わったり☆がったり

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植民地主義と家父長制の呪い…と、怒りについて

朝ドラ「虎に翼」を毎朝楽しみに観ている。

第〇話で…ときちんと押さえて話せるほどマメではないし(今週は61-65話の週かな?)シナリオ集も迷いつつ買ってはなく(書籍にまとまったら買いたいけど電子書籍というのが…)…なので、セリフも場面の私の記憶の範囲なので、覚え間違いや思い込みもあることは織り込み済みでお読みください(前置き長い…けど前置きが続く 笑)

主人公、寅子(ともこ)は漢字こそ違え、同じ名前で、かつどうもちょっとシンパシー力低いというのか感情の機微に疎くて(空気読めないことも含め)、ことと場合によってはかなり人の心証を傷つけるな…というところとか、理屈っぽくて理が通っていないと落ち着かなくてしつこくあれこれ文句言ってしまって疎まれる(逆にものすごい持ち上げられることもある…極端)とか、私ですか?これ、私ですか?と思うことの連続だった大学生時代から就職初期の頃あたりから共感の嵐で、こんなに主人公に共感できるのも珍しいな…と驚いていた戦前編を経ての戦後編。書きたいことがいっぱいあるので脱線しまくるかもですが、書き留めておきたいことをとりあえず2つ絞って書きます。

ヒャンちゃんのこと/植民地主義をどう描くか

大学の同窓生として、「朝鮮からの留学生」崔香淑(チェ・ヒャンスク)という人物が登場しただけでも画期的で、もう登場からずっと「どうなるんだろ…」とドキドキしっぱなしだった。さすがのNHKでちゃんと専門家の考証も入っているし、演出家のなかに東京外大朝鮮語科卒の人がいるらしいとのことで、それだけで信頼度は高かったけれど、ここまでの展開でますます信頼度は上がっています。

東京帝国大学に留学、卒業後出版社で働いていたお兄さんが特別高等警察に目を付けられてしまったことから、ヒャンスクは朝鮮に戻ることを余儀なくされ、その後、朝鮮で日本人と恋愛結婚、日本の敗戦直後に、その夫とともに再来日、その夫(汐見)がたまたま寅子の上司で、2人は再会…と展開してきたのですが、

この再会のとき、「ヒャンちゃん!」と思わず呼んだ寅子に対して「その名で呼ばないで」と「汐見香子という日本人として生きる」覚悟を伝えたことに関して、SNS上でいろんな感想や意見をみたのですが…。

もちろん、当時の日本、今以上に差別が厳しかっただろうし、創氏改名もあったわけだし…で、そこを想像できず「その名で呼ばないで」に「はて?」と言ってしまう寅子に「思いやりがない」「鈍感すぎる」という声がけっこうあったんですよね。でも、私はそういう感想に違和感を覚えてモヤッてました…。特に、それが「差別を避けるための選択」なんだから「協力しないとだめでしょ」的な書きっぷりのもの…。そりゃ多岐川のセリフにも「この国にある偏見を今すぐなんとかできるのか!できないだろ!」というのがあったけれど、当時の状況を踏まえて言うならともかく、現代であっても、それが正しいと思ってますか? と尋ねたくなる感じの書きぶりだと、私も「はて…」って言いたくなっちゃいましたよ、ええ…(多岐川のセリフに関しても、「だったらお前は今できることとして何をするんだよ!」というのは思います。理由は後述)

実は寅子は、学生時代ずっと「崔さん」と呼んでいたんですよね。

ヒャンスクが朝鮮に帰る直前、浜辺で遊んでいるときに、涼子が「本当は何と読むの?」と尋ねたことで、ずっと「さい・こうしゅく」と名乗ってきたヒャンスクが「チェ・ヒャンスク」とハングルを砂浜に書いてみせ、梅子が「じゃあ、ヒャンちゃんって呼んでもいいかしら」と言ったのがヒャンちゃんの始まり(梅子はそれまで「こうしゅくさん」と呼んでいた、はず)。そのやりとりのあいだ、寅子はずっと黙っていたんですよね。その前に身に危険が迫っていることを話したヒャンスクに「朝鮮に戻るしかない、戻るなら今だ」とよねが断言したときも、寅子は黙っていた。

