読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

Les Heritiers 邦題『奇跡の教室』

kisekinokyoshitsu.jp

なんか忙しくて、本もあまり読み進まず、映画もあまり見られず・・・な今日この頃&ブログを全然使えてない!反省も含めて。この夏、いろんな方向で考えさせられたフランス映画について。(概要はリンク貼ったのでそちらで)

「奇跡」なのか・・・?

原題は英語でいえばHeritor/相続人・継承者という意味で、邦題はそれが副題に回って「受け継ぐ者たちへ」となっています。これもなんで「へ」を付けたかなぁ・・・そのまま「受け継ぐ者たち」でいいのに。とタイトルに納得いかない私。

ホロコーストについて学び、サバイバーから直接聞き取りをするなかで、生徒たちが歴史の「継承者」に成長していくさまが圧巻で、魅力的な映画なのに、それを「奇跡」って言っちゃうセンスの悪さ。そこに「あんな出来の悪い不良の生徒が!」という見下しを感じて気持ち悪いと思うのは私だけでしょうか。

教師の力(専門職としての技量)

たしかに、先生が「コンクールに参加します!」と宣言したとき、当の生徒たちも「うちらには無理っしょ」的な反応だし、校長も「優秀なクラスが参加するならともかく」と渋り顏。しかもテーマは「ナチスの強制収容システムにおける子どもたちと青少年」重っ!

そこでゲゲン先生が「やってみもしないで『できない』と決めつけるのはどうかしら? 失敗するのがカッコ悪いと恐れてチャレンジしないのは憶病ね」的なことを言って、及び腰の生徒にかまわずエントリーするーーそういう姿が「熱血教師」「生徒への愛」etcと映画の宣伝コメントにもあふれていましたが、彼女の教師としてのスタンスはそんなに特別なものではないと私は思いました。歴史教師としてのキャリア、一緒にコンクールまで付き添ってくれる司書の友人の専門性や、証言者として生徒に語ってくれるレオン・ズィゲル(ご本人が登場しています! 貴重映像)の語りの力を信じているから、コンクール参加に踏み切れるわけで、根拠のない熱血とは違う。

自身が教師として、歴史を学ぶということの醍醐味、ダイナミズムをよく知っているからこそできた実践だと思うし、そう考えると大切なのはゲゲン先生個人の「奇跡」だと持ち上げるのではなくて、教師がその専門性を磨くことや、それをサポートする司書のような専門職の存在を尊重する教育環境づくりを考えなければいけないのではないか。この映画を見た教育関係者が「継承」すべきことは、そこらへんにもあるんじゃないかなぁと思いました。

あんなふうに調べ学習の取り組みをするときに、司書の方が付き添って資料調査上のアドバイスをしてくれるのは、ほんとうに素晴らしいと思う。映画の中では最後まで反発して取り組みにそっぽ向いている女の子に、司書の人がさりげなく「こういうのどう?」とシモーヌ・ヴェイユ自伝を渡し、それが彼女に火をつけるのですが、生徒の様子を見ていて「あ、この子にはこういうのどうかな」と思いつくのは司書さんならでは! 学習したことをどうアウトプットするかの指導はゲゲン先生に負うわけですが、インプットの資料選びやタイミングをサポートしてくれる人が傍にいるって、素晴らしい。学校図書館にしろ地域図書館にしろ、司書さんをきちんと置いて子どもたちの学びをサポートしてもらえば、どんなに世界が広がるだろう・・・とうらやましく思いました。

歴史を学ぶということ

コンクールに取り組むことになり、生徒たちも「ホロコースト」「強制収容所」ってなに? と、ちょっとググってみたりしはじめます(ここらへん、今どきの高校生)。で、ちょっとググってみたら衝撃写真に出くわして、「え、なにこれ」とやる気になるというよりは、衝撃のあまり誰かに話さずにいられないという感じで、ポツポツと関心とやる気が生まれ、それがクラスに広がっていく展開がとてもおもしろかった。「これはどういうことだろう?」「なぜ、こんなことになったのだろう?」という、まさに学びのスタートライン。

