”こと大鐘賞映画祭で主演女優賞と新人女優賞をW受賞したのを筆頭に新人賞を総ナメにした。

シネマトゥディ(第13回大阪アジアン映画祭/2018年2月18日)より

金子文子の自伝(獄中で書かれた『何が私をかうさせたか』・・・岩波文庫で出ているらしい。読もかな・・・)や、予審調書の記録に沿って、ほぼ史実通りに構成されているとのこと。そして、タイトルロールの朴烈よりも文子の方が強烈に印象に残る映画でした(私だけか?)

以下、ネタバレするかも(とはいえ、ストーリー的には史実なので最初からネタバレしているともいえ。ストーリー知ってても全然楽しめます。一人ひとりのキャラが立ってるし、細部の描写がうまい。私的「何度でも観たい」映画リスト入り!)

アナキストの同志

関東大震災のとき、朝鮮人虐殺とともに、社会主義者も検束され弾圧されました。有名なのが大杉栄伊藤野枝(正直にいうと、映画で関東大震災で朴烈が捕まるあたりにくるまで、私の頭のなかも大杉栄伊藤野枝とごっちゃになっていて、「え、ここで捕まっていいのか? あと1時間半ぐらいあるぞ・・・」と一瞬パニクッたことを告白しておきます・・・アホやな、我ながら)。

映画は1923年の初夏あたりから始まります。震災以前から日本で暮らす朝鮮人に対する日本人の目線、差別意識が伏線として描写されつつ、朴烈たちの「不逞社」(もちろん「不逞鮮人」という日本の官憲が作った差別語を逆手に取ったネーミング)の活動、そして2人の運命的出会い・・・がテンポよく進みます。

私は犬コロでございます
空を見てほえる
月を見てほえる
しがない私は犬コロでございます
位の高い両班の股から
熱いものがこぼれ落ちて私の体を濡らせば
私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる
私は犬コロでございます

文子は「朝鮮青年」という雑誌に載った一編の詩を読み、朴烈を訪ねます。「犬ころ」は朝鮮語で「개새끼(ケーセッキ)」。「私もこれだ」「?」「犬ころ/개새끼」・・・文子(チェ・ヒソ)の瞳がすごくキュートで、運命の恋なんて信じてない私でも「運命なのね・・・」と頷いてしまう勢いでキラキラ(笑)返す朴烈(イ・ジェフン)も悪戯っ子というのか、不敵というのか、すごくチャーミングな微笑みでキラキラ・・・

アナキズム(Anarchism)は「支配がない」を意味するギリシャ語からの派生語で、日本では「無政府主義」と翻訳されるので「政府を否定した無秩序主義(?)」のように、ぼんやり理解している人が多いのではないかと思います。少なくとも高校時代の私がそうでした(日本史で説明されてもいまいち意味がわからず、大逆事件なんかの絡みもあるから「社会主義者のなかで政府的にいちばん厄介な人たち」なのであろう、ぐらいの理解)。いまも不勉強で正確に理解しているとはいえませんが、映画を観ていて、不意に「要点はどんな権力も支配も許さない、ということか」と腑に落ちました。

だれの支配も受けない。

どんな権力にも、「わたし」を支配させない。

2人の主張はそういうことなのね、と。

映画としてはラブロマンスなんだけど、セリフにも何度も「同志」ということばが出てくるように、情愛と同じぐらい深く思想的に共鳴し合っている「同志」感が、私にはツボでした。こういうカップル、憧れる・・・(思えば高校時代、ジョン・レノンオノ・ヨーコが憧れだった。いっこも成長してないな、私・・・)

権力のご都合主義に翻弄される人びと

関東大震災が起こり、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」デマからの自警団、虐殺、戒厳令・・・といった経緯の火付け役として登場するのが水野錬太郎。

実際には陸軍とか警察とかいろんな人が絡むところを水野一人が全部背負って悪役。そこを解説するための映画ではないし、実際に水野のやらかした責任は大きいからしかたない(と私は思います)。けど、閣僚が右往左往して水野が「戒厳令だ!」とゴリ押しする場面など、「史実としてどうなの?」と気になる人はいるかもしれません(そういう方には『九月、東京の路上で』を読んでほしい)。

でも、「不逞な朝鮮人が混乱に乗じて・・・」という説をでっち上げて戒厳令、さてそれから・・・という段で、各地で虐殺が起こっていることやその人数を報告された水野が「げっ(それはいくらなんでも死にすぎ・・・)」と思わず飛び上がってしまうところや、こんな野蛮な振る舞いが起こっていると海外に知られたらどうするんだと切れる外務卿とのやりとり、何とか正当化するために朝鮮人が実際に「不逞」を働いたことを証明しなければ・・・と検束している朝鮮人から適当な人間を「選べ」と言いだす・・・という流れがリアル。そして水野がそんな思考回路になる遠景にある「朝鮮総督府の官吏として三一独立運動の鎮圧に当たった」経験が端々に見え隠れするセリフ回しも絶妙。