要は寅子は、ことばの壁にヒャンスクが苦労している、という程度のことは思っていても、彼女が植民地の出身で、そこには日本の支配の問題があることをまったく自覚しておらず、「さい・こうしゅく」に何の疑問も持たず、他の友人たちに対しては名まえ呼びしているのにヒャンスクだけ「崔さん」と呼んでいる自分にも無意識・無自覚だったのだろうな、と。賢いようで疎い。そしてそれはおそらく、当時の日本人の朝鮮認識・植民地支配認識が一般的にその程度のものだったということを示しているし、貴族で帰国子女の涼子や差別を具体的に経験している梅子やよねが気づける、感じ取れることを感じ取れない程度に、「恵まれたお嬢さん」の立場で寅子が生きてきたことを示してもいるよな…、と私は思いました。

(ちなみに、みんなといるときは正座してお汁粉食べてるヒャンスクが、自宅でお兄さんといるときは立膝、といった細かい演出で、視聴者のほうは気づけないと…ですよね。創氏改名はヒャンスクが朝鮮に戻ってからの政策だけれど、名前を日本語読みされ、日本の作法に従って生活することを強いられていたのです。彼女はずっと)

だから、再会したときの第一声が「ヒャンちゃん」だったことにちょっと驚いたし、おそらく別れてからいろんなことが寅子の身にも起きる中で、寅子なりに「ヒャンちゃん」のことを一生懸命考えたということだろうな…と思ったんですよね。それはヒャンスクの事情どうこうを想像したというよりも、日本が朝鮮を植民地支配していて、だから漢字を日本語読みして当然という社会になっていて、自分もそこに疑問を持たなかったんだなということ、疑問を持っていなかったからこそ、涼子に尋ねられたら嬉しそうに「ヒャンスク」と名乗った、その笑顔がおそらく衝撃で、「私っていったい…」をずっと考えていたんじゃなかろうか…と。これは私の勝手な想像でもあるけれど、「さい・こうしゅく」と呼ぶことに疑問を持ってなかった自分のことを悶々と考えて、「ヒャンちゃん」で上書きしたのに、「きょうこ」? え? なんで?「はて?」ってなったんじゃないかなぁ…と。それを思いやりがないとか自分勝手とか、そういうコトバで評価するのは何かが違うと思うんだな…(自分勝手だというのはそのとおりだけど、誰だって自分基準にしか物事を考えられないわけで、寅子はある意味、そこが徹底していて常に「私は」で考えている。「あなたは」「学生は」「日本人は」といった主語にすり替えて自分の意見を言うということはしないキャラ。そういうキャラを「ワガママ」としか表現できないところが日本語は貧しいぞ…)

そして、会うことも拒絶され、そのことをまた考えているのだろうな…と思う。考えながら「私と会ったことは言うな」を守って、その後再会したよねにも、梅子にも、黙っている。黙っているけど、梅子が差し入れてくれたおにぎりを汐見に持ち帰らせることで「梅子さんも元気だよ」を知らせる機転は、考えていなければ出てこないと思うんですよね。黙っている、会えない、ヒャンスクも、きっとつらい(ここ、「梅子に伝えておにぎり作ってもらった」説をみかけたのですが、そうなのかな…。もしかして未放送シナリオ読めばわかるってことなのかな…と思いつつ、でも私的には「寅ちゃん、ごくろうさま~」とたまたまおにぎり差し入れてくれたのを、「そうだ!汐見さん、これ持って帰って!」と押し付けて、汐見も「え? これ全部!?」とビックリしつつ、ヒャンスクも育児で疲れてるし、晩御飯代わりにいいかな~って考えて受け取って帰りました…という展開のほうが嬉しい…)

そんなふうに行間を多くとって、視聴者に「考えろ」と投げてくれる感じなのも好感なんですよね。最近の日本はドラマも映画もなんでそんなにことばの説明に依存するんだ?と思うぐらい説明過剰が多すぎるから(ただ、投げたものを受け止める力がない人が、世の中多すぎないか…とも思う。鶏が先か卵が先かわからないけど、エンタメ受容力の低下というんだろうか…)

一方、ドラマの筋立てに入れ込むのは困難なことではあるのだろうけど、私が気になるのは法的な部分で…。というのも、ヒャンスクのことを知る多岐川も汐見も法曹関係者なわけで、その辺の人たちの、日本国憲法施行前日に最後の勅令として成立した外国人登録令や、出入国管理令の「みなし外国人」規定、その後1952年の日本国籍「喪失」という旧植民地出身者の人たちに影響する法制度への認識がどういうものだったのか?がめちゃくちゃ気になる。