コンクールに参加する前の段階での授業の様子で、中世キリスト教会の装飾に描かれた「異教徒」の姿を巡って、ムスリムの生徒が反発して授業から出ていこうとする場面があり(そもそも映画冒頭から、スカーフ着用を巡って卒業予定生と校長が激しくやり合う姿が出てきて緊張感満載)、ムスリムがいるとわかっている教室でこれやるんだなぁ・・・とドキドキしながら観ていたのですが、反発する生徒にゲゲン先生は極めて冷静に「もちろん、イスラム教を否定し排除するのは間違っているけれど、これは紛れもない歴史の事実だ。だから学ぶことを拒否してはいけない」と言い、その教会に生徒たちと出かけていくのです。ムスリムの生徒が、キリスト教会を見学し考える。その姿を見て、他の生徒も考える。また、ゲゲン先生は普段から、生徒たちの人種差別的な言動には厳しく接していて「冗談やん」みたいな言い逃れを一切許さない。つまり授業でも授業外でも「公正」ということで彼女なりに一貫した態度でいるから、生徒側からしたら安心できるのだろうなと思えました。

つまり、コンクールに参加したことだけが「奇跡」を起こすわけではない。コンクールへの参加は特別な取り組みではなくてゲゲン先生の普段の授業/歴史から何を学び継承するかという問いを軸につながっているからこそ、生徒たちは成長する。

レオン・ズィゲルさんの証言を聞く場面が、この映画の山場の一つ。ご本人が本当に体験を話されて、それを聞いている生徒たちの顔つきがみるみる変わっていくのが、圧巻です。生徒の一人がその後興奮して別の友人に「今日はすごい話を聞いたんだよ!」「あれは聞くべきだ」と熱く語る姿も、ひとりじっと考え込んで本を読み始める姿も。これも、当事者の語りの力ももちろんだけれど、自分たちで学習を積み重ねた上での「出逢いの力」だなぁと思いました。私は見ながら、学生時代に自分が出会ったさまざまな証言者の人たちのことや、厳しい現実を生き抜いてきた人の語りを聞く子どもたちの眼差しも思い出して、胸がいっぱいになりました。

フランスの学校

前に『バベルの学校』(中学校)を見たときも、日本とはだいぶ学校文化が違うなぁと感心したのですが、今回びっくりしたのはクラスの評価に関する会議の場面。

担任のゲゲン先生、校長、このクラスを担当する各教科の先生はもちろんですが、そこに保護者代表とクラス代表(生徒2人)も入って「先月は対室処分を受けた生徒が〇人いますがー」なんていう話をしているのです。そして「〇〇は、警告が〇回あるから謹慎処分すべきでは」という提案に対して生徒代表が「〇〇はいま家の問題で大変なんです」と〇〇くんの抱える事情を話し、それを受けて先生たちが「同情できる点もありますね」「しかし、この点については・・・」等と個別の件を説明し、対応を協議していくのです。民主主義!?

一方で、保護者代表が「一部の女子のスカートが長いことについて、学校で指導するように要請したい」と言ったことに対して(私は最初何のことかわからなかった)、校長先生が即座に「確かにスカートの長い子は何人かいるが、それが宗教的信念に基づくものかファッションなのか、明確に区別できない。それに対して学校が指導するのは行き過ぎだと思うので指導はしません」ときっぱり付き返す、という具合で(そこで初めてムスリム生徒に対する偏見なのだとわかってゾッとした)、話し合うべきことは話し合うけど、「それはダメ」という点についてははっきりきっぱり突っぱねるのね・・・と感心しました。

フランスは小学生でも容赦なく落第させる国だけど、高校ともなるともう包み隠さず(?)「そんな態度でいたら落第するわよ!」と最初から脅かしまくりなのも、ちょっと衝撃だった。フランスの高校コワ・・・・・・。そして、授業中に何度か注意しても態度が改善されないと「退室を命じます。連絡帳持ってきなさい」と言って、所定のノートに何やら書きこんで、それを持たせて追い出しちゃう(これが退室処分)。でも、生徒の方も黙って聞いているだけではなく、我慢ならない件に対してはボイコット(ゲゲン先生が長期欠勤して代理の先生が来るのだけど「ゲゲン先生はどうしてこないの!」とブーイング。代理の先生がちょっとかわいそうだった)、とにかくみんなよくしゃべる。しゃべるというか主張する。議論の国フランス。

かたや日本。生徒だけでなく、職員室/職員会議でも議論しないもんなー。そして陰で文句言う。もちろんそうじゃない学校もあるだろうけど、大半は意見言わないんじゃないだろうか。そもそも文科省が校長の権限を強くして「即断即決迅速に」させようさせようとしている国で、時間をかけて議論する文化が学校に育つには、いくつものハードルがある。

フランスほど喧々諤々でなくてもいいけど(笑)もう少し、意見の言える環境を育てた方が、グローバル社会に対応する子どもを育てる学校に近づく道だと思いましたね・・・・・・。