で、「大逆罪だ!」と意気込んで朴烈の取り調べ・・・したものの、「不敬罪」には問えても大逆罪無理なんじゃないの・・・???と困惑する予審判事や、2人の文通を仲介/検閲のために目を通しているうちに理解していく刑務官など、より上の方の権力の思惑に逆らえないけど「これ無理やん!?」と目が訴える俳優さんたちの演技の秀逸さに、思わず現今の日本の森友・家計問題をめぐるぐちゃぐちゃぶりがダブって見えてきて、「日本って学習せん国やな・・・」としみじみ考えさせられてしまいました。

このあたりの描き方、予審調書等に沿っているとはいえ、細かなやりとりや判事、刑務官の心情の変化は想像のはずで、いわばフィクションなんですけどね。

優れたフィクションは事実を超えた真実を描く

・・・ってことですね。予審判事さんの困惑ぶりと、あくまで「忖度」を要求する水野錬太郎の権力者っぷりが、他人事とは思えませんでした。

そして、個人的に唸ったのは「死刑はまずい」という閣議の展開で朝鮮総督齋藤実に「いま、そんなこと(朴烈の死刑)をしたら、やっと落ち着いてきた半島情勢がどうなるかわからない(からやめろ)」と言わせていたこと。三一独立運動後、文化統治というソフト路線に切り替えて懐柔政策を推し進めている時期に、そんなことしたら、また独立運動に火がつくやろがー! あほかー! という齋藤の心の叫びに対する水野錬太郎の絵に画いたような苦虫噛みつぶした顔! 思わず笑っちゃった・・・

印象的な台詞たち

「 私は大正八年中朝鮮に居て朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権力への叛逆気分が起り、朝鮮の方の為さる独立運動を思うと、他人の事とは思い得ぬ程の感激が胸に湧いたのです」(これは《一九二四年一月二三日第四回訊問調書からの引用)

「生きるとはただ動くという事じゃない。自分の意志で動くという事である。・・・そして単に生きるという事には何の意味もない。自分の意志で動いた時、それがよし肉体を破滅に導こうとそれは生の否定ではない。肯定である」(これは前述の自伝から引用)

・・・といった具合で、調べられる台詞たち! (やっぱり自伝読みたい)

最後の法廷の場面が特に圧巻でした。

朴烈が、「日本人は日本という国家をつくるために、天皇という権力を作ったのだ」「朝鮮人天皇を倒すことで、日本の民衆がその支配の不当さに気づけばよい」「人間は平等だ。どんな権力も支配も不当だ」と語り、文子が「そうそう!」と頷く・・・。
台詞うろ覚えだけど(だから)もう一回観たいです。

一般公開もあると噂に聞いたのですが、あるといいな。

このブログを書くために、ちょっとググってみたら、案の定、観てもないのに「反日映画」と噴き上がっているブログを見つけました・・・。ふつうに観れば、日本人の中にもいろんな人がいて(布施辰治も出てくるし)、むしろ権力構造の上の方から押しつけられる矛盾のなかでもがく下の方の人たちが、身につまされるんじゃないかな、と私は思います。観ればいいのに(でも噴き上がりたい人たちは、観てもそういう理解はしないだろうな・・・)。私は「これは今の日本やん!」と思ったし、陳述しつつ傍聴席をふりかえって「隠そうとしても、いや、隠そうとすればするほど、事実は明るみに出るものだ!」と喝破する朴烈に「がんばれよっ!」と励まされた気すらしましたから。

・・・そういう意味で、まさに今が旬の映画。大阪アジアン映画祭、グッジョブです!
(一般公開してー、絶対観に行く・・・)

 

 

 

教師という仕事・働き方について思うこと*「裁量労働制」って・・・

予算委員会で「働き方改革」が議論されている。
話題の「裁量労働制」・・・教師こそ、その最たるものなのに、言及してもらえないのね(^_^;) と思いつつ。昨日のつづき。

教師の一日:私の場合

昨日、朝7:30ぐらいに学校に着いて、6:00ごろまで・・・と書きました。

具体的に何をしていたか、書き出してみますと、

7:30 学校着。職員室で日直日誌とか生徒への連絡事項のメモとかを確認して、
     自教室へ行く。窓や扉を全部開けて(換気)、教室整備の確認。
     日直の机の上に日誌を置く。

7:50 職員室に戻ったら、その日の授業の確認と準備。
     欠席連絡やらの電話がバンバンかかってくるのを受けつつ、下記①~⑤も

8:30 職員朝礼。連絡事項、確認事項、聴きながら整理する
     (朝のSHRで生徒に連絡すること、後でいいこと等の仕分け)
     学年朝礼。学年の打ち合わせ。

8:40 SHR。最初の10分は「朝読書」、後の5分で諸連絡。

8:55 1限目開始。1限目があるときはそのまま教室へ。
     なければ職員室に戻る。

※ 1~6限目までの間は、授業に行くか空き時間で仕事をしているか。
担任の授業持ち時間は週14コマ(+HR。担任のない人は16コマ)なので、だいたい1日平均3コマぐらい。