ヒャンスクはおそらく、解放前に汐見と結婚しているので内地戸籍に入ったことになり、「日本国籍を持つ日本人として」出自を隠して生きていく決意をしているのだと思う(日本名を通称名として名乗るというのとは事情が異なるということ)。なので、とうことは、ヒャンスクには外国人排除の法律は直接関係しないから、多岐川も汐見も無関心? なのか? ましてや寅子だよな…と思ったりもしつつ(それが実際の当時の日本人の認識のリアルだったとしても)法曹関係者~!っていう苛立ちは感じてしまうんですよね…。

とはいえ、1952年やあの時期が外国人の法的地位を考えるときに超重要な時点なんだということは、いまでこそ(日本で在日コリアン史を勉強している人たちには)常識だけど1980年代までは認識バラバラだったもんな…と思いだしたりもして、ましてや52年当時の日本人…うむ…と思う気持ちもあり、モヤモヤ。(認識バラバラ…は私の体感にすぎませんが、在日コリアン渡航史や猪飼野などでコミュニティが形成されていく歴史について教わったり本を読んだりしていた80年代、指紋押捺拒否運動から91年の日韓再協議を前にした「法的地位問題」の勉強会が増えていく中で初めて「1952年の日本国籍剥奪」の意味がクローズアップされてきたという記憶)

 

それにしても、単に植民地支配の酷さを描く、スルーしないということではなく、当時の日本人の、それも寅子のような良心的で正義感の強いタイプであっても、「植民地支配」に対して鈍感で、ほぼ何も考えていなかったという、その「空虚さ」を描くということをやっていたわけで、すごいなぁと思います(あった事件を描くのは容易いけど、いっけん何も問題がない、考えていない、意識にも上っていないという「ない」状態をみせるって、難しいですよね…)

思い返してみれば、戦中戦後を描いた朝ドラはたくさんあったのに、ヒャンスクのような登場人物が出てきたのは初ですよね? 岸和田を舞台に、縫製の世界で生きる主人公なのに、岸和田に大勢いたはずの紡績工場の朝鮮人女工はかけらも登場しなかった『カーネーション』(あの、日本兵のトラウマと現地での加害行為の問題に踏み込んだ、「カーネーション」でさえ!)、天満の闇市を描きながら朝鮮人は一人も出てこない、どころか主人公が「ホルモン焼き」を売るというとんでもない展開をした『ごちそうさん』(あれは文化の盗用だろ…と今でも怒っているのだが。そしてそんなトンデモもありつつ、大阪大空襲で「防火・消火」を行政や軍が命じたからこそ犠牲者が増えた史実を描いた点は画期的だった……)、つまり「そこにいたはずの人」を「いない」ものと描いたのが、これまでの朝ドラ。「意識に上らない」という「不在」を描いたのが『虎に翼』といえるんじゃないかと思うのです。

「そこにいたはずの人」を描くという意味では、敗戦後の闇市で寅子に焼き鳥を手渡す(その包んだ新聞紙に日本国憲法の条文案が報道されている)女性の姿…が白眉でしたよね。名もない通行人、その他大勢のなかに、さまざまな人生をきちんと描き込むのは第1話からだったけれど、あの短い場面に、朝鮮訛りでセリフを話せる在日コリアンの俳優を起用して、どぶろく(マッコリ)まで…細かい!演出が細かい! 説明がまったくなく「わかる人にはわかる」みたいになって終わったのが残念ではあるけれど(SNS観てれば気づく人はいるだろうし、気づいたらそこから学んでほしいな…)。また、寅子がお弁当を食べるベンチのところで、物乞いする傷痍軍人がいたのも…時期的には軍人恩給制度が止まっていた占領下なので、日本人である可能性もあるけれど、軍人恩給が復活した後に街頭でああして募金を集めていた傷痍軍人のほとんどが朝鮮人だ(大島渚『忘れられた皇軍』)。そういう存在を画面の端にしっかり映しこむ。そしてそこに「法律を守って餓死する花岡」を登場させる画面づくり! 当時「浮浪児」と呼ばれた戦災孤児のことをちゃんと取り上げたのも初めてではないかな。「戦争が終わってめでたし」では全然ないんだよ!を、さまざまなフェーズで可視化していたと思います。

話を戻すと、とりあえず、植民地支配を無視しない、史実に沿って「そこにあったものはあったのだ」と描く姿勢に敬意を表したいです。がんばれNHK

 

母への依存と母の依存/家父長制の「イエ」

梅子再登場!の1週間。大庭家みてたら、自分の実家の空気感思い出して吐きそうだった…から、梅子が「ごきげんよう!」と席を蹴っていった姿に拍手喝采でした…。

実家の空気感…というのは幼少期、祖母が生きていたころの記憶なのだけど、祖母が亡くなった後も何かと私の人生にくだらないマキビシを撒いていきやがったよな…とつくづく嫌になることが多かったからさ…(だから家父長制マジ死ね、と怒りを新たにもしました)。

