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わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「反日」考~『鬼郷(귀향クィヒャン)』を観て思ったこと

日々是好日

観てから既に1ヶ月以上・・・。

感想書かないまま年を越してはいけないわ! と、お節作って向かうPC。

 

しかし、ググってみると(予想はしたけど、実際)ろくな記事がヒットしない・・・・・・

慰安婦題材の韓国映画『鬼郷』、東京で初上映…「反日が目的ではない」 | Joongang Ilbo | 中央日報

リンク記事にあるように、東京での上映会の後、全国各地を地道に巡回し、
私は11月22日にドーンセンター(大阪)で観ることができました。

 

ググっていただければおわかりのように、「反日映画」の呼び声高いです。

というより、そんな評価しかヒットしません。

ということは、この記事もアップと共に
なんとかホイホイ状態となって炎上してしまうのだろうか・・・(笑)

これは「慰安婦」の映画なのか

日本軍「慰安婦」サバイバーであるハルモニの体験談がベースであることは
監督も語っており、そのゆえか「この映画はどこまで本当なのか」云々という
(「慰安婦」問題といえば、そればっかりかよ。な気もするけど)
要は「嘘だと言いたい」人の声ばかりが大きく聞こえてしまう状況の中で
なんやかんや遣わなくてよい気を遣わねばならず、
普通の映画として普通に気軽に観に行くことができない状況なのが
第一に悲しいと思います。

もっと広く観られていい映画です。

日本軍「慰安婦」の物語を入り口にしながら、
現代の「性暴力被害」、性暴力被害者への「世間の眼差し」という問題、
戦場/軍隊における「暴力」全般の問題まで、この映画は射程に入れています。
(その意味で、これは優れたフィクション*1です)
だからこそ、重苦しいし、しんどい映画ではあるんだけど、
見応えがあるし、観終った後に余韻が残る、佳作だと本当に思います。

 

とまぁ、ここまで読んだだけで、批判したい人たちは
反日フェミだー」と私にレッテル張りするでしょう。してください(笑)

慰安婦」問題に限らず、性暴力の問題を扱った映画が
筋違いの非難にさらされたり、性暴力のシーンだけが強調されて消費されたり、
は、よくあることです。悲しいけど。
学生時代、『告発の行方*2という映画が話題で、
観に行った友達が、映画館でレイプシーンに指笛を吹いて
「やれやれ!」と叫んだオッサンがいたとかで号泣し、
それで恐怖に引きつりつつも「観た方がいい」と言われて観に行き、
観終った後も、しばらく恐怖で震えが止まらなかったことを思い出します。
(それ以来、私はジョディ・フォスターのファン)

告発の行方』は、映画の内容そのものが
「被害者にも落ち度がある」という世間の眼差しや
性暴力被害を訴えることの困難さを描いていて、
あれから20数年経過した現代でも、そこらへんの課題は
相も変わらず根深いものがあるよな・・・と時に絶望しそうになります。

『鬼郷』では、過去と現在をつなぐために
巫女(ムーダン)の少女が登場するのですが、
その少女がなぜ巫女になるかというと、性暴力被害に遭ったからなんですね。
映画では細かい事情説明がなく、やや抽象的にボンヤリ描かれるのですが、
その被害のせいで少女自身もトラウマを背負い、家族も崩壊し、
少女は巫女の家に引き取られて修業に入る。
つまりは、性暴力被害者が現実の社会で「普通に」暮らすことの困難さ、
性暴力は身体を傷つけるだけではなく、生命の深いところで、
人間の尊厳を破壊するのだということが、
この少女によって象徴的に示されていたーーと私は思いました。

『鬼郷』というタイトルは、死者の魂が故郷に帰るという意味ですが、
韓国語の「鬼」は、日本語とはニュアンスが違います。
(このへんも「反日レッテル」の標的になる理由かもしれない)
「鬼神(귀신)」という語もあるのですが、
これは現世に未練が残って彷徨う死者の魂、日本語の「幽霊」に近いものです。
故郷から遠く引き離され「慰安婦」にされた少女の魂は、
まさに帰れなかった故郷を求めて彷徨う魂であり、
巫女(ムーダン)の役目は、そういった魂と交信し、
安寧に天に召されるように祈ること--だから巫女の少女は「鍵」なのです。

慰安婦」問題の映画として、事実がどこまで正確かということにばかり
注目していると、この「鍵」を見落とすように思います。
(もちろん、事実が不正確だということではありません。
ベースになった証言だけでなく、他の被害者の証言や、
証言に基づく資料調査や、研究の成果等もよく反映されています)

 

そして、「反日」って?

率直によくわからないのですが、なんで「反日」なのかなぁ・・・?