※ 空き時間にする仕事は①授業の予習と準備、成績処理系の仕事 ②クラス運営に関わる仕事(学期はじめだと種々様々な提出物の確認とか。個人面談の計画を立てて準備をしたり、保護者連絡をしたり。私は学級通信も作ってました)③分掌の仕事(教務系に当たるとひたすら事務仕事。生徒指導系に当たると問題が勃発するたびに会議。進路指導や教科主任に当たっていると教科書会社や教材会社の営業の人に対応するのも仕事)④学年の仕事や打ち合わせ(これは仕事というより知っておかないと困る情報の共有のための雑談。この真面目な雑談を気負わずにしょっちゅうできる雰囲気の学年団にあたると、何かと仕事が楽でした)⑤会議。学年会議、教科会議、組合の会議(みんなの空き時間が合えば空き時間。合わなければ昼休みや放課後)⑥昼ご飯を食べる(うまく空き時間をねらわないと食べ損なったりする)

※ 休み時間は、授業の後片付けと移動、準備になったり、生徒に呼び止められて立ち話したり・・・職員室にいても遅刻生徒への対応とか、いろいろあるので休めない。昼休みに個人面談を入れることも多い。

3:30 6限終了。掃除の監督に行く。

3:40 SHR。明日の連絡事項の確認など。日直日誌受け取り。
     生徒が出た後、教室内の整備(私物が散乱してたら預かる等)

4:00 職員室に戻る。①~⑤の仕事のやり残しする。
     部活がある日は練習場所やメニューの指示をしてから、後で行く。

保育所の延長が最大6:30、子どもが小学校に上がったら学童は5:00に終わる! という状況下で、基本的には6:00少し前の電車に飛び乗ることをリミットにして、午後に入った頃から「今日のうちに学校で済ませねばならないことと、家に持ち帰れること」を仕分けしながら仕事をしてました。持ち帰れないのは成績や個人情報が絡むデータや書類の類。持ち帰れるのは教材や学級通信など。

休み時間(昼休みや放課後含)は生徒対応をしていることが多かったです。生徒会顧問だったときは放課後に生徒会指導もします。

家庭訪問は放課後。出張扱いになって直帰できるんですが、私立高校なので滅多に行かない(というか行かない人の方が圧倒的に多かった)。その辺がまさに「裁量」なので難しいところですが、私は「電話で埒があかーん!」となったら行く人でした(笑) うまくいく場合もあれば完全に徒労に終わることもありましたが、悩んでいるより行った方が早い。徒労なら徒労であきらめがつくから(?)

・・・で、家に帰ったらダッシュでご飯を作りながら洗濯機も回して子どもとしゃべって、お風呂に入れてバッタン。アカン、仕事仕事・・・と起き出して仕事する、というのが辞める直前期の平均的な日常でした。

働き過ぎです。まちがいなく。

これでも仕事を精査して、減らせるところは減らす工夫もしていた方なんですよ・・・

仕事の「裁量」

私は授業が好きなので、どんな授業をしようかなぁ・・・と考えて準備している時間が楽しくて仕方がないのです。指導書は基本的に見ないし、教材も教科書に限定せず、授業目標に適う文章を見つけては投げ込みで使いました。そのために本を読む時間や、教材研究する時間も労働時間ですが、そこはあまり苦にならなかったのです(それは今もそういう傾向がある)。

好きなことを仕事にしている人は、たぶんみんなそういう面があるでしょう・・・。

加えて人も好き(?)なので、問題起こして停学くらった子(も登校指導する学校だったので)に勉強教えながら、親のこととか友だちのこととか、生活のこととかダラダラ話して「へえ~」とか言ってる時間も苦にならない。

・・・そしてその辺が「自分の裁量で減らせる仕事」部分に当たってしまうのです。

自分の裁量で減らせないのは、生徒の処分を決めるための会議の時間とか、入試作問のための会議や打ち合わせの時間とか、報告書の類を書く時間とか・・・で、気分的にしんどいのは、圧倒的にこの「減らせない仕事」部分なわけです。

だから厄介。

裁量労働制」って聞こえはいいけど、どんな仕事も1人でやるわけじゃないはずで。特に教師はチームでやる仕事が圧倒的に多い。授業も何人かで同じ科目を担当しているときは内容や進度を確認しながら行うし、生徒指導もその都度連携して動くわけで、1人の都合だけでは収まらないことの方が多いから、「自分の裁量で、自分らしく働く」といえば聞こえはいいけれど、そううまくいかないから長時間労働で困ってるんじゃん! と私は声を大にして言いたい(笑)

世間が増やしている部分

「学力=学んだ時間」モデルと教職員の働き方改革と。 - いわせんの仕事部屋

こんな記事がありました。耳が痛い部分と納得の部分と(お読みくださいね)

でも、確実に「世間」が増やしている仕事だと私も確信するのは、この「生徒を長時間勉強させるための宿題や補講の類」です。

「隣の先生は宿題いっぱい出すのに、何でうちはないんですかっ!」みたいなの。

「高い学費払ってんやから、受験のための補講ぐらいやって!」みたいなの。

子どもと学ぶのが好きだから教師をやっているし、学力も伸ばしてあげたい(とはいえそこでいう「学力」のイメージがだいぶ違っていたりするから、また厄介・・・)けれど、どう考えても生徒が嫌々しか取り組めない宿題や補講を増やしても逆効果なのに、「世間」にとってわかりやすいのは物理的な量だから困る。そして宿題も補講も、課した以上はこっちの仕事になってしまうわけです。

