わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

「しょうがないよ」と「しょうがなくない!」ー映画『マイスモールランド』

mysmallland.jp

素晴らしい映画目白押しで、すっかり出不精になっていたのをえいこらしょと(笑)映画館に出かけました。(ということで、一度に2本記事を書いちゃおうとしている私)

 

まずは『マイスモールランド』

終始辛くて、でも日本(入管)はどんだけクソなんだ…という怒りが腹の底から渦巻いて、涙は出なかったのですが、最後に「名まえも姿も出せないけれどこの映画に協力してくださったクルド人のみなさん」のクレジットが上がってきた途端、涙腺決壊してしまいました。辛すぎる…。

 

《以下、ネタバレ有》

 

難民認定申請が却下され、在留資格を失うサーリャの家族。

お父さんが「なぜ許可されないんだ!」と入管の係官の人に詰め寄るのだけど、係官は「私に言われましても」と素っ気ない。

(以前観た『僕の帰る場所』でも、難民申請が却下されて「どうしよう…」と落ち込むミャンマー人の前で、淡々と事務的に「したがってあなたは…」と書類を読んでいく係官の人がリアルだったのを思い出した)

素っ気ないどころか、「なのでこのカードは今日から使えません」と、在留カードにパンチで穴をあけていくのですが…。なんだろう。「この人も仕事だからしょうがないよね」と同情する気分にはまったくなれなかった。そして憤懣やるかたなしで怒っている父を「そんなことをしたら余計印象が悪くなる」とたしなめるサーリャが辛い。同席している弁護士、もうちょっとなんか言うことないんかい!と立ち上がって怒りそうになってしまった。その後、中学生の妹が「私たち、ここにいてもいいんだよね?」と不安そうにする、その姿も辛い。小学生や中学生にこんな思いをさせて、「これは仕事なんで」と割り切れる人がほんとうにいるんだろうか(一方で、割り切れなかったら、精神的に耐えられないだろうとも思う。人間として心が壊れないようにするためには、割り切って麻痺するしかないのかもしれないが、だとしたら、それはそれで、そんな仕事を人間にさせている国家の暴力が、私は許せない)。…いるんだろうか。と書きながら、「いる」ことを私は知っているんだけれど。出入国管理局に配属されて仕事をして、どういう経緯であんなふうになっていくのだろうか…は謎だから知りたいとも思う。

 

…と、随所でこういう怒りが爆発してしまう2時間…。

恋のドキドキとか、ユーモラスでお茶目なお父さん、ワガママ反抗期の妹…というどこにでもありそうな家族のやりとりとか、笑う場面も随所にあったので、これから観る人にはそういうディティールも堪能してほしい。というより、そんな生活感あふれる、人間的な人の営みと、出入国管理法/難民審査の壁の非人間的な冷たさの対照が際立つ映画でした。

 

在留資格がない、「仮放免」という立場になってしまい、ほんとうは居住地である埼玉県から出てはいけないんだけど、サーリャが始めたばかりのバイト先であるコンビニは川を渡ってすぐの東京都。ほんとうは働いてはいけないお父さんも、生活のために解体工事の仕事を止めるわけにいかない。そして、そのことがバレたお父さんは入管の収容所に入れられてしまう…。

 

そういった事情を「しょうがない」というサーリャに、バイト仲間の高校生・聡太は「しょうがなくない!」と思わず叫ぶのだけど、それは直感的に「そんなのおかしいだろ?」と思っただけの話で、なぜサーリャたちがそんなことになるのか、事情を理解しているわけではなく…。

この、「しょうがないよ」と「しょうがなくない!」が二人の間で何度か交わされているうちに、聡太に最初ほどの勢いがなくなっていく様子と、それを察知したサーリャがどんどん諦めの沼にはまっていく感じが切なかった。聡太に勢いがなくなるのは、「どうやら自分が考えているほど単純な話ではないし、解決も難しい」ことがだんだん明らかになるからで、自分の無力さが嫌になるけど、無力だからといってあきらめたくはないんだよ!というもどかしさや焦燥感は、『パッチギ』を思い出すものがあった。