うちの父は長男でした。祖父は私が生まれる前に死んだので、どういう人だったのかわからないけれど、祖母は、父の実母の妹で、父を産んですぐ亡くなった姉の代わりに祖父に嫁がされた人だった(それだけでキモイのよ、「イエ」ってやつ…。『虎に翼』でいえば、花江ちゃんに「猪爪家にいたければ直明と結婚しろ」みたいな話。そんな話は「ふつう」だとその年代の親戚に言われて、子ども心に気持ち悪っ!となったのを覚えている)。そんなのが親戚(本家)だから、何かにつけ「長男が〇〇すべき」論をふりまわされ、その結果、私もふりまわされた幼少期…。父と祖母は折り合いが悪くて、私が小学校2年生のときに決定的な喧嘩をしたあげくに「縁切るわ」となって(それまで同居していた)家を出て引っ越したのだけど、それなのに数年後に祖母が亡くなると「この家(建物)をどうするか」他のきょうだい(といって妹だけでしかも全員が他家の長男の嫁)で決めようとしているところに本家が「長男がいるのに!」と騒いだらしく、結果、祖母の家にUターン。おかげで私は小学校3つ、4回転校させられたんですよね(しかも、叔母たちは喧嘩して同居解消して出ていった父のことを怒っていたから、土地建物の名義のことやら何やら、その後もややこしい目に遭ってしまったし。だから血のつながりなんてクソだなというのが染みついてしまった)

そして母は、祖母がいたときは「祖母にいじめられて耐えている」、祖母が亡くなったら「決定権は父にあるから私には自由がない」と、「かわいそうな私」というキャラを使って娘を支配する人だった(ということに気づいたのはほんの数年前。まぁ、あの酷い家に嫁いだからしょうがない…と同情していたけれど、自分が子育てをするようになって子どもが成長するにつれ、「あれ? うちの母、おかしくないか?」と考え直す機会が増え、信田さよ子さんの著作などを経て現在に至る…。私も「母にとってのいい娘」を演じることに依存していて、「いい人と思われておく」ことで安心したい病が深いんだよな…と思っています)

梅子を馬鹿にしながら梅子に生活全般依存しきっている長男といい、お母さんかわいそうだから支えなくっちゃと優しいのはわかるけど何をもって支えると言ってるのか?な末っ子といい、馬鹿にしてるのに世話されて当然とふんぞりかえってる姑といい、既視感しかなくて「うわぁ…」でした。

そして、思ったんですよね。梅子は自分で法律を学んで、法を武器にイエから脱出しようとしてはいたけど、どこかで「かわいそうな私」「息子のために耐える私」像への依存もあったってことだよな…と。それは、家父長制が求める世間体のペルソナでしかないのに、それが自分自身であるかのように錯覚していた。息子が可愛くて手放せないというのは自然な感情だろうけど、息子も別の人格で、自分が思う通りには育たないのだと自覚できなかったというか…。姑が子育てに介入している家だから、自分の思う子供に育たない部分は「姑のせい」だと思ってしまうのも無理はないんだけど、そのせいで息子依存に気づきにくかったし、息子のほうも梅子に依存して精神的に自立できていない(長男や次男も、自分たちがいかに酷い仕打ちをしても母は結局戻ってくると高をくくれている点で、自立できていない)。お人好しで優しくて…も自立できていない子どもだからなのに、そこに気づいていなかった(だから、その無自覚さや思い込みを打ち砕くのが末っ子の「恋」だったというのが、なんて展開!秀逸だなと唸りました)。

 

一方で、この週は並行して、家事全然しない働きマン夫な疑似男性になってる寅子と、そのせいで「私が家のことを!」と気負ってしんどくなる花江、というのも描かれていて、「わかりやすくえげつない家父長制」と「内面化して人を壊す家父長制」の両方がみえたのも、おもしろかった。花江は家父長制社会のなかでしたたかに策を弄して「支配的抑圧的でない夫」と「婚家」を手に入れた、当時としてはラッキーな女性だと思うのですが、そんな花江でも「私が家のことをきちんとしなければ」プレッシャーを自分一人が背負うことの理不尽さに気づけない。直明や子どもたちは「一人でやんなくてもいいのに、手伝うのに」と思っているのに、そこにも気づけない。そんな花江と「イエ」を蹴飛ばした梅子が語らうことで「そっか!」となるシスターフッドが素敵だな…と(そしてその場に寅子はいないというのが暗示的だな…と)。

きっと花江は、子どもたちから依存されず、子どもたちに依存しない生き方を探っていける人になるんだろうな…と期待(とはいえ、その時代から隔たっても家父長制の呪いは根深いんだけれど。でも、だからこそ、この朝ドラがみんな必要なんですよね!)