教諭だった頃、そういう無駄な仕事を減らすべく、説得と説明を何度も試みたものの、「保護者が納得せんでしょう」とバッサリ。非常勤に至っては意見する場もなく、でもその宿題を私が見るんですね・・・。苦手な部活顧問も地獄だけど、どう考えても生徒の力を伸ばすことになってない物量だけの問題集やプリントのまるつけ確認するのも地獄です。ばかばかしい・・・・・・。

こういう部分は、教師が自分の専門的な知見でもって「要りません」と言い切って減らせるところです。でもたぶん、そこを減らそうとすると立ちはだかる「世間」に対して闘う方法論とかエネルギーとかが現場の先生たちに足りていないんじゃないかなぁという気がします。

勉強は授業中に完結させる。そこで知的好奇心が刺激されたら、自分から質問にきたり、自分に合った本を見つけて読み始めたり、するものです。中高生なら、進路目標がある程度定まったら目的意識も出ます。そうしてやる気になったときに、的確に次のステップを提示できることも教師の力量です。一律に物量を与えて後始末に追われるぐらいなら、その時間を生徒との面談や授業準備に割く方が何倍もましです。

 

ことほどさように、「裁量労働制」はまやかしです。

自分の裁量で自分らしく、適正な労働時間で働ける「裁量労働の労働者」がいるなら、長時間労働がこんなに社会問題化しないですよ、ソーリ。

 

教師という仕事・働き方について、思うこと

オリンピックという祭典のさなか、こちらは絶賛、採点の祭典真っ最中。

今年度から新しく担当した講義の成績付け・・・は、試行錯誤でやってきた半年間の内容を学生さんに逆に採点されているような気分になりながらの作業。

・・・で。

おもえば、93年に高校に教諭として就職し、辞めてフリーになり、大学やら高校やらで非常勤講師・・・ということで、なんやかんやで「教師」として働いてきた私。

そして世間では「教員こそブラック職場」と言われたりしている教育現場。

そんな現実を前に「夢を壊されたくなーい!」と思う学生さんやら「自分がしたい教育をするためにはどうすれば???」と逡巡する学生さんやらを前にして、理想を忘れずに踏ん張れる教師になってほしいなと心から願うわけです。

なんで、ちょっと自分のことを書いてみます。

教師の残業問題

高校に勤めていたころ。新任の頃は朝7:30ぐらいには学校に着いて、部活が終わってなんやかんやしてからの7:00ごろに学校を出る・・・単純に12時間近く学校にいてるやん! という生活をしていました。育休後は保育所へのお迎えがあって6:00には電車に乗らねば間に合わない・・・のでそこで帰っていましたが、それでも10時間はいたわけで、超過勤務もいいところ。そしてそれで仕事が終わっているならまだしも、持ち帰り仕事もあったし、生徒に何か起こっての保護者呼び出しor家庭訪問やら生徒指導の緊急会議やらが入れば、それこそ9:00、10:00・・・それでも朝は7:30に着くルーティーン。

私が働き過ぎなわけではありません。私はむしろ要領よくて仕事が早い方でした(自分でいうのもなんですが)。また担当する部活や校務分掌によっては、自分の裁量だけではどうにもならない部分があって、「要領のよさ」も関係なし・・・。

組合で一度、みんなが明らかに超過勤務している時間を計算して平均を取ってみて、夏休みに何日間がっつり休めばちゃらになるか、換算してみようぜ! という話になり、組合員以外の先生たちにもざっくり毎日の出退勤時間を聞いて計算したことがありました。結果、8月をまるまる休んでも足りないことが判明・・・まさかそこまでとは思っていなかったので、みんな茫然。ということがありました。

なのに世間では「先生は夏休みあっていいね」と思われているというこの理不尽。

理不尽だっ!

私立高校だったけど、公立と同じで「時間外勤務手当や休日勤務手当を支給しない代わりに、給料月額の4パーセントに相当する教職調整額を支給する」給与体系。・・・4パーセントじゃ割に合わなさすぎです。ホントに。

当然、組合としてはその計算結果を持っていって理事長交渉しましたが、「だって教員の仕事はそういうので計るのになじまないから、公立でもそうなってるわけでしょ」の一点張り。ただ、ちょこちょこした手当て類の額を見直すことはしてもらえました。ちなみに、部活指導で休日出勤したときの日給(1200円だったかな?)も組合の交渉の結果出るようになったけど、給与ではなくPTA会計から謝金として出すというウルトラCで、「それは了承していいのか? いいのか?」みたいなところもあったっけ・・・。

