わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「なんとなく不調」を侮らないでほしいと切に思う

なんとなく不調です。

なにが? と言われても、どこがどうとは言いにくい。
鍼の先生は「湿気と気圧でしょう(運動不足も)」と言うけれど

 

で、このまえ久しぶりに小中学校の先生たちとの小さな研修会を対面でやっと行えて、その前後も含めて雑談していて(オンライン会議だとこういうのができないのが難点。終わった後何となくズルズルその場にいて、そこで他愛もない話が始まったり、他の人が講師と質問&おしゃべりしているのを小耳にはさんでふむふむってなったり)

子どもたちも先生方も、どうやら世間は幅広くこの

「なんとなく不調」

にさいなまれる人たちにあふれているな…と実感しました。

 

遅刻なんてしたことなかった子が遅刻する

うっかり忘れなど、「うっかり」が多発する
(その中には「ヒヤリハット」もある)

 

そんなところに、有名人が亡くなったり嘱託殺人が起きたり、
そして7月26日(「やまゆり園」事件の日)が来て、

これ、偶然じゃないだろ。と頭がぐるぐるして、
さらに不調に拍車をかけているような気がします……

 

「偶然じゃないだろ」というのは、陰謀論を言いたいのではなく…

「やまゆり園」の追悼の日の前に、去年の京アニの事件の日が巡ってきて、そこではメディアがこぞって「こんな将来ある人が殺された」トーンで被害者の人となりを写真も名前もバンバン出して報道しまくっていて、一方で「やまゆり園」の被害者は相変わらず「匿名」で、殺人者の彼の名まえだけは何度も出てくる。報道の人はやっていて「おかしい」と思わないのか? と苛立ちながらテレビを切る。ネットニュースも自分からは見に行かない(でもFB中毒だしLineは使うからニュースは目に入る)

そこへ、私も個人的にちょっとファンだった若い俳優さんが自死されて・・・。

当然、巻き起こる「なぜ!?」大合唱。そして憶測記事。

私は亡くなった方のプライバシーを暴くことも嫌だし、自死の理由なんてどんなにほじくったところで、おそらく本人にも確固とした「これです」というのはないだろうと思うし、嫌でたまらないのは前提として。でもその報道の根底にあるのは「死にたかったかもしれないけど、死なないでよ!」という多くの人がありきたりに持つ感情なんだと思う。

だから余計に苛立つのが、単に嘱託殺人に過ぎないものを、亡くなった方が難病だったからといって、「安楽死についても議論が必要だ」とか言い出す人たちと、それをメディアが「一つの意見」として取り上げてしまうこと。なに言ってんだ。ふつう、目の前の人が「死にたい」と言ったからって、手を貸しますか? まず最初に「え、なんで?」って聞きませんか? 聞いたところで答えてくれるかどうかなんてわかんないけど、でも「いやいやいやいや。ちょっと待ってよ。死にたいとか言わんでよ!」と焦りまくりませんか? 電話口でそれ言われたら、切らないですよね? 切れないですよね?「事情はわかるけど(いやホントはわかんないけど)死なんでよ!」って叫ぶよね…?

 

それが、なぜ、難病や障害があると「死ぬ権利」とか言い出すんですか……。

 

正味、そういう何かおかしな空気が、この数か月で強烈に強くなっていることを感じます。タガが外れまくっている。いや、もうとうにタガは外れて底が抜けていたような気もしますけど。それでも最低限「そういうことを臆面もなくペロッと言うのはちょっと…」と、かろうじてあったツッパリ棒のようなものも、コロナウイルスが持ち去っていったかのような。いや、持ち去ったのはウイルスではなく、もともと持ち去りたかった人たちなんだろうけれど。なんて下品な社会なんだろうか。下品な人たちに社会を牛耳らせてしまった、「わたしたち」の責任を感じて鬱々とする気分が、さらに不調に拍車をかけまくりますよね……

 

だからって負けたり諦めたりはしませんが、

オンライン授業疲れと、世間の空気が相俟って、自分が自分で思っている以上に心身やられとるな…と昨日ぐらいから急激に自覚し始めて(苦笑)、こういうのって、一度自覚してしまうと、ドッときちゃいますよね(って、私だけか?)基本的に私は「ぶっ倒れるまで頑張る」ということができない人なので、いまもたぶん、ここで気づいてるからぶっ倒れないんですけど(苦笑)

でも世の中には「ぶっ倒れるまで頑張っちゃう人」が意外と多い…と思うのです。

そんなことないですか?

私の周りだけかもしれないけど、過労でぶっ倒れたことある系の人がけっこう多くて、私はそうでない自分がなんか申し訳ないというか、コンプレックスなんですよね(倒錯していると思うし、こういう価値観が過労死大国日本を支えるのだろうと思うけれど)
ということはつまり、「なんとなく不調」を軽く見ているだけで、どんどん死人が増えていく体になると思うのですよ。

 

「死にたい」って言って「極端な選択」をしてしまった人も、いま社会がこんな状況ではなかったら、ちゃんと誰かが止めに入ることができたかもしれないし、自分で自分を止められたかもしれない。と私は思うのです。やるせない。

 

どの命も大切。

死なないで。

しんどいときは、理由なんてどうでもいいから「しんどいんです!」と宣言して、自分が休みたいようにだらだらゴロゴロしなくっちゃ。