わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「全国一斉休校」要請で、考えること

もう、多くの人が既に発言もし、政府への抗議もし、しているところですが。

www.change.org

「緊急事態」だから「政治判断」で「私(首相)の責任」で決定したのだそうです。

 

決定の経過もその後のごたごたも、すべてが腹立たしくて怒髪天を衝きますが、この数日で改めてはっきりしたなぁと思うのは、この国の

教育/学校に対するまなざしに潜む子ども蔑視

です。悔しくてたまらない。以下、怒っているのでまとまらない乱文です。

 

4月から積みあげてきた学級の、学年の取り組み。仲間と知り合い、関係が深まり、さぁ、まとめの3月だ! というところで、突如ブツッと断ち切られることの残酷さと暴力性が、まったくわからない国会の人たち(これは与党だけでなく、野党の人たちも危ういと思っている。そして国会だけでなく、検査もきちんと実施せずに感染者が少ない現状で「休校」を先走った大阪市長とそこに追随した大阪府下の維新首長たちはもっとたちが悪い)

 

批判されて、慌てて「働く大人の都合」にはすり寄ることを言い出したけれど
(これにしても、松井大阪市長の「保護者の事情によっては(子どもを)学校で預かればいい」と言った、「預かる」表現に、私は怒り心頭。子どもはモノじゃない。そして政府も、休校で教員は時間があるだろと言わんばかりに「教員が学童を手伝うように」と言い出した。だったらなぜ休校? 教員の専門性をなめきっている)

もちろん保護者は大変だ。そして、慌ててすり寄ってはいても、やはり非正規労働で何とかやりくりしている家庭やひとり親家庭のことは視界から抜けている。「保育所と学童は開設」すると、そこで働く保護者は? リモートワークしながら隣で子どもが宿題しているご家庭の映像がテレビで何度も流れたが、そんなことができる親はほんとうに一握りでしかないし、それで居心地よく?過ごせる子どもだって限られている。

 

家よりも学校の方が安全で居心地がいいという子どもだっている。
(親にしても、子どもが家にいない時間があることで精神的な逃げ場を確保できるというタイプの人もいる)

給食が唯一のまともな食事になっている子どもだっている。
(親の側からしても、子どもに格安でバランスの取れた一食が確実にある、ということで日常を救われている親だっているはずだ)

学年末だから、友だちとあれもしてこれもして…と計画もあったはずだ。
(担任の先生方も、ここはいちばん呆然自失ではないかと思う。やりきれない……)

 

「政治判断」が何のエビデンスにも基づかない暴挙だということは、国会でも繰り返し野党が追及して明らかになってきているけれど、

「子どもがどうしたいか、子どもの意見は聴かないのか?」

「せめて子どもに近い、現場の教職員に意見を聴かないのか?」

という質問の仕方を、だれもやらない。

そして思い返せばいつもそうだ。

入試改革

指導要領改訂

学校統廃合

いつも、子どもの意見は聴かないし、現場教員の意見もないがしろにされてきた。

その積み重ねがあるから、今回、

学校が標的にされたのではないだろうか。

 

大人の行動を規制するのは難しい。「休業補償して出勤させるな」は言いづらい。お金も出したくないし、企業から反発されるのも嫌だ。……そうだ、学校なら!「子どもの健康を守る」と言えばかっこうもつくし、反発されたところで抑え込める、学校と教員はなんだかんだいっても「子どものため」といえば働く。こっちへの反発より目の前の子どものことにかかってくれるからな……そう為政者たちが学習してきたから、こんなことになっているのではないだろうか。

 

いま、ないがしろにされているのは、子どもの権利だ。
「子どもたちの健康と安心を守る」という錦の御旗の元に、なかまと共に育つ権利、安心して過ごす権利、参加する権利がないがしろにされている。

「緊急事態だから」と国会で何度も発言していた。

しかし「緊急事態に人権が二の次になるのは仕方がない」のなら、なおのこと、何が「緊急事態」なのか、なぜそう規定できるのか、そこが明瞭でなければならない。そこをあいまいにしたまま、「緊急事態だ」を連呼する為政者を許したら、なんでもありになってしまう。法治主義が崩壊する(もう崩壊しているけど)

 

そう考えだすと、ほんとうに、子どもたちや現場の先生方にも、申し訳なく思う。
その都度その都度、やはりもっと怒らなくてはならなかった。

反省している場合ではないので、せいいっぱい抗議しようと思う。

 

それにしても。

ほんとうに子ども関係の仕事をしている人たちや、子どものことを考えている人たちはなめられている。目の前の子どもや親の困りごとに対応しないといけなくて、それに一生懸命になってしまうことで、けっきょく政府の失政のしりぬぐいをしてしまう。そりゃ、失政の犠牲は少ない方がいいし、「政府が悪いからあきらめろ」なんて、目の前に人に言えるわけがないんだから、ジレンマでしかないけれど、それでもやっぱり「なんで私たちがこんなことをやらされなきゃならないんだ?」と怒ることを忘れてはいけない(とはいえ、怒るのはエネルギーが必要で、人間にはエネルギーも時間も限られているから、怒りの方にまでエネルギー回らないのよ…というのもわかる。でも、けっきょくそれが…の堂々巡りになるのが悔しいしやりきれないし、怒り心頭です…)