とはいえ。

教師は人相手の仕事なので、相手次第で日々やらねばならないことも変化して当然で、基本的にそれがやりたくてやっている人の集まりでもあるんですよね、教師って。生徒が喜んでくれたらいいなーと思って授業の小道具をあれこれ作ってみたり、放課後に残って勉強教えたり、相談にのってたら下校時間超過してたり。気になることがあれば保護者に電話したり家庭訪問したり。そういうのはしてあたりまえの仕事なので、働きすぎやなーと思いつつも仕事自体は嫌ではないから難しい。私の場合、子どもの保育所のおかげで無理やり切り上げるための知恵を絞り出したけれど、それも仕事を切り上げているというよりは、学校でなければできないことと家でもできることを仕分けして、持ち帰って仕事していたので、勤務時間が長いことに変わりはなく・・・。

でも本来は、日常がそういう状態だから、夏休みや冬休みが「自主研修期間」として緩やかな勤務を許されていた面があったはずなのです。現に私の高校時代の地理の先生は1学期の終業式が終わったその足で空港に直行して海外に飛び、2学期始業式前日に帰国するというバックパッカーさんで、その旅行記(探検記?)がおもしろくて人気者でした。よく思っていない先生もいたみたいでしたが、地理や世界史の授業で現地の生の話をしてもらえるのはとても楽しかったし、それは社会科の教師として必要な学びをしていたんだなと、今になっても思います。

それがいったい、いつのころから夏休みに休むことがサボっているかのように言われ始めたのか・・・。教師の労働という面でも問題だけれど、子どもたちの休み時間もどんどん削られて学校に詰めこまれているような気がして、今の日本は窮屈。

そう考えると、教師が自分の労働時間について真面目に考え、権利要求することは、子どもにとっての休み時間、自由時間の大切さを考え直すということにもつながっている問題なのかもしれません。

部活動問題 その1

教師の超過勤務の元凶が「部活動」にある! という意見も最近よく見ます。

実際、部活動はまるまるサービス残業。正規業務ではないからです。

学生さんは「なんで!?」と目を丸くされたりするのですが、私が思うに、元々部活動は「生徒の自主活動」に過ぎないもののはずだったから、です。

私の推測ですが(たぶん当たっているはず)、生徒が「野球したい! 学校のグラウンドでやりたい!」と思い、それなりの人数を集めて「先生、野球するのを認めてください」とお願いする。するとお願いされた先生が「わかった。面倒みたろ」となって部活動―顧問という関係が発生し、安全指導等々の生徒だけでは不十分になるところをカバーし指導する・・・というのが本来の部活動だったのだろうと思います。

ところがそれが常態化し、なぜかいつの間にか学校が部活動を用意して顧問も配置する形になって、「どれかの顧問はやってもらわないと」とまるで義務かのように割り振られ、やったこともなければ興味もない部活の顧問に当たると地獄の責め苦・・・みたいなことになってしまっているのが今の状態、ということなのでしょう。

本来の主旨からいえば、生徒自身が自主的・自立的に部活動を維持できなくなったり、「顧問をお願いします」という交渉がうまくできなかったりすれば、その部活動がなくなっておしまいになるはず・・・自主活動ですから。

でも、いまさらそんな「本来の主旨」に還ろうにも還れませんよね。

それに部活動が学校内で完結しているだけならいいのですが、各競技団体のルールで顧問が引率しないと大会に参加できなかったり、顧問が大会時に審判を分担しないといけなかったり・・・という事情もあります。素人なのに審判って!?  という無茶ぶりでも引き受けないと生徒が試合に登録できない・・・となるとやらないわけにいかない。そんな状況になっている以上、正規業務としてカウントし、それなりの手当てを出すべきだと思います。

私は私立高校だったので、赴任3年目でやりたい顧問に回してもらうことができ、好きで部活指導をしていましたが、公立は異動があるので得意なこと・好きなことが必ずできるとは限りません。私も赴任当初はコーラス部の顧問をやらされ、指導できるわけもないのでストレスがたまって辛かった・・・。私も辛いけど、指導力のない大人に顧問されている生徒も気の毒。(指導力がない、指導に自信のない大人がやらかしがちなのが「気合い」とか「根性」とかって無駄な精神論を振り回すパワハラめいた指導です。そういう意味でも問題)

では「部活動を外部の指導者・コーチに任せればいい」という案に賛成かというと、実のところ、私は反対です。矛盾しているように聞こえるかもしれませんが・・・

部活動の顧問として生徒に接していると、授業で見えている顏とは違う顔が見えることがあります。また、ランダムに人数で割り振られた学級集団、それも毎年クラス替えがある集団と違い、部活動は同じ目的意識で集まった集団なので、クラスで何か問題を抱えていても部活動には元気にやってくる生徒、というのも存在します(高校時代の私がそうでした)。授業のとき、掃除のとき、行事のとき、部活のとき・・・学校生活の全体で生徒を見ていくことは、生徒理解のうえで非常に大切なのです。その一部である部活動を外部コーチに丸投げしてしまうのは、生徒理解のチャンスをみすみす逃してしまうようなものです。経験上、授業中の顔だけ見ていても、部活動中の顔だけ見ていても、その生徒の抱えている課題や悩みは見えません。担任と部活動の顧問が情報共有し、多面的に関わることで生徒指導がうまくいくということも多々あるのです。

