わったり☆がったり

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8月末・・・1923年//2017年

8月24日に、こんな一報が流れた。

東京都の小池百合子知事は、毎年9月1日に営まれている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を、今年は取りやめることを決めた。」

え?

そのときは、「石原慎太郎でさえ出してたのに・・・」と聞いて、逆に石原は(ふだん「僕は文学者だから」というプライドの塊が)どんな文章を出してたんだろう。前例踏襲で自分が書いてもない文章を石原慎太郎名で出すのは平気なのか? いい加減な「文学者」プライドやねんなー等々、ちょっと明後日なことを思っていた。

8月25日の会見でのやり取りを聞いて、そんな呑気な感想はぶっ飛ぶ。

www.targma.jp

「これまでにも都知事として、関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表してきた。全ての方々への慰霊を行なってきた」

「そこに民族差別という観点というよりは、私はそういう災害で亡くなられた方々、様々な被害で亡くなられた方に対しての慰霊をすべきだと考えている」

「様々な歴史的認識があると思うが、関東大震災という大きな災害、それに付随する様々な事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊をする気持ちは変わらない」

朝鮮人虐殺は「震災に付随する様々な事情」ではなかろう。震災を生き延び、助かった命が、惨殺されたのだ。

さらに、この追悼式は9月1日に東京都墨田区横網町公園で行われるが、同日同時同場所で「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」が開催される(都が公園使用を許可)。在特会系の「そよ風」という団体が「虐殺否定の立場を明確にして行う」というのだから、嫌がらせだ。
(なお、検索すればこの団体の参加呼びかけ記事がヒットしますが、リンクは貼りません)

追悼文は送らない、
嫌がらせを許可する、

・・・要するに東京都は朝鮮人虐殺の史実に背を向け、歴史改竄主義にお墨付きを与えるということだ。

違いますか?

関東大震災での朝鮮人虐殺を否定したがる人たちがよく持ち出すのが「正確な人数もわからないじゃないか」という点ですが、そもそも官憲が加担していたがゆえに記録されなかった案件も多数あるうえに、官憲がデマに気づいて事態収拾に乗り出した後も、日本政府は被害の実態をきちんと調べようとはせず、昭和になっても戦後になっても放置し続けたから、ということをどう考えるのか。具体的な被害の実相を調べ、記録に残してきたのは名もない郷土史家の人たち、在日コリアンの研究者たちだ。

これが出たのがようやく2008年である。

報告書(1923 関東大震災第2編) : 防災情報のページ - 内閣府

関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。」

それでも、内閣府に事務局を置く中央防災会議がこうして明記した意味は大きかった。・・・と思っていた。

こういうのは日本の常で既視感しか覚えない・・・のも情けない話だが、政府が事実を(まかりなりにも)認めて、ようやく謝罪・総括の話ができるのか・・・と思いきや、それをちゃぶ台返しする人が同じ権力のすぐ近くから湧いてくる。

 

いま、もっとも手軽に読めて、この問題を考える入口にふさわしいのが『九月、東京の路上で』なので、未見の方はぜひ読んでほしい(元になったブログから読んでもらっても)

tokyo1923-2013.blogspot.jp

 

虐殺を否定したい人はなぜ否定したいのか、動機を理解するのに苦しむが、いまはそこを問題にするよりも、史実を捻じ曲げ改竄して平気な態度と、それを見過ごし「それがどうした?」と言わんばかりの無関心が、日本社会を毀損しているのだと社会に訴えるほうが先決だ。

人間は間違う生き物だ。一方で、できるだけ間違いたくない、無謬でいたいと願うのも当然だ。だからこそ先人の「過ち」の経験から学ぶのではないのか。

折しもDPRKのミサイル実験を、さも「日本に向けてミサイルが撃たれた」かのように喧伝し、恐怖感をあおる報道で、昨日(2017.08.29.)の午前中は埋め尽くされた。その煽動の先に何があるのか、1923年の教訓は非常に重い。とても90年前の話とは思えないリアリティを私はつきつけられたのだが、みなさんはそんなふうに感じませんか?

いまは1923年の、この日なのかもしれない、と。