(『パッチギ』では、ギターを叩き壊しながら号泣するというドラマチックな描き方だったけど、聡太はそんなふうにわかりやすく「辛いんだよ!」表現をしないのが、いまっぽいというか…。きっとサーリャの方が辛いのに、自分が辛いとか言えないじゃん…とモヤモヤイライラしている佇まいが美しかった。『パッチギ』のときは、そこに感情移入しすぎて号泣したけど、今回は静かに「うん、わかる、わかるよ…」と共感しつつ、涙よりも怒りがおさえきれなかった…)

 

そして、在留資格の問題が大きな軸ではあるんだけれど、サーリャの日常にある些細な暴力(無理解)も丁寧に描かれている。海外につながる子どもたちが観れば「あるある!」となること間違いない場面がたくさんあって、それも辛かった。

*コンビニのレジで「外人さんなのね」「日本語がお上手ね」と褒めているつもりの日本人

*ワールドカップで「どこを応援するの?」と「日本」以外の答えを期待している日本人
*「なに人?」に答えに困って「宇宙人」と答えた子を「嘘つき」呼ばわりする日本人

まさにマイクロアグレッションのオンパレードなのだけど、私自身いていてハッとさせられたのは、「クルド人」という「国家と結びつかない帰属」が日本では理解されにくいということ(ゆえに、サーリャはドイツ人だと誤解されたままにしているし、弟くんは自分をクルド人だと説明できずに困っている)。見た目から「なに人なの?」と安易に質問することの問題もあるけれど、いざ「〇〇人だよ」と答えたときに「それどこ?」とか「え?」とか、すんなり終わらせてもらえないとなると、さらにアグレッション度合いは上がっていくよなぁと考えさせられた。正直、そこは私も気づけていなかったなと思う。

 

それから、個人的に印象的だったのは「善い人」であることが、ほとんど役に立たないどころか、むしろ傷ついている人たちの孤立を深める導引になることを、見事に描いていたこと。

まず、サーリャが渡日直後にお世話になり、憧れている小学校の先生。前例のない受入れに試行錯誤で取り組み、サーリャを助けてくれた恩人でもあるのだけれど、その後増えてきた外国人児童に対して、ポロっと「サーリャみたいにがんばる子ばかりではないから」と言ってしまう。そして、弟くんが抱えている寂しさ、孤立の原因に気づけていない(弟が殻に閉じこもっているせいだと考えてしまっている)

そして、サーリャの高校の担任。無責任に「がんばろう!」と励ますだけ。悪い人じゃないんだろうけど、もうちょっと勉強せんかい…(ここは本当にイラっときてしまった。演じていたのが板橋駿谷さんという、キャスティングの巧さよ…)

そして、震撼させられたのが聡太のお母さん(演じていたのは池脇千鶴。名優だよ…)。聡太のガールフレンドとして温かく迎え入れ、楽しげに話していたのに、在留資格がなくて…ということが分かった途端、「想像が追い付かない…」と困惑した顔を見せ、それをコンビニの店長(弟)に伝え、結果、サーリャはバイトを首になる(ただしこの顛末は、店長の言動からの推測で、直接的には描かれない。そこも巧い演出だなと思った)。要は、「在留資格がない≒違法状態」だという子にかかわることで息子や自分、弟の店にどんな影響が出るのかわからない、それが怖いから遠ざけようとする…忌避行動をとってしまうリアル。ほとんどの差別が、明確に傷つけようという悪意からではなく、リスク回避意識の罠に善人がはまることで起きるのだというのを見せつけられる場面だった(そして、だからこそサーリャの絶望は深くなる)

 

辛い映画だけど、多くの、特に若い人に見てほしい。

あなたの隣で、いつも笑っている友だちが、ある日突然「日本で暮らす」ことそのものが危うくなる。そんな脆弱な立場で生きている人はすぐ身近にいる。

聡太のように、そこに巻き込まれたときに、「しょうがなくない!」と叫んで、叫んだ責任を自分に問い続けることができるだろうか。

私も「しょうがないよ」と言う人を減らしたい。言わせてしまう社会を変えたい