つまり、部活動に外部の指導者・コーチを入れるなら、①その競技や活動の技術的な指導をその人に任せつつ、生徒指導面は顧問が行う(けっきょく顧問は必要)②生徒指導面の配慮もできる、必要に応じて教員と情報共有できる人材を入れる(これもけっきょく情報共有を行う窓口になる教員がいるので顧問?)・・・と条件を考えはじめると、外部指導者を「教師の多忙化解消の切り札」みたいに考えるのは現実的ではないように思えるのです。

部活動問題 その2

部活動にはもう一つ、「生徒の権利は守られているか」という問題もあります。

その1の最初に、部活動の本来の主旨について書きましたが、学校が枠や顧問を用意している今の形態が教師にとっては「自主活動でなく正規業務とすべき」ものであったとしても、生徒にとっては「自主活動」であることに変わりはありません(一部中学校で全員なにがしかの部活に入らなければならない学校もあるようですが)。つまり「部活動の主役は生徒で部活動は生徒のもの」だということです。地域のクラブチームやお稽古ごとの先生気分になって部活動を支配してしまってはいけない、と思います。

これは私自身の自省も込めて考えていることです。

私は自分自身が高校演劇部に熱中し、クラスが嫌でも勉強がウザくても、部活があるから学校を続けられたと思っているぐらい、のめり込んでいました(だから、部活動なんて失くせばいいという意見にも賛成できません。邪道だと思われるかもしれないけれど、そんな動機で学校に通う生徒がいてもいいじゃないか! と思うのです)

だから、演劇部の顧問になれたときは嬉しくて、はりきりました。そして、顧問2年目で参加したコンクールの地区大会で優勝し、府大会に進出してしまうという事態になってしまい、舞い上がって欲もだしました。その当時の部員は私のその勢いについてきてくれたというか、部員にも欲があって、よりおもしろい舞台、よりハイレベルな公演をめざしてがんばれる子たちだったので、お互いのニーズが一致していたことも幸いしていました。

でも4~5年、そんな状態が続くうちに、演劇部は生徒のものではなく、私が主宰する劇団のようになっていきました。ほんとうに劇団だったら、それでもよかったのだろうと思います。けれど、高校の演劇部です。生徒は毎年入れ替わります。そもそもそんなに大勢の入部希望者がいるわけでもない。なかにはハイレベルな演劇をめざす気がない子も、ちょっとヲタクな趣味を話せる友だちがいる場所を求めてくる子もいます。つまり、その時その時のメンバーで、部活動に求めているものが微妙に違うのに、私はずっと同じトーンで突っ走ろうとしていました。そしてあるとき、文化祭準備を前にして部員が全員辞めてしまうという事態に至ります。要は、部員が私について来れなかったのでした。

子どもができてから、放課後7時まで練習を見るということができなくなり、それでもなんとか時間をやりくりして、要所要所で指導していたけれど、やっぱり丁寧さが足りなかったのか・・・等々と、そのときは思い悩みつつ、部員がいなくなったのですから部活動はおしまいです。放課後に部活動がなくなった分、6時に切り上げて帰ることは容易くなったし、もういいやーと、それきり考えないままでした。

そして、私はその職場を辞めたのですが、数年後、また縁があって非常勤として復活し、そこで顧問になったはいいけど指導ができない・・・と困っていた演劇部顧問の先生を見かねて、ボランティアでコーチを引き受けることになりました。

そこで改めて、プロの演劇を見たこともない、自分たちがレベルアップをする必要も、レベルアップの方向性もイメージできない部員たちを一から指導し始め、私はまた再び自分の劇団を作ろうーとして、途中で気づいたのです。

ああ、そうか。前にみんなが離れていったのは、こういうことだ、と。

私が高校生だった頃、演劇部は私たちのものでした。指導してくれる顧問がいなかったということもあったけれど、手探りで練習方法を見つけ、人を探して教えてもらったり、本を読んで研究したりして、自分たちで作っていた部活動だったから、楽しくて何にも代えがたかったんだな、と。部活動は生徒のもの。私のものじゃない。この子たちがやりたいこと、やりたいお芝居ができるように、うまくいく方法を私が教えるんだ、私の役目はそこにあって、劇団の主催者になることではない・・・。

それは、コンクールで勝てる演劇部ではないかもしれない。でもそれは「勝ちたい」と思う生徒が出てきたときに自然とめざすようになる目標で、私が無理強いする目標ではない。それに演劇にとって大事なことは、コンクールの勝ち負けだけじゃなく、目の前のお客さんをどれだけ楽しませ、どれだけ心からの拍手をもらえるか、じゃないか・・・。

そんなふうに考えて、以前の自分をふりかえると、指導と言いながら自分の意向を押しつけていただけだったな、とか、厳しい指導とパワハラを混同してたよな、とか、穴があったら入りたいような気分になることもしばしば。そしてそれは、私だけの問題ではなくて、部活動指導に熱心な人たちに大なり小なり共通していることでもあるな、と気づいたのです。

好きなことができる。指導すれば成果が上がる。試合に勝つなどのわかりやすい成果が上がれば評価もされる。生徒とのつきあいも密になるし保護者からも感謝される・・・日々の授業よりも、達成感が得られやすく、自信も持てるから、ついそこに依存してしまう。そういう状態の教師たちは、部活動を取り上げられることに断固反対するだろうと思います。生徒ではなく、自分の「大事なもの」だから。