寅子も、働きマンになってはいても「家族のために/家族を支えてやってるんだ」という意識は薄いから、きっとみんなが少しずつ支えあって手抜きもしあって、でも何となく回っていく家をつくっていけるだろうな…と思います(だってワガママだから!)

 

梅子じゃないけど、「自分を幸せにできないのに、他人を幸せになんてできない」

要は、みんなワガママに、我が道を突き進め!ってことですよね。人間は一人で生きていけないから、必要に応じてチームを作り、協力し合って生きていく。家族だって、そんなチームの一形態にすぎない。なのに、そのことを無視して「家族」に過大な幻想を押し付けるから息苦しくて、みんな「チーム」そのものから逃亡して、人のつながりを消費的なサービスで代替することで、一人で生きていこうとし始めているのが、日本の現在地ではないだろうか…(そしてそんなことが可能なのは都会だけだから、都会に人が集まってしまうのでは…?)。息苦しくなければ、居心地の良いチームであれば、人はそこを頼るはず。そのためには依存的でない、自立した「私」として生きる力が必要なのだ。

 

植民地主義も家父長制も、日本社会に巣くう根深い呪いだなと思う
(日本だけではないだろうけど)
呪いを解く呪文は、個々に少しずつ唱えていくしかなさそうだけれど、その呪文を分かち合う仲間を増やすことで対抗したい。そういう仲間と頼りあって生きていければな…。

 

蛇足:怒りについて

子ども時代に大人から受けた「ひどい仕打ち」に対して、結果オーライだからって、肯定的に語る人っていますよね…。体罰を肯定する人が典型的だけれど、あれは何だろうな…と、これを書いていてふと思いました。

ここにあれこれ書いたこと、祖母、父、母、叔母たちをはじめとした親戚の大人たちにふりまわされた事実について、私は今でも怒っている。ふりまわされた結果、私は都会の下町で育つことになり、思春期をそこで過ごせたことは私の人生にとってすごく大事でラッキーなことだったと思っているけれど、だからといって、あの仕打ちはチャラにはならない。結果オーライだって、ただの結果論で偶然でしかない。たまたまうまくいっただけのことを有難がって、理不尽な思いをしたことまでチャラにする必要はまったくないだろ、と思っている。

ただ、だから親や親戚を恨んでいるかというと、それはまったくないんですよね。だって個人のパーソナリティの問題ではなくて、家父長制の問題だから(そう思える前提としての「結果オーライ」があることは否定しません。結果がオーライでなければ恨みつらみにとらわれていた可能性はある…)。きれいな言い方をすれば、かれらも家父長制の被害者なので、そこを恨んでもしょうがない。ただ、私があんな目に遭ういわれはなかったし、理不尽だったということに怒っている。この怒りをなかったことにはしたくない。

恨みつらみに支配されるのも理不尽だから、そうならないためにも、怒るべき点に対してきちんと怒る、怒りの感情を抱きしめて大事にして、私は何が損なわれたから怒っているのか?を嚙み締めることが、次の人生を拓くエネルギーになる気がします。

梅子さんがあの場面で高笑いして「あー、私の負けです!」と宣言したのも、あの家の、長年自分を縛り付けたことへの恨みつらみに支配されないために必要な敗北宣言だったのかもしれないな、と思ったり…。「夫が悪い、姑が悪い、大庭の家が悪い…」という思考回路から「早く見切りをつけなかった私が悪い」と転換することによって、怒りの純度が高まって吹っ切れた…ということかもしれないな、と。

 

とはいえ、怒りというエネルギーの塊のような感情を抱きしめることは難しい。そもそも、感情を抱きしめて味わう、ということにみんな慣れていない。感情をことばで掘り下げてみるとか、そのときの体の感じ(どこかに力みがあったり、熱を感じたり)をじっくり確認するとか、そういうことがもっと必要なのかもしれない。

私にとって、純度の高い怒りは、おなかの底に沈殿したマグマのイメージです。あとは噴火を待つだけ、みたいな(笑) ちょっとした苛立ちは、こめかみのあたりを中心に上半身に血が上る感じ(だから比喩でなく「頭を冷やす」 笑)

 

6月も終わって、あと3ヶ月…ドラマとしては半分来たわけですね。まだまだ楽しみです!