というより、そもそも「反日」ってなんなのでしょうか。

 

まず、この映画は「性暴力被害にどう向き合うのか」という問題を描いています。

典型的なのが、金学順ハルモニが名乗り出たあと、
「被害の申告を受け付けるので、近くの役所に申し出てください」という
ニュースを見て、女性が市役所に出かけていく場面。
勇気を奮って来たものの、用件を切り出せず帰りかける女性の背後で
市役所の若い職員たちが「ホントに(慰安婦)被害者なんているの?」
「いるわけないじゃん」的な軽口を叩くのですね。
これは当時の韓国社会の受けとめ方をリアルに再現しているのかなと
いう気がしました。

以前、挺対協の人に話しを伺ったとき、「なるほど・・・」と思ったのが、
韓国内で「日本軍慰安婦」被害の問題にきちんと取り組まなければと
フェミニストが危機感を抱いたきっかけが、
80年代の「キーセン観光(日本人男性の買春目的韓国旅行)」問題だった
ということ。(私はむしろ、「慰安婦」問題よりこっちの方が恥ずかしい)

1965年の日韓条約の際、日本軍「慰安婦」問題は話し合われなかった。
要は韓国内でも、女性の性被害の問題は過小に扱われていたということで、
そうやって看過され、放置されてきたことが、
女性の被害、性暴力の問題を次から次へと生み出しているのだ
ーーという認識が、問題に光を当てる原動力になっていたわけです。

だからこそ、日本軍「慰安婦」問題に取り組む人びとは、
韓国軍による性暴力の問題にも取り組んでいるし、
現代の紛争地/戦場における性暴力被害サバイバーの支援もしています。

だから、そもそも活動内容が「日本憎し」ではないし、
日本VS韓国という狭い枠でもない。世界中の被害者と連帯し、
すべての戦時性暴力を根絶するという大きな目標があるのです。

 

反日映画だ!」と脊髄反射的に言っちゃってる人たちは、
そもそも、そんな活動されていることも知らないし興味もないのでしょう。

 

それからもう一つ、私が重要だと思ったのは、
日本軍内部の描き方です。
なかに1人、「慰安婦」に同情的な日本兵が登場するのですが、
彼は単に女性に優しいわけではなく、人への共感性が高い人なんだな、と
感じさせる場面が断片的に散りばめられていて、
その共感性の高さゆえに、軍隊の「暴力」に適応しきれず、
命取りになるーーという顛末となります。

「人間らしい共感性を維持したままでは、
軍隊ではやっていけないんだなー」と、しみじみ思いました。

あたりまえだけど。

敵を見たら迷わず撃つこと。
上官の命令には従うこと。
かわいそうとか、相手にも家族がいるかもとか、
そんなことを一瞬でも考えたら、自分が死んでしまう。
そんな状況にずっとさらされ続ける、緊張状態が続く、
それじたいが、ものすごく暴力的な状況だから、
軍隊では「弱い」ことが命取りになる。
暴力は常に、弱い方へ向かい、弱い方に吐きだされる。

性暴力は性欲ではなく、支配欲。だから軍隊には性暴力がつきまとう。

これは普遍的なテーマであり、日本軍が特殊なわけではないと思います。
(とはいえ、戦場に女性を連れ歩いた「慰安所」形態は特殊ですが)
軍隊という「場」では、人が軽んじられるということもそう。
その構造から免れられる人はいない。

私は、映画を観ながらそんなことも考えました。

 

さいごに

日本軍「慰安婦」が登場する映画は、いくつかあると思います。
私は割と戦争映画もよく見る方なので、いくつかボンヤリ覚えていますが、
それがメインではないということもあるし、
なんだか「男目線のポルノ」的な、ホントに「慰められている」のか?
みたいな、中途半端な描き方で不快感だけ記憶に残ってたり・・・が多く、
今回も、韓国制作とはいえ、若干不安も覚えつつの鑑賞でした。

杞憂でしたけどね。杞憂でよかったです。

一方で、すごく心配になったのは、
被害に遭う少女を演じた若い女性たち、大丈夫なのか? ということ。
これは映画で、演技だとはいえ、あんな役をやっていたら、
神経がもたないんじゃないかな、と。私だったら無理。無理無理絶対無理。
(たかが演劇部の経験でも、そう思う)

私が行った上映会には、主役の子があいさつに立っていて、
とりあえず、無事に、にこやかにそこにいてくれることだけで、
私は胸がいっぱいになってしまいました。

 

だから余計に。
見もせずに、ただ題材やタイトルや、無責任な煽り記事を見ただけで、
反日だ!」とレッテル張りする連中が許せない。

自分が認めたくないからといって、
反日」とレッテル張りすれば、烏合の衆が湧いてきて安心できるからといって、
被害者を貶めるようなことを喚き散らす、
映画製作に参加した人びとの誠意を踏みにじる連中を、私は許さない。

そんな無責任な人たちのせいで、一般公開できないまま終わっちゃうとしたら
本当に残念です。とてもいい映画ですよ。

*1:フィクション(虚構)=「嘘だ! ほら、コイツだって嘘だと認めている!」とはしゃぎたい人は勝手にはしゃげばいいけど、優れたフィクションは事実よりも鮮烈に真実を抉り出すものなのですよ。それが優れた部分学や映画となる。そんなこともわからない人は映画を観るスキルが足りないので、もっとたくさんいい映画を観て、いい文学を読みましょう(←ケンカ売ってる?

*2:何度観ても悔しいし、何度観ても泣く「告発の行方」:五百香ノエルはゆっくり生きてく:So-netブログ