よく小学校で「学級王国」と言われる「担任支配の王国」問題は、中学・高校では「部活王国」問題なのかもしれません。自主的に、仕事でなく、好意で引きうけているからこそ、「自分のもの」という勘違いも生まれやすいのだろうと思えます。

教師の仕事の中心は授業です。そこは間違ってはいけないところ。
だからこそ、部活動顧問も正規業務として、仕事として線引きをし、教師が「部活王国」を作ってしまわないように、「生徒の自主活動を指導する」とはどういうことかを考えていくような方向性に持っていかなければいけないのではないかと思います。

 

生徒の自主活動をどう指導するか問題・・・としては、市民権教育としての生徒会指導にも大きな問題があると思うのですが、それはまた次の機会に。

 

 

 

識字から

第4回 識字・日本語学習研究集会 よみかきことば・つながるための学習を支援する

・・・に参加した日曜日。

「識字」とは。

「よみかき」・・・だけど、大阪の、解放運動の「識字学級」はそれだけじゃない。

 

識字運動で大切にされてきたのは、学習機会を奪われてきた人たちが、「なぜ自分がそのような人生を強いられてきたのかをふりかえり、そこから改めて輝く人生と公正な社会を切り拓く主体となっていく」ことです。
(集会パンフレット巻頭言より) 

 そやねん! ここ! ここ!

「識字のおばちゃん」たちの、たくましさ、やさしさ、ユーモア。
けど、ちょっとめんどくさいとこ(笑)の話。

「子どもが部落差別勉強して来て『おかあちゃん、部落って何や』って聞かれたけど答えられへんかったから」と識字学級に来たおばちゃんが、30年経って「いまは自分が差別せんように勉強してんねん」と言い、学校に行けずにうろうろしている中学生を気にかける姿。

身売りされた少女の頃、つらいエピソードを一つひとつ思い出し直し、綴り、読み、また綴り、「とにかくつらかった、二度と思い出したくなかった」「でも書いてよかったと思うねん。若い子らに伝えていかなアカンと思ってん」と言い切る姿。それを学習パートナーとして支えた人の「書くことがエネルギーに変わる瞬間に立ち会った」という体験が「厳しい現実の中を生きる子どもたちは宝。そのエネルギーが社会を変えていく」という教育哲学に昇華していった話。

「よみかき」から引き離され、孤独に生きてきた若者が、「競争主義」「自己責任論」の陰でどんどん見えなくなっている現実。「できない人」を簡単に切り捨てる風潮に、わたしたちは抗えているのか。そこに抗ってきたのが「識字」ではないのか・・・。

わたし自身が、「識字のおばちゃん」たちに出会った20歳そこそこの頃を思い出す。

わたしは、学校が嫌いな子どもだった。

 

学校に行けなくて、文字に拒絶されて、悔しい思いをしてきた人たちの通う「学校」は、わたしが知らない「学校」の世界だった。

わたしは、文字の世界/本の物語のなかに逃げ込むことで、心を支えられてきた子どもだったから、「文字が敵に見える」世界があるなんて、思いもよらないことだった。その人たちが、文字を知り、覚え、綴っていく。そして「文字が敵でなくなる」のだ。なんてすごい世界なんだろう。・・・それまでわたしが逃げ込んできた物語の世界が、ちっぽけに思えて、わたしもおばちゃんたちにハマった。

全体会で、そんなことを思い出していたら、隣に座っていた学習者さんとおぼしきおばちゃんが「これも作文に書けるな。こんど書くわ」と学習パートナーさんと思しき人に話しかけていて、胸がいっぱいになってしまったのだった。

いま、競争に勝つこと至上主義で、負けることはみっともなくて、ダメなこと、価値のないことと切り捨てていく空気が蔓延している。「よみかき」の権利から引き離される人がいることにも気づかず、競争の階段の上ばかり見上げて暮らしていないか--そこを問い続けることが、教育にかかわる者の矜持でなければならない、と思う。

識字のおばちゃんたちが、人生をかけて綴ったような、そんな「綴り方」の経験を持たないで育つ人の方が多いだろう。自分に向き合い、自分を肯定し、思いを伝えるエネルギーに転換していく。そのエネルギーが切り拓く「公正な社会」をともに思い描けたら。

識字は教育の原点だ、と改めて思った日だった。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』鴻上尚史

「9回出撃して9回帰ってきた」佐々木友次さんという特攻兵のことを、鴻上さんが調べ、インタビューし、書かれたもの。

bookclub.kodansha.co.jp

私も新聞の書評で「9回出撃して9回帰ってきた」というところに俄然興味を引かれて買ったのだけれど、想像以上だった。当然、「特攻とはなにか」という問題にも触れられるのだろうとは思っていたけれど、これはリーダー論、日本論としてもすぐれた1冊。

鴻上尚史さんは第三舞台を率いていた演出家・劇作家だ。平田オリザさんもそうだけど、鴻上さんも演劇に関する書籍やワークショップなどで「どうすればうまく動けるか」とか「どうすれば構成が作れるか」とかいったことを、高校生初心者でもわかるように説明するのが巧い。高校で演劇部の指導をするようになって彼らの著作を読んで、「なぜ自分が高校生のときにこういう人がいなかったのか・・・」と思ったものだ。何を言ってるかわからない、情念だ、情熱だ、身体性だ・・・??? わけもわからずに右往左往していた高校生の頃の時間返せ! と思ったり(笑)

けれど、「精神」を語るのは、リーダーとして一番安易な道です。/職場の上司も、学校の先生も、スポーツのコーチも、演劇の演出家も、ダメな人ほど、「心構え」しか語りません。心構え、気迫、やる気は、もちろん大切ですが、それしか語れないということはリーダーとして中身がないのです。/ほんとうに優れたリーダーは、リアリズムを語ります。現状分析、今必要な技術、敵の状態、対応策など、です。今なにをなすべきか、何が必要かを、具体的に語れるのです。261-262pp第4章特攻の実情

これは、いかに特攻を立案した上層部や命令した指揮官といった「命令する側」の人間にリアリズムがなかったか、という分析の中の一文。アメリカ軍の戦闘機をかいくぐぐって目標(戦艦)に近づき体当たりを成功させるのは至難の業なのに、そんな飛行条件もパイロットの技量も何も理解できない人たちが「気合いがあればできる!」とただただ叫んでいる・・・そういう実情をさまざまな資料で紹介されるのを読んでいると、憤りややるせなさで何とも言えない気持ちになってしまった。と同時に、今の総理とか官房長官とか大阪府知事とか…といった政治家の顔が何度も思い浮かび、背筋が寒くなることおびただしかった。怖すぎる。

そして、特攻に駆り出された優秀なパイロットたちの中に、佐々木さんのように「死ぬことではなく攻撃を成功させることが大事なのでは?」と疑問を持ち、無謀な作戦や嫌がらせのような命令に抗い、異議を唱えた人たちがいたことを知り、こういう人たちの抵抗の姿こそ、もっと知られなければならないと思った。(鴻上さん自身、そのためにこの本が書きたかったのだと本書のなかで述べている)

特攻について知らなかったこともたくさんあり、勉強にもなった。特攻機は爆弾を抱えたまま突っ込むことを念頭に改造されているから、攻撃を受けても迎撃することができない。だからその援護のためについていく別の戦闘機があり、その戦闘機のパイロットが特攻の戦果を目視で確認して報告するのだということとか、実際には高度から爆弾を落とす方が貫通力は強く、体当たりでは鋼鉄の軍艦の甲板は破壊できないこと、そもそも体当たりするには高度な飛行技術が必要で、経験の浅いパイロットでは無理だったということ・・・。読めば読むほど理不尽極まりなく、何がしたいんだ日本軍は! とまったく理解できない。そりゃ負けるよ。負けて良かったよ。と思う。けれど、負けてもまったく反省なしだった「命令する側」の言動の数々も出てきて、開いた口がふさがらない。亡くなった方に申し訳ないとしたら、こんな言動をのさばらせてきた戦後社会の私たちの不甲斐なさだよ・・・・・・。(21世紀になってもなお、美談にすり替えた特攻戦記がベストセラーになったり映画化されたりしているわけで。ほんとうに申し訳ない)

今の政治家とダブる・・・と書いたけれど、これは学校現場にも言えるかもしれない。
文科省が「学力向上」をいい、現場は「そういう問題と違うやろ・・・」と、そのリアリティのなさを嘆く。けれど世間の声も「学力向上!」の方が好きで、そのものさしでしか学校を見ない。子どものかかえている現実や保護者の直面している困難、その背後にあるグローバル社会という情勢・・・そこで現実に向き合い生き延びていくために必要な力を子どもが育てていくために、学校や大人に何ができるのかを考えている教師は、異議を唱えて抵抗する。でもそういう教師は煙たがられ、うるさがられ、「そんなことより学力を上げろ」と言われる。クラスの定員や授業内容の精選など、必要な手立てを提案しても予算がないとか制度上無理とか、そして最終的に「本気で子どもを思うならできるやろ!」とパッションの問題にすり替えられる。・・・そんなことがあまりにもまかり通っている。

本書に登場する佐々木さんはじめ、無謀無茶苦茶な軍の方針に抵抗した人たちの当時の年齢は、みな20代だ(佐々木さんは21歳)。彼らが抵抗できたのは、飛行機が好きで確かなスキルを持ち、自分の知識と技術に自信があったからだと思う。だとすれば、現在の私たちもまた、自分のやりたいことを磨き、それぞれの専門性を高めていくことで「おかしい」と気づく力を持つこと、そして「おかしい」と思ったら抵抗すること、抵抗する方法を考えてやり抜くことが、理不尽な歴史を乗り越えていく道ではないか。

広く読まれてほしい、と思う。

これとセットで『青空に飛ぶ』という小説(講談社)もあるとのことなので、次はそれを読むかな。鴻上尚史さんには『「空気」と「世間」』という著書もあり、こちらも優れた日本論。(本書と同じ講談社新書)オススメです。